第1話 影武者、王になる
「突然だが、私はこの地を脱出せねばならん」
「いやいや王様、全然突然じゃないですよね? 隣国の兵隊たちに攻めこまれて、城が陥落しそうになってますよね?」
「私としても心苦しい。父上が亡くなってからわずか1年。ノーラン王国国王の座を継いですぐに、こんな事になろうとは」
「まったくですよ。何をどうやったら婚約者のいる国から戦争をふっかけられることになっちゃうんですか?」
「そこでだ。幼いころより私の影武者として育てられていたお前に、重大な役目を与える」
「その前に、この手枷と足枷を外してもらえませんか? あんた絶対ろくなこと言わないだろ、なあ?」
「私の身代わりになって、黙って奴らに殺されてくれ」
「ふざけんな! 俺を人身御供にしてんじゃねえ!」
こんなやりとりをしていたのが、つい1時間ほど前のこと。
王座に縛り付けられた俺は、お隣の大国、バティオリス皇国の兵士たちに取り囲まれていた。
戦闘による高揚のためか、兵士たちの目は悪鬼のように血走っている。
「見つけたぞ、貴様がノーラン王国国王、レナード=オルランドだな!」
「違う! 俺は偽物の影武者だ!」
「見え透いた嘘をつくな!」
「てめえ節穴か! 見てくれよこの手枷足枷を!」
動揺を見せる兵士たち。
俺の気魂篭った慟哭に、こいつは確かに妙だぞと、冷静さを取り戻してくれたようだ。
「なあ、どう思う?」
「臣下に裏切られた、とかじゃないのか?」
「仮にも一国の王を、こんなザマにして放置できるか?」
「不敬すぎて、流石に躊躇しそうだよな」
(よし、とりあえず、この場では処刑されない流れができあがったぞ)
俺が内心で安堵した、その時だった。
真偽を話し合っている兵士の後ろから、凛とした声が響いた。
「いいえ、この方は、紛れもなくレナード様にお間違いありませんわ」
殺伐とした王座の間に、長い黒髪をたなびかせた少女が入ってくる。
隣国バティオリス皇国の第三皇女、ルーテシア=バティオリス。
(指揮をとっていたのは、やっぱりルーテシア様だったのか)
彼女は皇女でありながら、また、わずか18歳の若さでありながら、軍師として優れた進攻作戦を立案し、7つの国を攻め落とした女策略家でもあった。
(鮮やかな攻め際、流れるような城の占拠。『黒滅姫』の名に違わない快進撃)
もとは、戦好きのバティオリス皇帝が敵国の王女を犯して身ごもらせた妾の子だった。
にもかかわらず、ルーテシアは類まれな知能と社交性によって、ついには皇国軍のトップの座まで掴み取った。
その神算鬼謀の軍略と、漆黒の髪色から、ついた二つ名が『黒滅姫』。
そして、彼女は。
「彼が本物であることは、レナード様の婚約者である、このわたくしが保証いたします」
ノーラン王国国王であるレナード=オルランドの、まごうことなき婚約者である。
「ルーテシア皇女殿下に、敬礼!」
敵兵たちが一斉にルーテシアに傅いた。
皇女でありながら、軍師として最前線で指揮を執るルーテシアに、兵士たちの信望は篤かった。
(敵のトップが『黒滅姫』じゃなければ、援軍がくるまで持ちこたえられたかもしれないのに)
ほんと、婚約者に何しやがったんだウチのアホ国王は。
いや、今は原因の追求より、俺の命だ。
「恐れながら申し上げますルーテシア様。俺はただの影武者。本物のレナード王は、とっくに城から逃げ出しております」
俺は手足に枷を嵌めたまま、ルーテシアに跪いた。
この様子に、兵たちはますます困惑している。
誇り高き王族には、断じてあるまじき卑俗な行為。
しかし、ルーテシアは譲らなかった。
「わたくしの証言だけでは不足でしょうか。ならば、王の忠実な臣下にも尋ねてみるといたしましょう」
ルーテシアは二度手を叩いて、控えていた配下の兵に合図した。
玉座に通じる扉から、この国の大臣たちが、後ろ手を縄で縛られて、ぞろぞろと引き連れられてくる。
「さあ、ノーラン王国の大臣の皆々様。あの方はどなたでしょう?」
大臣たちは口を揃えた。
「レナード国王陛下に、お間違いございません!」
クソ大臣ども、命惜しさに俺を売ったな。
憤慨し、歯を食いしばっている俺のもとに、ルーテシアが歩み寄ってきた。
彼女はゆっくりと、俺に顔を近づける。
ぞっとするような冷たい声色が、耳朶を打った。
「あなたがレナード様でないならば、わたくしは、どんなことをしてでも本物を探し出さなければならなくなります」
囁くほどの小さな声。
しかし、この小さな声が、俺に明確な恐怖を宿らせた。
本物のレナード王が見つかるまで、彼女は国じゅうを蹂躙し、王国の民を拷問にかけるに違いない。
俺の脳裏に、街路を埋めつくす死体の山と、赤い血が川のように流れる光景がちらついた。
(だめだ。そんな未来は、絶対にだめだ)
あんなクソ国王や、目の前のクソ大臣どものことはどうでもいい。
けど、罪もない王国民の命だけは、なんとしてでも守らなければ。
それができるのは、今は俺しかいないのだ。
「さて、どうなのですか、レナード様?」
「……嘘をついていた。私が正真正銘、国王レナードに相違ない」
ルーテシアは、にっこりと微笑んだ。
居並んだ大臣たちまでが、露骨にほくそ笑んでやがる。
ゲス野郎どもめ、おまえたちだって道連れだ。
俺は、レナードの演技をしたまま、高らかに叫んでやった。
「私や家臣が処刑されるのは構わない! だが、国民に手出しすることは断じて許さない! これを約束しないなら、たとえ騙し打ちだと謗られようとも、私や家臣には、今この場であなたの首を刎ねる覚悟と準備がある!」
立ち上がろうとした俺を、敵兵たちが取り押さえた。
思わぬ展開に、大臣たちも色めき立った。
「出任せです! 我々に反抗の意志はございません! 国民の命など――」
「刎ねなさい」
ルーテシアの無機質な声が、配下に剣を閃かせる。
ゴトンと、頭蓋が床にぶつかる音。
哀願を叫んだ大臣の首が、一瞬で体から離れていた。
「ひいっ!?」
「う……」
慄く他の大臣たち。
彼らの足元に、切られた首から、赤い血がじわりと広がっていく。
「奇遇ですわねレナード様。わたくしにも、このように首を刎ねる準備がございました」
言葉ひとつで惨劇を引き起こしておいて、ルーテシアは、何事もなかったように落ち着いていた。
「……民たちの首も、落とすつもりか?」
呑まれまいと、俺は彼女を睨みつける。
完全な虚勢だったが、絶対に引けなかった。
「あら、それは問題ございませんわ」
そんな俺を見て、ルーテシアは口元に、小さく笑みを浮かべた。
「わたくしは、ノーラン王国をこれ以上蹂躙するつもりはございません。なぜなら――」
ルーテシアは、配下の兵に目で合図した。
近衛兵らしき女性の兵士が、彼女に剣を手渡した。
黒滅姫の名に相応しい、漆黒の刃を持った鋭利な長剣。
その長剣を、彼女は片手で振り上げた。
(やられる!)
目を閉じる俺。
キィンという金切り音。
(……痛みが、ない?)
恐る恐る瞼を開いた俺が見たのは、両断された手枷と、そして、
「――なぜなら、本日を持ちまして、わたくしとあなたは正式に婚姻するのですから」
「……はい?」
妖艶なまでに美しいルーテシアの、婉然とした笑顔だった。