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昨日、世界が滅亡しました。  作者: 伯灼ろこ
第一章 沙京己へ
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1. 出発

 世界が白みはじめた時間、ボストンバッグいっぱいに詰め込んだ荷物を後部座席に置いて、私たちは高速道路の真ん中を進む。雫石市を抜けた先にある佐波市を後少しで通過するところだ。

 すぐ隣りへ視線を滑らせると、手慣れたように車のハンドルを切る弟の横顔がある。まだ18歳に満たない彼の迷いなき動作に私はどうしても頬を膨らませてしまう。

「奏さぁ……免許持ってんの?」

「持ってるわけないだろ。まだ17歳なんだから」

「その17歳がベテラン並の運転さばきなわけだけど」

 奏は短く笑う。

「僕、律が知らないところで色々やってるよ」

「そのようだわね」

 私と奏は1歳違いの姉弟だ。昔から仲は良かったけれど、高校生になった頃から違う道を歩みはじめていた気がする。姉であるはずの私よりしっかりし、今日だって出発する際の準備に手間取っていたのは私で、弟はというと呆れた表情で見守っていただけ。

「言っとくけど、律が悪いんだからな。昨晩、あれだけ準備しとけってアドバイスしたのにさ~、弟に抱きしめられて寝ることを早々に選択するもんだから……」

「黙ってろ!」

 追加するとするならば、奏の性格は生意気になった。いっちょ前に私を助けたりするようになった。私は姉なのに、弟に助けられてばかりとなった。彼に依存をするようになったのは、たぶん、そのせい。

「なぁ、律。道路脇に死体……あるだろ? それ、なんだか変じゃない?」

 奏はおもむろに死体を指差し、同意を求める。しかし世界が滅亡したあの日から膨大な数の死体を見てきた私の目には、ごくごく普通の、それこそありふれた惨殺死体としか認識できなかった。

 私の反応を受け、奏は黙り込む。なにか思うところがあるようだが、確信を得られぬまま発言することを控えているようだ。それが逆に怖いのだけれど。

「そろそろガソリンが切れるな……」

 メーターを見やりながら奏がぼそりと呟く。沙京己へは車で6時間ほどかかる。加えて道路には乗り捨てられた車や遺体が多く、それらを避けながらの走行であるために所要時間は更に3時間ほどプラスされるだろう。自宅にあった父親の車に乗り込んで高速道路を2時間ほど走ったわけだが、燃料がもともと満タンではなかった為にすぐに役立たずとなった。

 路肩に停車させ、奏は外へ出て物色をはじめる。それはガソリンの残っている他の車を探すためだ。元より車を乗り継いで沙京己へ向かおうとしていた私たちにとって、これは想定内のトラブルである。

 車内から奏の動きを眺めていたとき、私は奇妙なものを目撃した。いや、奇妙と表現するには些か妥当性を欠くかもしれない。しかし誰もいなくなったこの街で動く人型の生物なんて、今となっては未確認生命体と呼ぶに相応しい。

 その未確認生命体は重そうなスーツケースをゴロゴロと引っ張り、私たちが今来た道を歩いてくる。性別は男性だ。もしかしたら同年代かもしれない。着用しているものは比較的綺麗だから、私たち同様にどこかの店から拝借したのだろう。

 少年の存在に気付いた奏は、物色する手を止めて私の元へ戻ってくる。多少、警戒しているようだ。

奏が傍にくるとホッとした安堵感を抱く。

「奏……」

 奏は唇に人差し指を添える。

「あいつ、僕らに用があるみたい」

 奏が予想した通り少年は吸い寄せられるように私たちの車へ寄り、窓ガラスをノックする。伸び放題となった前髪に隠れて見えないが、少年はかなり顔色が悪そうであった。

「ご飯……持ってない?」

 窓の向こうから聞こえたか細く悲痛な声は、私の手をボストンバッグへといざなっていた。


「やぁー助かりました!! 律姐さんと奏兄貴は俺の命の恩人っす! マジあざっす!」

 この冬の寒さのため冷えきったおにぎりで救った命は、ノリが軽めの19歳の少年だった。なんだか調子よく姐さんだとか兄貴とか言われてるけど、彼は私たちより年上である。

「まさか佐波市に俺以外に生き残っている人達がいたなんて思わなくて……久々に人間と会話したって感じっす!」

 世界が滅亡してから今日で丁度1ヶ月だ。長い髪を私が手渡したヘアゴムで束ねた少年は、スーツケースを大切そうに隣りに置いた状態で軽快に身の上を語る。

「俺、果月かつき未来ミライって言います! 今となっては皮肉な名前っす! 生まれはここじゃなくて、ずっと北にある叶里八ってド田舎町っす! えっと、律姐さんと奏兄貴は……その、カップルで?」

 果月ミライという年上の少年の言い種に吹き出す奏と、顔が熱くなる私。

「ち、違うわよ。私たちは……姉弟よ」

「ひぇー! そうっしたか、サーセン!」

 ミライはオーバーなリアクションで驚いてみせる。

「でも良かったっすねぇ、生き残ってたのが家族で。俺なんか、滅亡前日に住人同士の殺し合いを見せられたんですぜ……。佐波市が元々物騒な街ってことは承知してましたけど、まさか、“どうせ明日世界が滅亡すんならニンゲンを何人殺せるか試してみようぜ!” ……てゆー大会が始まるとは思いませんした」

「はは……まぁ……雫石市も似たようなものだったわよ?」

 ミライを元気づけるために出た言葉だが、思い出せば思い出すほど、あのときの光景は恐ろしかった。2016年2月15日はたぶん、世界全体が異様な雰囲気に飲まれた日だったと思う。

「あの日の雫石市は、住人全てに自決令が敷かれていた。誰が発令したものってわけじゃないけど、市民大多数の意見として、運命に殺されるくらいならば自分でケリをつけようって――……暗黙の了解だったわ」

 どうしても自害できない者は、近親者またはそのとき傍にいた者が手をくだしてあげるようにと、そこまでした徹底ぶりだった。

「でもなんの因果か、運命は私たちを殺さなかった。いいえ、きっと、私たちが勝手に運命に殺されると勘違いしてたのね。残ったのは、死に損なった私たちと、多くの骸と、廃墟となった街」

「へー。でも姐さん、それまだ良い方っすよ」

「え?」

「生存者が姐さんと兄貴だけなら、食料とかしばらく困らなかったしょ? 佐波市は物騒な輩がけっこう多く生き残っちゃって、滅亡翌日から食料の奪い合いでこれまた阿鼻叫喚っした。世界は滅亡してないのに死体の数が次々と更新されちゃって、最後に残ったのはずっと隠れていた俺ただ一人で」

 それまで黙って話を聞いていた奏が「ははぁ」と乾いた笑い声をあげた。

「これで合点がいった。雫石市に転がる死体はすでに腐敗が進んで酷い有様だったことに比べて、佐波市にある死体は比較的新しかったから……どうしてかなと思ってたんだ。そうか、つい最近死んだわけなんだな」

「ソレっす」

 正解した奏へミライは拍手を送る。死線をくぐり抜けてきたにしては随分と緊張感に乏しいようだ。ヘラヘラと緩んだ口元は、後部座席にある大きなボストンバッグを見た途端にキュッと一文字に縛られる。

「あのー……話変わるんすけど、姐さんたちってもしかして、“エデンの園”へ向かおうとしてます?」

 その聞き慣れない単語の響きがあまりに怪しくて、私と奏は示し合わすことなく互いに顔を見合わせた。

「エデンの……園?」

 奏が声を低くして問い返す。

「そっす! ラジオから呼びかけなかったですか? 俺、それを聞いて沙京己へ向かう途中で……」

 答えを受けて奏は眉間に皺を寄せた。

「……ああ。僕らもその呼びかけに応じて沙京己へ向かっている最中だよ。けど、まさか“エデンの園”と呼ばれてたなんてな」

「俺も人づてに聞いただけなんで詳しくは知らないっすけど、沙京己に結成された組織がそう呼ばれていることは確かです」

 ミライの発言のなかで、私は気になったところを突いてみた。

「でもラジオでは、まだ自分たちには正式な名称が無いって言ってたんだけど」

「うぇー? じゃ、急遽決まったとか」

「ラジオを聞いたのは昨晩よ。昨晩のうちに決まった名称をミライは人づてに聞いたの?」

 責めるつもりはないがつい口調が強くなる。ミライは困ったように頭を掻く。

「もうなんでもいいよ。“エデンの園”が怪しい団体でも清廉潔白な団体でも、僕らが生きる術がそこにしかないなら助力してもらうだけ」

 時間が惜しいという奏は動きそうな車へと荷物を移動させる。そのあとを追いながら私は、元いた場所にぽつん佇むミライへ片手を差し出した。

「あれ? なにしてるのよ、行くわよ」

「あ……姐貴ぃぃぃ――!!」

 かくして同行人を一人追加した私と奏は、“エデンの園”たるオアシスへ向けて再出発をした。

 ワゴン車を手に入れたため車内はスペースに余裕があり、ミライが引きずっていた大きなスーツケースも難無く乗せることができた。しかし、それにしても大きい鞄だ。海外旅行をするときにしか出番が無さそうな代物だが、“エデンの園”へ行くためにそれだけの準備をしてきたということだろうか。

 ――まさか死体とか入ってないわよね。

 今さら死体など見たところで驚きはしないが、それを大切そうに連れているとなれば話は別だ。私はあらぬ妄想をかきたてつつ、スーツケースを眺めていた。

「やっぱ、気になります?」

 私からの痛いくらいの視線に気付いていたミライがスーツケースの中身について自ら言及する。

「せっかくお仲間に入れてもらえたんで、隠し事はしない方がいいっすよね」

 そう言ってミライが開けたスーツケースの中身は死体なんかじゃなくて、無造作に詰め込まれた札束であった。ざっと数えても兆は超えていそうだ。私は呆れた。

「あのね、ミライ。混乱に乗じて銀行強盗をしたことを今さら責めたりはしないけど、人間が圧倒的に少なくなり、秩序が無くなったこの世界で貨幣の価値なんて……」

「いや、わかんないっすよ? やっぱ金は金なんで、いつなんとき必要に迫られるかわかんないんで!」

 律姐さんと奏兄貴も必要になったら言ってくださいと頼もしい言葉を繋げ、ミライはスーツケースの鍵を掛けた。銀行強盗であると断定した私だったけど、どうやら真を射抜いていたようだ。

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