第2話 影武者、結婚する
あのあと、俺は王として公式に敗北宣言をさせられた。
降伏は、もはや詮無きことだった。
敵に王城の最奥まで攻め入られ、抵抗の余地の一切を奪われたのだから。
しかし、その後の処遇は、意想外にもほどがあった。
てっきり断頭台に運ばれるとばかり思っていた俺が歩かされていたのは、教会のヴァージンロードの上だった。
「……なんで?」
さっきまで手枷と足枷を嵌められていた俺は、高貴さと高価さが溢れんばかりの衣装に身を包んでいる。
「本当に、今から挙式するつもりなのか?」
「もちろんですわ。そのために、こうして盛装したのですから」
隣には、純白のドレスで着飾ったルーテシア皇女。
艶のある黒い髪が、真っ白なドレスと明瞭なコントラストを生み出して、彼女の美貌を映えさせていた。
「戦争の直後ですから、式は簡略なものといたしましたが、後日、盛大な披露宴を開こうと考えております」
「俺を、処刑しないでいいのか?」
ルーテシアは、くすくすと上品に微笑んだ。
「そのようなことはいたしませんわ。もっとも、今日からレナード様には、オルランドの名を捨てていただくことになりますけれど」
名を、捨てるだって?
「王位を捨てて、市井に下れと?」
ルーテシアは、今度は吹き出した。
「いやですわレナード様。それでは皇族であるわたくしと結婚できないではありませんか」
おかしそうに笑うルーテシア。
彼女は、こんな事実を俺に突きつけた。
「レナード様は、わたくしのバティオリス家に婿入りなさるのです」
「婿、入り……?」
レナード=バティオリス
それが、今日から俺の名前になるとルーテシアは言う。
「属国化か」
本物のレナード王には、まだ子がいないし、兄弟もいない。
百年以上続いたノーラン王国国王の家名は、この時をもって消滅することになる。
「そのために、影武者である俺を利用しているんだな」
じろりと睨んだ俺に対して、ルーテシアは、薄い微笑みを浮かべた。
「いいえ。あなたは紛れもなく、本物のレナード様ですわ」
***
簡略な式というのは本当だった。
この結婚式に参加したのは、教会の牧師と、戦争のために同行していた皇国軍の将校たち。
後は、俺を売ろうとしたこの国の大臣たちだけだった。
大臣どもは、みな、困惑した顔で俺とルーテシアに拍手を贈っていた。
どうしてこんなことになっているのか、知っているのは、皇国側の人間だけらしい。
「両名、変わらぬ愛を誓いますか?」
「誓います」
「誓いますわ」
牧師の言葉に従って、俺はルーテシアと愛を誓った。
次いで、指輪を交換する。
ご丁寧にも、ルーテシアは結婚指輪までしっかり用意してきていた。
「よく、私の指のサイズがわかったな?」
「あなたのことで、わたくしが知らないことはございませんわ」
(本物のレナード王のことは、だろ?)
この時、俺は内心でほくそ笑んでいた。
(残念だったな黒滅姫。俺の指は、本物の国王より少しだけ太いんだよ)
王と体型を揃えておくことは、影武者である俺の義務だった。
しかし、王子としてぬくぬくと育った本物のレナードと、影武者として護衛戦闘術も学ばなければならなかった俺。
その違いが体に、ほんの些細な差異として現れている。
だから、その指輪は、俺の指には嵌らない。
「では、指輪の交換を」
牧師に指示され、俺は指輪をルーテシアの左手の薬指に嵌めた。
白い嫋やかな指に、銀色の指輪がするりを収まっていく。
彼女はそれを、陶然とした顔で見つめていた。
「では、わたくしも」
今度はルーテシアが、金色の指輪を俺の指に嵌めようとする。
(これで、少しはやり返せたってもの――)
指輪は、俺の薬指に、するりと奥まで収まった。
(――あれ?)
混乱する俺。
なんで嵌った?
いつの間にか指が痩せてたか?
でも、身体測定は定期的にやってたのに。
「お似合いですわ、レナード様」
ルーテシアは、満面の笑みを俺に向けている。
思惑通りだとでも言いたいのか。
しかし、美人が笑うと華がある。
敵国の皇女だということを忘れて、俺の心臓はドクンと高鳴った。
「それでは、誓いのキスを」
再び牧師が俺たちに指示した。
俺とルーテシアは、お互いを正面からじっと見据えた。
「レナード様、右手をわたくしの頬に添えていただけますか」
言われるがままに手を添える。
手のひらに、柔らかい感触。
彼女も俺の右頬に手を添えた。
俺はピンときた。
(考えたな。これなら腕が目隠しになって、口元が誰にも見られない)
いくら政略とはいえ、彼女も、影武者ごときに自分の唇を差し出すつもりはないということだ。
唇をぎりぎりまで近づけて、キスしたふりで誤魔化すという魂胆に違いない。
(今度こそ、思い通りにはさせん!)
俺は彼女に、顔をゆっくり近づけていく。
ルーテシアは目を閉じた……ようにみせて、少しだけ薄目を開けている。
やはり距離を測っているのだ。
(みてろ……)
互いの息がかかる至近距離にまできたときに、ルーテシアの手に、ほんのわずかに力が篭った。
この位置で止まれということなのだろう。
しかし、その思惑には乗ってやらないぜ!
俺は、ぐいと不意打ちで距離を詰め、強引にルーテシアの唇を奪ってやった。
「っ!?」
息を呑むような気配。
さしものルーテシアも驚いたのだろう。
目を見開いて、そのままの姿勢で固まっている。
(どうだ、一矢報いたぞ!)
こんなことで、死んでいった兵士たちに報いられたかはわからない。
でも、何もせずに逃げ出した国王に代わって、影武者として、ある意味で本懐を果たせたような気がする。
(やりきった。これで打首になろうとも、俺は満足だ)
俺はゆっくり、ルーテシアから唇を離した。
が。
ガシッ!
(へ?)
ルーテシアの右手が、俺の頭を強く掴んだ。
離れようとした俺を引き寄せて、そして、そのままキスを続行する。
「んぐっ!?」
「んっ……」
触れ合う唇と唇。
熱く漏らされる吐息。
彼女は、俺との口づけを拒むどころか、自分から積極的に口唇を押し当ててくる。
(え? え?)
状況が理解できない俺の頭には疑問符が浮くばかり。
そんな心の間隙を突くように、ルーテシアは、俺の左頬にも手を添えて、顔をしっかり押さえつけると、大胆な行動に打って出た。
「ん……はむ、ちゅっ、んむ……」
「っ!?」
ついばむような、吸い付くような熱烈なキス。
逃げようとする俺の頭を、彼女はがっしり抑えて離さない。
(なんだこれは、意趣返しのつもりなのか!?)
混乱する俺。
なかなか俺を逃してくれないルーテシア。
ついには牧師が、
「……あの、神の御前ですので、そのあたりで」
と止めるまで、たっぷり5分近くに渡って、ねっとりとしたキスは続いた。
「ぜはあ、はあっ」
熱く激しい口づけから解放された俺は、もはや息も絶え絶えである。
なのに、彼女は取り澄ました顔で、
「これで、わたくしの想いは伝わりましたか?」
なんて、クールに微笑んでいる。
わからない。
いったい、何が狙いだったんだ。