2.罠とシステム
24階に仕切りはなかった。ただでさえ広くて窓が無いのに、気持ち程度の電球だけじゃ何も見えない。それでもしばらくすると目が暗闇に慣れて、シルエットだけではなくその正体までが見えるようになった。
――人がいっぱい、いる。
上の階級と思しき人たちや、平民も。仕事の休み時間を利用してここへ集まるらしい。皆で大きな輪をつくり、中心となる場所へ視線を注いでいるようだ。輪の中央には男性が2人、並んでいた。あれは誰で、これから何をするのかしらと私は目を凝らした。
途端、朝匕が顔を伏せた。私たちの目に映った光景は、日本刀を握った男性が、ひざまずいて頭を垂れている男性の首へ目掛けてそれを振り下ろす――というもの。すっぱりと綺麗に落とされた首の持ち主だった男性の腹には、よく見ると短刀が刺さっている。
「あはは」
すぐ隣りから笑い声が聞こえた。有咲里沙の声だ。
「“エデンの園”って超西洋な名称なのに、処刑スタイルが超和風なんですけど!」
ルールに背いたエデン族の末路を見せてくれたことはまだいい。でも笑う必要はどう考えても無いだろう。私は不快を露わにした。
ひとしきり笑ったあと、有咲は教えてくれた。
「処刑された男ね、あれ私のお父さん」
わかった? エデンの園に逆らうと、待つのは処刑場での切腹と介錯よ。――人類最後の希望の地と思われていた楽園は、住人たちを恐怖で支配拘束する監獄塔だと、有咲は笑った。
「じゃー、もう一度教えるわね」
私と朝匕は、12階にある1209号室を与えられた。4人部屋だけど、今は2人だけだ。内装は、なるほど囚人部屋といったものだ。6畳の広さに2階建てベッドが2つだけ。風呂とトイレ、洗面所は共同で、食事は10階と20階にある食堂で質素なものを食べる。
中央を突き抜ける階段の向こう側は男性たちの部屋で、でもそこへ訪問することは許されない。それどころか触れること、声をかけること、目を合わすことすら禁止で、破ると切腹しなくちゃならない。
「“エデンの園”には6つの階段が存在する。第1階級が族長。第2階級が支配人。第3階級が処刑人。第4階級がエデン教徒、監視人。そして第5階級が私たち平民。この平民の数が一番多いわね。要は労働者ってことなんだけど……生産した資源と農産物を年貢として族長へ上納することによって住む権利を継続できる。ふふ、時代が平成とは思えないほど古いシステムでしょー」
つい数時間前に実父が処刑されたばかりの有咲は、ごく普通に私たちの世話係を続行している。
「その労働者にもなれない役立たずは、第6階級の穀潰しへ落とされるわけね」
私が追求するように訊ねると、有咲は苦笑しながら首を縦に振る。
「朝匕ちゃん、私を責めないでね。身分制度を確立させ、実行へと移しているのは全て支配人の霧島茜さんなの。彼女には誰も逆らえない。彼女に穀潰しだと認定されてしまったら最後、地下街でただ死ぬのを待つだけの生活を強いられる」
朝匕は、エデン族へ加入したときからずっと顔色が悪い。
「……役立たずの身分なら、どうして受け入れるんです? 資源を食い潰すだけの存在なんて、要らないならどうしてわざわざ身分を与えて閉じ込めるんですか? “エデンの園”へ加入させなければいい話じゃないですか……」
どんなに危なくても、食料が無くても、暗い部屋で死を待つだけの生活より外にいたほうが絶対に幸せだ。“エデンの園”が、生産できるとはいえまだまだ少ない資源を大切にしているなら、穀潰しは早々に切り捨てるべきだ。
朝匕は唇を奮わせながら祖母の現状を訴える。至極真っ当な告訴内容であるが、無秩序となったこの世界ではもはやなにも通用しない。
「そこは確かに不思議なのよね~。でも第6階級は必要だって、エデン教徒の人が話しているのを聞いたことあるのよね」
「エデン教徒ってなに? エデン教が存在するの? そんなの、これまでに見たことも聞いたこともないけど」
宗教の名が出ると途端に胡散臭くなる。私は、イマイチ信用のおけないこの女から少しでも多くの情報を引き出すために休む間もなく質問を浴びせた。
「エデン教に関しては私も知らないのよごめんなさい~。でも、族長がエデン教祖だってことは知ってるわ」
「……そう。あのさ、エデン教徒になったら、身分が格上げされたりする?」
「あー、ムリムリ。エデン教徒は、世界崩壊前からエデン教を信仰している人たちにしかなれないの。つまり世界崩壊後にエデン教を信じても遅いってことねー。あーあ、私もエデン教を信仰しとくんだったわ!」
「そうね。私もエデン教のことを知ってたら、こんな名ばかりの楽園へは来ずにもっと他の道を選択してた」
「あはは、そーかもねー。まさにこの監獄生活に自由も人権も無いし、死んだ方がマシだわー」
「死んだ方がマシ……ね。そういえば勝手に死ぬ――つまり自殺――のはご法度だったわよね。でも死んでしまえば罰もなにも関係ないわ」
「本人にはね。エデン族内に自殺者の親族がいれば、全員処刑。いなければ、同室の者が全員処刑」
「一族皆殺しも相当だけど、同室の者全員って……とばっちりも甚だしいじゃないの」
「なんか、自殺を止めることができなかった罪を被ることになるっぽい」
「……サイテー」
私は朝匕へと視線を送り、頼むから死なないでねと懇願した。
「心配……しないでください。私は死にません。だって、自殺したらおばあちゃんも悠匕も殺されちゃう……あの……恐ろしい方法で……」
朝匕は青い顔で精一杯の笑顔をつくり、「それに」と言葉を継ぐ。
「万が一、同室の律さんまで切腹になっちゃうのは、申し訳ないですし」
富士原家の人間が“エデンの園”へ来たのは朝匕自身の判断だ。朝匕はそれをひどく後悔していた。俯き、涙を一粒落とす朝匕を見やり、有咲は教える。
「実は――……おばあさんを助ける方法が一つ、あったりして」
しかし現実的ではないと前置きをしてから、その方法を明かした。
「身請け料、1億円で引き取ることが可能よ」
私は吐き捨てるように笑う。
「は? なにそれ。ふざけてるとしか思えない。だって普通に考えて用意できる額じゃないし、第一、資源と農産物が重要視される世界でしょ? お金の価値なんて、一体どこに」
「そんなの私ら平民にはわかんないわよぉ~。でも霧島さんが教えてくれたことだから、現金で1億の身請け料は――事実よ」
馬鹿馬鹿しいと両手をあげる私に対し、朝匕は瞬きもせずに有咲の顔を見つめている。法外な額の請求を大真面目に検討しているのだ。
「お金なら、無人となった外の世界からかき集めることが可能ですよね。民家の場合、現金での蓄えは期待できないけど、金融機関ならきっと……」
「無理よー。少なくとも、沙京己を含む周辺都市の現金は“エデンの園”が根こそぎ奪っていったわ。第一、“エデンの園”の敷地内――つまり沙京己元刑務所から一歩でも出たら脱走を企てようとした罪で、自殺した場合と同様の扱いをされちゃうの」
「……では、どうやって稼げば」
「そうねぇ……平民は作った資源と農産物を提供することで衣食住資格を得るから、給料の支払いなんて概念は存在しない。だから、本当は禁止されているけど上流中流階級の男たちの慰み役にでもなればもしかしたら――」
私は有咲の口を塞いでもう片方の手で朝匕の右耳を塞いだ。朝匕はどろりとした視線を流す。
「ふふ……律さん、左耳、空いてます」
「そーね。とにかく朝匕が馬鹿な真似をしないよう、半分だけ道を塞いでみたの」
「では残り半分の道は残されているわけですね」
朝匕は両サイドに垂らした黒いおさげをほどき、一つに束ね直す。覚悟と決意に満ちた瞳を今さら元の場所へ戻すことはできなくて、私は思わず漏れそうになる溜め息をどうにかして飲み込んだ。
エデン族へ加入してまだ1日目が終わろうとしない時間、私はこの刑務所の内部構造を把握するために1209号室を出た。服と靴は支給されたものを着用しているがどう見ても囚人服だ。持参した手荷物が没収されなかったのは幸いか。しかし“エデンの園”へのゲートをくぐる際に危険物――刃物や有毒な薬品等――を所持している者は警戒音が鳴り渡り、手荷物検査を受けていた。もちろん没収されるが、今思えばきっと反乱を防ぐための対策なのだろう。平民が働く上で必要不可欠な農具も、武器となりそうなものの管理は厳重と聞く。
――ああ、私たちは自由を奪われてしまった。
運命から解放され、生きる術を自身に託されたときに他人を頼るのではなかった。でもあのときの私たちにはそれが最善の策だったのだ。
朝匕が苛まれている酷い後悔は私も同じ。いや、第5階級以下の人は皆そう。
生きたかったから、“エデンの園”へ来たのに。
私は12階フロアの端から順に見て回る。部屋は全部で50部屋あり、計200人を収容可能だ。中央に位置する階段を基点とし、25部屋づつを男女で分けている。食堂は有咲が教えてくれたように10階と20階にあるから、ここには無い。代わりに共同トイレと浴場が2ヵ所に設置されている。
ビル内様々な施設の共通点は――窓が無い、ことだ。元が刑務所であることを考慮すると、脱走を防ぐための頷ける内装であるがやはり気分は優れない。労働場所を運よく農業に割り当てられれば、ビルから出て陽の下での作業ができるらしい。もちろん、ビル周辺には高い壁と、触ると高圧電流の流れる有刺鉄線がぐるりと睨みをきかせているが。
有咲の仕事は酪農であり、陽の下で牛を育て、乳搾りをしていると言っていた。
「私も動物相手の仕事したいなぁ……。人間や機械相手じゃなく」
世界滅亡後は死んでない人間が恋しかったけれど、たった1日を待たずして考えは真逆となった。
天井からぶら下がる小さな電球の光だけでは心許なく、フロアの中心を照らすだけで精一杯だ。各フロアに2名配置されている監視人の姿すら朧気で、なにか得体の知れない生き物なんじゃないかと錯覚させる。
――ここで生きる。嫌だ、とは言えない。生きるしかない。だって、逃げてしまったら迷惑がかかるから。
――誰に?
――同室の朝匕。
――違う。
階段へと寄り、上階へと続く空間を見上げる。相変わらず薄暗くて、一寸先すら見づらい。だから、誰かが降りてきたことに直前まで気づかなかった。その姿を一目見た瞬間に、私の身体は吸い寄せられるように階段を上っていた。耳元で小さく、「律」と名を呼ばれる。肩に触れる温かい体温に身を委ねてしまいそうになるが、寸でで思い止まる。
「駄目よ、私たちはたとえ姉弟でも言葉を交わしたり、目を合わせたり、それに……触れ合うなんて」
明るいオレンジ色の髪は、私が髪をミルクティー色に染めたことを知って真似をしたものだ。耳に空いたピアスの穴だって、私が先。どうして私の真似ばかりするのかしらと訊ねたことがあるが、返ってきた答えはいつも「なんとなく」だった。年下はやはり年下らしく年上の後ろばかりを付いて回るものなのかと思っていたけれど、ううん、彼は私が知らないところで随分と逞しくなっていたみたい。
「大丈夫。下階と上階が交わるこの場所は丁度、監視人からは死角になってるんだ。刑務所内が薄暗いことも手伝ってる。もちろん人が活動する時間は無理だけど、消灯時間を過ぎた今なら」
「……奏!」
1日も経っていないのに、奏の顔がとても懐かしく思える。世界が滅亡してからあんなにずっと一緒にいたのに、今では果てしなく遠い存在だ。
「律、探したよ……。律がどの階に配置されたとか、情報が全く無いんだから」
「12階よ! 1209号室。朝匕と同室なの。奏は?」
「22階。2245号室だよ。ミライと悠匕と同室」
「にじゅっ……遠いわね。ミライと悠匕はどう? 意気消沈してない?」
「当然、してる。ミライはショックを受けすぎたせいかいつもの脳天気な性格から根暗に落ちてるし、悠匕はまだ幼いから……姉と祖母が恋しいみたい」
「そうよね……皆、希望を打ち砕かれて悲しいわよね……」
「律は?」
「ん?」
「僕から引き離されて悲しくなかった?」
「え……」
「誤魔化しとか通用しないから。こんな真夜中にウロウロしてたのはさぁ、僕を探してたんだろ? 夜、僕に抱きしめられないと眠れないから不安なんだろ?」
「……調子に乗ると介錯するわよ」
「はは、律が介錯してくれるなら喜んで腹を切る」
「馬鹿じゃないの!」
私たちは笑いあいながらも監視人の動きに注視する。監視人が離れた隙を見計らい、奏が口を開く。
「今は辛いだろうけど、辛抱して。僕が必ず律に快適な生活を返してあげる」
「……? 待って。なにか危険なこと考えてない?」
「危険? 世渡り上手な方法だと褒めたたえてほしいなぁ」
「奏っ」
「――とにかく」
奏は私の背中をポンと叩く。「戻れ」という意味らしい。
「僕を信用して」
暗い闇の上へ上へと消えてゆく奏。私はしばらく思案をさまよわせたあと、部屋へと戻った。明日からどんな地獄の生活が待っているのかしらと――喉を奮わせながら。
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