第3話 影武者、報告を受ける
「あの、ルーテシア様?」
「いやですわレナード。夫婦なのに他人行儀ですわよ」
簡易的なはずだった結婚式を終えて、今は午後。
「……失礼。ルーテシア、聞きたいことがあるのだが」
「なんでしょうか、レナード」
俺はルーテシアに、ある疑問を問いただそうとしていた。
「ここは、ノーラン王国の玉座に間違いないな?」
「もちろんですわ」
「この椅子に今、私は座っている」
「国王なのですから、当然ですわ」
そう、王のふりをする俺が座るのは、当然のことなのだ。
しかし。
「では、どうして玉座に座っている私の上に、ルーテシアがしなだれかかっているのだろうか?」
大きな椅子だけど、玉座はもちろん一人用。
隣には王妃のための椅子も設置されている。
なのに、ルーテシアは俺の座る玉座に、自分の体を押し込むように入れていた。
構造上、当然ふたりも座れない。
なので必然的に、彼女は俺の膝の上におしりをのせて、上半身は、俺の体にもたれかかるような、いや、もはや抱きつくような恰好で覆い被さっている。
「あら、夫婦なのですから、これくらいのスキンシップは当たり前ですわ」
そう言って、ルーテシアはますます俺の体に密着してきた。
弾力のある二つの塊が、俺の胸板に押し当たり、理性を着々と奪っていく。
もしや、これも彼女の作戦なのか?
「あの、国王様。ご報告、いたしてもよろしいでしょうか?」
王座の下から声がした。
王国軍のロランド将軍だった。
敗軍の将でありながら一命を取り留めた彼は、皇国軍兵士が監視するもとで、俺に謁見していた。
「す、すまないロランド。始めてくれ」
「かしこまりました。では、皇国軍との戦闘における、我が軍の被害状況ですが……」
将軍の報告は、敗戦の結果からスタートした。
悔しくて、俺は奥歯を強く噛みしめる。
仲間の死の報告を、こんな屈辱的な状況で聞かねばならないなんて――
「全兵士5万人のうち、負傷者数53人、死者数は0人でございました」
「……はい?」
俺の奥歯は、あっという間にあごの力から解放された。
「いやいや待て待て。死者数ゼロっておかしいだろ! 王城まで攻め落とされてるんだぞ! 負傷者数だって馬鹿みたいに少ないのはどういうことだよ!」
「その、それは……」
「簡単な事ですわ」
言葉を濁した将軍の先を、何故かルーテシアが引き継いだ。
「わたくし、お父様と賭けをしておりましたの。もしもノーラン王国を無血開城させた暁には、支配後の統治権を私に委ねてくださることになっていたのですわ」
「つまり、死者が出なかったのはルーテシアの仕業だと?」
にわかには信じられなかった。
いかに稀代の軍師と名高い黒滅姫ルーテシアを持ってしても、敵軍をひとりも死なせないなんて奇蹟の戦略があるだろうか。
俺のこの疑問を、ルーテシアは、くすくすと笑いながら払拭した。
「この王国には、数年前からスパイを潜り込ませておりましたの。私が手塩にかけて育てた優秀な間諜部隊ですわ。彼らが王国軍の上層部と接触し賄賂を贈るところから、この侵攻作戦はスタートしていたのですわ」
ルーテシアは、内通工作によって買収した人間たちを操って、軍の訓練内容を少しずつ減らし、規律を緩め、また、兵士の給金も徐々に少なくしたという。
ノーラン王国軍は、兵士の練度も、モチベーションも、戦争前からガタガタだったというわけだ。
「加えて、武器や鎧は壊れやすい紛い物へと変更しておきました。正規の備品は横流しするよう指示し、余ったお金は懐に入れて良いと言ったら、みなさん、格安のボロ武器を探してくること探してくること」
欲望まみれ軍上層部の幹部たちは、汚職や横領に手を染めまくっていたという。
「こうなれば、後は我が皇国軍の独壇場です。武器を破壊され、手も足も出なくなった王国兵はあっさりと投降いたしましたわ。買収していた幹部たちが率先して皇国軍に寝返ったのも、良き指標となったようです」
この女、一国の軍隊を頭から爪先まで腐らせてやがった。
俺が睨むと、ルーテシアは、ふっ、と小さく微笑んだ。
「わたくしの指示によく従ってくださいましたね、将軍」
将軍は俺から目を背けた。
そうかよ。
お前も初めからグルなのかよ。
「それでは、ノーラン王国軍は現時点をもって解体いたします。異論はありませんね、将軍?」
「はっ」
従順すぎる裏切り者の声に、俺の頭は真っ白になった。
「待てこら! 『はっ』じゃねえだろロランド!」
思わず出ていた地の口調。
他国に占領された状況で、一国の軍隊がなくなってしまったら、誰がどうやって国を守るっていうんだ。
怒鳴り続けようとした俺の口を、しかし、ルーテシアの白い指が塞いだ。
「結論を急いてはなりません、レナード」
俺の唇の輪郭を、彼女の指がなぞっていく。
柔らかい感触に、俺はついつい、さっきのルーテシアとのキスを思い出してしまい、何も言えなくなってしまう。
それを見計らったように、ルーテシアは将軍に続きの指示を出した。
「そして、元兵士全員に通達なさい。希望者にはバティオリス皇国軍の外国人部隊として無条件で再雇用する準備があると。給金は王国軍時代の最低2倍を約束します」
(なんだって!?)
「どういうこ――」
かぷ。
「やんっ」
ルーテシアから嬌声があがった。
思わず叫ぼうとした瞬間に、俺は、唇を撫でていた彼女の指を甘咬みしてしまっていた。
「わ、悪い」
思わず謝ってしまう俺。
「大胆ですわねレナード。臣下の見ている前で、妻の指先を貪ろうだなんて」
「ち、違う! そんなつもりは断じてないっ!」
ルーテシアは、頬を仄かに赤く染めながら、俺ににっこりとした笑顔を向けている。
怒っているのか、それとも俺をからかっているのか、非常に判別に困る顔だ。
「そ、それより、今のはいったいどういうことだ!?」
「『今の』とは、兵士の再雇用の件でしょうか?」
「そうだ。いったい何の目的で、王国軍を皇国軍に鞍替えさせるというんだ」
彼女の答えは、俺の想像が及ぶ範囲を、遥かに超えていた。
「もちろん、このノーラン王国を大陸一の軍事国家へと変貌させ、他国を圧倒的な武力で蹂躙するためですわ」




