後編
無事に卒業式を迎え、最後の思い出作りとして第三メガフロートへ旅行にやって来た僕達。
第三メガフロートは《アリス》が管理されているということもあり、通常は関係者以外の立ち入りを禁止している。
では、なぜ僕達が立ち入りを許されているのか?
それは、僕の父――田崎善次郎の協力があっての事であった。
百万ポイント以上を所持しており、人類の代表とも言われている《ミリオン》には、一般人にはない特権が与えられている。
その《ミリオン》である父の監督の元、僕達のクラスは第三メガフロートの見学を許されたのだった。
「皆さんにはこちらの宿泊施設を利用してもらいます。部屋割りに関しましては、フロントにて確認してください」
そう言って善次郎は、クラスのまとめ役である僕に顔を向ける。ちゃんと公私をわきまえているようで、いくら家族と言っても丁寧な口調を崩すことはなかった。
父に後ろめたいことがある僕としては、父の視線に批難が混じっているように感じて居心地が悪く、逃げるようにフロントに足をのばすのだった。
一日中、メガフロートの見学をしていた僕達であったが、全てを見て回ることは出来なかった。
正直、《アリス》が動いているサーバー群を見ても、特に感想は浮かんでこなかったし、機密も多いため、閲覧できる情報には色々と制限がかかっていた。特に、個人情報が集められているデータ集積所では、ほとんどドローンで管理しているらしく、人間は建物にすら近づけないようになっていた。
それでも、メガフロートは緊急時でも島の中で全てを賄えるよう施設が充実しており、そこで働いている人も多いため、首都以上に発展している場所である。
普通にショッピングモールがあったり、食物を栽培していたり、色々な施設が一つの島に凝縮されているのだ。卒業旅行先としては、下手に都会に行くよりも充実していると言える。
宿泊施設の部屋割りを発表した僕は、同じ部屋に割り当てられたクラスメート達と部屋に向かった。
部屋は8畳の和室で、四人で寝ることになっている。
荷物を置き、じゃんけんで寝る場所を決めようという流れになったのだが、いつの間にか同じ部屋にいたはずの木島の姿が見えなくなっていることに気が付いた。
僕は「木島を捜してくる」と一言声をかけると、部屋に二人を残してロビーに向かった。
ロビーに戻ると、父と木島が話し込んでいる光景が目に飛び込んできた。
僕は見てはいけないものを見てしまったように、そっと二人の様子を伺う。
話している内容までは聞こえなかったが、父が残念そうな顔で木島を激励しているようだった。
二人の関係はまるで分らないが、父は僕以上に木島について知っていることだけは分かった。
話が終わったのか、木島が父に会釈をして僕の方に歩いて来る。
二人が何を話していたのか気になる所であったが、あまり立ち入ったことを聞ける雰囲気ではなかった。
遠目から様子を伺っていたが隠れていた訳ではないので、木島はすぐに僕を見つけたようだった。
「ちょうどよかった。親父さんがお前に話があるらしい」
「ん、分かった」
「先に部屋に戻ってるぞ」
深く詮索されたくないのか、木島はバツが悪そうに去っていった。
僕としては何を話していたのか聞きたい所であったが、先ほどから父がじっとこちらを見ていて怖いので、大人しく父の元へ向かうことにする。
父は、僕が目の前にやって来たのを確認すると、「色々と言いたいことはあるし、そっちも聞きたいことはあるだろうが」と前置きをして言い放った。
「お前に合わせたい人がいる」
「俺も随分と歳を取ってな、若いもんの力を借りたいと思ってたんだ」
第三メガフロート中央管理棟十二階応接室。父に連れられてやって来たこの場所で、僕は一人の老人と顔を合わせていた。
丸下修と名乗ったこの老人は齢八十を超えており、シミとシワだらけの顔を綻ばせている。髪も年相応に薄く白んでおり、どこからどう見てもただの老人であった。
「はじめ君と言ったかな? いやぁ、善次郎の若い頃にそっくりだ」
「尊敬する父に似ていると仰って頂き、大変光栄に思います」
「そうかそうか。それで、先程の話だが」
丸下と名乗ったこの老人はただの老人ではなかった。《ミリオン》の中でも、実質的なトップに立っていた人物で、この国で知らない者はいない程の有名人である。
《ミリオン》としての立場に上下関係は存在しないが、丸下は《ミリオン》という概念を作り出した人物――ひいては最初に《アリス》を試験的に導入し、ポイント制社会の礎を築いた第一人者として一目置かれている。
何故そんな人物と父が知り合いなのか。それは今から三十年前、善次郎は丸下の部下として働いており、その縁が今でも続いているからであった。
丸下は現在、メガフロートや更生施設、治安維持部隊などの視察を行い、国全体の社会システム運営が上手く回っているかを調査している。
しかし、歳のせいで仕事が辛くなってきたため、仕事の補助をしてくれる人物を捜しているらしい。仕事柄機密に関わることが多く、信用の出来る人物でないと任せることが出来ないとのことであった。
そこで、父は僕に白羽の矢を立てて丸下の元に連れて来たという訳だ。
大学の授業もあるため大変ではあるが、丸下ほどの重要人物とコネクションを作ることは一種のステータスとなり、これからの人生において大きな意味を持つ。
《ミリオン》を目指すのであれば、社会の中枢に関わる事は必須であり、父もその事を分かっているから僕にこの話を持ってきたのだろう。
「喜んでお引き受け致します」
「分かった。これからよろしく頼むぞ」
「はい。ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い致します」
丸下と別れ、宿泊施設に帰る途中の車内で、僕は善次郎と向かい合って座っていた。
父は終始無言で、僕と話そうとする意志すら感じられない。
丸下を紹介してくれた事には感謝しているが、どうも話を誤魔化された気がしないでもない。
「お父さん、あのさ――」
「丸下さん、今時の若者にしてはしっかりしているとはじめの事を褒めていたぞ」
「あ……うん」
時刻は八時を回っているのにも関わらず、立ち並ぶビル群には未だ光が灯っている。父は顔を背けて、移り変わる景色を黙って眺めていた。
一体、僕に何を知られたくないと言うのだろうか。
木島と関わるなと言われた時に真っ先に思ったのは、奴が危険人物で関わると害が及ぶというものであった。しかし、半年近く接して分かったのは、木島が悪い奴ではないという事だ。
今日の出来事で分かったことがある。それは、父は本当に僕のためを思って行動してくれているという事だ。
《ミリオン》として多忙を極めている両親と僕との接点は、一般家庭に比べたら圧倒的に少ない。
それでも、《ミリオン》の仕事現場に連れて行ってくれたり、一緒に災害復興支援活動に出掛けたり、丸下を紹介してくれたりと僕の将来の事を考えてくれているように思う。
父は信頼出来る。木島と関わるなと言ったことにも理由があるのだろう。
正直、卒業して会う頻度も少なくなるだろうし、今となってはどうでもいいかなと思っている所もある。
それでも、僕の中にあるモヤモヤした何かに突き動かされた。
「ロビーで木島と何を話していたの?」
父は景色から視線を外し、僕の方に目を向ける。その表情は、怒っているでも驚いているでもなく、疲れた様子で、ただ深々とため息をついていた。
「彼には関わるなと言ったはずだ」
「向こうから勝手に絡んで来たんだ。不可抗力だよ」
「気になるのは分かるが、今はまだ知る必要はない。守秘義務も絡んでくる」
「……分かった。今はまだ聞かないよ」
ちょうど宿泊施設に戻って来たようで、「目的地に到着致しました」という音声案内が車内に鳴り響いた。
「今はまだ知る必要はない」と言ったのは、いずれ知る機会がやって来るという事を暗に伝えてくれたのだろう。それなら、待つしかあるまい。
すっかり暗くなった辺りを見回しながら、二人で宿泊施設へと戻っていった。
部屋に戻ると既に布団が敷いてあり、部屋の一番奥が僕の寝る場所となっていた。部屋には木島が一人、一番手前の布団の上で本を読んでいるだけであった。
「悪いな。全部まかせちゃって」
「いいってことよ」
木島は顔を本に向けたまま、手を挙げて応える。
「他の二人は?」
「女子の部屋でトランプするって」
「もしかして、俺が帰ってきた時のために部屋に残ってくれてた?」
「いいや、ちょうど一人になりたい気分だっただけさ」
珍しく黒縁のメガネをかけて、アンニュイに本を読んでいる木島。電子書籍が普及した現在でも、紙媒体の本を好む人は少なくない。
「何を読んでるんだ?」
「んー? 太宰治の『走れメロス』だ」
「また随分と古い本を」
「更生施設にいた頃に色々と読まされてな」
木島と向かい合うように畳の上に腰を下ろした僕は、突然の暴露に言葉を失った。想像はしていたのが、木島が更生施設出身であるというのは初めて聞かされたことだ。
せっかく先程の父とのやり取りで着地点が見えたのに、今更そんなこと吐かれても困る。
ぱたんっ――と本を閉じる音が沈黙を破ると同時に、木島が声をかけてくる。
「他意はないんだが、ポイントだとか《アリス》だとか……鬱陶しく思うことってないのか? 強制されたら反発したくなったりせんの?」
「いやいやいや、それで反発したら人生終わり――」
失言だったと思い、言葉を止めた。
実際に反発したと思われる人の前で人生終了とまで言うのは、奴の人生を丸ごと否定している発言だったと反省する。
木島は僕の失言を気にも留めていないようで、『走れメロス』を指さして言った。
「例え話をしよう――友の命のためにメロスが走り、友との約束を信じてセリヌンティウス
が待つ。尊い友情だ。でも、現代設定ならどうだ? ポイントだとか《アリス》だとか余計なものが入り込んだ途端に、本当に友情のための行動だったのか分からなくなるだろ?」
僕は想像する。いや、そもそも邪知暴虐な王が君臨しているという前提からしておかしな事になるのだが。
ただなんとなく、木島の言いたい事は伝わった。
「別に腹に何を抱えていたっていいだろ。心の中は覗けないのだから、都合の良いように解釈したらいいんだよ。助け合わなくても生きていけるようになった僕達には、他人のことなんてどうでもよくなってるんだ」
時代が変わり、環境が変わり、人が変わる。当たり前のことだ。
当たり前のことであるが、自然なことではないのだろう。環境の変化をシミュレーション出来るようになった今でも、人間の変化は予測出来ていない。
きっとこれから先も不規則な変化を続けていって、その変化に適応出来ない人間は淘汰されていくのだろう。まったく予測出来ない分、ある意味では自然淘汰よりも過酷な環境にあると言える。
「田崎はさ、結構腹黒いよな」
「そんなこと初めて言われたぞ」
「そういうところ、好ましく思ってるんだぜ? 打算で動くお前さんは酷く人間臭いよ」
「人間臭い――ね。それじゃ、お風呂にでも入ってこようかな」
そう言って立ち上がると、木島はまた本を読み始める。僕と木島の間には、絶対に相容れない何かがあるように感じた。
それから卒業旅行が終わるまでの二日間、木島と話をすることはなかった。
――そして、時が流れた。
僕は無事に大学を卒業し、本格的に丸下の元で働いていた。
丸下は出会った頃のシワだらけの顔を一層老け込ませており、しかし、未だ現役と言わんばかりにキリキリと働いている。
「はじめ君。今日の予定はどうなっておるかね?」
「はい――本日十時から治安維持部隊の演習を見学された後、十五時から第九メガフロートで会議があるだけですね」
「了解した。さっき連絡があって、更生施設で問題が発生したらしくてな。今日の予定を全部キャンセルしといてくれ」
「承知しました」
承知したとは言ったが、予定を突然キャンセルする訳にもいかず、僕は仕方なく代理の人を探すことにする。
なんとか頭を下げて代理人を見つけた僕は、車の手配を済ませた後、丸下と更生施設に向かった。
卒業旅行以来、木島とは連絡を取っていないが、奴は更生施設のスタッフをやっていると言っていた。もし、時間が作れたら久しぶりに顔を見せてやるのも良いだろう。
「はじめ君は更生施設を訪れたことはあったかな?」
更生施設に向かう車の中で、丸下が僕に話しかけてくる。車で三時間もかかるし、老人の話し相手になってやるのも仕事の一つだ。
「前に一度だけ、更生施設の職員と更生プログラムの見直しについて会議に同席した事があります」
「そうかそうか。ところで、はじめ君は今も《ミリオン》を目指しているのかい? 」
「そうですね。《ミリオン》になることが僕の夢であり、両親の願いなので」
「だったら、地下の事を知っておいた方がいいね」
「地下……でありますか?」
三時間後、更生施設のエントランスホールに入った僕はフロントにて、守秘義務に関する誓約書にサインさせられたり、携帯端末の情報を抜かれたりと、随分と怪しい扱いを受けていた。
丸下は何も言わないし、《アリス》の監視下で下手な事は出来ないはずなので、僕は大人しく指示に従う。
前に更生施設に来た時には、このような扱いは受けなかったが、一体、何を見せられるのだろうか。
全ての手続きが終わったのか、丸下と共にフロント横の通路を進んでいく。途中、いくつものセキュリティゲートを潜ってやって来たのは、一つのエレベータの前だった。
地下――と言っていたので、これからエレベータで下の階に行くのだろう。僕は丸下と共に、黙ってエレベータに乗り込んだ。
「そろそろ何があるのか、教えてくれてもいいんじゃないですか?」
しびれを切らした僕は、丸下に問いかけた。
丸下は、待ってましたとばかりに悪い顔を浮かべており、嫌な予感が脳裏をよぎる。
「はじめ君。何か悪いことをしてみなさいな」
「悪い事……でありますか」
突然、悪い事をしろと言われても困ってしまう。それでも僕は、やれと言われればやる男である。
僕は持っていた丸下の荷物を放り投げた。
「案外、思い切りがいいねぇ」
「恐縮です」
なんとなく予感はしていたが、僕は携帯端末に何の通知も来てないことを確認する。上司の荷物を放り投げるという悪行をしたのにも関わらず、だ。
僕は投げた荷物を丁寧に拾いると同時に、目的地に着いたことを知らせる間抜けな音が響いた。エレベータの扉が開き、丸下が先へ進んでいく。
「ここが、社会に適合出来なかった者たちが暮らす地下都市だよ」
地下都市――
高い天井には、学校の体育館を思わせる照明がいくつも続いており、薄暗い印象を抱かせる。街並みは至って普通で、薄汚れている訳でもなく、緑も豊富で、歩いている人にも活気が溢れているように見える。
ここには、ポイントがゼロになって更生施設に入れられた人の中でも、更生の余地なしと判断された総勢十万以上の人々が生活をしている、というのが丸下の説明であった。
「人間には二種類おってな。一度積み上げたものを壊された時に、何糞と立ち直る奴と再起不能に陥る奴なんだが」
今まで善意によって積み上げてきたポイントが、たった一つの悪意によって台無しにしてしまったら、僕は立ち直れるだろうか。
友人と遊ぶこともせずに何十年も、ただひたすらポイントのためにボランティア活動や災害復興支援を行ってきたのだ。
それが一つの悪事で全てが崩れ去る。そうなった時に、腐らずに一からやり直せる自信はなかった。
「再起不能に陥って更生する気がない奴に何を言った所で無駄だった。だからと言ってそのまま施設で面倒見ることもコストがかかるし、殺すのはもっとダメだ。そこで、当時我々が考えたのは、別の環境を用意してやることだった」
そうして創られたのが、この地下都市という訳だ――と、丸下は思う所があるのか、天井を見上げて言った。
《アリス》が導入されて軽く五十年は経っている。歴史を勉強しただけの僕では、今に至るまでの苦労を想像することも出来ない。
先程のエレベータのやり取りで分かった通り、ここには《アリス》による監視が行き届いていない。
道端をよく見ればよくゴミが落ちているし、電柱には落書きなんかもされている。行き交う車も人間が運転しているようで、時には交通ルールを守っていないような車もあった。
こんな危険な環境で暮らしていて、不安にならないのだろうか。前言撤回、例え今まで積み上げたものがなくなっても、腐らずに一からやり直そう。
「それで、問題というのは」
「あぁ、それか。問題という程、仰々しいものでもないのだがな」
丸下が予定をキャンセルまでして、ここに来た理由を思い出す。更生施設で問題があったと言っていたが、僕をここに連れて来た以上、この地下都市で何かが起こったのだろう。
場所は分からないが、問題が発生したと思われる場所に向かって歩きながら、丸下との会話を続ける。
「地上に出たいと言い出した奴がいるみたいでな。今から、そいつと面談することになっとる」
「ここの人達は更生もしないで、好き勝手に地下で暮らしているんですよね? 今更、地上に戻してくれなんて、虫が良過ぎる気がしますが……」
「地下に来て、やっぱり地上に戻してくれって奴は確かにいるが、余程の事がない限り戻すことはしない。しかし、ここで生まれた子供たちについては事情が変わって来る」
丸下はそう言って、しきりに携帯端末を確認している。
やがて、納得したように顔を上げると、ある一軒家に目を向けた。どうやら、目的地に到着したようだ。
僕と丸下を出迎えたのは、中学生くらいの少年だった。その少年を見た時に、僕の中の全てが繋がった。
この面談が終わったら、丸下に少し時間をもらおう。そして、当初の目的通り、僕の唯一の友、木島との再会を果たすのだ。