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第7話 皇女、昔を思い返す 下

「よろしければ、私と踊っていただけますか?」

「……ここで、ですの?」


 どういうおつもりかと尋ねたわたくしに、彼は、こんなことをおっしゃりました。


「外の風に当たっていたあなたは、私に捕まり、この場所でダンスを踊ることになった。ノーラン王国の王子である私にです。王族の誘いを断りきれず、会場に戻ることができなかったとあらば、お父上への面目も立つでしょう」


 驚いて、わたくしは何も申し上げられなくなりました。

 彼の提案は、影武者の立場をいいことに、王子の権威を私的に利用するというもの。明らかな越権行為です。

 もしも真相が露見したなら、首を刎ねられてもおかしくありません。

 見ず知らずのわたくしのために、わたくしの命を救うために、この方は自らの命をかけてくれているのです。


(どう……して……?)


 彼は、びっくりして固まっているわたくしに近づいて、優しく手を握りました。

 暖かくて大きな手のひらが、わたくしの手を包み込みます。

 心臓がトクンと跳ねた音が、体全体に響きました。


「さあ、あちらの灯りの下に行きましょう。曲が終わってしまいます」



 そこからの時間は、まるで醒めない夢を見ているようでした。

 彼は、拙いステップを踏んでいる私をリードして、時に緩やかに、時に大胆に、とても楽しい舞踏の海にわたくしを(いざな)ってくださいます。


「ダンスがお上手なのですね」

「影武者の必須技能なんです」

「あら、今は本物のレナード様なのでしょう?」


 庭には他にも涼んでいる人が何人かいて、わたくしたちのダンスを眺めておりました。

 変装していたわたくしはともかく、彼のことは誰だか見分けがついていたでしょう。

 もちろん影武者などではなく、本物のレナード王子として認識されていたはずです。

 それでも彼はお構いなしに、いえ、おそらくはそこまで考えた上で、わたくしと踊り続けてくださいました。

 ですが、楽しい時間は、本当にすぐに終わってしまいました。



 ダンスを終えると、彼はわたくしの手を引いて、会場へと戻りました。

 すると、受付で、なにやら騒いでいる方が。

 わたくしの付き人である女性でした。

 監視役と言ってもよいでしょう。

 いなくなったわたくしを探して、色々な方に聴きこみをなさっていた様子です。

 彼女は、近づいてきたわたくしに気がついて、声を荒らげました。


「いったいどこにいたのですか!」


 平手さえ飛ばしそうな剣幕の彼女の前に、彼が割って入ります。


「これは失礼。お美しいお嬢さんが外で迷われていたものですから、ついついダンスにお誘いしてしまいました」

「……失礼ですが、あなた様は?」


 彼は、爽やかな笑みを浮かべて言いました。


「ノーラン王国王太子、レナードと申します」


 付き人の女性が色めき立ちました。

 それもそのはず。

 わたくしを品定めしようとしていた変態たちより、他国の王族とのパイプのほうが遥かに重要だからです。


 影武者の彼は、本物のふりをして、付き人に二、三の言葉をかけました。

 付き人はひたすらに恐縮し続けて、短い返事しかできずにいます。


「それでは、麗しいお嬢さん、いつかまたお会いしましょう」


 彼は別れの挨拶をして、わたくしの右手の甲にキスをしてくださいました。

 去っていく彼の背中を見て、そこで初めて、わたくしは、自分の名前すら名乗っていなかったことに気が付きました。


(ノーラン王国、レナード王子、その影武者……)


 隣では付き人が何かしきりに言っていましたが、わたくしの耳には一切入っておりませんでした。


 ・

 ・

 ・


 数週間後、わたくしに、再び父から命令が下されました。


「ノーラン王国へと出向き、王子と親密な関係を構築せよ」


 わたくしは、初めて心から、父の命令に従いました。



 それからひと月ほど経って、わたくしはノーラン王国の王城に招かれました。

 水面下での交渉が実り、レナード王子との面会が叶ったのです。


 初対面のはずのレナード王子は、わたくしに「お久しぶりです、ルーテシア皇女」と挨拶されました。

 わたくしの髪がブロンドではなく黒色であることにも、何の疑問も呈しません。

 もちろん影武者の彼は、王子や側近にあの日の仔細を報告していたことでしょう。

 ただ、仔細といっても、「本物の王子として、庭園で女性とダンスをした」という程度の報告であったはずです。

 わたくしは最後まで名乗りませんでしたから、彼はわたくしの正体を知りません。

 ですが目撃者がたくさんいたこともあって、あの舞踏会の日のことは、王侯貴族の間でそれなりの噂になっておりました。


 ですから、わたくしは交渉ルートを通して、あの日の女性がバティオリス皇国の皇女であったと情報を流しました。

 ノーラン王国はすぐに食いついて、わたくしとレナード王子の面会をセッティングなさいました。

 戦好きで知られる皇帝(ちちうえ)は、隣国の彼らにとって恐怖でした。

 皇国からの安全を確保したいノーラン王国は、本当に王子とわたくしが踊ったことにして、太いパイプを築こうと画策したのです。


 わたくしは、王子が偽物だったことには気づいていないふりをして、彼らの思惑に乗ることにいたしました。


「お久しぶりです、レナード様。ご機嫌麗しゅう」


 初めてお会いするレナード王子は、やはり、影武者の彼と瓜二つの顔でした。

 けれど、性格や態度はまるで違います。

 王族特有の放漫さと言いましょうか、そういう嫌味な気配が、とにかく鼻についたのです。


「あなた様との素敵な出会いを、わたくしは1日だって忘れたことはありませんわ」


 ですが、わたくしはこの王子の歓心を引こうと、それはもう心を砕きました。

 触りたくもない王子の手を握りしめ、目を潤ませて、胸元にまで引き寄せます。

 どうせ変態貴族に売られる運命だったのです。

 ならば、この王子相手に色目を使うくらいはどうってことありません。

 必要ならば、娼婦の真似事だってやってやる覚悟がありました。


 そんなわたくしの覚悟は、わたくしの中に眠っていた魔性を目覚めさせてしまったようでした。

 わたくし自身も知らなかった、人を誑かす魔女の本性。

 それまでの気弱な性格からは想像もつかないほどの、大胆で完成された立ち居振る舞いと、純情さの皮を被った完璧な色仕掛けをもって、本物のレナード王子の心を完膚なきまでに籠絡したのです。


 数カ月後、ノーラン王国とバティオリス皇国の間で、わたくしとレナード王子の婚約が取り交わされました。

 ここから、わたくしの計画は一段と加速していきます。


「あの方の優しさが、わたくしを本当の皇女に変えてくださりました。ならばわたくしは、あの方を本当の国王に変えてみせます。あの方の隣に並び立つには、それをできる女でなければいけないのです」


 わたくしは、必死に軍略を勉強し、皇国軍の人間たちにも取り入りました。

 お飾りとして添えられたはずの戦で、軍師としての才覚を発揮し、ひとつの国を攻め落とす戦果をあげました。

 以降、わたくしは『黒滅姫』と呼ばれるようになり、破竹の勢いで6つの国に戦で勝利いたします。


 これまでわたくしを毛嫌いしていた父上も、あれから8年が経った今では、ずいぶんと有用性を認めてくださるようになりました。


「お父様、次はノーラン王国を攻略いたしますわ」

「ほう、婚約者の国に矢を引くか」


 さすがは戦好きのお父様、止めるつもりなど毛頭ありません。

 わたくしは、そんなお父様に、ある賭けを持ちかけました。


「次の戦、わたくしは、敵兵をひとりも死なせずに完勝することを目指しておりますの」

「ほう、大きくでたな」

「もしも達成できましたなら、わたくしにノーラン王国の、戦後の統治権をいただけますか?」

「軍略のみならず、戦後統治にも興味を抱いたか。よいだろう。見事無血開城させた暁には、褒美にあの国をくれてやる」


 この言葉を父の口から引き出すために、わたくしは8年間かけて、国7つを打ち破ってきたのです。


「ありがとうございます。では、わたくしが、どんな突飛な統治方法をとったとしても、驚かないで頂けますね?」

「今更だな。驚かされることはあっても口は出さん。戦争同様、最後に結果で示せばよい」


 父の言質をとったわたくしは、本当にノーラン王国を無血開城させてしまいました。

 息のかかった人間を使って、レナード王が影武者と入れ替わるよう念入りに誘導もしてありました。

 堂々と攻め入った城の玉座には、ああ、あの人が……8年前に出逢った影武者のあの人がいてくださいました。

 わたくしのことを覚えていないかと、少しだけ期待していましたが、その想いは届きませんでした。


 ですが彼は、自分を犠牲になさってでも、国民の命を助けようと、敵の大将であるわたくしに食ってかかりました。

 あの日、見ず知らずのわたくしの命を救おうとしてくださった時のように、全身全霊で叫んでいます。

 彼は、あの日の彼とそのままで、それを知って、わたくしは天にも昇る心地に包まれてしまいました。

 生涯を添い遂げる良人(おっと)は、やはり、この人以外におりません。



 父との約束に基いて、わたくしは彼を、本物のレナード王として担ぎ上げました。

 大多数の人間は、これを本当に、わたくしの戦後統治の策略だと思っていることでしょう。


 8年の歳月をかけて、わたくしは、ようやく想い人と結ばれることができたのでした。


***


「あの人は、あの日と同じ優しさと大胆さで、わたくしを包んでくださりました」


 目を潤ませて、ついには頬に涙で筋をつくったルーテシアに、マルティナはハンカチーフを差し出した。


「お化粧が落ちてしまいます」

「ありがとうマルティナ。でも、止められそうにないわ」


 幸福そうに微笑みながら、ルーテシアは、悦びの涙に顔を浸している。


「あと5分だけ、このまま涙を流させて。30分で目の腫れを引かせて、化粧を直します」

「もっとお時間を使われては? まだ占領2日目です。政策を敷ける状態でもなく、公務にもさほどの支障は――」

「だめよマルティナ。そんなことをしたら、今日あの人といられる時間が減ってしまうわ」


 泣きながら愛らしいことを言う主人に、マルティナは思わず笑みを零してしまった。


「……かしこまりました。では、本日の予定は、そのように取り計らいます」


 優秀な秘書官は、感極まっている主人の邪魔をしまいと、5分間だけ席を外した。


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