第9話 影武者、国民に手を振る
午後に入ってすぐ、ルーテシアは宣言どおり、俺と数名の護衛を引き連れ、城下町へと向かった。
ちょっとした視察のようなものかと思ったら、用意されていたのは華々しい戦勝パレードだった。
城から続く大通りに、城下町中の住人たちが押し寄せて、道の両端に人の壁を構築している。
その真ん中を、俺とルーテシアはパレード用の馬車に乗って、ゆっくりと進行していった。
何頭もの馬が曳く2階建て馬車の屋根上で、集まった人たちに手を振っては、人々の羨望の声を浴びていた。
「ルーテシア様ー!」
「皇女様、万歳!」
訂正。
羨望はルーテシアだけが浴びていた。
重税を課して贅沢放題していた馬鹿国王には、そんなものが寄せられるはずもなかったのだ。
「……ていうか、本当に民は皇国軍を受け入れてたんだな」
俺の隣で、ひらひら手を振るルーテシア。
王国民は、わあっと喝采をあげて、割れんばかりの拍手を彼女に送っている。
その光景に、ズーンとショックを受ける俺。
「心の何処かで、信じたくなかったんだろうなあ」
仕えていた王様が、こんなに国民に嫌われていたなんて。
その王様の影武者になるために、俺はこれまで、命懸けの覚悟で辛い訓練に耐えてきたなんて。
(命懸けっていえば、最後の試験の時に会ったあの女の子、今頃どうしてるんだろうな)
もう何年も前、各国の王族や有力貴族が集まった舞踏会。
俺は、影武者としてふさわしいかの最終確認として、レナード王子と入れ交わり、ダンス会場に潜入していた。
そこで俺は、入水自殺をしようとしていた、ブロンドの髪の女の子に――
「ほらレナード、あなたも民に手を振りましょう」
ぼんやりしていた俺は、ルーテシアに腕を掴まれた。
「このパレードは、わたくしとあなたの結婚披露の意味もありますのよ」
彼女に腕を引かれるがまま、集まった群衆に向け、俺も控えめに手を振った。
(石でもぶつけられたりして)
この心配は、ただの杞憂だった。
「おい、よく見れば、隣にレジーナ王もいるぞ」
民衆は、そもそも俺のことが目に入っていなかったのである。
(よく見るまでもなく最初から真隣にいたわ!)
憤慨しそうになる俺。
だが、俺の怒りは、国民たちの次の言葉で吹き飛んだ。
「あのレジーナ王は、確かに謙虚そうだぞ」
(……『あの』ってなんだ?)
「ルーテシア様がお選びになっただけのことはあるわね」
(『お選び』ってなによ?)
「本物と違って男前じゃねえか!」
「ばかだねえアンタ、『本物』と『偽物』って言葉だけは使っちゃいけないって言われてるじゃないの」
「おっといけねえ、ガッハッハ」
俺は、首をぎこちなく横にスライドさせて、ルーテシアに説明を求めた。
「これ、どういうこと?」
俺が影武者だって、普通に国民にバレてるよね!?
「民たちは、見る目があるということでしょう」
澄ましてそんなことを言いながら、彼女は俺の腕に、自分の腕を絡ませてきた。
国民たちからどよめきの声。
ルーテシアは、溢れんばかりの笑顔で手を振り、彼らに応えた。
「ルーテシア様、お幸せそう」
「あんな美人の婿に入れて、レジーナ王も男冥利に尽きるだろうな」
「ずいぶん熱を上げてるそうだぞ。昨日の非公開の結婚式では、レジーナ王はルーテシア様に熱烈な口づけを捧げたとか……」
そんな話まで出回ってるのか。
ていうか、俺が捧げたってことになってるのか。
……そりゃまあ、拒みはしなかったというか、できなかったけど。
「ルーテシア、この状況は、その、いいのか?」
王が別人であることが公然の秘密になってるとか、対外的にも色々とまずい気が。
「構いませんわ。本物が生きている以上、他国にもすぐ知られてしまうことです」
「捕まえることは、できそうにないのか?」
そうすれば、偽物の俺は解放されたりなんて……まず、ないよな。
「捜索隊は出しましたが、発見は困難だと思われますわ。おそらく、もう国境を越えてしまったでしょうから」
「行くあてが、わかっているのか?」
「逃走ルートは事前にいくつか予想していましたから」
その上で捕まえることはできないと、ルーテシアは判断しているらしい。
「そのあたりにつきましては、お城に戻った後で説明いたしますわ。むしろ、そちらの事情を考えましても、今は、わたくしたちの結婚を世に知らしめることが先決なのです」
というわけで、俺はひとまず、ルーテシアの隣で国民に手を振る作業に専念した。
馬車は結構進んだのに、道路脇の群衆たちは一向に途切れる気配がなく、街道の先には、まだまだ多くの王国民が俺たちの姿を待っている。
(とても、昨日まで戦争状態だったとは思えない)
午前中の報告にもあったとおり、本当にルーテシアは、城下の民に危害を加えていなかった。
国ひとつを、まったくの無傷と言っていいほどの状態で、まるごと手に入れてしまったのだ。
(まともに戦うまでもなく、勝利を掴みとるほどの軍略、か……)
まじまじとルーテシアの顔を見てしまう俺。
微笑んでいるその横顔は、若く、そして美しく、可憐な花にさえ思えた。
この美しい娘が、いったいどんな熱情をもてば、鬼才の軍略家として戦場を邁進することになるというのか。
と、ルーテシアも俺を見て、そして、仄かに頬を赤らめた。
「見惚れてくださるのは嬉しいのですが、手が疎かになっておりますわ」
「べ、べつに見惚れてなど……」
「違うのですか?」
ある意味、違わない。
が、肯定するつもりはなかった。
「あら悲しい、昨夜はあんなに求めてくださったのに、あれが全て遊びだったなんて」
「ひ、人聞きの悪いことを言うな」
泣き崩れるふりをするルーテシア。
露骨な演技だが、突然手を振らなくなってしまった王妃に、国民たちがざわつき始めた。
……このままだと、俺、悪者にされるのでは?
「わたくしの心は深く傷ついてしまいました。レナードに男らしい態度で癒して頂けなければなりませんわ」
焦る俺に、ルーテシアから視線がチラリ。
「男らしい、とは?」
「こういうことですわ」
泣き真似をやめて、俺に向き直るルーテシア。
そっと目を閉じて、口を軽く突き出した。
「……まさか、この群衆の前でか?」
ルーテシアは何も答えず、ひたすら瞳を閉じ待っている。
下からは、何事かと心配する民たちの声。
(……やるしか、ないのか)
拒否権も選択肢もなかった俺は、国民たちが注目するなか、彼女の両肩に手を置いて、その唇を奪った。
「きゃー!」
「うおー!」
観衆たちから大きな歓声。
声を張り上げ、手を振り上げ、熱狂の渦が通りの先々にまで伝播していく。
その声に応えるように、ルーテシアは俺の腰に手を回し、抱きつくようにして唇をついばんだ。
が、その唇は、すぐに離された。
(あ、れ?)
思わず拍子抜けしてしまう俺。
ルーテシアとのキスは、もっとこう、ねっとりというか、長い時間がかかるイメージがあった。
教会での誓いの口づけなんて、たっぷり5分以上はやってたし。
「残念そうな顔ですわね」
そんな俺の顔を見て、ルーテシアは艶っぽく笑った。
「衆目がございます。本気の接吻は、今晩の閨までお待ちください」
艷やかなルーテシアの微笑みに、俺は昨晩の情交を思い出し、衆目の中で赤面した。