八歳 混乱
「何かお困りですか?」
困惑する一行に声をかけたのは、サーカスの劇団員だった。
それも、屈強な男性が二人。
ウェンズ王国の治安が良くても、誘拐を警戒しないほどサーカスは平和ボケしていない。
少女に何かあった際、すぐに駆け付けられる位置にこの劇団員二人は控えていた。
そして、明らかに何かトラブルが起きたという雰囲気がしたため、こうして駆けつけてきていた。
「フェリル、戻ってなさい」
男性のうち、前に出ていたほうがそいって顎をしゃくる。
それに応じるようにもう一人の男性が少女の背を押し、テントに向かわせようとする。
「ま、待って!」
それに待ったをかけようと、ウェルズ(?)が声を出しながら手を伸ばそうとするが、その前に男性劇団員が立ちはだかる。
「お話は私がうかがいましょう」
そうしている間に、もう一人の男性劇団員が少女の背を押して去っていってしまう。
少女の華奢な体格では、屈強な男性の力に抗えるはずもなく、押されるがままにテントに連れ戻されてしまった。
「だ、団長! えっと、あの、その!」
ウェルズが焦ったように目の前の男性劇団員、どうやら団長らしい、に何かを伝えようとする。
しかし、本人も何を言いたいのか考えがまとまっておらず、口から出てくるのは意味のない言葉の羅列のみ。
団長は会ったこともない相手にいきなり自分が団長であることを言い当てられ、若干訝しんだ。
しかし、貴族の子息であれば団長の顔をどこかで知ってもおかしくはないかと流す。
「……あの、すいません。さっきの子ともう一度お話しすることはできますか?」
ウェルズ(?)の慌てようにただならぬ気配を察したウェーテスが団長に提案する。
「申しわけありませんが、お話があるのならば私がうかがいます」
しかし、団長の返答はにべもない。
お忍び、しかも供を連れていないことから、何らかの訳ありっぽい貴族の子息とのトラブル。
子供の少女に任せるよりも、大人の自分が矢面に立った方がいいという団長の判断だった。
その団長の判断自体は間違いではないし、それがわかるからこそウェーテスもそれ以上無理強いができない。
「いいから連れ戻せ!」
しかし、それがわからないシトーは感情のままに団長に対して命令する。
「やめろ! ……失礼した。行くぞ」
ウェーテスはこれ以上の失態を重ねる前にこの場を去ることにした。
憤るシトーの肩を掴んで無理やり向きを変えさせ、サーカスのテントから遠ざけようとする。
「おい!?」
「いいから! 行くぞ!」
なおも文句を言おうとするシトーの背を押して、ウェーテスはカイデンとウェルズ(?)にも目配せしてこの場を去ろうとする。
カイデンは無言でそれに従ったが、ウェルズ(?)は視線をさ迷わせて狼狽えたまま動こうとしない。
ウェーテスは踵を返してウェルズ(?)の横に立ち、耳に口を寄せて囁いた。
「話を聞きたい。とりあえず今は場所を移そう」
「……はい」
ウェーテスの提案に頷くウェルズ(?)。
そして、団長が厳しい目を向け続ける中、四人はサーカスのテントの前から去っていった。
そして場所を移し、カフェの個室にて。
カフェに入店するや否や、ウェーテスは王弟子息の立場を振りかざし、個室にいた客を追い出してそこを占領した。
普段ならばそのように権力を振りかざすことはしないが、そうしなければならないと判断してのことだった。
「おい、よかったのか?」
「ああ、ここを使ってた先客には悪いことをした」
「そっちじゃねえよ!」
個室に入るなりウェーテスに詰め寄るシトー。
「……あそこであれ以上もめるのは得策じゃなかった」
ウェーテスとしても何が起きたのかわからないままあの少女と引き離されるのはよくないとわかっていた。
しかし、人の目があるところであれ以上もめるのも得策ではなかった。
ウェーテスらは王太子を連れて王城を抜け出している身だ。
目立つのは本意ではない。
それ以上に、もめた相手がサーカスというのが問題だった。
サーカスはこの時期だけウェンズ王国に立ち寄る。
普段は別の国で講演を行っている。
つまり、サーカスの所属はウェンズ王国ではない。
他国籍のサーカスを相手に、お忍びの王太子一行が問題を起こしたと知られるのはまずかった。
永世中立国とは言え、ウェンズ王国の立場は盤石ではない。
他国は虎視眈々とウェンズ王国の隙を伺っている。
サーカスともめたくらいで揺らぐようなことはないが、それでも隙をさらさないに越したことはない。
王族として、ウェーテスは冷静にあの場を切り抜けた、はずだ。
「けどよ!」
「うるさい! とにかく今はこっちの話を聞くのが先だ!」
珍しく声を荒げるウェーテスに、シトーが驚き固まる。
ウェーテスとて、王族として常識的な判断を下したことが、実は間違っていたんじゃないかと、あの場ではもめても引くべきではなかったんじゃないか、その思いが消えなかった。
何か取り返しのつかないことをしてしまったんじゃないか、そう思えて仕方がない。
だから焦りとともに口調が荒くなる。
ウェーテスらの視線がウェルズ(?)に集まる。
その視線にさらされて、ウェルズ(?)の体がびくりと震える。
その反応で、嫌な予感が確信に変わっていく。
普段のウェルズならば、視線を向けられた程度でこんな反応はしない。
団長を前にした時のような慌てようをさらさない。
今のウェルズは、まるでウェルズらしくない。
そう、まるで、ウェルズとは別人になってしまったかのように。
「……君、名前は?」
ウェーテスが緊張しながら問いかける。
馬鹿な質問だ。
普段だったら「お前は何を言っているんだ?」と問い返されても仕方がない。
しかし、
「……フェリル、です」
ウェルズ(?)の口からは、テントに連れ戻された少女の名が飛び出してきた。