中編
『――彼には関わるな』
父が放った言葉がぐるぐると頭の中で反芻され、様々な疑念が頭を過ぎる。
木島大河。
木島との出会いは二日前、彼が車道に飛び込んで子供を救出するドラマチックな場面に出くわしたのが最初だ。その後、僕の通う高校に転入してくるという、これまたドラマみたいな展開となっていた。
自らの危険も顧みずに子供を助けた善人。しかし、ただの善人であるならば、この世界にありふれている。
木島大河の異質な部分は善人であるにも関わらず、ポイントに固執していないという点であった。
ポイントは善悪判断を学習した人工知能によって与えられ、ポイントが多ければ多いほど様々な恩恵が与えられる。
ポイントという仕組みは人間が善行を積むための原動力となった。ポイントによる恩恵を得ようと人助けをする人々が増え、人類史上最も秩序だった時代が訪れたと言われている。
『見返りを求めようとする善行は醜悪で偽善である。無償の愛こそが唯一無二で最も尊ぶべきものだ』
そんな教えも素晴らしい考え方であるとは思うが、人間は酷く独善的であるのにも関わらず誰かと繋がらずにはいられないという救いようがない生き物なのだ。実際、ポイントと呼ばれるメリットが発生した途端に、人間は積極的に善い行いを心がけるようになった。
もちろんメリットなんかなくても人助けをしてしまうような極端なお人好しの存在を否定する訳ではなかったのだが、実際に目の前にしてしまうと胡散臭さしか感じなかった。
そして、何の因果か木島は今僕の目の前で一緒に昼飯を食べている。
「どした? 飯食わないのか?」
「ごめん。考え事してて」
どうしてこうなったのか。
父から言いつけられた以上、木島と関わるつもりは毛頭なかったのだが、昼休みに学食で一人飯を食べていたら、しれっと僕の向かいの席を陣取ってきたのだ。
転入してきたばかりで心細いのかもしれないと考えれば無視することも出来ずに、一緒に飯を食うという状況に陥っていた。
「そういや前から疑問だったんだけどよ、《アリス》様ってのは常に俺たちを見守ってくださってるんだよな?」
「様って……」
僕は学食の上隅に設置された監視カメラに目を向ける。今頃、《アリス》の元には、僕がメンチカツ定食をつついている様子と、木島がラーメンをすすっている様子が伝わっているのだろう。
木島は「神様みたいなもんだろ」と投げやりな反応を見せた後、テーブル越しに僕の方へ身を寄せて来た。真剣な顔をして周りの視線を気にしており、ただでさえ恐い顔がさらに恐ろしく変容している。
「ということは、部屋でナニしてるのとか全部見られちゃってるワケ?」
「――ブッ」
僕は木島から顔をそらし、口の中の物を噴き出しそうになるのを必死に手で押さえる。
カメラによる監視だけではどうしても死角が出来てしまうし、死角を無くすようにカメラを設置できるほどの予算もない。ではカメラの死角に入ってしまえば何をしてもバレないのかと問われれば、答えはノーである。
今の時代は家電製品だけでなく、ソファやゴミ箱、日用品に至るまで様々なモノがネットワークに接続され、制御されている。そして、《アリス》はその全てのモノのネットワークにアクセス出来る権限を持っているのだ。さらに、国の方針によって所持が義務付けられている携帯端末に関しても、様々なセンサが取り付けられており、監視体制は盤石であると言われていた。
これは常識である。
「そりゃ見られちゃってるけど……木島くんは機械に見られて気になるの?」
「もしかしたら《アリス》にも人間みたいに感情が芽生えるかもしれないだろ?」
「《アリス》は集められた情報から善悪を判断するだけの知能しか持ってないし、そんなSFみたいなことありえないって」
「それじゃ、その集められた情報ってのが流出したり?」
「それもありえない。どんだけ不安なんだよ」
木島はいったん納得したのか、自分の席に座り直す。
考え事をしているのか眉間にしわがよってメンチ切っているような顔になっているが、すぐに食事に手を付け始めた。
そんな木島の様子を見て、僕は一つの仮説に辿り着いた。
この社会の一般常識に疎く、ポイントに縛られない生活を送っている人物。そんな人物が集まる場所について一つだけ心当たりがある。
厚生施設――
それは、悪事を働いてポイントがゼロになった者を厚生させるという名目で、社会から隔離させるための施設だ。確かに目に見える犯罪が少なくなったが、小さい悪事の積み重ねでポイントがゼロになり厚生施設に送られる者は少なくない。収容されている人数は十数万と言われており、その中で厚生して社会復帰する人は一割にも満たないとも言われている。
木島大河はそんな者たちの一人なのではないだろうか。しかも、一般常識を学ぶ前のかなり早い時期に厚生施設に送られたと考えられる。
小学生までは悪事を働いてもポイントは減算されるが、ゼロになることはない。小学生には、何が善い事で何が悪い事なのかまだちゃんと判断出来ないからだ。だから、小学生までは大人が責任を持って教育する必要がある。
中学生になったら善悪の分別が付いてきたということで、自身の行動には自信で責任をとらなければならない、という建前になっている。建前であって、ポイントがゼロになってしまっても、余程のことがない限りチャンスが与えられる場合が大半であったが。
余程のこととは、既に何回もポイントを失っており厚生の余地がないだとか、悪事によって命に関わるような問題が起こってしまった場合である。
木島はその余程のことをやらかして厚生施設に送られてしまったのではないのか――
昼休みも残り僅かとなり、学食から続々と喧騒が去っていく。木島も食べ終えたようで、慣れない手つきで携帯端末を弄っている。
僕はこれ以上憶測だけで考えても仕方ないと諦め、急いでご飯を掻き込むことにした。
その後、携帯端末を確認した僕は『食事中に吹き出す:-100ポイント』をいう通知が届いているのに気が付き、悲痛な声を漏らしたのだった――
木島が転入してきてから数か月が経った頃。
僕は底辺高校から難関大学に合格を決めたことで、ちょっとした話題を集めていた。
あれから木島とは僕の方からは極力関わらないようにしている。
僕の方からと言うだけあって、木島とは毎日昼食を食べる仲になっていた。
木島はというと、ちゃっかりと就活していたようで、四月から社会人として働くらしい。今の時代、高校を卒業して働くと言っても、相当に能力がなければ働く場所も限られてくる。それでなくても、人工知能の発展により人間がやらなくてはいけない仕事が減っているのだ。
「クラス全員の進路が決まったところで、卒業旅行の計画を進めたいと思います」
ホームルームの時間、僕は教壇に立ってクラスメートに向かって言い放つ。
底辺高校とは言っても、ほとんどの生徒は既に将来の進路が決まっており、最後の学校行事である卒業式と卒業旅行を残すのみとなっていた。
卒業旅行では、僕の父の好意で《アリス》が管理されているメガフロートを見学することになっている。
「当日は一グループ五人で行動します。グループについては皆さんで自由に決めてください」
卒業旅行は強制参加ではないが、一介の高校生が国の中枢である《アリス》のいるメガフロートに足を運べる機会などほとんどない。それゆえに、今回の卒業旅行はクラスメート全員が参加表明を示していた。
それから五分と経たない内にグループが決定した。
僕はと言うと、いつものように木島が一緒に組もうと話しかけてきて、彼のグループに入れてもらうことになった。
僕は別にぼっちではないのだが、そこまで仲の良い友人は居ない。僕は百万ポイントを集めて《ミリオン》になるために、休日も《ミリオン》である両親の手伝いや地域のボランティア活動に勤しんでいた。その結果、年寄りには可愛がられたが、同年代の友人と呼べる友人はいなかった。
そんな人付き合いの悪い僕に、木島は事あるごとに絡んできた。最初は父から関わるなと言われていたし鬱陶しいとも思っていたが、彼が転入して来てからの高校生活は退屈しなかったように思う。たまに突拍子のないことを言って驚かせるのは勘弁して欲しかったが。
「よくメガフロートの見学なんて許可されたな」
「父親のコネでちょっとね」
放課後になり、卒業旅行の話で盛り上がっているクラスメートを尻目に、帰宅しようと廊下に出た僕を追いかけるように木島が話しかけてきた。
「そう言えば、就職先はどこに決まったの?」
「……厚生施設のスタッフとして働くことになったんだ」
「そうなんだ」
木島の回答には一呼吸の間があり、僕にはその本当の意を組むことは出来なかった。思えば数か月間、木島が転入して来た日を除けば、僕の方から彼自身の話を聞いたのは初めてのことだった気がする。
父から関わるなと言われていたこともあるが、僕は彼に得体の知れない恐怖のようなものを抱いていたのではないだろうか。
長身で強面の外見は最早見慣れたものである。そうでなく、初めて会った時、他人を助けるために飛び出した彼が僕の横を駆け抜けてから、僕の中にくすぶっていたもの――
《アリス》による監視社会は、人間の生き方に方向性を与えた。言い方を変えるとそれは、ポイントに――自己善に縛られた生き方だ。鶏が先か、卵が先か。僕たちの善悪の判断基準は《アリス》であり、《アリス》はそんな僕たち人間の判断を学習している。それでも、人類全てが善いと思っている事は善い事であるはずだろう。
人類が目指したユートピア、それがこの世界のはずだ。悪意はことごとく撲滅され、善意だけで満たされた世界。
しかし、木島の生き方はそんな世界に一石を投じるような、今までの僕を否定しているような気がしたのだ。
いつの間にか前を歩いていた木島が僕の方に振り返った。僕の進路を塞ぐように立っているせいでぶつかりそうになったが、なんとか足を止めて木島を見上げる。
「田崎はさ、《ミリオン》を目指してるんだよな?」
「あぁ、そうだよ」
「じゃあ、またどこかで会うこともあるのかもな」
「? どう言う……」
「んじゃ、また明日な」
強引に話を打ち切って走り出す木島。
意味深なセリフに僕の頭には疑問符が飛び交っていた。
「それで、《アリス》様ってのはどこにいるんだ?」
マイクロバスに乗って、学校を出発してから二時間。大陸とメガフロートを繋ぐ連絡橋を渡って目的地に着いた僕たちは、その人工島の圧倒的な大きさに驚きを隠せないでいた。
すっかり《アリス》様呼びが定着してしまった木島は、そびえ立つビル群を見渡している。
僕たちは無事に卒業式を終え、卒業旅行で《アリス》が管理されているメガフロートに来ていた。
「別にどこにいるってワケじゃないぞ。メガフロートもここ一つだけじゃないし、色んな場所で並列に動いているんだよ。だから、《アリス》がどこにあるかと聞かれたらどこにでもあるとしか」
「なんだ。やっぱり神様みたいなもんじゃないか」
マイクロバスを降りて、少し舞い上がっているクラスメート達の前に一人の男が近づいてくる。
「皆さん、おはようございます」
『おはようございます』
僕たちの前にやって来た男と開口一番に挨拶を交わす。スーツを着こなしている男の姿は、普段家で見ている男の姿と何も変わらない。
「まずは、皆さん卒業おめでとうございます。そして、ようこそ第三メガフロートへ」
本日、メガフロートの案内をお願いすることになった男――僕の父である田崎善次郎が笑顔で僕たちを出迎えた。
父は軽い自己紹介の後、今日の予定と注意事項を読み上げていく。そんな中、父の視線が僕と僕の隣に立つ木島に向けられた。
どうやら僕が木島と仲良くしていることが気に食わなかったらしい。クラスメートにメガフロートの説明をしながら、眉をひそめてこちらの様子を伺っている。
父の言いつけを破ってしまった僕は、しばらく父と目を合わせることが出来なかった。