2.花街で
「てめぇらが来た日によぉ、処刑されたオッサンいただろ」
20階にある食堂にて、汚く米を飛ばしながら堂沢が喋っていた。彼が話題を提供している相手は、2人の少年だ。1人は明るいオレンジ色の髪をし、もう1人は伸ばしに伸ばした長い髪をヘアゴムで1つに束ねている。
「有咲とかいう人ですよね?」
オレンジ色の髪の少年――一色奏が、確かそう聞いたと答える。
「おう、よく知ってんな。じゃあ、その有咲のオッサンが処刑人だったことは知ってっか?」
2人の少年は顔を見合わせる。
「更に、あの日が処刑人に昇格した初日だったってことは?」
少年は共に首を振り、堂沢の話に興味深そうに耳を傾ける。
「有咲はよぉ、念願の処刑人になれたくせに、いざ罪人を介錯する段階となって職務を放棄したらしい。私には無理だ、と。――これが有咲が処刑された理由。……へっ、実に馬鹿らしいと思わねぇか」
「ていうか……処刑人って、なるもんなんすか? 最初から処刑人という職に就いてるとかじゃなくて」
この軽い喋り方をする少年の名前は果月ミライ。一色律と奏の姉弟を慕っており、廃墟となった佐波市の銀行から大金を盗んだ経歴を持つ。
「お、いいとこ気付くじゃぁん、果月クン。ご想像通り有咲のオッサンは元“平民”。俺らと同じ第5階級だった。けど、第3階級である処刑人にまで昇格できたのは、“なりたいと申請したから”」
「エッ?! 申請するだけで2階級も上がるんすか?」
「もちろん審査があるぜ? 一度で人間の首を刎ねられるかどうか。いや、そもそも人間を躊躇いなく殺すことができるかどうか――」
ミライはごくりと唾を飲み込む。
「以上2つの条件を満たせば晴れて昇格! 処刑人だ! メリットは昇格だけじゃない。親族をエデン教へ入信させることができる!」
「エデン教……すか。あの、よくわからない宗教。でも“エデンの園”では無駄に優遇されてるやつら……」
身分的には第4階級だが、同じ階級の監視人のように仕事があるわけでもない。ただエデン族長の尾張都嵩を讃える唄を歌い、平民が納める資源を食いつぶすだけ。住居は26から28階で、物理的に高い位置に居座っているだけあって特別な存在のようだ。
「そんなら、どうして堂沢さんは処刑人に志願しないんすか? 毎日、休み無く9時間労働させられるより遥かにマシっしょ。処刑される人間は今だと1日に4人ペースだから、他の処刑人たちと分け合いっこしたら2日に1人のペースくらいで首を刎ねときゃいいんじゃないんすか」
「甘いぞ~、甘いぞ果月ミライ! その浅はかな考えが有咲のオッサンを死に追い込んだんだバカヤロー。いいか? 今までな、虫しか殺したことのないサラリーマン親父が急に人殺しを強要されるわけだ! 手足は震え、心臓は痛み、眼前には自ら腹を切って内臓を飛び出させている罪人……。いくら自分で志願したとはいえ、この先一生の人生を介錯だけで過ごさねばならない! ……普通の人間なら、発狂する。それに一度処刑人になっちまったら転職できねぇ。これがわかってるから、誰も処刑人になりたがらない。つまり人手不足! だから、今志願したらすぐに採用されっかもな! 昇格して、快適な生活を送りたかったらドーゾ!」
「く、首切り生活に快適とかないっすよぉ~。俺は平民のままでいいっす……」
「ちなみに第4階級以上の人間は、第5階級以下の異性との交流も許可されてんだぜ~!」
「結構っす! 断固結構っす!」
「おお、その意気だぞ果月。俺の上手い生き方、わかったか! ははは!」
堂沢はひとしきり下品に笑ったあと、ずっと黙り込んでいる奏の頭を掴み、上を向かせた。
「てめぇ、なにを考えていやがる?」
奏では首を痛そうにさすりながら、無理やりに口角を引き上げた。
「すいません、ぼーっとしてただけです」
「嘘つけ! 俺はなぁ、わかってんだぞ。エデンの園で長い間過ごしていないと知り得ない情報を、俺を買収することで楽に得ようとしてることを」
奏は半笑いの表情のまま何も言わず、堂沢から目を逸らさない。
「しかしお前からもらう金が無ぇと女郎んとこ行けないのも確か。だから大人しくお前の掌上で転がされている。けど、今日はそうはいかないぜ」
堂沢はその太い手で奏の腕を掴んで立ち上がらせ、ビルの中央に位置する螺旋階段から上へ上へとあがってゆく。置き去りにされたミライは、顔色を青くしたまま2人の後ろ姿を見守っていた。
「どこ……行くんですか」
堂沢は、奏の住居区である22階を越え、その上、そのまた上へとあがる。処刑場である24階を過ぎると、25階だ。このすぐ上が第4階級以上の者たちの住居区であり、第5階級以下は立ち入りを許されていない。
奏は、25階で立ち止まった堂沢の顔を恐る恐る見上げた。
「ここがどこか、わかってんなぁ?」
窓の無いビル内であるにも関わらず、眩しいのは照明のせいだ。元囚人部屋と思しき部屋の扉は開け放たれ、代わりに簾が下りている。ピンク色の花が飾りつけられ、フロア全体が華やかだ。廊下を行き交うのは男性で、部屋にいるのは女性。第5階級の社会では見たことのない、笑顔に溢れた――街。
花街。奏は小さな声で答えた。
「どうだぁ、ここに来てる男は、見たところ第3~5階級の野郎だ。それも現金を持ってるやつにかぎる。族長も来るんだろうけど、それの相手する側はヒヤヒヤもんだろうナァ」
香水の匂いで満ちた廊下を、堂沢は奏を引きずって悠々と歩く。慣れた道であるらしく、足取りに迷いは無い。
「なにするつもりだ? ――ってぇ顔してるな、一色よぉ。これは俺の優しさだ。最近のお前の様子がちょっと変だから、現実逃避をさせてやろうと思ってな。――女を抱け」
予想をしていた言葉ではあるが、実際に耳にするとこの上なく悪寒が走る。奏は苦笑いにもなり得ていない表情で答える。
「はっ……そんなことしたら、堂沢さん用に取っている資金が底を尽いちゃうじゃないですか。僕は、堂沢さんへの教育費として――」
心配するな。堂沢が、瞳をギラギラと輝かせて言った。
「こう見えて貯金あるんだぜ、俺。まぁ、女郎と1回楽しんだら消えちまうような額だが――それを可愛い弟分のお前のために使ってやる」
「遠慮しますよ。僕のことを気にかけて頂いたそのお気持ちだけで十分です」
「一色」
堂沢は塞がっていた腕を解放すると、すぐさま奏の胸倉へと手を伸ばした。
「これは命令だ、従え」
顔が近く、いつ唾を吐かれてもおかしくない。
「お前が心を寄せる女がいることは知っている。けどな。んなもんこの小っぽけな世界じゃ通用しねーんだよ。弱者は強者に従うしかねぇ。一度滅びちまった世界は完全に弱肉強食だ。つまり俺に逆らうことはできねぇんだよ。だって、今後も堂沢から有益な情報を引き出さないといけねーもんなァァ?」
負けたと、奏は痛感した。迫りくるのは、見ず知らずの女の色香。なまめかしく、妖艶。足先から寒気が突きあがる。仕方ないでは済まされない。
奏は首に太い腕を巻かれ、堂沢がオススメだという繚乱館へ連れていかれる。そこはおよそ20名が収容できる広めの囚人部屋だった。今は畳が敷かれ、華やかに飾りつけられ、それらしく姿を変えているが。
堂沢は言う。ここから好きな女を選べと。料金は前払いシステムで、堂沢が2人分をすでに支払った後だった。もう後戻りはできない。
奏はひどく重たい気分のまま、遊女へと身を落とした女たちの顔を順に見た。そこでピタリと停止する。相手の遊女も、奏を見上げたまま硬直していた。
「あの子、指名します」
指をさすと、堂沢がピュゥと口笛を吹いた。
「お目が高いねぇ、さすが一色クン! あれこそ俺オススメの槙湖ちゃんだぜー」
指名をされれば女郎側に拒否権は無い。繚乱館の番頭である男性が、手慣れたように奏と遊女を奥の部屋へと案内した。
扉がガチャンと閉められる。部屋の広さは3畳で、元は独房であることがわかった。真ん中にシングルサイズの布団が敷かれ、目的以外のことができないようなつくりとなっている。制限時間は1時間らしい。
遊女と2人きりとなり、奏は頭を抱えてその場にうずくまった。
「あの……大丈夫ですか、奏さん」
「大丈夫かと訊ねるべきは僕じゃないだろう」
遊女は奏の名を知っているようだった。
黒く艶やかな髪と、わざとらしく乱れた和服がとても似合う。厚く塗ったドーランとアイメイク、口紅を落とせば現れるのはまだ10代半ばの少女だ。
「はぁ……化粧ってすごいな。一瞬見ただけだと気付かなかったよ――富士原朝匕」
本名を告げてやると、遊女は口を閉ざす。
「あんな人里離れた山奥で暮らしていた芋くさい娘が、今じゃ立派な看板遊女とは」
それは精一杯の皮肉だ。遊女は下唇を噛む。
「……わかるでしょ。どうしてこんなことをしてるか、くらい」
「想像は容易い。光代さんの身請け料を稼ぐためだろ」
遊女――朝匕は頷く。
「律は知ってるの?」
「知らない。でも怪しんでる。私の仕事場が急に変わったから」
「はぁ……そうか」
「で、でもビックリ。まさか奏さんが花街へ来るなんて」
「無理矢理だ。勘違いすんな」
朝匕は視線をさまよわせ、おずおずと頷いた。
奏は布団の上に座ったまま、顔を伏せている。居場所を失った朝匕は、仕方なく同じ布団の上に腰を下ろした。
互いに無言のまま時間が経過する。朝匕は、指名を受けやすいようにわざとらしく乱していた着物の襟を整えた。
「1人あたり3万だったっけ? もらえるお金」
沈黙を破ったのは奏だ。ずっと考えていたようだ。
「え? あ――はい」
遊女と過ごす1時間には、3万の対価を支払わねばならない。
「そこから店の経費や売上等諸々引かれて、手取りは1万ってところか。つまり1億稼ごうと思ったら、単純計算で1万回、足を開かなきゃならないわけだ。……壊れるぞ」
「……でも」
「そもそも、1万回に到達する前に光代さんが死ぬかもしれないし――」
指を折って計算していた奏の後頭部が壁に衝突する。突如とした鈍い鈍痛を抱え、奏はそのまま仰向けに倒れた。否、朝匕が押し倒したのだ。
「朝――」
見上げた朝匕の顔には、見たことのない女性がいた。
「なに他人事みたいに言ってるの? 全て、貴方たちのせいなのよ?」
「な……」
朝匕は倒れた奏に馬乗りになり、自分の着物を引っ張って上半身をはだけさせる。
「――!!」
あらわになるのは、成熟しきれていない少女の裸体。ほんのりと紅く染まっているのは照明のせいか、そう繕っているのか、はたまた早くに幾人もの男を知ってしまったからなのか。
「あの日、あなたと律さんが私の家へ来なければ、こんなことにはならずに済んだのよ?!」
それは屁理屈だ。わかってはいても、奏は反論できずにいた。
「付いて行かなければよかった。垣村さんが生きていようがいまいが、私たち家族は今まで通り九十九山で生きていればよかったのよ……!」
こぼれ落ちる涙が奏の頬を伝う。
「どうして……黙ってるの。見てるだけなの」
「どうしてって……」
「抱きなさいよ、抱いたらいいじゃないの! 私は女郎。女郎へ堕ちたんだから!!」
悲鳴にも似た叫び声だ。奏は首を振り、静かに拒否の意を示した。遊女にとって、これ以上興の醒める振る舞いは無い。
「なん、で……」
奏は朝匕の腕を掴んで押しのけ、上体を起こす。
「なんで? そりゃ簡単な答えがあるよ。――僕はお前なんか好きじゃないから」
すごく辛辣な言葉を投げつけられた気がした。言葉に詰まる。朝匕は何か言い返そうと口を開くも、何も出てこない。
「まぁ一つ言えることは、僕は、好んでこの街へ来るような男たちとは違うってこと。自画自賛に過ぎないけど、自分ではそう思ってる」
隣りからは、いつしかすすり泣く声が漏れはじめる。自らの選択を悔やみ、転落しきった人生に絶望をしている少女の声だ。奏はううんと悩み、一つ、提案をしてみることにした。
「なにも約束はできないけど――……」
朝匕は涙でぐちゃぐちゃに濡れた顔を向ける。
「資金の工面について、ミライに相談してみる」
「果月さんに……? 意味がわからないわ」
「話すと長いんだけど、あいつは使い道の無い大金を毎日胸に抱え込んではブツブツ言ってるから1億くらいなら、くれるかも」
「!! 奏、さん……」
「ああ期待はまだ早いから。とにかくその着物を直して、僕からの返事がくるまではあまり無理せずに仕事を続けていて」
「は……はいっ」
「返事の手紙は律に渡す。心配しないで。朝匕の仕事はバレないように配慮するから」
こくこくと頷く朝匕は、とある疑問に気付く。
「律さんに渡す……って、どうやってですか? だって、遊女との関わり以外で第5階級以下の人間が女性と接触することは禁止されてるはず……」
オレンジ色に染まった髪と、耳に空いた穴を塞ぐピアス。しなやかな指がそれらに触れ、微笑みを誘い出す。
「律となら、いつも会ってるけど?」
時計を見ると、約束の1時間が過ぎようとしている。
奏は立ち上がり、こちらを見上げて謝罪の言葉を述べようとしていた朝匕へ些細な願いを託した。
「謝るのはお門違いだから結構。代わりにさ、もし外へ出たときに気持ち悪いクソデブがいたら、僕との交流に関しては適当な感想をつけといてくれない?」
朝匕が顔を紅潮させながらも頷いたのを確認し、奏は独房の扉を開いた。繚乱館のしきたりとして、遊女は必ず客を廊下まで見送る。タイミングを見計らったように現れた堂沢が、ニヤニヤと気味の悪い微笑みを浮かべながら2人を見比べた。
「よぅ槙湖チャン。今日はお相手できなくて残念だぜ。また今度頼むわ」
朝匕は嫌な顔一つせず、笑顔で応対する。鍛えられているな、と奏は密かに感心した。
「で、俺の弟分は槙湖ちゃんを満足させられたかなぁ? まだこんな歳だからテクニックなんざ持ちあわせちゃいねえだろうが、これから仕込んでいく予定なんだぜ!」
とても素敵な1時間でした。朝匕がそう答えたことで、堂沢は奏を支配できた喜びを味わったようだ。
「一色クゥン。この世界で上手く生きていく方法をもっと知りたかったら、いくらでもこの俺に聞いてくれよぉ」
単細胞で、なのにズル賢くて狡猾な堂沢からはまだまだ学ばねばならぬことが多い。今は我慢だ。奏は堂沢に気付かれぬよう拳を握りつけ、腹底から沸き上がるものを堪え続けた。
「そうだナァ、次に教えてあげたいのは、男女別居制の真の目的かなぁー」
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