森の神様と生きる
私はアレン。雑種のメス犬よ。
生まれてまだ3ヶ月の時、もらわれてきたの。
ご主人さまは、森に生きる人。熊を研究しているの。
「ほれ、アレン。飯だぞ」
いつもご主人は私に自分と同じものを食べさせてくれる。今日はインスタントラーメンよ。
水を加えて冷ましたものを、私の器に入れる。
「こんな飯でごめんな」
そう言えば、前までいた保護犬センターではドッグフードとかそういうの、食べてた気がする。
けれど、私はご主人と一緒にいられれるだけで、幸せ。
犬ってそういうものなのよ、ご主人。
今日も、車に乗って森までやってくる。
私は走り回るのが大好き。ご主人のそばにいなきゃ、と思っててもヤマドリとかノネズミを捕まえたくて、音がするとついついそっちに気をとられちゃう。
「アレン! だめだ、こっちだ」
冷静なときは戻るんだけど、あ、兎だ!
「アレン!」
私は兎を追う。動くものを追いかけるのは、体中が踊って、とても楽しい。とうとう追いつき、喉にくらいついて、息の根を止める。ガツガツと食べ終わり、我に返る。
(あ。そうだ、ご主人は?)
私は耳をピンと立て、音を探る。あれ?いないよ~。わからないから、戻ってみよう!
私は大急ぎで森を下りる。藪をかきわけ、車を止めてあるはずの道に着く。
「ブルン、ブルン」
車がすごい勢いで出発したところだ!
(待って! ご主人、置いていかないで~!)
私は必死に足を動かして、追いかける。1km走り足裏が熱くなる。2kmになると皮がむけて痛くなる。でも走る!4km全速力で、急に体に力が入らなくなった。私はばたん、と倒れた。
「ぜい、ぜい、ぜい」
呼吸してると、ご主人の車の音がする。戻って来てくれた?でも、起き上がれない。
「アレン。死ぬ気で走ったんだな。呼べばすぐ戻らないとだめだ」
ご主人は私を優しく抱え、車に乗せてくれた。
ご主人は言う。熊を感知し、余計な接触をしないために、そして熊を安全に追い払うための犬になれ、と。私は難しいことはわからないけど、ご主人が好き。森を駆けるのが好き。ご主人は、私を厳しく、訓練するのだ。
いつものように森に行く。きらきらさやさや、森の木々が揺れる。私は嬉しくって、ご主人の前を歩く。すると、向こうから聞こえるガサガサという音に毛が逆立つ。
「ウウッ」
唸りだした私のそばにそっとご主人は寄ってきて、背中に手を回して、私が動かないよう押さえつける。
目の前の草むらが揺れ、黒いものが現れる。
熊だ!私よりすごく大きい!
そいつに吠えかかりたくてしょうがないけど、ご主人ががっしりと私を掴んでいる。
(なんで止めるの、ご主人!?)
ご主人は「ほ~い」と、呼びかける。すると熊はふぃっと、すぐに踵をかえして藪の向こうに行ってしまった。
「アレン。あの体勢の熊は人を襲わない。それどころかこっちに気づけば逃げる。だから、吠えかからなくていいんだ」
ご主人はそう言うけど、私は欲求不満よ。
秋になり、私の体も大きくなった。毎日、ご主人を先導して森を駆ける。木々は実りをつけだし、葉も色とりどりになってくる。そんな時、役場から連絡が入った。
「熊が村の罠にかかったそうだ。救援が来た」
ご主人は私を車に乗せ、現場へ向かう。しばらく進み車から降りたところで、いつか嗅いだようなむわっとした匂いがする。
そこには、檻の中にとらえられた大きな熊がいた。周りに人が集まっている。
ここいらで熊による畑の被害はひどいみたい。ご主人は役場の若い人と色々話している。他の人達はご主人を「村の畑をむちゃくちゃにする熊をかばう奴だ」って睨んでる。
「早く殺してくれ」
村人の言葉にハンターが、猟銃を構える。ものすごい音がして、熊は動かなくなった。それでも血がどんどん出てくる。村の人はほっとしたような顔をしてるけど、役場の人の顔は暗い。
「これから血で汚れた檻を洗って、また仕掛けるんですよ。もう、殺したくないのに」
家に帰って血塗られたこの手で子供を抱きしめたくない、とうつむいて語る人に、ご主人は提案する。
「麻酔をかけて発信機をつけて放せば、一度怖い思いをした熊はここには近寄らない……。畑の被害も減る。俺が昔いた地域ではそうだった。ここの熊は絶滅寸前だ。人はなんでも工夫できる動物なんだ」
ご主人は役場やいろいろな方面に、熊をむやみに殺さないよう、働きかけていたのだ。発信機をつけて熊の行動範囲や習性を知り、里との境界線を引いて、接触を減らし、なんとか人と熊が共存できないか、と。
ある日、ご主人が子犬を連れてきた。私と同じメス犬。ころころして可愛いんだけど、ご主人の愛情がその子にもいくことが増えた。
(いやだ!寂しいよ、ご主人!)
私は不安になって、しっぽを噛んだり、ぐるぐる回る。そうこうしているうちに、だんだん慣れてきた。その子はジョーと名付けられた。私はジョーに森のことを教えてあげた
り、狩りの見本を見せたりする。私達、姉妹みたいに仲良くなったの。
ご主人たちの活動が功を奏して、熊に発信機をつけて森に逃がすようになってきた。
ご主人は言うの。「熊を殺さず、人に害を及ばせず、共に生きる道を探すんだ」って。
こういう人なの、ご主人って。
この頃になると、食事が豪勢になってきた。私とジョーはしっぽをぶんぶんに振ってご飯に食らいつく。
ご主人は苦労して、いろんなことをしてお金を稼いでいるみたい。熊の記事を請け負ったり、時には地域の田んぼの取水口が壊れたからって、修理に行ったりしてる。限界集落だと、男手が少なくて大変みたいなの。
それでもご主人の服は着たきりスズメ。あとは熊を追う装備、それだけ。
ご主人のことを手伝いたいって言う若者にも「熊追いは貧乏で、人から嫌われる。やめておけ」なんて言って、止める。私はご主人好きだよ?熊が好きで熊と人の生きる道を切り拓こうとするご主人ってすごいよ。
ジョーが子供を産んだの。相手は近所の雄犬よ。赤ちゃんの匂いに私は鼻をくっつけて、なめてあげる。かわいいなあ。
子供たちは人に譲られ、残った二匹の名前はレンとミラ。いい子たちよ。私達はそれから4匹で、ご主人の熊追いに連れ立っていくようになるの。
ある日、森の中で熊にがち会った。慣れてないミラとレンが興奮して、逃げる熊を追いかけてしまった。こうなると、私もジョーもつられて興奮しちゃう。
みんなで森の奥まで狩よ!さあ!
「だめだ!アレン、ジョー、レン、ミラ!戻ってこい!」
脳にご主人の声は聞こえても、野生の体には聞こえなかったの。
私達は熊を追い詰めた。思いもよらなかったんだけど、そこで熊がくるりと反転したの。近くにいたレンが「ぎゃん」っていう声を出す。そう、一撃で倒れてしまった。私達は怖くなって、しっぽを巻いて逃げ出した。そのときになって急にご主人のことを思い出して、私は小屋まで走ったの。
「アレン!無事だったか」
ご主人は震えながら私を抱きしめてくれた。
(えっと、ごめんね。心配してたのね。でも一人で帰ってきたの、偉いでしょ?)
私はちょっとふんぞりかえってご飯をもらう。
次の日にジョーとミカが帰ってきた。同じように迎えられ、2匹とも嬉しそう。
レンが帰ってこないのをご主人は、「やられてしまったか」と、切なそうにつぶやく。
「熊の調査は、無益な殺生をしないことと、人が熊に襲われずに生計を立てていく安全な道を探るためだ。森に山菜を採りに行って襲われて、『欲深いからだ』と批難される犠牲者もいる。俺はそれは違うと思う。お前たちがいるから、俺は生きて戻れる。お前たちは俺を救い、熊も人も救っているんだ。お前たちの守る森にこそ、人の希望があるんだ」
(私達がまだいるよ、ご主人?泣かないで)
私はだんだん体が動かなくなってきた。自分でも前ほど走りたくないし、硬いご飯も食べられない。ご主人が柔らかくほぐしてくれたから、すごく嬉しかった。
カラスが私をバカにして、上からつっついてくる。私は気づかなかったんだけど、ご主人が「こいつら!アレンに何する!」って、替わりに怒ってくれた。
ありがと、ご主人。
そろそろかな、ていう朝。ご主人が唸る。
「お前はすごい犬だ。熊を百頭も救い、俺も救われた。俺は嫌われ者でお前に愛され、お前を愛し、幸せだ。山の神様。お願いだ。たくさんの熊と人を救ってきたこの子を、俺から連れて行かないでください」
私はぼんやりしてきて、だんだんご主人の声が聞こえなくなる。
「アレン……、アレン」
ありがと、ご主人。大好きよ。あなたがこの世界にいてくれてよかった。
私は暁闇の星になった。
この作品は、米田一彦著「クマ追い犬タロ」 へのオマージュです。