114. 恋慕
第040日―2
日が傾く頃、片付けを終えた僕達は、その小島をあとにした。
「帰る前に、もう1ヶ所ご案内しますね。そこから見る夕日は格別なんですよ」
クレア様が次に案内してくれたのは、やはり管理人が常駐するだけの元無人島だった。
しかしサンゴ礁に囲まれていた最初の小島と違い、海岸線の大部分をごつごつとした磯浜が占めており、砂浜は申し訳程度の広さであった。
島の桟橋に直接着岸した船から降りた僕達は、狭い海岸線を回り込んで、島の反対側を目指す事になった。
夕陽に照らされる中、クレア様が嬉しそうに話しかけてきた。
「この先に洞窟があるんですよ。私も久し振りに来たので、ちょっとわくわくしています」
途中、剥き出しの岩の上を歩かなければならず、足元が時折危なっかしいクレア様に、僕は何度も手を差し出した。
僕達は自然に、手を繋いで歩く形になった。
30分もかからずに、クレア様が話していた洞窟に到着した。
洞窟は、正確には長い年月をかけて波により削り出された、いわゆる海食洞であった。
陸側の壁に、人一人がようやく通り抜ける事の出来る位の隙間が開いていた。
内部はそう広くないとの事で、キラさんに促されて、僕とクレア様の二人だけで、その隙間から中へと入って行った。
洞窟の海側の入り口は西を向いていた。
そこから射し込んでくる夕日が海面に反射し、洞窟全体を次第に淡く幻想的なオレンジ色に染め上げていく。
丁度、海側の入り口から差し込む光を楽しめる場所に、僕とクレア様は並んで腰かけた。
「綺麗ですね……」
僕は思わず呟いていた。
これ程幻想的な風景を目にするのは、生まれて初めてかもしれない。
「ここは、父上が母上にプロポーズした場所なんだそうですよ」
クレア様がにこにこしながら、両親の馴れ初めを語ってくれた。
クレア様の母、シェリル様は、皇帝ガイウスの従姉妹にあたる、帝室に連なる女性だったそうだ。
クレア様の父であり、前国王でもあるマクサイ様とシェリル様の結婚の背景には、ナレタニア帝国とコイトス王国を血で繋ぐ、という政略的意味合いが強かった。
しかし出会ってすぐに二人は恋に落ち、30年近く前、マクサイ様は、ここでシェリル様に正式にプロポーズしたのだという。
「母は毎年ここへ、私達兄妹を連れて来てくれました。今思えば、ここは母にとって特別な場所だったに違いありません」
最後にクレア様がここを訪れたのは、彼女が7歳の時。
そして彼女の母、シェリル様が翌年この世を去った後、クレア様は今日まで、ここを再び訪れる機会を持たなかったのだ、と教えてくれた。
「母にとってここが特別な場所であったように、私にとってもまた特別な場所なのです。今日、ここへカケル様と一緒に来ることが出来て、クレアは本当に嬉しゅうございます」
クレア様が優しく微笑み、僕にそっと身を寄せてきた。
彼女のウエーブが掛かった青髪から立ち上るかぐわしい香りが、僕の鼻孔をくすぐった。
急に美しい女性と二人きりという状況が自覚され、自然と鼓動が早くなる。
何か言葉をかけたりするべきであろうか?
しかしこういう状況に全く慣れていない僕は、そのまま固まってしまった。
僕達は、洞窟内を染め上げていたオレンジ色の光が消え去って行くのを、ただ無言で眺め続けていた。
夕闇の迫る中、僕達を乗せた船は、朝出発したクレア様の別邸近くの桟橋に向けて、滑るように海面を快走していた。
洞窟でクレア様の思わせぶりな態度の前に固まってしまった僕は、帰りの船内で、そっと彼女の様子を窺ってみた。
しかしクレア様は、何事も無かったかのように、僕を含めて、皆と普通に会話を楽しんでいるように見えた。
洞窟でのあれは、彼女にとっては、単なるスキンシップに過ぎなかったのかもしれない。
柄にも無く、少し舞い上がっていた自分が滑稽で、僕は心の中でそっと苦笑した。
太陽は水平線の向こうに消え、しかしまだ空に少し明るさが残る中、僕はクレア様と共に甲板に出て、次第に近付いてくるコイトスの街の灯りを眺めていた。
心地よい海風が、優しく頬を撫ぜていく。
僕は改めてクレア様にお礼を言った。
「こんなに楽しい一日を過ごさせて頂いて、今日は本当にありがとうございました」
クレア様は、いつも通りの、のんびりとした優しい笑顔を向けてきた。
「私の方こそ、今日は一日カケル様とご一緒出来て、本当に嬉しゅうございました」
二人でそのまま、他愛のない話を楽しんでいると、やがて桟橋が近付いて来た。
桟橋の上に、数人の人影が見える。
マロリーさん達が、出迎えに来てくれているのだろうか?
しかし目を凝らした僕は、その人影の中に、見知った人物の姿を発見してしまった。
「……ハーミル?」
船が桟橋に着岸し、下船すると、マロリーさんやメイド達と一緒に、ハーミルとジュノも僕達を出迎えてくれた。
僕は心持ちバツの悪さを感じながら、ハーミルに声を掛けた。
「え~と……ハーミル、元気?」
「とぉっても元気ですよ? 南の島で、可愛いお姫様と優雅にバカンス楽しんできたどこかの誰かさんを、寒~~い北の戦場から、はるばる出迎えに来られる位にはね~」
僕の設置した転移門を通ってコイトスにやってきたらしい彼女は、やはりと言うべきか、すこぶる不機嫌であった。
ジュノがそっと僕に近寄って来た。
「お前が悪いんだからな。ハーミルは昨日、陛下に呼び出された後、連絡も無しに、急にいなくなったお前の事を心配していたんだぜ? で、陛下に直談判してこっちに来たら、お前は朝からコイトスの姫様と、南の海に遊びに行っているって言うじゃないか。今日一日、あいつに八つ当たりされ続けて、オレは大変だったんだからな」
「ジュノごめん。でも、ここへは遊びに来たんじゃないよ。転移門を設置して、コイトスへ使者として赴くように、陛下に言われて来たんだ。それで、一度は戻ろうと思ったんだけど、ドテルミ様から、出征の準備が整うまで、ここに留まって欲しいって頼まれて……」
ジュノが冷たい視線を向けてきた。
「で、今日は一日、こうして任務に励んでいた、と?」
「いや、今日はその……息抜きと言うか……」
僕達の様子を見ていたらしいクレア様が、ハーミルに声を掛けてきた。
「ハーミル様、申し訳ありません。私が無理矢理、カケル様を連れ出したので御座います」
クレア様に頭を下げられて、ハーミルが少し狼狽した。
「いえ、クレア様が悪いんじゃなくて、連絡も無しにいきなりいなくなるカケルが悪いというか……」
そして僕に向き直ると、怒った顔をずいっと近付けてきた。
「と・に・か・く、毎度毎度、勝手にいなくなるなんて、どういうつもり? もう今夜からは、首に縄をつけて、四六時中見張っとこうかしら」
ハーミルの言葉に、今度は何故かクレア様が顔を曇らせた。
「四六時中……もしかして、お二人はそういうご関係だったのでしょうか?」
「いえ、僕とハーミルとはそういう関係ではなくてですね……」
何か激しく勘違いしていそうなクレア様に、慌てて説明しようとする僕の傍で、ハーミルの機嫌が益々悪化していき、それをジュノが付き合い切れないといった風に嘆息しながら眺めている。
結局、見かねた感じでマロリーさんがとりなしてくれたお陰で、とにかく僕達は、クレア様の別邸へと戻る事になった。
クレア様の別邸では、既に僕達の為の夕食の準備が整っていた。
星空のもと、ベランダで夜風に当たりながら皆で食事を摂って談笑するうちに、ハーミルの機嫌も徐々に回復していった。
食事の後、クレア様達は王宮へと帰って行った。
僕、ハーミル、ジュノの三人は、今夜はクレア様の別邸に泊まる事になった。
「明朝には、先遣隊の出発準備が整うそうです」
留守中、王宮から届いていた知らせを、マロリーさんを介して受け取った僕達は、明朝、その先遣隊と一緒に、皇帝ガイウスの軍営へ戻る事となった。




