八歳 入れ替わり
サーカスの公演はつつがなく終了した。
ナイフ投げや綱渡りなど、これまでの人生で危険を冒すことがなかったウェルズにとって衝撃的で、手に汗握ってしまった。
危険はなるべく排除し、近づかない。
それが王族の基本であり、ウェルズも生まれてからそれは徹底されていた。
それなのに、サーカスでは演者が自ら危険に飛び込んでいく。
ウェルズにとっては信じがたい光景だった。
興奮するよりも先に息をのんでしまい、楽しいよりも先に圧倒された気持ちになっていた。
「……すごかったな」
「でしょう!」
ウェルズのつぶやきに興奮気味にシトーが言う。
シトーは見るからに興奮気味だし、カイデンも言葉にこそしないものの目が輝いている。
二人は当初の目的も忘れてサーカスを楽しんだようだった。
そのことに苦笑しつつ、ウェーテスはウェルズに話しかけた。
「どうだった?」
「ああ……。世界は広いな。まだまだ私の知らないことばかりだ」
ウェーテスの苦笑が呆れ顔に変わる。
どうしてサーカスを見たあとの反応がそうなるのか。
娯楽でさえこうして学びに変え、視野を広げようとする根っからの真面目人間っぷりに、ウェーテスも処置なしと思い始めた。
真面目過ぎるウェルズに、この機に遊びというものを体験させようと、ときには羽目を外すことも必要だと教えようとしていたが、その目的は達成できそうにないと感じた。
しかし、息抜きにはなっているようで、出かける前の今にも倒れそうな顔色の悪さはなくなっている。
それならばいいかと気持ちを切り替えるウェーテス。
各々感想を言いながらテントの外に向けて歩いていく。
「ありがとうございましたー!」
テントから出ると、そこには帰り客を見送る少女の姿があった。
始まる前に告知と客引きをしていた少女だ。
そして、彼女も演目に出演しており、玉乗りを披露していた。
「あの子もすごかったな」
少女は見る限りウェルズらとそう変わらない年齢に見えた。
その年齢から一演目任され、働いていることに、ウェルズは少なくない衝撃を受けていた。
「かわいい子だもんな」
ウェルズが本気で感心しているのに対し、ウェーテスはやや冷めた感想を口にした。
毎年サーカスを見学に来ているウェーテスから見て、少女の演技はお世辞にもレベルが高いとは言い難かった。
内容も玉乗りの技巧を見せるというよりかは、少女のかわいらしさを前面に押し出したものだった。
少女のみ目がいいからこそ成り立つものだった。
それ自体に文句はない。
技巧以外で見せ場が作れるのもまた才能の一つだ。
ただし、ウェーテスはサーカスの裏の顔を知っている。
この少女のように見目のいい演者は毎年のようにいるが、ずっとい続ける演者は少ない。
見目のいい演者はこうした講演を通して貴族や富裕層に顔を売り、使用人や時には妾として売り出されているのだ。
件の少女は売りに出すには明らかに幼いが、それでも顔見せを行っているのは、それだけ少女の顔がよかったからだった。
ウェーテスはその少女の今後のことを思うと、素直に称賛しているウェルズらに同意することはできなかった。
「君の演技、よかった」
「え? あ! ありがとうございます!」
そんなウェーテスの気持ちなど知る由もなく、ウェルズは気さくに少女に話しかけた。
少女は一瞬驚いた表情を見せるが、すぐに営業スマイルを浮かべてお礼を口にした。
少女が驚いた理由は、ウェルズたちが明らかに高位貴族とわかる見目と威圧感のある子息たちだったということと、そんな彼らが供を連れていなさそうだったことだった。
少女は他国やこの国でも何度か公演を行っているので、お忍びの貴族というのを見たことはある。
着るものを質素にして変装していたりするが、肌や髪のきれいさを隠すことはできないし、オーラも普通の人とは異なる。
お忍びの貴族というのは本人たちが思う以上に周りにバレているものだ。
それを指摘しないのは一種のマナーに過ぎない。
しかし、目の前の四人組のようにここまで堂々としているのもまた珍しい。
それでいて供らしき人間がいないのだから、それはそれは目立っていた。
そんな四人組に話しかけられた少女は驚いたし、どうすればいいのか困惑した。
それでできたのが営業スマイルを浮かべることと、とりあえずお礼を言っておくことだった。
「記念に握手でもしたらどうだ?」
ウェーテスがそう提案したのは、深い考えがあってのものではない。
珍しくウェルズが少女に興味、とまではいかないまでも好感を抱いているようだったから。
普段は相手から話しかけられるのが常で、自ら話しかけることがほとんどないウェルズが、声をかけた。
ウェルズとしてはいい演技に対するねぎらいの言葉程度の気持ちだったろうし、ウェーテスもそれはわかっていた。
ただ、少女の今後を思うと正真正銘の王子様と握手したというのは思い出になるだろうし、ウェルズにしてみても今日のいい思い出になるだろう。
「あ、はい。いいですよ!」
「ん? そうか。では」
そして少女は笑顔を浮かべながら手を差し出し、ウェルズもそれに応えるように記念の握手を交わした。
「「っ!?」」
その瞬間、二人はまるで弾かれたようにお互いに手を離した。
ウェルズと少女は二人とも自らの手首を抑える。
カイデンがすぐさま反応してウェルズと少女の間に割って入り、遅れてウェーテスとシトーが少女に対して警戒感をあらわにする。
「ウェルズ、大丈夫か?」
ウェーテスが少女のことを警戒しながらウェルズに話しかける。
ウェルズと少女の様子から、少女がウェルズを狙った刺客ではなさそうだと思いながらも、何があったのか確認しようとする。
しかし、ウェーテスを見たウェルズの顔には困惑が浮かんでいた。
少女のほうも何が起きたのか理解できないといった、驚愕の表情を浮かべている。
両者はお互いに見つめ合ったまま動けないでいた。
「ウェルズ?」
様子のおかしいウェルズに再度話しかけるウェーテス。
「違う……」
それに応えたのは、少女のほうだった。
「私は、ウェルズは、そっちじゃない。私が、ウェルズだ」
そして、少女の口から理解しがたい言葉が放たれた。