102. 慰労
第036日―4
「カケル、この騒ぎがハイエルフ共の仕業として、やつらの精霊魔法を、そなたの霊力で散じる事は可能か?」
皇帝ガイウスの問い掛けに、僕は少し考えてから言葉を返した。
「やってみないと分かりませんが……」
ハーミルに襲い掛かっていたマルドゥクの魔力の刃は、霊力で霧散させる事が出来た。
この嵐も炎も魔法の産物であれば、同じように霧散させる事が出来るかもしれない。
ただ……
僕はチラっと周囲の人々に視線を向けた。
この場には、ジュノや皇帝ガイウスに付き従う衛兵達、僕の“力”について、詳細を知らないはずの人達の姿が有る。
皇帝ガイウスやノルン様からは、僕の持つ霊力について、可能な限り隠すよう指示を受けている。
だからこそ、先程も光球を顕現する際、この場を一度離れたのだが。
僕は一応、皇帝ガイウスにたずねてみた。
「この場で“力”を使っても良いのでしょうか?」
「構わぬ。緊急事態じゃ」
皇帝ガイウスの即答を受けて、僕は光球を顕現した。
初めて光球を目にしたであろう、衛兵達が少しどよめいた。
僕はそのまま、想いを込めて光球に手を伸ばした。
光球は淡く紫色に輝く不可思議なオーラに包まれた一本の杖へと姿を変えた。
僕はその杖を天空目掛けて振り上げた。
杖から不可視の力が迸り、数万人を擁する軍営全体を包み込んだ。
直後、あれ程吹き荒れていた嵐も、軍営を嘗め尽くすように渦巻いていた業火も、唐突に消滅した。
辺りを異様な静けさが支配する。
皇帝ガイウスは、僕の引き起こした“奇跡”を確認すると、直ちに事態収拾の為の行動を開始した。
彼の的確な指示と統率の下、侵入者達は、ある者は自爆し、ある者は逃げ去って行った。
数時間後、事態は完全に収拾され、軍営は再び秩序を取り戻した。
第037日―1
夜明けと共に、皇帝ガイウスは軍営内を調査するよう、改めて指示を出した。
焼け落ちた幕舎に代わり、臨時の新しい幕舎が立ち並ぶ中、兵士と魔導士達が、早速、軍営の被害状況と、侵入者達の残した魔力の残滓の調査を開始した。
本来なら今日の進軍で、ヤーウェン共和国の首都、ヤーウェンの街近郊に達する予定であった。
しかしそれは変更され、このまま情勢の整理がつくまで、この地で滞陣する事となった。
今日の帝城皇宮最奥の祭壇の調査も中止されたけれど、帝城の留守居の人々に事情を説明するため、僕は帝城への転移門を開く事を依頼された。
「それでは僕も一度、ハーミルの様子を見に行って来ても宜しいでしょうか?」
ついでにメイの様子も確認してきたい。
僕の希望を聞いた皇帝ガイウスは、笑顔で快諾してくれた。
「構わぬ。予の名代として、このドミンゴも同行してくれ。予からの慰労の言葉を、この者からキースに伝えさせたい。あと、ハーミルが希望すれば、彼女の従軍は免除する旨も合わせて伝えてくれ」
そう口にしながら皇帝ガイウスが僕に引き合わせたのは、灰褐色の髪を短く刈り上げ、痩せて引き締まった身体と鋭い眼光が特徴的な、五十代半ばの男性であった。
彼はその風貌とは不釣り合いな位、人懐っこそうな笑顔を僕に向けてきた。
「カケル殿、此度は宜しく頼みます。キース殿とお会いするのは二年ぶりなので、個人的にも少しわくわくしております」
皇帝ガイウスの幕舎を辞した僕は、ドミンゴさんを伴って、割り当てられている幕舎へと戻って来た。
そこで待っていたジュノにドミンゴさんを引き合わせてから、僕はいつも通り、帝城内の皇帝ガイウスの居室に繋がる転移門を、霊力を使って設置した。
三人で転移門を潜り抜け、皇帝ガイウスの居室に降り立つと、ドミンゴさんが感嘆の声を上げた。
「噂には聞いておりましたが、これほど容易く帝城の奥深くまで転移出来るとは。カケル殿の力、凄まじいものですな」
彼はひとしきり、僕の力を褒めそやした後、皇太子であるテミス様へ事情を説明してくるとの事で、歩き去って行った。
その間、僕とジュノの二人は、帝城の一室に案内され、そこで待機する事になった。
僕達をこの部屋まで案内してくれた宮仕えの侍女が退室した後、ジュノが話しかけてきた。
「なあ、前から不思議に思っていたんだけど、霊力って何だ? 結界が張られているはずの帝城内にも簡単に転移できるし、昨日も、あの凄まじい精霊魔法を一瞬で打ち消すし。どうやってそんな力、身につけたんだ?」
僕は少し言葉に詰まってしまった。
しかしこれだけ一緒に過ごして、自分の力も間近で目にしているジュノに説明しない理由が見当たらず、正直に話す事にした。
「実はこの力、よくわからないうちに身についていたんだ」
「よくわからないうちに? 自然に身についたって言うのか?」
「他の人から聞いた話だと、元々僕みたいな力を使える存在がいて、その存在が、僕に力を継承させたらしいんだけど……残念ながら、自分ではそういう記憶はさっぱり無くて、本当に気付いたら使えるようになっていたんだよ」
僕の話を聞いたジュノは、大きく目を見開いた。
「誰かから継承……そいつはどうして、カケルにその力を継承させたんだ?」
「残念ながら分からない。というか、それを一番知りたいのは僕自身なんだけどね」
「ヴィンダを滅ぼしたのも霊力なんだよな? カケルもその力を使って、同じ事をしようと思えば出来るのか?」
僕は思わず息を飲んだ。
【彼女】は僕と同じ、霊力を使ってヴィンダの街を滅ぼした。
その【彼女】を、僕は霊力で圧倒出来た。
という事は……!
自分の力が持つ危険な可能性を改めて自覚させられた僕は、内心の動揺を一生懸命隠しつつ、言葉を返した。
「出来る出来ないじゃなくて、僕は絶対にそんな事に力を使わない」
ジュノはそんな僕に、探るような視線を向けて来たけれど、それ以上、この話を引っ張る事は無かった。
その後、二人で他愛もない話をしていると、やがてドミンゴさんが戻って来た。
「お待たせしました。では、キース殿の下に参りましょう」
ハーミルの家へ馬車で到着した僕達を、ハーミルは笑顔で迎えてくれた。
家の中に入ると、ドミンゴさんは余人を交えず、皇帝ガイウス直々の言葉を本人のみに伝えたい、との事で、一人でキースさんと面会する事になった。
彼を待つ間、僕とジュノはハーミルの案内で、メイの部屋へ向かった。
ハーミルは、久し振りに元気な父と過ごせたのがよほど嬉しかったのであろう。
いつになく上機嫌であった。
「カケル、昨晩は私がいなくて寂しかったでしょ?」
おどけた感じで僕の腕に抱き着こうとするハーミルに、ジュノが呆れたような視線を向けてきた。
「いちゃつくのは勝手だけど、オレ達、昨晩は大変だったんだぜ?」
ジュノの言葉に、ハーミルが怪訝そうな顔をした。
「もしかして、何かあった?」
僕はハーミルに声を掛けた。
「その事はメイもいるところで詳しく話すよ」
魔力による感知か何かで、僕達の来訪に気付いていたのだろう。
メイの部屋の扉を僕がノックする前に、扉が内側から開けられた。
そして中から飛び出して来たメイが、そのまま僕に抱き付いて来た。
ハーミルが慌てた感じで、僕達を引き離そうとした。
「ちょっと、メイ! いきなり何しているの!?」
「何って、再会を喜び合っているだけよ。ねえ、カケル」
「嬉しいのは僕も同じだけど、早く部屋に入れて欲しいかな」
廊下で騒いでいたら、話をしている時間が無くなってしまうかもしれない。
メイは渋々と言った感じで僕から身を離すと、改めて僕達を部屋の中に招き入れてくれた。
メイは白かった髪を黒く染めていた。
その事自体は昨日、キースさん覚醒の知らせを受けて、ハーミルと一緒にここへ駆け付けた時、既に確認済みだった。
僕は改めて、彼女の黒髪について触れてみた。
「大分雰囲気変わったね。これなら遠目にはメイだって絶対に気付かれないかも」
「そう? だけどカケルにだけは、遠目にでもちゃんと私って気づいて欲しいな」
そう口にしたメイが、やや上目遣いに僕を見つめてきた。
その仕草がとても微笑ましくて、思わず笑みが零れたところで、ハーミルが声を上げた。
「……ねえ、早く昨晩の“大変だった”話、聞かせて欲しいんですけど!」
見ると、ハーミルは何故かすっかり機嫌が悪くなっていた。
僕は改めて口を開いた。
「ごめんごめん。実は昨晩、軍営に侵入者があってね……」
僕は昨晩の襲撃について、詳しく説明し始めた。




