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昨日、世界が滅亡しました。  作者: 伯灼ろこ
第三章 男女別居制の真の目的
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4.身請け

 料金を払うとき、客は己の名を告げる習慣がある。そいつは「堂沢」と名乗った。

 想像が容易い。自分の身体がこのあとどうなってしまうのか。逃げ出したい衝動も泣き叫びたい衝動も、全てが凍りついたかのように反応を示さない。

 相手が美形であろうが醜悪であろうが関係ない。律は、決めた道をすぐに後悔している自分が情けなくてたまらないのだ。


「――その料金、倍額を払うから新顔は俺がもらうね」


 堂沢という男を邪魔するように、別の男性が“海聡”を指名する。横取り行為だが、なにも珍しいわけではない。どれだけ高い金を出せるかどうかで、目的の遊女を勝ち取る者が決まる。堂沢は舌打ちをし、別の遊女を物色する。

「じゃあー、海聡ちゃん、指名入ったからこっち来て」

 繚乱館の番頭が律を呼ぶ。足取りの覚束ない自分の脳裏に見え隠れする少年の顔を振り払い、律は精一杯の笑顔で男を奥の独房へ迎え入れた。

 その間、堪えがたい恐怖には少し慣れた。覚悟もできた。あとは――忘れるだけ。

 しかし想像していた最悪な結末はそこにはなかった。夏目と名乗った男は、遊女との1時間、何もしなかった(・・・・・・・)。更に驚くべきことは、延滞料金を最大にまで支払い、律の勤務時間が終わるまでを何もせずただ一緒に過ごしたこと。

「お客さま……ここ(・・)がどういう場所か理解してるんですか」

「熟知していますとも」

 夏目は見たところ20代前半くらいのごくごく普通の青年だった。第4階級以上の身分であること以外は不明。特別お金持ちにも見えないし、花街へ欲望を吐き出しにくるような男連中と並べるにも不自然な優男。言葉遣いはとても丁寧で、律のことも遊女としてではなく“一般の女性”として対応している。ただ唯一、特筆すべき点は――

「俺、アルビノなんですよね~」

 髪と肌は白く、目は赤い。日本人でありながら白人顔負けの白さは、先天的にメラニンが不足するという遺伝子疾患特有の病気だ。

「アルビノが色街へ来たらダメですか?」

「いえ、そういうことではなく。誤解のある発言であったならば申し訳ございません」

「え、謝らないでくださいよ。というか、その対応、遊女らしくないです」

「……そうですね。私、遊女じゃないので」

 興味津々そうに首を傾ける夏目へ、律は自分がここにいる理由をかいつまんで話した。

「へぇ~ぇ。つまり友達を助けるために身を賭して遊女になったと。……なるほどねぇ、そういうことだったのか。謎が解けた」

「え?」

「いえいえ。ただ遊女たちにはそれぞれ、“ここにいなくちゃならない理由”があるものなので、なんともやりきれないなぁと」

 狭い独房の中で、夏目は律から一定の距離を保ったままそれ以上近づかない。これを好都合と捉えて良いのだろうか。不気味ではあるが、本人が好きでやっていることに口を出す必要は無い。

 やがて勤務時間も終わりへ近づき、夏目は去った。白い影が見えて無くなった頃、繚乱館の女将が律の腕を引いて満面の笑みを浮かべて褒め讃えた。

「あんた! やったね! 初日にしてこの売上だよ。んで? 身体は大丈夫かい? なんせ12時間も2人きりで部屋にこもってたんだもんねぇ」

「とくになにもしていません」

 この答えを女将が信用しないのは、よく考えなくても当たり前だ。ただ、あんたは槙湖に継ぐ人気者になる可能性があるからこれからもずっと繚乱館で働いてくれと女将は懇願した。律は返事をせず、厚く塗ったドーランを拭き取った。

 医者から最低3日間は安静にと言われた朝匕の代わりに、律はその後2日間遊女として働くこととなった。流れは1日目と同じであり、諦めない堂沢が海聡を指名するとすぐさま夏目による邪魔が入る。堂沢は唾でも吐きつけたい衝動に駆られていたようだが、不用意な小競り合いは監視人の目の届く範囲にあるため、堪えたようだ。

「夏目さまは……繚乱館へなにをしにいらっしゃったのですか」

 相も変わらず手を出してこない夏目に、さすがに呆れた律が誘いにも似た挑発をする。

「もちろん、遊女を指名するためです」

「そして無駄に金を払い続け、満足せずにお帰りになるわけですか」

「俺は十分満足していますよ。それとも、なにかしてほしいのですか?」

「い、いえ。決してそういう意味ではなく。夏目さんの目的がわからなくて」

「俺の目的ですか~ん~。海聡さんの本名、なんて言うんです?」

「はぁ?」

「聞いたらマズかったですかね?」

 ――調子が狂う。律は、自分がこんなに厚塗りの化粧をして服装までなまめかしくしている意味がわからなくなり、接客というスタンスを崩さざるを得なくなった。

 素っ頓狂な声をあげたあと、コホンと咳ばらいをして気を取り直す。

「律です。一色律」

「律さんですか~。由来は“旋律”でしょう、絶対!」

「由来は教えてもらったことがありませんが、多分、そうだと思います。弟の名前も音色関連なので……」

「弟さんがいらっしゃると!」

「あ……はい。でも、どうでもいいことです」

 弟――奏のことは今は思い出したくない。昨夜は、遊女をしている罪悪感から奏と会う約束をすっぽかしてしまった。自分の姉が男に股を開く仕事をしているなんてこと、絶対に知らないでほしい。事実は少し違うとはいえ、働いているのは間違い無いのだから。

「海聡さんの出身は」

「某県雫石市です。日本の東のほう」

「ああ……運命の日は、東も暴動が激しかったと聞きます」

「そうですね」

「エデンの園へは、何故?」

 夏目の質問は、律の身の上まで及ぶ。律は悩みつつ、ゆっくりと答えた。

「ラジオ……聞いたので」

「それだけでは理由にはならないでしょう」

「はい?」

「ラジオの呼びかけに応えようと思ったのは、何故ですか?」

「えっと……雫石市に残された食糧が底を尽きはじめたので」

 夏目は苦笑し、違う違う――と首を振る。

「貴女は、“助けてほしい”と思ってか、それとも“生きたい”と思ってか、どちらの理由でエデンの園を目指したわけですか?」

 律はしばらく考え、ゆっくりと首を上下させた。

「生きたくて――」

「ですね」

 満足のいく答えを得た夏目は、赤い眼を細めて嬉々の色を浮かべた。

 なんとなく居心地が悪くなった律は話題を変えてみる。

「それより、夏目さん、外でトラブルになったりはしていませんか?」

「ん~?? どうしてです」

「ほら、あの堂沢という名の男……あいつの邪魔ばかりしてるので」

「心配ご無用です! というか、心配した方がいいのはあの男自身ではないでしょうかねぇ」

「どういうことですか」

「いえ、堂沢の身分なのですが――第5階級のような気がするんですよね。牧場で働いているのを見たことあるので。つまり平民が労働時間に花街をうろついていては、それは規則違反となります。監視人に気付かれでもしたら――」

 夏目はそれ以上の口をつぐみ、笑顔をつくって律へ振り向く。

「お友達の槙湖さんは明後日、遊郭に復帰されるんですね。海聡さんとお会いできるのは明日が最後ですか~」

「ふふ、残念ですね。では明日こそ私の貞操を奪う算段ですか」

 夏目は取り繕った笑顔のまま首を振る。

「明日は、“律”さんにとって良い決断をくだせる日になると――いいなと思っています」

 どうやら夏目は明日も律を指名し、勤務時間が終わるまでを独り占めするつもりらしい。律は考える。もしこのまま上手く事が運べば、自分は貞操を守ったままでいられる。奏とも、これまで通り笑顔で会うことができる。朝匕も無事に遊女としての契約を終え、祖母を身請けし、1209号室にて3人で暮らせる。――良いことばかりだ。“エデンの園”に自由を奪われている件に関しては、またあとでこっそり文句を言えばいい。そうしたら、窮屈なりに生きやすい道が見つかるかもしれない。

 律は期待せずにはいられない明日を待ち望み――見事に裏切られた。


 その日もやはり堂沢から海聡を奪った夏目と独房で2人きりの時間を過ごす。しかしそれまでの穏やかなる夏目とは違い、鬼気迫る表情でずっと下を向いていた。律は嫌な気配を察知し、夏目から距離をとる。

「――律さん」

 すると夏目の腕が伸び、律の鎖骨へ触れた。ひんやりと冷たい指は、まるで血が通っていないかのよう。白い身体に宿るものは凍りついた水だけではなかろうかと――錯覚さえ引き起こす。

「なん、ですか」

 憂いを帯びた赤い眼がするりと流れ、律のもとで揺れる。

「俺に、貴女を身請けさせてください」

 その言葉の意味を解し、まるで体温を奪われたかのように硬直した律は、やがて顔を真っ赤にして反論をする。

「夏目さん、身請けの意味――わかってて言ってます? 私には身請けされる必要のあるような莫大な借金も人質もありません。今日が終わればまた牧場の仕事へ戻り、平民らしく規則違反をしないようにのんびり生きるだけです」

「身請けされる必要、ありますよ」

「へぇ? どんな?」

「槙湖さん――いえ、富士原朝匕さんが妊娠をしておりましてね」

 挑戦的であった律の表情からは力が抜け、機械的に唇を動かすだけ。

「……なんですって?」

 夏目の眼はとても悲しそうだ。

「ほら、うちの霧島が言っていたでしょう。勝手に子作りさせないために男女別居制を徹底していると」

「そう聞いた……わね」

「民の数は管理しているんです。外界からエデン族へ加入する者が現れた場合は幹部たちが今後必要となる資源の数を算出して計画を立てられるのですが、前触れなく増える――つまり赤ん坊は、資源を生み出すことなくただ消費するだけの無益な異物扱いとなります」

 律は呼吸することすら忘れ、人が変わったようにスラスラと喋る夏目の視界から逃げられずにいる。

「それはたとえ仕事上、避けようのない出来事であったとしても――処刑は免れない」

 処刑。その言葉に現実味が見出だせない。頭がふわふわとするのだ。自分が思い描いていた現実とはあまりにも掛け離れていて、そして、とても残酷だから。

 姉は首を刎ねられ、身請け予定だった祖母は地下で衰弱死、2人の家族を失った悠匕の将来が見えない。いや、お腹の子を合わせれば4人の家族が地獄へ堕ちるのだ。

 ――朝匕は、一体なんのためにエデンの園へ来たの?

 ――朝匕は、一体なんのために遊女になったの?

 全ては無意味であったと、目の前のこの男が告げている。白くて、不思議で、正体を明かさぬ男が。

「朝匕が妊娠していたことを……どうしてあなたが知ってるんですか」

「女将の態度に妙なものを感じませんでしたか」

 夏目は質問には答えず、ただ律を追い詰める。

「女将……? 繚乱館の?」

 朝匕が体調不良であることを告げたとき、女将はすんなりと納得をした。そして1日目の勤めを終えたとき必死に律を引き止めようとし、それが3日目の今日も変わらぬ態度で、まるで槙湖のことなど忘れているかのような。

「富士原さんが妊娠したことに気付いていたのかもしれませんね。それで先手を打ち、新たな遊郭ナンバーワンを得ようとなりふり構わず――」

 視線が定まらず、今にも卒倒しそうなほど不安定な律の身体を夏目は支えるが、すぐに拒否の痛みが手の甲へ襲い掛かる。

「結構。自分で、立っていられます」

 蒼白な顔でそう言われても説得力はない。夏目は肩の力を落とし、ゆっくりと言い聞かせるように言葉を継いだ。

「俺も、一度処刑が決まった全く関係の無い人間を無罪にすることはできない。族長としての建前があるから。だから、妻の友人であれば助けることができるので――」

 夏目は一呼吸を置き、律に選択を求めた。

「俺の本当の名前は尾張都嵩おわりつかさ。“エデンの園”の第1階級――族長であり、エデン教の教祖。一色律、貴女が俺に身請けされることを許してくださるなら、大切なご友人を救って差し上げます」

 涙に閉じられた瞳は何を思うのか。夏目――尾張都嵩にはわからない。

「……一つ、お願いが」

 小さな声で囁くように落とされた言葉を尾張は聞きこぼさない。

「お腹の子の命も、救ってあげてください」

「――尽力しよう」

 綺麗なミルクティー色の髪が、俯く女の顔も感情も全て覆い隠してしまう。今、彼女がその胸に浮かべる男の顔も、全て。

 勤務時間が終わるのを待たずして律は独房を出る。様子に異変を感じとった番頭と女将が律と尾張の前へ立ち塞がるが、尾張が支払った札束の数を見て口を閉ざした。――それは、海聡をこの店から“買い取る”という意味が込められていた。

 律を伴って繚乱館から出た尾張へ向けて、黒い影が突き進む。袖に潜ませていた銀色の刃が煌めく直前に男は監視人たちに取り押さえられ、憎しみの叫び声をあげた。

「畜生! 男女別居制の真の目的は結局、教祖が好みの女を漁るためにあったんだよ! 俺はっ……俺だけは気付いてたんだぜバァーカ!!」


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