仮題「東京ザイノクワール」、三人称、現代、異能バトル
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平成の終わり、東京から子どもが消えた。
誰も気に留めなかった。その方が合理的で都合がよかったからだ。老人も見かけなくなったが、若返っただけのことだ。病人の数も目に見えて減っていく。
世界は改まり、新元号・万理が発表された。
灰色の風―――エーテルが吹くようになった。空も海も、きっと初めから灰色だったのだ。魔法が実用化した。もとより科学との区別があいまいだったものだ。
思うがままに生きる者たちが、思い通りに徒党を組み、思い迷わず争い始めた。七つの勢力が二十三区を奪い合う戦争だ。区外がエーテルの霧に呑まれたことも、覇権を巡る戦いを激化させただけだった。
欠けない大満月に照らされて、今宵も魔道の戦いは熾烈を極める。
そうすることの他には、生きて在る意味もないとばかりに。
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若々しい青年の姿だが、牧村ダイゴは元四十歳である。
社会から見捨てられた世代だ。大学こそ出られたものの夢も希望もない非正規労働者で、資格も貯金も友人もなく、いわゆるオタク趣味を楽しむ気力すらなくし、まだ死んでいないだけの毎日だった。
黒マントを羽織る身分になった今でも、しばしば思う。
「……そろそろ終わらないかなあ」
ため息混じりの独白が、月の光に溶かされ消えた。
膝を抱えるその場所は、光ヶ丘清掃工場の煙突の頂である。眼下には旧米軍居留地の公園が広がっているが、地を這う風の灰色が濃く、樹木の影しか覗けない。
音もなく飛び来たフクロウが、彼のそばに降りるなり人語をつむいだ。
「報告。南東より侵入の不明敵は魔女連盟と判明。エーテル圏に魔導師三影。地上軍あり。規模二千血。魔剣士の数は不明」
「え、多いんですけど」
「団長命令。第二魔導大隊は直ちに出撃し、敵を迎撃すべし」
「ちょ、俺一人です? 早瀬くんの来援は……」
フホウと鳴いて、フクロウは飛び去った。アホウと言われた気がして、ダイゴは深々と息を吐き捨てた。灰色が小さく渦を巻く。
「……柄じゃないよ、魔導師なんて」
ぼやくや夜へと身を投げた。
黒マントがはためいてダイゴを飛翔させる。エーテルの濃い高度は土地により異なるが、平均して地表百五十メートルほどで、魔法が最も働きやすい領域となる。
それがエーテル圏だ。魔導師の戦場だ。
しばらく飛ぶと、遠く新宿の高層ビル群の禍々しさを背景に、三つの影が見えてきた。魔導師だ。所属を鑑みれば魔女と呼ぶべきか。
それらは弾けるように分かれた。中央と左右へ位置し、魔力をほとばしらせる。たちまち湧き出たのは、人型やら亜人型やらの奇怪な軍勢―――エーテルを編んで造られた戦闘精霊の大群である。
「名乗らない? いつもはうるさいくらいなのに」
ダイゴは目を凝らした。
クマと人間の合いの子のような、あれらはベアーマン。強力で鈍重な重歩兵だ。その体躯の隙間を埋めるように、リザードマンとインセクター。獰猛な軽歩兵だ。それぞれに中央部隊、左翼部隊、右翼部隊を形成していく。
両翼の外側にワーウルフとハーピーの群れ。俊敏なあれらは軽騎兵の枠となる。中央の後ろにはフロッグマンとキラーエイプ。毒液や毒針で射撃してくる軽射兵。
かくして魔女に率いられたモンスターたちは、総勢二千五百あまり。
来る。暴力を吠えて、津波のように殺到してくる。
「八割方が歩兵……力攻め……ヒステリックでサディスティックな」
対するダイゴは一人きりだ。静かに唱え、招集する。
「泰山寂酔。我が魔道に戦女神の恩寵あれかし。レギオン展開」
黒マントがひるがえった。夜気にさらされた裏地は呪文と魔法陣で埋め尽くされている。しかもうごめく。奥行きがあるかのように。絶え間なく立体的に。
エーテル発光を連続させて、彼の軍勢が立ち現れた。
重歩兵ファランクス、千二百槍、横列で最前に。軽歩兵グラディウス、八百剣、二隊に分かれファランクスの両脇へ。左翼には重騎兵エクイテス、五百騎。右翼は軽騎兵アウクシリア、同じく五百騎。中央には軽射兵としてサジタリイ、九百弓。そして最後列には重射兵のカタパルトを百機。
古代ローマ軍を模した総勢四千に魔導師一人を加えて、第二魔導大隊である。
「全軍、陣構え。中遠距離射撃戦用意……砲撃、開始」
まずはカタパルトによる攻撃だ。岩石を模した魔力弾が夜空に孤を描き、着弾してモンスターを爆散させた。もうもうと上がるエーテルの粉塵……その灰色をワーウルフとハーピーが次々に突き破った。悪意の先駆とはいつも無知で果敢だ。
「弓手、全力射撃。前衛、隊伍を密に。軽騎、中央との間合いを開けて牽制待機。二百騎はワーウルフを邀撃」
魔力の矢が間断なく降り注ぐ。モンスターを射すくめ、エーテルの煙へと霧消させていく。さすがにベアーマンは頑丈と見えて、その巨躯を盾としてリザードマンとインセクターも寄せてくる。徐々に毒液や毒針も飛来しはじめた。
咆哮。無恥な熱狂。エーテルが震える。激しいぶつかり合いとなった。
怪物の大暴れに軍兵が抗うといった形勢だが、しかし、ファランクスの槍は長く強固である。敵を倒せずとも近寄らせない。掻い潜った敵にはグラディウスが斬りかかる。サジタリイの矢は直射も曲射もいとわない。
「全軍、徐々に後退。射撃を維持。重騎、騎馬突撃用意……」
猛攻を受け止めて、退きつつ撃ち、なお引き込んだところで。
「今」
重騎エクイテス五百騎の突撃だ。敵勢の横腹へぶつかり、ぶち破って、有無を言わさず突き進んでいく。冷徹な蹂躙だ。エーテルが派手に舞い上がる。
「槍兵前進。剣兵突入。砲兵、充填中止、砲撃即時」
勝負は決した。魔力弾の爆風は駄目押しであり、目晦ましだ。
ダイゴは飛ぶ。軽騎アウクシリア三百騎と共に、灰色の戦塵を越え戦場の先へ。五十騎ほどのケンタウロスが戦場を離脱していくところへ。
つまりは退却する魔女たちのもとへ。
「失礼、殺しますよ」
言った時には既に一人を討っていた。軽騎兵に撫で斬りにされたそれは、悲鳴を上げる間もなくエーテルの染みとなった。黒くよどむ、影のような染みに。
「貴様! 我らを敵に回すつもりか!」
黒ローブの女が目を剥いて叫んできたから、答えた。
「攻めてきたのはそちらでしょう」
「嘆かわしい! 真理をわかろうともしない、その蒙昧さ! 魔女こそは新時代の高みに在るものぞ! 旧時代において悪弊に虐げられた我らこそが!」
「敗走しながら演説されましても」
「く! この、傭兵風情があ!」
ケンタウロスも残すところ十数騎だ。必死に抗ってくるが、重騎兵であるそれらは強力でも鈍重で退却戦に向かない。一方、軽騎兵は迅速で追撃戦に最適である。
ダイゴは観る。考えなしの害意が、考えられた殺意に追い詰められる無様を。
また討った。目の前の魔女とは別の一影をだ。仲間を囮に地上へ逃れんとする背を襲わせた。ダイゴの知覚は兵力相応に拡大している。エーテル圏内にいる限り見落とすはずもない。
「ま、待て!」
「待ちません」
最後の一人も切り裂かせた。夜闇へ溶けていく黒ローブを見届け、ダイゴは飛行高度を下げる。エーテル圏内ギリギリにまでだ。
「あーあー、こちら幻光機関領防衛部隊。魔女連盟の地上部隊へ警告します。貴軍の魔導師は全て排除しました。速やかに領内から退去してください。百八十秒後よりエーテル爆撃を開始します」
言い終わるが早いか、兵隊や装甲車が慌てたように動き出した。さもあれ時間までに区境へ飛び込めばよし、飛び込まざれば死あるのみだ。それにしても無秩序な逃げ様ではある。
懐中時計を片手に、ダイゴは魔剣士を探した。この規模で他区へ侵攻するのならば十石以上はいるはずだが、いない。一石も見つからない。
「お粗末な編成……雑というか……ん?」
ダイゴは地上への降下を始めた。慎重に魔力を行使する。エーテルが薄まった分は己の力量で都合しなければならない。
「うわっと」
最後は半ば落ちた。降り立ったのは路地裏である。濡れた埃の臭いに交じって血臭が漂う。回収されそこねたゴミ袋のように、コートの男がしゃがみこんでいる。
「傭兵師団の、魔導師か」
「……言い残すことはありますか?」
赤くこぼれていくものは男が魔道に手を染めていない証拠だ。人間らしい死が、間もなく彼を終わらせるだろう。
「父親になりたかった、私は」
「え、何にです?」
「全て忘れてしまったが、私にも父親がいたはずだ。君にも、誰にだって」
「すみません、聞き取りづらくて……チチオヤ? それは何ですか?」
「ああ、なりたかったなあ……きっと素晴らしい日々が……」
切なげな笑みを浮かべて、男はこと切れた。やはりか魔道に手を染めてはいないようで、エーテル風化の速度はじっと観察しなければわからないほどだ。それでも放っておけば衣服も共に消えてしまう。ダイゴは持ち物を検めた。
懐に小口径の拳銃。背中に三発の銃痕。身分証はなし。
手に、奇妙なものを握っていた。
木製の三角柱としか形容のしようもないものだ。赤く、角にはまろみがあって、何とも扱いやすい。用途不明のそれを、ダイゴはためつすがめつして首を傾げた。
懐かしさのようなものが胸にこみ上げ、どうしていいかわからなかった。