105. 耳語
第037日―4
自分達の幕舎に戻った後、僕は改めてハーミルとジュノに、今回のヤーウェン共和国の“謀反”について、どう思うか聞いてみた。
「確か今回の事の発端は、ヤーウェン共和国がボレア獣王国と同様、理由なく兵備を固め出したって事と、共和国の指導者が、陛下の招集に応じなかった事の二点が問題視されているんだよね?」
「そうよ。まあ、招集に応じず、備えを固めている時点で、確信犯だと思うけど」
「でも、もしかしたら共和国側にも事情があるかもしれないよね?」
「事情があるなら、それを説明しに来るべきよね。それをしない共和国は、攻撃されても仕方ないと思うわ」
僕にとっては意外だったけれど、ハーミルは概ね、共和国に対して批判的な雰囲気であった。
「共和国側の態度も、分からないでもないけどな。発端が仮に誤解だったとしても、帝国が一旦兵を起こしたら、ほぼ例外無く滅ぼされてきた。ここまで来たら、今更何を申し開きしても通用しないって分かっているんだろうよ」
「ボレア獣王国は滅ぼされなかったじゃないか」
「あれは例外みたいなもんだろ。あんなぬるい条件で降伏許されるなんて、聞いた事無い。まあ、陛下は後から理由をつけて、改めて滅ぼそうと思っているのかもな」
ジュノはジュノで、何か突き放したような物言いであった。
「なんとか、ボレア獣王国の時みたいに、丸く収める方法ってないかな……」
「カケル、前から思っていたけど、お前、やっぱり甘いぜ? 昨晩の襲撃だって、ヤーウェン共和国がらみに決まっているだろうし。誰も死なずに戦争が終わるなんて幻想は捨てたほうが良い」
ジュノの冷たい言葉に、僕は思わずムッとした。
「幻想ってなんだよ。陛下だって、軍使を送るって言っているんだ。誰も死なずに戦争、終わるかもしれないじゃないか」
思わず声を荒げてしまった僕に、ジュノが意外な言葉を返してきた。
「……まあ、もしオレがお前みたいな力持っていれば、こんな戦争、一瞬で終わらせられるけどな」
一瞬で終わらせる?
どうやって?
首を捻っていると、ジュノが言葉を続けた、
「前にも聞いたけど、ヴィンダの街を滅ぼしたあの女と同じ事、お前もやろうと思えば出来るんだろ?」
僕は思わずジュノの顔を見返した。
ジュノの顔には、酷薄とも感じられる笑みが浮かんでいた。
僕は出来るだけ感情を押さえながら言葉を返した。
「僕は決して、あんな事に力を使わない」
「まあ聞けって。簡単な話だ。ヤーウェン共和国と帝国の双方に、自分の力を見せつけるんだよ。街を滅ぼすのが嫌なら、両軍が見ている前で、近くの山を吹き飛ばしてもいいし、大軍相手に、全員気絶させてしまってもいい。その上で、講和しないなら反対する側を滅ぼすと脅すんだ。皆震えあがってカケルの言う事聞くと思うぜ」
「無茶苦茶な話だ」
「そうか? 結局、世の中は力を持つ者が動かすんだよ。陛下が帝国を束ねてられるのも、力があるからだ。力無き者は、自分の信念を貫く事も難しい……」
僕は反論の言葉を重ねようとして、ジュノの目に視線を合わせた。
しかしジュノの瞳に暗い焔が点っているのが見えた気がして、僕は気勢を削がれてしまった。
ハーミルは口を挟むこと無く、ただじっと黙って僕達の話を聞いていた。
その日の夜半、僕は寝苦しさを感じて目を覚ました。
再び目を瞑ろうとした時、前日に感じたあの身体に纏わりつくような嫌な感覚に気が付いた。
もしかして、二晩続けて襲撃が行われようとしている?
そっとベッドの上で身を起こした僕の耳に、突然、何者かの囁き声が聞こえてきた。
『守護者の力を継承せし者よ。我等の話を聞いてもらえないだろうか?』
全身をさっと緊張が駆け抜けた。
周囲に視線を向けてみたけれど、怪しい人影は見当たらない。
僕はゆっくりと霊力を展開した。
再び囁き声が聞こえた。
『驚かせて申し訳ない。我等は精霊の力を借りて、あなたに語り掛けている』
「あなたは一体、誰ですか?」
僕はその囁き声に、言葉を返してみた。
同時に、霊力による感知を試みた、
周囲数百メートル程の範囲内に、怪しい存在は感知出来ない。
光球を顕現して、もっと広い範囲の感知を試みるべきだろうか?
そんな事を考えていると、僕の耳に囁き声で返答が届けられた。
『我等は誇り高きハイエルフが統べた国、神樹王国の生き残りだ』
僕は大きく目を見開いた。
神樹王国?
という事は、やはり昨晩の襲撃者だろうか?
「僕に何の用でしょうか?」
『ガイウスの帝国に力を貸さないで欲しい』
「やはり昨晩の襲撃の関係者ですか?」
『そうだ。我等の悲願は、暴君ガイウスを倒し、帝国に虐げられる民を解放する事。それ故、昨晩我等の仲間が、ガイウスの軍営を襲撃した。しかしあなたの力により、我等の計画は阻止されてしまった。守護者は元々、勇者と魔王の戦いのみを調整してきた存在であったはず。あなたがガイウスに力を貸し、彼の野望を助ける事は、世の理に反する行為だ』
「今、嫌な気配を感じているんですが、これはあなた方が再びここを襲撃する前兆でしょうか? それでその襲撃を邪魔するな、と。そう言うお話でしょうか?」
僕の問い掛けに、感嘆したような囁き声が返ってきた。
『さすがは守護者。精霊をも感知できるのか。今、闇の精霊達の力を借りて、再度軍営に襲撃を掛けようとしている所だ。それ故、邪魔しないで欲しい』
言葉通りに受け止めるなら、この嫌な感じは、“闇の精霊”なる存在のせいであるらしい。
「昨晩のあなた方の襲撃で、たくさんの方が亡くなりました。再びたくさんの人を殺すから黙って見ていろと言う話には乗れません」
『それは困った……』
心底困ったような囁き声。
「あなた方の悲願は、帝国の虐げられた民を解放する事、と話していましたが、それはここの軍営を攻撃して、皇帝陛下を殺さないと達成出来ないのでしょうか?」
『我等はそう信じている。ガイウスにより、余りにも多くの血が流され、悲しみがもたらされた。今また、ヤーウェン共和国も我等の祖国と同じ運命を辿ろうとしている。少なくとも奴を排除しなければ、今後も同じ事が続くだろう』
囁き声の主が、ヤーウェン共和国を話題にしてきた。
やはり彼等は、共和国と共に行動しているのであろうか?
僕は少し考えてから、相手に“提案”を持ちかけてみた。
「今夜の攻撃は止めてもらえないでしょうか? その代わり、少なくともヤーウェン共和国への攻撃が行われないように努力してみます」
『どうやって共和国への攻撃を阻止するというのか?』
「それを考えるためにも、ヤーウェン共和国の指導者も含めて、一度会って話をしてみませんか?」
束の間の沈黙の後、再び囁き声で返答が届けられた。
『いいだろう。それでは我等の所まで転移して来てもらえないだろうか?』
囁き声の主は、どうやら直接会って、話し合いに応じてくれるようであった。
しかし僕には、彼等がどこにいるのか分からない。
だから正直にその事を伝えてみた。
「すみません。行った事も見た事も無い場所には、うまく転移できないんですよ。そちらの風景とか見せてもらう事って出来ないですか?」
『? 本当ですか?』
少し驚いたような囁き声が返ってきた後、少しの時間差で、今度は突然僕の目の前に、ある森の中の情景が現れた。
その森の中にぽっかりと開けた空き地に、黄色く輝く水晶のようなものを囲んだ数人のエルフと思われる人々が、車座に腰掛けているのが“視えた”。
これも精霊魔法によるものであろうか?
再び囁き声が届けられた。
『これでどうだろう?』
僕は目を閉じて、今“視えた”情景を心の中に描き出し、転移を試みた。
途端に軽い眩暈のような感覚が、僕を襲ってきた。
次に目を開いた時、僕は、つい今しがた“視せて”もらった場所への転移に成功していた。
車座になって腰かけていたエルフと思われる人々の内の一人が立ち上がった。
「ようこそ、守護者の力を継承せし者よ。私は今は亡き神樹王国最後の王ムラトの息子、ロデラです」




