117. 歯車
第041日―3
「結婚まではいかなくとも、想い人のような方はいらっしゃらないのでしょうか?」
彼女の問い掛けを受けて、僕は少々困惑した。
何故キラさんは、こんなにも自分の恋愛事情を根掘り葉掘り聞いて来るのだろうか?
良く分からないまま、僕は助け舟を求めるつもりで、クレア様に視線を向けた。
しかし彼女は、耳まで真っ赤にしたまま、俯てしまっている。
そんな彼女の様子に、僕まで顔が自然と赤くなってくるのが自覚された。
「想い人も何も……実は1ヶ月半位前にこの世界に来たばかりで……ようやく知り合いが何人か出来たところですよ」
「この世界?」
しまった!
動揺して、つい正直に答えてしまった。
僕は慌てて言い換えを試みた。
「あ、遠方の故郷から、帝都へやって来たって意味です」
「それでは今の所、カケル様には、特別な想い人はいらっしゃらない、という事ですね?」
「そういう事です」
早くこの話題を切り上げたい僕は、キラさんの言葉を短く肯定した。
実際、元の世界でも現状好きな人はいなかった。
その時、唐突に『彼女』の事を思い出した。
こちらの世界に来るきっかけになったであろう、『彼女』。
自分がサツキという名前を与えた『彼女』は、今どこで何をしているのだろうか?
『彼女』の事を考えていると、僕は自分の右腕に嵌めている腕輪が、霊力の微かな燐光を放った気がした。
僕の視界の端で、キラさんが何故か少し安心した雰囲気で、何事かをクレア様に囁きかけているのが見えた。
それに対して、クレア様は耳まで真っ赤にしたまま短く言葉を返していた。
それから程なくして、クレア様とキラさんは自分達の区画へ戻る事になった。
帰り際、クレア様がしきりに頭を下げてきた。
「あの……キラが随分不躾な事を色々お聞きしまして、申し訳ありません。ほら、ばあやも一緒に頭を下げて」
「気になさらないでください。僕の方こそ、あまり面白い話が出来なくてすみません」
「いえ、カケル様の真面目なお人柄がよく分かりました」
クレア様はにっこりと微笑むと、キラさんと共に僕の部屋を出て行った。
第042日―1
翌日、皇帝ガイウスは、ヤーウェンの街を完全に包囲するよう布陣の変更を行った。
四日前、僕達が軍使として赴いた際には往来が見られたヤーウェンの城門も、今は固く閉ざされ、城壁上には、大勢の兵士達が配されているのが遠望出来た。
その間も、皇帝ガイウスの軍営には、続々と近隣諸侯の兵が到着し、彼等の伴った家族達が、軍営内に設置された一際大きな幕舎に、人質として収容されていった。
ちなみに最初の襲撃があった後、中止された帝城最奥の祭壇の調査再開の話は出ていない。
コイトスとの間を繋ぐ転移門も、僕がいちいち維持管理に気を配らなくとも消滅する気配は無く、つまるところ、僕は少しばかり暇になってしまった。
皆と一緒に朝食を終え、自分に割り当てられた部屋に戻って来た僕は、ベッドに寝転がって、ノルン様に頼んで貸してもらった本を読んでいた。
それは四百年前の勇者ダイスと魔王ラバスの戦いについて書かれた戦記物であった。
読み物としては中々面白いのだが、当然ながら、その話の中には、実際はそこに居たはずの自分やアレル、それにナイアさん達の名前は一切出てこない。
僅かに、ヴィンダの街が危機に瀕した時、突如として氏名不詳の勇者達が現れ、勇者ダイスと力を合わせて街を救った事。
しかしダイス以外の2名の勇者達は、“大いなる力の干渉”により、歴史から退場した事が記されるのみ。
『彼女』に至っては、その存在にすら触れられていない。
そこまで読み進めた時、ふと四百年前の世界での、“触手”騒ぎを思い出した。
あの時、ミルムが生け贄にされかかっていた場所にも祭壇らしきものがあった。
あれは一体、どこだったのだろう?
自分が知っている祭壇と言えば、竜の巣、北の塔、王宮最奥部、選定の神殿の奥にあった祭壇の四つ。
しかしあの“触手”騒ぎの祭壇は、そのいずれとも異なっていた。
そう言えば、アルザスの街の近く、宗廟と呼ばれる所にも祭壇があったはず。
『彼女』と行った冒険の舞台は、宗廟だったのかもしれない。
“触手”騒ぎの儀式の結果、魔神の触手(?)は、『彼女』によって、ミルムの額に封印された。
その後、ミルムの子孫であり、額に宝珠を顕現出来る皇女達は、毎年、宗廟で先帝達の遺徳を偲ぶための“儀式”を行ってきたという……
そこまで思案すると、何故か急にあの時の祭壇が、今の宗廟と同じ場所かどうか、急に確かめたくなってきた。
霊力を使えば、行き帰りの時間と距離は無視出来るはず。
そう考えた僕は、霊力を展開しようとして……
思い直して中止した。
勝手に出掛けて、もし帰りが遅れて何か騒ぎが発生したら、また皆に迷惑を掛けてしまうかもしれない。
ベッドから起き上がった僕は、その足でハーミルの部屋へと向かった。
―――コンコン
ハーミルの部屋の扉をノックしてみたけれど、中から返事は無い。
中で寝ているのか、それとも出掛けているのか。
まさか彼女のプライバシーを、霊力で確認するのは、さすがにダメなはずだし。
仕方なく、僕はその隣のジュノの部屋をノックした。
「開いているよ」
幸い、すぐに中から返事があり、扉が開かれた。
訪問者が僕である事に、ジュノは少し驚いたような顔になった。
「カケルが一人で訪ねてくるなんて、珍しいな」
「そうかな?」
「まあお前、大体いつもハーミルとべったりだしな」
「そんな事は無いと思うけど」
僕は苦笑した。
キラさんも口にしていたけれど、僕とハーミルは、そんなにいつも一緒にいるイメージなんだろうか?
確かにさっきも、まずハーミルにちょっと出かけてくるから、と伝えに来たわけではあるけれど。
部屋に招き入れられ、ベッドの端にジュノと並んで腰かけた僕は、そのまま切り出した。
「ちょっと出かけて来ようと思って。ハーミルいないみたいだから、ジュノから他の人には伝えておいてくれないかな? 夕方までには戻るよ」
ジュノが怪訝そうな顔になった。
「どこ行くんだ?」
「ちょっと、行ってみたい場所があってね。ぱっと転移して、すぐに戻って来るから」
「なんだ? また危ない所か?」
「危なくはないと思うけど」
僕は、興味本位で宗廟を見に行きたいのだ、とジュノに説明した。
ジュノは少し思案顔になった後、言葉を返してきた。
「じゃあ、オレも一緒に行こう。でもその前に、一応、陛下には話しておいた方がいいぜ? お前の力、陛下は結構、頼りにしているみたいだしな。いざという時、お前がいませんでした、じゃ絶対に問題になると思う」
ジュノの言葉に、今度は僕が黙り込んだ。
ついさっき、急に思いついただけの宗廟行き。
別に、魔神の触手(?)を詳しく調査出来るあてがあるわけではない。
興味本位――しかも正直な所、“懐かしい”場所を訪ねてみたい――の動機しかない。
そんな僕の気持ちを、皇帝ガイウスにそのまま伝えるわけにはいかないだろうし……
「そんな大層な事じゃないし、わざわざ陛下に説明しなくてもいいかな~と」
ジュノが少々、呆れたような視線を向けて来た。
「……お前、絶対に自分の立ち位置理解してないだろう?」
「立ち位置?」
「つまりお前は、帝国にとって切り札みたいな存在なんだよ。勝手にフラフラ出歩いちゃいけないと思うぜ」
僕は改めて、自分がこの戦争という大きな歯車に組み込まれつつあることを自覚させられた。
突然、得体の知れない閉塞感が襲ってきた。
ジュノに返す言葉が見付からず、僕はただ黙って立ち上がった。
「おい、大丈夫か?」
背後から心配そうなジュノの声が掛けられたけれど、振り返ることなく、僕はそのまま、のろのろと自分の部屋へと戻って行った。




