3.昇進
僕が提出した申請用の書類は、4日後に通過・受諾された。これで正式に第3階級へ昇格し、仕事も農業から処刑人への華々しい転職と相成った。
あの日、内定通知を持って2245号室へ垣村正好――通称ソンショウ――が現れた。彼が仕事柄まとう物々しい雰囲気を感じ取った果月ミライは、僕が秘密裏に決めていた腹を初めて知ることとなる。
『ふむ。一色奏、17歳、か。まだまだ子供と呼ぶに十分な年齢だ。さて、お前は人を殺すことができるか?』
僕の姿を認め、ソンショウは一応の確認を取る。
『その危惧は徒労に終わりますよ、安心してください』
『なかなかの自信だな。しかし、これまで普通に生きてきた人間が経験も無いのに突然目の前の同胞を殺せと言われたとき……約9割の者が逃げ出すという統計データがあるのだが。無論、逃亡したら即処刑だからそうならない為に俺はお前に確認をしている』
ソンショウの疑い深さは、心配の表れだ。こんなに優しい人が処刑人を率いている事実が、僕には滑稽に見えた。
『問題ありません。すでにこの手で実父を殺しているので』
ソンショウは口ごもる。僕は畳み掛けるように補足した。
『実母が首を吊るときも、その手伝いをしました』
目を閉じることで納得をしたソンショウは、ついてこい、と言う。しかしまとめた荷物を持ち上げる僕の前へ立ちはだかり、行く手を阻んだのは果月ミライだ。土下座をしていた。
『全部、俺のせいです。申し訳ございませんでした』
ミライらしくなく改まり、また謝罪をされる心当たりに皆目見当がつかなかった僕はミライに顔をあげるよう要求した。けど、ミライは頑なに額を床に擦り続ける。
『俺、奏兄貴と律姐さんを騙してました。最低な人でなし野郎です』
『どう騙したっていうんだ?』
『俺が佐波市の高速道路で兄貴たちに会ったのは偶然じゃないんです』
『……そうなの?』
『探してたんです。生存者を。――“エデンの園”へ連れていくために』
心が少しも熱を帯びなかったといえば嘘になるかもしれない。けどそれ以上に、僕はミライの動機を知りたかった。
『へえ~。ミライはエデン教と手を組んでたってオチかな?』
『そう……かもしれないです。俺、世界が滅亡した次の日、妹と一緒にエデンの園へ助けを求めたんです。快く受け入れてもらえました。けど、俺は第5階級へ、そして心臓が悪い妹は第6階級へ割り振られました』
『……穀潰しか』
ミライは頷く。
『へへっ、実は俺、妹いるんすよね! 病弱だからあまり外へ出れなくて学校へも通えなくて。だから遊び相手はいっつも俺で。正直ウザいなって、身体弱いのに生きてる意味なんて無ぇだろって思ってたんすけど、滅亡の日に両親もジイちゃんもバアちゃんも殺されちゃって、家族が妹だけになったとき……生きてくれてて良かったって思えたんです。けど、せっかく生き残れたのに、一緒に生きたくてエデンの園へ来たのに……妹は邪魔もの扱い。それどころか、餓死を待たされる状態だった』
部屋の隅に置かれた大金入りのスーツケース。あれはミライが外界から持ち込んだものだが、エデン族へ加入するにあたって一度没収されたものの、不自然なかたちで返却をされたそれは、秘密を握るアイテムだった。
『妹を見請けするには現金で1億だと霧島支配人に言われました。馬鹿にしてんのかと思いました。そんな金額は普通に生きてても用意できるものじゃないから。でも、それしか助ける方法が無い。だから直談判して、取引しました』
『……金を用意するために外界へ出させてもらう代わりに、2人の身代わりを連れてくる……って?』
頷いているのかいないのか、わからないくらいにミライは頭を深く垂れていた。
『俺のせいです。ただ妹を助けたい一心で、俺は、兄貴を……いや、一色さんたちを利用した。それだけじゃ済まなくて、富士原さんたちまで犠牲になって、律さんは族長の嫁になんかならされて、奏さんは処刑人に……俺がぜんぶ、悪いんです……』
僕は深い溜め息を吐いていたかもしれない。無意識だからわからないが。
あの夜のラジオ放送で、呼びかけを行っていたエデン族の人間は、自分たちにはまだ正式な名前が無いと言っていたにも関わらず、ミライはそれが“エデンの園”だと知っていた。あのときに抱いていた疑問を、しかし今さら振り返ってどうなるっていうんだ。僕は垂れたミライの頭を鷲掴みにし、上を向かせた。
『お前、良い奴だよ』
『――はっ?』
これは慰みの言葉でも、偽りの言葉でもない。
『誰かを犠牲にしてでも身内を助けたいとか、皆考えることだよ。お前は僕たちを犠牲にして妹を助けた。けど、光代さんと朝匕も助けてくれただろ?』
『それは……ほんの罪滅ぼしみたいなやつで……』
『ほんの罪滅ぼしで富士原家全員が助かったんだ。朝匕は晴れて遊女を辞め、お腹の子ともに健康、光代さんは朝匕と同じ部屋で暮らし、悠匕も処刑に巻き込まれることなく今までと同じように生きている』
『けどっ、肝心の一色さんたちが』
『ああ、僕らのこと? 気にしなくていいよ。どのみちエデンの園へ行く予定だったし、律が族長に見初められたのも理解できる。だって、律は……僕の姉さんは、素敵な女性だしなぁ』
ミライの吹き出す声が聞こえた。それで良い。
『なんすか、それ! 一色さん、ただのシスコン発言してますよ!』
『あれ? 確かに』
『無意識ってやつですか? つまり本気ってやつですよね。ヤバいしょー』
『うん、ヤバいと思う。こうやって、人を殺す職業に就いてでも姉さんの傍に行きたいと思ってるわけだから』
『……一色さん』
『これは強がりでもなんでもない。平民でなくなった僕らは、男女別居制の縛りから解放される。だから偶然廊下で会えば、目を合わすことも言葉を交わすこともできる。これで良かったんだ』
――これで良かった。……そう偽った僕の心は、おそらく誰が見てもバレバレだ。隠せない。こればかりは。
果月ミライ。こいつにも大切な家族がいたんだ。もし僕がミライと同じ立場だったなら、きっと同じことをしていただろう。だからかな、責める気が起きなかった。
『妹の名前は?』
『未悠、です』
『……ははっ』
『なんですか?』
『いや。名前がさ、未来と悠匕の一字違いかって……思って』
『……あ。ほんとっすね』
しばらく黙っていたソンショウが、長話がすぎるぞと僕を叱責する。まだ正式に入社すらしていない身で無礼な振る舞いは憚られるから、僕はこれを最後としてミライへ願いを残した。
『僕らの呼び名は、兄貴と姐さんでいい。急に改まられても気持ち悪いだけだから、銀行強盗』
ミライと悠匕を残し、少しの期間だが世話になった部屋をあとにする。
フロアの中央を突き抜ける螺旋階段を上れば、エデンの園内で最も人々の怨念が漂う処刑場だ。これからそこが僕の仕事場であり、住居でもある。
いつまで正気を保てるものかな。ソンショウは呟くが、それは僕にはわからないことだった。
『富士原光代さんには、会わないんですか?』
黙々と階段をのぼっているとき、僕はずっと気になっていたことを訊ねた。
『――何故?』
ソンショウはこちらを振り返ることなく、問い返す。
『光代さん、垣村さんからの手紙の返事をずっと待ってるんですよ。いや、最後に出した手紙は結局届かずじまいだから、待つのは違うか。……ともかく、生存報告だけでも』
『……お前たちには感謝している』
『はい?』
『果月と、そしてお前に礼を言うべきは本当は俺なんだろう。――光代を救ってくれて、ありがとう』
『……。いえ』
ソンショウは立ち止まる。処刑人ではない素顔は、孫をもつ優しいお爺さんだ。
『光代は私の高校時代の先輩でな。山奥から村の学校へ通う芋くさい少女だった。世間の情報には疎いし、俺が全て教えてやらないと山から降りての生活は無理だろうと思った。その光代が結婚して、孫までこさえて、それで10年前――NASAが例の発表をした。俺は、年上だけど妹のような存在だった光代に最期まで平穏に暮らしてもらうべく、世間の情報を伝えないようにした。山奥での暮らしなら、情報操作も容易かったんだ』
『なるほど。光代さんが都会の人間と手紙のやり取りをしているにも関わらず、富士原家の人間が世界滅亡の情報を知らないでいたのは――あなたのお陰だったのですね』
ソンショウは頷く。
『だが光代の息子夫婦はさすがに世界の異変を感じ取っていた。7年前、なにを思ったか子供たちを残して佐波市へ引っ越し、おそらくそこで死んだ』
佐波市の状態について僕はミライから聞いている。予想をするまでもなく、暴動に巻き込まれて殺されているだろう。僕らがあの日通過した佐波市に転がる遺体たち、その中に朝匕の両親がいたかもしれない。
『俺は生き残った。家族全員、無事に。だから、これからも全力で生き残ろうと考えている』
――全力で。僕も深く同意した。
『一つだけ、忠告がある』
処刑場へ足を着けたとき、ソンショウが睨みつけるように僕を見下ろした。
処刑が行われていない時間、ここはただの広い空間だ。吹き抜ける風も、誰の気配も声も息もしない。動かない空気だけが重く篭り続け、皮膚にぺったりと寄り添う。
『忠告、ですか』
『そうだ』
『はい。なんでしょう』
『なぁに、簡単なものだ。――間違っても、族長から夫人を奪い返そうとするなよ』
――僕の口から笑いはこぼれなかった。吐き出して笑ってやりたかったけど、できなかった。
硬直する僕の頭に手を置き、ソンショウは鋭い口調のままこう繋げた。
『族長――尾張都嵩は、全てを見通している。1ミリの怪しい行動さえ、やつには見破られるぞ。気をつけろ』
頷くしかなかった。
ソンショウは『よし』と頷き、気を取り直して入社式の説明を始めた。
『まずあだ名を決める』
『あだ名?』
『これは処刑人特有のシステムでな。やはりこの職業は人から嫌われる。だから偽名を使って処刑を執り行う。俺ではない誰かが首を刎ねてるように誤魔化すんだよ、他人を、自分自身を。まぁ現実逃避のようなもんだわな』
『はぁ、なるほど』
『今すぐ決められるか? いやなに、なんでもいいんだよ本名じゃなければ。適当に。決められないなら俺が』
『ディー』
『あ?』
『ディー、でお願いします』
『お、おお。えらく簡素な名前だな』
『はい。メロディーの、“ディー”で。僕たちの本名は、それに因んでますから』
あだ名の理由を聞き、ソンショウは溜め息を吐いた。
『じゃあ、ディー、な。……さて、最初の通過儀礼として、新人には本日最初の処刑を担当してもらうこととなっている。罪人は、仕事を放棄して花街で遊んでいた不貞野郎だ。しかも袖の下に割れた銀食器の破片を忍ばせ、族長の命を狙った重罪。名前は――堂沢治郎』
『堂沢……』
『ん? なんだ、知り合いか?』
『ええ……一応』
『なら過酷な入社式となりそうだな。だが、やるしかないんだぞ』
僕は笑った。ここで初めて、心の底から笑うことができた。
『どうぞお構いなく』