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昨日、世界が滅亡しました。  作者: 伯灼ろこ
終章 望みの向こう
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1.新しい家族

「水は出ないしガスも電気も来ない。うーん、やっぱり、エデンの園って楽園だったのかも~」

 およそ半年ぶりに帰ってきた我が家は、予想に反して保存状態が良く、しばらくを過ごすのであれば問題の無い構造をしていた。建物というのは、人が出入りをしなければ痛んでしまうものだと聞くが、一色家は存外、無人に対応した造りだったのかもしれない。

 私は今になってエデンの園のシステムの優秀さを痛感し、霧島支配人がもつ眼力に対して素直に素晴らしいと褒め讃えていた。

「っすよねー。マジあそこは超文明都市っす。……でも、家族と同じ部屋で暮らせないのはやっぱ辛いんで、俺はこっちを選んで良かったと思うっすねー」

 道すがら、適当に盗んできた服で自分なりのオシャレを楽しんでいる果月ミライが、我が家の居間を陣取りながら私に同意をする。

「奏さんがおっしゃってましたが、どのみち平民は船に乗る権利は与えてもらえないとのことでしたので、ミライさんと私たちの選択は正しかったんですよ」

 まだ腹の膨らみが目立っていない富士原朝匕が、調達してきた缶詰を人数分の皿に盛り付けている。合計で7皿、だ。

 生活の質は格段に落ちたが、この狭い家のなかで肩を寄せ合うように生きている彼らの笑顔は、監獄にいた頃と比べてずっと自由だと思う。

「せっかく大金を盗んで、兄貴と姐さんを身代わりに差し出してまで妹を助けたってのに……船に乗せてもらえないってなんすか! 新手の詐欺っすよ、詐欺!」

「詐欺どころの騒ぎじゃないけどね」

 ずっと隠してきた事をさらけ出したあとのミライは、やっぱりミライのままで、誰彼かまわずツッコミを待つ面倒くさい発言を繰り返していた。このまま構い続けていては埒があかないので適度なところで無視を決め込むと生活がスムーズに進む。

「どうして朝匕たちは富士原家じゃなくて、この一色家へ来たわけ? ここが最期の場所になっちゃうのに」

 庭先で、朝匕の弟・富士原悠匕とミライの妹・果月未悠がよくわからない遊びで盛り上がっている。そんな2人を温かく見守り、また注意をする役目を担っているのは富士原光代さんだ。

 朝匕は、自然と漏れる笑いを隠すことなく、私たちに付いてきた理由を話した。

「単純ですよ。皆さんと、一緒にいたかったので」

 カレンダーの日付は7月16日を示している。私たちがエデンの園から逃げ出し、雫石市へたどり着いたのは7月9日だった。

 沙京己を目指していたあの頃とは違い、乗り捨てられた車のガソリンはことごとく尽きており、自らの足で故郷を目指すしかなかった。さらに幼い子供と老人を抱えての逃亡生活は容易いものではなく、奏が護衛に就いていなければ今ごろ誰かが欠けていたかもしれない。

「でも奏さんは、また大所帯になった……って、溜め息を吐いておられるところでしょうか」

 かつて奏が漏らしていた愚痴を聞いていた朝匕は、自虐ネタを披露する。私は首を振り、缶詰の盛り付けを手伝った。

「本当に嫌なら、奏は皆を置いて私だけを連れてったはずよ。あいつ、結構お人好しみたい」

「ですよね」

 朝匕はたまに悪阻つわりを起こして気分が悪そうにするが、それ以上に辛いと言うのは、「お腹の子の顔が見れない」だった。

「誰の子かなんてわからないですけど、私の分身であることに間違いはないので。でも予言は、出産日を待ってくれないですからね~」

 事実を告げたとき、朝匕は取り乱すことなく静かに現実を受け入れた。その上で私たちと共に来ることを決断した。

「ね、名前、決めたりしてる?」

 訊ねると、朝匕はおずおずと頷いた。

「そうなんだ! なんてゆうの?」

「えっと……笑わないでくださいね」

「笑うわけないから、勿体ぶらないで」

「“音色”」

「……んっ?」

「だから、音色ですよ、ねいろ。律さんと奏さんの名前にあやかってます」

 私は一度丸くした目を細め、朝匕の腹部へ向けて笑いかけた。

「そっか~。よろしくね、音色ちゃん。……って、なんだか女っぽい名前だけど、お腹の子は女の子前提?」

「男の子でも通用しませんかね? 音色」

「ちょっと厳しいかも……ま、でも、なんでも自由に決められるってのは幸せなことよ」

 朝匕は頷き、お腹の我が子へ向けて名前を呟き、その隙につまみ食いをしようとしていたミライの手を払い退けた。


「奏~。そろそろ晩御飯だよー」

 自室に閉じこもっている時間の多い弟を呼ぶため、私は顔を覗かせる。

「今日はカレーよ! 雫石スーパーから色々調達してきてね、朝匕と協力してつくったの」

 陽が傾き、薄暗くなった部屋に燈されたロウソクがなんとも時代錯誤で、その度に私は文明が崩壊したことを思い出す。

 奏の部屋もあの日から変わっていない。モノトーンな配色が好きな弟は家具を白かグレー、黒で統一している。だから、オレンジ色の髪だけがいつも不自然に浮かんでいるのだ。

「なにしてんの。暗いから、もう一本ロウソク点けたら?」

 私がライターに手を伸ばす手を制止し、小さく「要らない」と呟いた弟は、窓辺に立って無人の故郷を見下ろしていた。

「ほら、見てみろよ律。夕暮れに照らされた街は黒々としていて、人気も無いゴーストタウン。なのに、うちには騒がしいやつらがいっぱい」

 なにこれ? 明らかに不満げな表情で奏は訴える。

「なによう、苦楽を共にしてきた仲間よ? いいえ、皆、もう家族だよ。家族はいつも一緒にいて、笑いあうもんでしょう」

「僕の家族は律だけでいい」

「またそんなこと! 子供が駄々こねてんじゃないんだから、3年後に20歳を迎える大人として、もっとしゃんとしなさいっ」

「大人ぁ~? んー……じゃあ、大人らしいことさせてくれるの?」

 暗い部屋の中を音も立てずに移動した奏は、開いていた扉を閉め、私を挟みこむようにして立つ。

「ん……? なにしてんのよ」

 流れるようにしなやかで、無駄の無い動作は弟曰く“職業病”で、下階にいる朝匕たちに不審な気配を悟らせない。

「なにって……律に忠告された通り、大人らしい振る舞いをだね」

「悪用すんな!」

「確かに悪用かな。でも、いいじゃない。僕はいつだって、律に触れる言い訳が欲しいだけなんだ」

 言い返そうと開くこの唇は塞がれ、力を出せば止めさせることだってできるのに、私はそれをしない。舌の侵入も拒まないし、強く締め付けられてゆく身体の自由も望まない。

「だってさ、やっと律を取り返せたんだ。僕だけの姉さんになったんだ。誰にも邪魔されることなく、独り占めしたいと思うのは……当然だろ」

 耳元で囁かれるこの甘い言葉に、私はいつも胸をギュッとさせる。回数を重ねるごとに弟の口説き文句はレベルを増し、我を失ってしまわないよう意識を保つのがやっとのことだ。

「う、うー……かなで……晩ごはん……」

「ご飯は姉さんがいい。すっごく、美味しそうだ」

「うおら!」

 もう駄目だと敗北を感じたときは、いつも強行技に出る。

「っ……痛ったぁ!」

 蹴られた腹を抱えてうずくまる弟を見下ろし、私は息も絶え絶えに勝利を勝ち取る。

「ははっ、馬鹿め! 大人しく飯食って寝ろ、クソガキ!」

「……律……いつもあと少しってところで……キャラが変わる……な」

「ふふふ、もう1人の私の人格ってところかしら……!」

「違うだろ。恥じらいを誤魔化してるだけ」

 その指摘はなかなか図星であり、私は無理に言い返すことなく押し黙り、ジェスチャーだけで居間へ降りることを伝えた。

「はいはい、わかりました。我が愛しき姉様に従わせて頂きます」

 不本意ではない弟を連れて居間へ顔を出すと、テーブルにところ狭しと並んだ料理と家族たちが出迎える。味こそ長期保存食品特有の物足りなさがあるが、多くの笑顔に囲まれた食卓ほど美味しいものはない。

 明かりは数本のロウソクのみ。この薄暗さがなんだか合宿のようで楽しいねと、ミライの妹は喜んでいる。

「明日はどこへ行くの?」

 同じくこの状況を楽しんでいる悠匕もまた、気分は合宿のようだ。

「どこ……かぁ。律さん。雫石市には他にどんな観光名所があります?」

 朝匕に訊ねられ、近場の名所を行き尽くしてしまった私は悩んだ末に神社をすすめてみた。

「ちょっと遠いんだけど、雫石笹那大社……とか。恋愛成就祈願で有名で、よくテレビとか雑誌に取り上げられてたわ」

「へー、恋愛! 素敵ですね」

「そこのお守りがまた可愛くて」

 悠匕はおそらく気が乗らないだろうが、朝匕はそこに決めたようだ。

「でも朝匕、あんたは身重なんだから無理したらダメだよ」

「身重ってなーに?」

 腹を優しく押さえる姉の姿に首を傾けながら、悠匕は私に振り返る。

「身重ってのはねー、お腹の中に赤ちゃんがいることを言うんだよ。だから身重の女の人は、大切にしてあげなくちゃダメなの」

「へー。赤ちゃん! ねぇねぇ朝匕姉ちゃん、これ誰の子供なのー?」

 悪意が無く、純真なる質問を前に硬直する私と朝匕を押しのけ、ミライが身を乗り出す。

「うるっせぇぇぇえええ! お子様は聞いちゃいけません!!」

「うるさいのはお前だ!」

 奏の容赦ない肘鉄がミライを襲い、しばらくの沈黙を約束させる。

 世の中には、興味があっても聞いてはいけないこともある――それを学んだ悠匕は、黙々と食事へ戻った。

「……未来お兄ちゃんって、実はおバカキャラなの?」

 一連の流れを静観していた未悠がとどめを刺したのは言うまでもない。


 ……以上のように、私は雫石市へ戻ってから飽きない毎日を送っている。それぞれが個性を存分に発揮し、騒げるぶんだけ騒ぐ。夜は早めに寝て、朝日と共に目を覚ます生活がこんなに苦にならないなんて、世界が滅亡する前は理解できなかったことだ。

 全員が寝静まった午後9時、燭台を片手に裏庭の倉庫をチェックすることが私の日課となっている。そこにはミネラルウォーター入りのペットボトルやカップ麺、缶詰等のレトルト食品、ライター、洗剤など生活する上での必需品が押し込まれている。その在庫数を書き出し、管理するのだ。

「……ちょっと足りなくなってきてますね。また補充しに行きたいところですが、雫石スーパーはもう在庫切れ、少々遠いですが立原区のショッピングモールとかどうですかね」

 背後に立った気配と、私の思考を読んだかのような解答。驚いて振り返ると、ライトを片手に立つ果月ミライの姿があった。

「ちょっと……! 驚かさないで!」

 叱りつけるとミライは頭を掻き、へらへらと笑う。

「ああ~すいやせん。ほら、明日、雫石笹那大社へ行くんでしょう? 近くにショッピングモールあるんで、遠出ついでに食糧を補充できればと思って」

「そ、そうね。私もそれを視野に入れていたところ。……って、ミライがこんなに真剣な発言をしていることに更なる驚きを感じてるんだけど今」

「ひっでぇ~。俺だって、考えも無しに生きてるわけじゃないっすからぁ」

 倉庫の扉を閉めて家の中へ戻る前に、ミライは再びらしくなく改まる。

「律姐さん。俺と未悠が同行すること、認めてくださってありがとうございました」

「……だから……止めなさいって。気持ち悪い」

「ははっ、っすよねー。……けど、ほんと、感謝してるんです。奏兄貴も律姐さんも、裏切り者の俺とその妹を家族に迎えてくれて。本当ならあのまま奴隷生活を続けさせられて、船からも突き落とされる最期を迎える予定だったんすから。いや、むしろ船の一部になっていたかもしれませんね」

「……エデン教徒たちは、自分たちが助かれば他人はどうなろうが構わないと考えている非道集団よ。けど、その集団をつくりあげたトップは、ただ滅亡から世界を救おうとしていただけ。彼の想いを利用したやつらから1人でも救えるならと思って、ミライと未悠ちゃんを連れ出したのよ」

「へえ……彼って、尾張族長っすよね。無資格の預言者。無理矢理に結婚させられたのに庇うなんて、姐さん、族長のこと好きになってたんですか?」

 私は静かに首を振る。

「でも、大切な人だとは思ってる。あの人には言えなかったことが多いから、もし会えたら全部伝えるつもり」

 ミライは、月明かりに浮かぶ私の横顔を見て、頷いた。

「じゃあ、そのときは俺も呼んでくださいね~。なんか、俺もお礼とかいっぱい言いたいんで!!」

「いいけど……たぶん、お前誰? って顔されるわよ」

「ですよねー! ああっ、俺も正室は無理でも側室あたりになっていればっ」

「ホモ宣言どうもありがとう」

 私たちは互いの顔を指差し、冗談を言い合いながら暗い家の中へ沈んだ。

 1階でミライと別れ、2階へ繋がる階段を上る。そういえばあの日、居間で父親に腹を刺された私が悲鳴をあげたとき、奏はこの階段を使って私を助けに来てくれたっけ。地球最期の日と思われたあのとき、奏は2階でなにをしていたんだろう。前日の家族会議では、居間に4人集まって最期のときを迎えようという結論でまとまっていた。当然、子供を道連れに心中するなんて両親の本音は聞いていなかったから、奏は油断していたのかもしれない。

 私は皆を起こさぬようなるべく足音を立てずに廊下を歩き、自室の前で立ち止まる。しかしドアノブにかけた手は動かず、視線だけが隣りの部屋へと注がれていた。

 ロウソクの火を消し、手探りで部屋の扉を開ける。そこは弟の部屋である。

 シングルベッドの前で立ち止まり、どうしようかと迷う私に声がかけられる。

「いいよ。寂しいんなら、僕が一緒に寝てあげる」

 眠りに落ちていなかった奏は、目を開けることなくこちらの意思を察していた。

 世界が滅亡してから、私はいつも奏に抱きしめられながら寝ていたものだ。そうしないと眠れなくなったから。――思い出すのは半年前のこと。

 すぐにでも弟の腕の中にもぐりこみたいが、あのときとは決定的に違う問題を今は抱えている。

「どうしたんだよ、早く入れって。心配しなくても、なにもしないから」

 動かない私に痺れを切らした奏は上体を起こし、警戒心を解くように促す。

「あはは、違うの。違うのよ」

「なにが」

「あのときと今は違う。違いすぎるの」

「……律の、僕に対する気持ちが?」

 私は首を振る。

「あのときはね……2人だけになった世界で、2人だけで生きていくことを受け入れていた。覚悟を決めていた。でも今、受け入れなくちゃならないことはそんなことじゃなくて――」

「……」

 言わんとしていることを把握した奏は、悩ましげに視線を落とす。

「ごめんね、奏。これは私が選んだ道なのに、決めたことなのに、今になって、決心が揺らぐ。怖いって……後悔してる。皆に申し訳ない」

「後悔……か。かといって、尾張がくれた案を行使することもできなかったんだろ?」

 私は頷く。

「どうしても後悔してしまう選択ってのさは……必ずあるもんなんだよ。特に人生なんていう長い時の中では。僕だって、律の選択を否定して尾張の案を採用することだってできた。未だに迷ってるよ、実は。でもね、そこでこう考えるんだ。――世界は、滅亡なんてしない」

「え……?」

 私は俯いていた顔をあげた。涙でぐちゃぐちゃになっていた。

「いや、あくまで現実逃避だよ? けどそう自分に言い聞かせることで、選んだ答えは正しかったことにする。全ては都合が良すぎるほど上手く流れ、未来には明るい光しかない。僕らは、新たなる世界の中で、一から文明を築きあげる“最初の人間”になる。文字通りのエデンの園が、そこにあるんだ……とね」

「は……はは」

「あの日――世界滅亡の日、僕は、家族を含めた世界全員が生き残る夢を……見すぎていたんだろうね」

「……奏」

「この通り言ってることはめちゃくちゃ。めちゃくちゃだけど、それを盲信する。自分を騙す。そうしないとさ……楽しく生きれないよ? 後悔ばかりの日々なんて、つまらないだろう」

 気がつくと私は声をあげて泣き叫び、奏の胸の中に飛び込んでいた。ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返す私を優しく抱きしめ、頭を撫でる。

「僕は決して、強いわけじゃない。ただ、最期の日まで愛する人には笑顔でいてもらいたいだけ――」

 そのためならば、いくらでも自分を騙す。奏は言い、涙味に染まった私の唇に誓いのキスを捧げた。


 *


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