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昨日、世界が滅亡しました。  作者: 伯灼ろこ
第六章 尾張都嵩
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4.奉られた少年の人生

「ここの女将は……ちゃんと事態を理解した上で私たちを匿っているの?」

 尾張は首を振り、札束の入った紙袋を布団の上へ放り投げた。

「知るわけないでしょう。全て金で左右される女ですよ、あいつは。つまり金さえ積めば、女将は便利な小道具と成り下がるわけです」

「……なんか、人が変わったみたい」

「え? 女将はどう見ても通常運転ですが」

「今の都嵩よ。つい昨日までは、人のことをけなしたりしなかった。……馬鹿みたいに聖人を気取ってた」

 図星の指摘であったらしく、尾張は観念したように声をあげて笑った。

 狭くて窓の無い、窮屈な部屋だが今はそれが安心できる。私は肩の力を抜き、しかし油断はできぬと外の様子を窺いながら尾張を追及する。

「律と――いえ、海聡さんでしたか。出会ったのはもう4ヶ月前のことですが、つい昨日のことのように思い出しますねぇ」

「そういう台詞は、何十年も経ってから言うもんじゃないの。たった4ヶ月じゃ年月の重さなんて感じやしないっての」

 いよいよ気遣いを捨てはじめた私は、しかし尾張の笑顔を誘うだけ。

「いえいえ、とんでもない。律と出会えたことは、いつ思い返しても感慨深い出来事ですよ。造形の秀麗さはもちろんなんですけど、芯の強さというか、どんな苛酷な状況下にあっても輝きを失わない魂はとても美しいです」

「褒め殺しして誤魔化す気? あんたには説明してもらいたいことがあるのよ。それも大量に。助けてもらったことに関して礼は言わない。だって、あんな状況になったのって、全部あんたのせいだから」

 容赦なく攻撃したつもりだった。だが尾張は笑うばかりで、あたかも私との会話を楽しんでいる様子。

 私は溜め息を一つ吐き、気を取り直す。

「ねぇ、都嵩。結局ね、誰もあなたのこと教えてくれなかったのよ。私は知ろうとしたけど、皆、本のことばかりに気が取られてて」

「……ふふ、それが“俺”だから仕方ないですよ」

「なんですって?」

「エデン教徒たちを従わせ、こんな悪逆非道な王国をつくり、その頂点に君臨する俺は――……予言書が姿を変えただけの偶像なんだから」

「偶像?」

「そう。誰も俺のことなんか知らないんです。知ろうともしない。年齢も、趣味も、出身も、家族構成も、なにも」

 壁を背に膝を立て、脱力して話す姿は“隠す必要が無くなった”ことを示している。

 尾張は笑っている。だが、どこか悲しげだ。

 とても強い孤独が見えた気がした。多くの人間に囲まれた青年は、それゆえに疎外されていたような。

 私は予言書を握りしめる腕をほどき、族長として崇められている彼の瞳の奥を――覗いた。

「……いくつ、なの?」

「22歳ですよ。現役の大学生です」

「趣味は?」

「読書。明治期の詩集とか好きですねぇ」

「出身は?」

「田山島。瀬戸内海に浮かんでます」

「家族構成は?」

「母と2人、母子家庭です。父親が早くに他界しまして。あ、猫飼ってました。白猫で、名前はアルーです」

「アルーって……もしかして“アルビノ”から来てる?」

「ご名答。こんな俺とそっくりの白猫は、なんだか分身みたいで。小学生時代からずっと独りだった俺の、唯一の話し相手でした」

「独りって……いじめられてたの?」

「うーん。そういうわけでは。ただ、誰も近寄ってこなかったですね。俺が歩み寄らないことも手伝って、学校ではいつも浮いてました。だから原田校長には、いつも叱られてましたね」

 口から出た名前に反応を示すと、尾張は「ああ」と気づいたように声を高くした。

「原田校長はねー、霧島先生と仲が悪かったんですよー」

「霧島……せんせい? それ、支配人のこと?」

「ええ。霧島茜は、僕の高校時代の担任でした」

「そ、そうだったの……」

「霧島先生は最初こそ普通の教師だったのですが、世界滅亡が4年後に迫ったある日、突然怯え、絶望し、勤務態度が悪くなっていました」

「どんなふうに悪くなったの?」

「例えば……生徒を注意する際にヒステリックに喚き散らしたり、授業中に突然“お前らに未来は無い。勉強なんてしても無駄”と叫び出したり、テストの答案用紙の点数を全てゼロ点にしたり……まぁ、要は気が滅入ってたんでしょうね。滅亡のその日まで普段通りに過ごさなくてはならないというプレッシャーが、精神異常をきたした」

「気持ちは……わからなくはないけど」

「はは、律は優しい。あ、一応俺も優しかったんですよ? 生徒から、いや、学校全体から嫌われ、教育委員会からは問題視され、職すら失いかけている霧島先生に俺は――世界が滅亡しないことを教えてあげたんです」

「……」

「当然、信じてもらえないどころか素行の悪い生徒だという烙印を押されました。素行の悪さに関して全く身に覚えはなかったですが、俺は、追い詰められて毎日泣いてばかりいる担任を救ってあげたかった」

「どうやって信じさせたの?」

 尾張は、私に予言書を開けと言う。指定されたページは、4年前のものだ。

「そこにねー、〈2012年10月24日、フランスの大手菓子メーカー“ブリュン”が日本へ進出〉ってあるんだけど、実際に進出してきたのはドイツなんですよ」

「……そんな嘘をよく恥ずかしげもなく」

 突っ込みを入れると、尾張は首を何度も振って笑った。

「気づいてないですね? この予言書はね、事実を少しだけねじ曲げてくるんですよ。〈1945年8月15日、第二次世界大戦で日本は勝った。〉と記してあるけれど、実際は負けてるよね。けど重要な部分はそこじゃない。昭和20年に戦争が終結することを――予言書は言い当ててるんだ」

「……あ」

「外国メーカーの日本進出も、事実でしょう?」

「うん、うん」

「だから俺は、先々で起きる大まかな出来事を言い当て、そして、2016年に世界が滅亡しないことを信じさせたんです」

「なら、霧島があなたの信者になったのもその時で、エデン教なるものが開かれたのも同じ時期なのね」

「俺は別に教祖になんかなるつもりなかったですよ。霧島が勝手に俺を預言者だと言いふらし、信者を集めたんです」

「そりゃ崇める対象になるのは当然よ。だって都嵩は、世界の本当の終わりを知っていて、尚且つ生き残る術を心得ていた」

「……そうですね。さて、ここで律が不思議に感じている予言書の謎についてなのですが――」

 予言書をよく読みこんでいたであろう尾張都嵩は、自分が知る全てを間を置くことなく話す。まるで、何かに急かされているようだ。

「基本的に、書かれている内容は“真実”です。しかし、無資格者が予言書を所有すると“真実はねじ曲がり”ます。昨日の大地震の予言は“真実”となったわけですが、それは有資格者である律が所有したから。問題は、“誰が無資格者であるか”は、所有してみないことにはわからないシステムとなっていることです」

「……この予言書は、代々受け継がれているのね? それも、とっても多くの人たちに」

 尾張は頷く。

「予言書をよく読んでください。実は、実際に起きてしまった予言が所々に存在するんです。今から10年前――〈2006年2月15日、NASAが10年後に世界が崩壊するという誤った情報を発表する〉が“真実”として予言書に記録されたままです。そして俺がこの予言書を受け継いだのが、10年前。ちょうど、NASAによる発表が行われたあとです」

「つまり……2006年2月15日前に、予言書が無資格者から有資格者へと受け継がれているのね?」

「その通り。先述したように、予言書は所有してみないことには誰が無資格者であるかわかりません。だから、事件が起きる直前に予言書を譲渡し、予言が“真実”となるか“真実がねじ曲がる”かを調べ、受取人の資格の有無を確認することが唯一の手段として用いられてきました。真実の予言が点在するのは、以上のような“無資格者探し”が行われた痕跡ですね」

「NASAの発表が真実となったのは、有資格者が所有したから。このまま同じ人間が所持していては世界滅亡が必至だから、無資格者たる人間を探した。それが……あなた」

 尾張は微笑んだままだ。だが白い髪に隠れた瞳が本当に笑っているのかは定かではない。

 この予言書に携わってきた多くの人間たちの思いが交差し、積み重なる。文献を読み漁っては内容を解読し、後世を生きる子孫のために翻訳した文章を記してきた。それも全て、2016年7月31日に起きる世界滅亡を実現させないため。

 なのに。

「どうして? どうして私に予言書を譲渡したの? ご覧の通り有資格者だったわよ。このままあんたが所有していれば、世界は滅亡しない。造船だってする必要ない! 平民にわけのわからない罪を被せ、処刑人に殺させ、軽石にする理由が無い……!」

 予言書は、無資格者の手元を一度でも離れてしまうと効果が消失してしまうという。だから今、予言書を尾張へ返しても予言は実現する。つまり新たな無資格者を今から探さなくてはならない。でも、それは――

「無理、ですね。残る予言は“世界滅亡”のみ――。どうでもいい予言で資格の有無をはかることはできません。唯一の手段は、適当に誰かに譲渡してみること。ほぼギャンブルです。または世界滅亡を受け入れ、少数を連れて方舟に乗り込むことです――」

「都嵩!」

 軽い打撃音が独房に響く。私が払った平手打ちは尾張の頬を掠め、空を斬った。

「……なんで避けないの」

「避けません。何故なら、律の怒りは尤もだからです」

「わかってるなら、どうして? あんたは世界に滅亡してほしいの? 精一杯に生き残った人たちを道連れにしたいの?!」

 張り上げる声に涙が滲む。これでは教徒たちに居場所が漏れてしまう。でもそんなこと気にする余裕など皆無だった。

「人類最後の楽園の頂点に君臨する主は、破滅をもたらす魔王だったのよね! 想像通りだった!」

 私は結婚をしてからずっと尾張が怖かった。それは、人々が抱く密かな願望も野望も陰謀も、これから起きる出来事まで全てを高見から見下ろしているかのごとく姿で、そう、まさに魔王のようで逆らう余地が無かったからだ。それが事実であると――尾張は居直るつもりなのか。

「……律、俺はね、貴女のことが本当に好きでした」

「は、あ?」

 悪事を暴かれ、罵倒され、それでも尾張の心は寸分の乱れを見せない。瞳はただ真っすぐに私を収め、穏やかだ。

「その曇り無き魂ならば、俺が愛した人ならば――無資格者である可能性が非常に高かった。最後の望みを、懸けてみたんです」

「なにを……」

 再三の問い詰めは、布団に点々と染み込む赤い液体が中断を余儀なくさせる。

「えっ……?」

 私の胸に力無く寄り掛かり、ぐったりと俯く尾張の口からはおびただしい量の血が吐き出されていた。

「つ、つか、さ」

「――律」

 私の腕に掴まって自身の上体を支える尾張は、数秒前とはまるで別人のように弱りきり、苦しみに顔を歪めていた。

「ああ、まずい。もうちょっと待ってほしいな。まだ、全てを伝えてないから」

 尾張が話しかけている相手は私ではない。自身に対し、懇願していた。

 尾張は酸素と血を飲み込み、呼吸を整える。

「……歴代の無資格者は、過去の無資格者と運命的に結ばれているパターンが非常に多いのです。たとえば近親者、恋人、恩人等々。10年前、俺は、唯一の友達から予言書を受け継ぎました。彼は最初、自身の父親に託そうとしたのですが例の予言が実現してしまったためにキャンセル、相手を俺に変更したそうです。それが大当りで」

 尾張が無資格者であると証明された予言は、〈2006年3月3日、東海地方で開かれる雛祭りに参加した20余名の女児が殺害される。〉――である。この事件が実際は“殺害”ではなく“誘拐”になり、その後全員が無事に保護された。

「“友達”……?」

「はい。中学生時代の、ですね。でも、律が想像するような存在ではなかったかもしれません。一緒に遊びに行ったこともないし、馬鹿みたいに笑いあったこともない。ただ、気がついたら互いに傍にいるような間柄でした」

「なんだか素敵。それ、親友っていうのよ」

「ありがとうございます。その後、友――親友は予言書を残して死にましてね」

「……」

「もとより、そう長くは生きられない身体だったようです。無資格者である俺に予言書を託すことができて安心したと、それが最期の言葉でした」

「……なんだか、今わかった気がする。都嵩が予言書を“友”だと表現したこと。前任者である友達の分身だと思ってたんでしょ」

「思ってます。だって、予言書の最後の解読は彼が達成したものですから」

「翻訳の文章、ね。その友達だけが、迫りくる世界の滅亡を知った。そしてあなたに世界の未来を――」

 未来を託された青年は10年後、親友を裏切ったのだろうか。滅亡を目前にして予言書を手放し、雲隠れなんかして。

「俺には……荷が重かったのかもしれません……。世界を救うため、残虐非道な組織の主人を務める覚悟も無く、ただ前へ前へ突き進む霧島先生の後ろに隠れていただけ。いや、そもそも、人間を素材とした船造りを霧島先生が提案した時点で俺は、予言書を手放すべきだったんだ。白化剤の存在など、教えなければ良かった。人間が人間らしく生きられない世界など、捨ててしまえば」

「なによ……今さら……そんな綺麗事やめてよ……。もう後戻りなんて出来ないところまできてんのよ?」

「そうですね、わかっています。だから、俺は、せめて自分の愛する人だけでも救いたいと、生きたいと願ってエデンの園へ来た律の望みを叶えるために――」

 尾張の身体が崩れ落ちる。最後の力が抜けてしまったようだ。私は重くのしかかる彼を支え、訴える。

「もう無理よ……。私は、あんたが望む無資格者じゃなかった」

「……現在、有資格者である律はエデン教徒たちから恨まれ、大変危険な状態にあります。全て、俺のせいです。でも、それを打破する策が一つだけ」

 息も絶え絶えに、尾張は唇だけを作動させる。

「――俺との間に子供ができたと、嘘をついてください」

 そんなことできない。そう答えようとした私の言葉を待たず、尾張は続ける。

「過去の例に……ですね、妊婦が無資格者であったことがあるのです。だが実際のところ無資格者はお腹の子供で、女性自体は有資格者だった。この事例を掲げ、律の腹に宿る命が無資格者である可能性を公言すれば、教徒たちは律に対して闇雲に危害を加えることができなくなる……。無資格者であった俺の子ならば、資格を継承する可能性が高いというデータがありますから。ああ、心配せずとも、族長付きの医者ならば律の嘘に協力してくださいますよ。彼はどうせ船に乗る。自身の命は、世界がどうなろうが救われることを承知しているので……寛容な対処をしてくださる……」

「違う」

「律……?」

 わからない。私には、どうしてもわからないことがあった。

「……ははっ、ねぇ、都嵩。どうしてそんな回りくどいことをしなくちゃならないの? 元から、あなたが予言書を所有していれば――」

「もう、わかっているでしょう。俺は、死にます」

「――」

「もって、あと、数分……」

「都嵩」

「予言書に記してなくても、自分の死期くらいはわかります。俺も、友と同じ――長くは生きられない身体だった……世界の滅亡は……避けられないものだった……。俺は結局、霧島先生に嘘をついたことになるんですよね。世界を滅亡なんかさせない、なんて――格好良いこと、言うものじゃなかったです……ね」

 自らの死期を悟っていた尾張都嵩は、霧島が敷こうと画策していた“男女別居制”なる圧制を棄却できなかったという。世界を滅亡から救うためには次なる無資格者が必要で、その可能性を秘めている人物は、尾張の親族がすでに死亡している今――愛する人間しか残っていない。その望みは断たれ、最悪の事態を想定して製作されていたノアの方舟が出番を待つ状態となってしまった。

 造船のために殺されていった人々は、その命も肉体も存分に活用され、強欲にも自らの命に固執する者共の役に大いに立つのだ。

「律……一色律。少しの間だけでも同じ名字を名乗ってくださったことを誇りに思います。家族になってくれたことを、感謝しています。俺は満足です。どうか、律だけは生き残ってください。船に……ノアの方舟に乗ってください」

 仰向けに横たわる尾張の頬に落ちる雫は私の瞳から流れているもの。泣いているようだ。

「……ごめんなさい」

「どうして……謝るのですか?」

「私、あなたのこと、好きじゃないの」

「あー……はは……知ってました」

「他に好きな人がいて」

「なんとなく気づいてましたよ。……誰ですか?」

「一つ年下の、弟で」

「ええっ……。それは狡いですよ。勝ち目ないじゃないですか」

「そう思う?」

「もちろん。だって、昔読んだ詩集に書いてあったんですよ。弟は、姉の永遠なる恋人だ――って」

 少し頬を赤らめる私を、尾張は愛おしそうに眺めていた。

「律にそんな顔をさせる弟さんが羨ましいです。族長としての権力が無ければ、きっと俺は貴女を弟さんから奪えなかったでしょう。でも、それももう終わりです。律、どうぞ帰ってください。愛する方の元へ」

 愛する人――奏の元へ帰ることができる。族長より正式な許可が降りた。でも、目の前で燃えつきようとしている命の灯を一人置いていくことがどうしても出来ない。

「律……? どうしたのですか? 早く、行ってください。そして、嘘の発表を……」

 動こうとしない私へ、都嵩は焦ったように片腕を伸ばす。余力など僅かなのに、自分を愛してくれなかった女のために使っている。

 私は腕を掴み、その冷たさに驚く。

 この人の人生は一体なんだったのだろう。自分の意思など関係なく預言者として奉られ、教祖になり、族長となり。尾張都嵩のことを何も知らぬ人間が集まり、勝手に畏れを抱き。

 霧島が尾張の為であると豪語していた男女別居制も、結局は自分たちに都合がよい無資格者継承得とくシステムである他、理由がない。

 アルビノとして日本の片田舎に生まれた普通の青年は、予言書を受け継ぐことによって大きく翻弄された。彼は満足なのだろうか。生き残った傲慢な人々を方舟に乗せて――。

「都嵩。他に言い残すことはないの? 満足なの?」

 尾張は力無く視線をさまよわせ、弱々しく頷いた。

「これでもね……自分の人生には満足してるんですよ。後悔はいっぱいありますが、精一杯、生きられたので。律に……愛する人に、出会えたので」

「そう……。良かった」

 笑うと、尾張も微笑んだ。それが最期だった。


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