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昨日、世界が滅亡しました。  作者: 伯灼ろこ
第三章 男女別居制の真の目的
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3.入れ替わり

「朝匕。なんだかご機嫌ねー」

 “エデンの園”での生活が1ヶ月を経とうとしていた頃、一色律は同室の富士原朝匕の変化について良い感想を持っていた。

「あ……うふふ。とても幸運な出来事があったんです」

「へー。そういえば昨夜、奏から預かった朝匕への手紙を渡したわよねぇ。……まさか、あれラブレターだったの?!」

「早とちりしないでください」

 ぴしゃりと突っ込みが入る。本来の朝匕らしくはないが、前向きな変貌は律としても受け入れやすかった。

 朝匕はしばらくの間を置いたあと、改まって律の顔を見据えた。

「いつまでも律さんに黙っているわけにはいかないので……そろそろ正直に告白することにします」

「女郎として働いてること?」

 動作を失った朝匕の瞳が、律から視線を逸らせないでいる。しかしある程度予想はしていたことなので、驚きはしなかった。

「源氏名は?」

「……槙湖」

「ふーん。良い名前」

「……いつから……知ってました?」

 律は頭を掻き、苦笑する。

「初めから。てか、気付かれてないと本気で思ってた? ウケるわー」

「……ごめんなさい」

「んー……私に謝ることじゃないと思うけど。よく考えたら、朝匕が女郎の道を選ぶのは必然だったし。……まぁその話はいいや。とにかく、嬉しい知らせを私にも教えて」

 朝匕は両頬を叩いて気を取り直し、頭の中を整理する。

「実は、祖母の身請け料1億円を果月さんが援助してくださるみたいで――」

 最後まで言い終わらないうちに律は朝匕の身体を抱きしめていた。朝匕もそれに応え、2人の少女は喜びの悲鳴をあげる。

「ほんと?! よかった! ミライのお金はてっきり支配人に没収されたきりだと思ってたから……本当に良かった。こんな滅亡した世界にも神様はいたよ!」

「はい……! これでまた祖母と共に暮らすことができます。遊女も続けなくていい。これは果月さんと、ご協力してくださった奏さんと律さんのおかげです」

「うん、うん! 私、初めてミライが銀行強盗をしてくれていて良かったと思った!」

「……え? 果月さんのお金は汚いお金なんですか?」

「あ――……それは忘れて。いいじゃない。世界は滅亡し、支配する人間が変わった今、銀行強盗はもはや犯罪ではないかもしれないし」

「いや立派な犯罪ですよ」

「的確なツッコミ!」

「ふふ、ツッコミは任せてください」

「あ、そ~。ならさぁ、私も1つ突っ込ませてほしいんだけど~」

「はい! なんです?」

「奏と資金援助の話、どこで交わしたの? “エデンの園”において第5階級以下の人間は異性との交流を禁止されてるわよねぇ」

 律は笑顔だ。だが、どこか鋭さがある。

 朝匕は言葉を詰まらせながら答えた。

「あ……。えっと……その……私が働いている遊郭に、奏さんが偶然来て……私を指名してくださって……」

「はぁ??!! 奏が花街へ?! しかも朝匕を指名って……。あ、ああああんたたち、もしかして」

「誤解です! 奏さんは別の男の人に無理矢理連れて来られたって感じでしたし、私のことも抱いてくださりませんでした」

「……はっ……良かっ……た。驚いたじゃないの……」

「すみません」

「でも花街へ行っただなんて話、奏から聞いたことないわ。隠してやがるのね」

「言えるわけないじゃないですか!」

「そ、そっか」

「その通りですよ。だって奏さん、おっしゃってました。本当に好きな人としか関係はもてないって」

「あら! さすが私の弟だわねー! 一本通ってるわ」

「いっぱい褒めてあげてください。そして、お礼を……伝えてください。たくさん骨を折ってくださいました」

「任せて。あと、やっぱり花街へ行ったこと黙ってたのが腹立つから、今夜会ったら殴っとく」

「ひどい」

 それからしばらく絶えなかった笑いは、数日後には悲痛なうめき声へと変わっていた。


 牧場の仕事へ出るためにいつも朝4時に起きる律は、階下のベッドで眠る朝匕の異変に気付き、1時間早くに目を覚ました。

「朝匕……? どうしたの?」

 律は、いつも奏とこっそり会話をしているときのように声量を抑え、朝匕の異変を探る。すぐ傍の壁には、ミライから譲り受けた大金入りの布袋がある。これは、客のフリをして繚乱館へ来たミライが槙湖を指名してこっそり渡したものだ。これで朝匕の女郎としての生活は終わるはずだった。

 朝匕は額に汗を浮かべ、身体をまるめ、苦しげに唸っていた。

「痛いんです……下半身が。どうしよう……このままじゃ働けない……お客さんの相手、できない」

「する必要ないでしょ! もうお金は稼がなくていいんだよ? 私と牛の乳搾りをしながら、身請け金支払いの日を待てばいいのよ……」

「無理、なんです。繚乱館での契約が2ヶ月単位で――最低でもあと1ヶ月は遊女をしないと」

「――……それは初耳よ……」

 まだ陽が顔を出すには早すぎる時間。窓の無い刑務所内では時間という概念が掴みづらい。律はチクタクと時を刻む掛け時計を見やり、深く息を吐き出したあと、腹を決めた。

「朝匕、動くことはできるの?」

「はい……」

「じゃあ、牛舎の掃除と牛の餌やり、乳搾りも難無く可能?」

「え……? はい」

「じゃあ、朝匕はあと2時間後に牧場へ出て。私は繚乱館へ行く」

 朝匕は痛みも忘れて飛び起き、声を荒げた。

「なに言ってるんですか?! 律さん!!」

「要は牧場へも繚乱館へも、穴を空けることなく誰かが出勤していればいいのよ。今回は私と朝匕が仕事場を交代するだけ」

「ダメです、ダメです。律さんは知らないんです。遊郭が、どんなに恐ろしいところか……!」

「知らないわよ! でも仕方ないじゃない! 朝匕が苦しんでるんだもん!」

 律は朝匕がいつも出勤するときに使っている和柄のバッグを掴む。

「繚乱館への出勤はいつも何時なの?」

「…………」

「答えて」

「午前9時……です。それからまるまる12時間働きます」

「そう。“槙湖”が深夜帯のシフトじゃなくて助かった」

「……奏さん、知ったら悲しみますよ」

「そうね、だから同時刻に牧場へ出る奏と鉢合わせしないようにしないと。花街へ行くには奏が住む22階を越えなくちゃならないし、階段は一つしかないし」

「……すみません」

 目に涙をためて頭を垂れる朝匕の姿を見るのはこれでもう何度目か。律は精一杯に口角をあげて、励ます。

「光代さんを迎えるなら、昔みたいに元気な朝匕でないと。心配かけたくないでしょ。私は――うん、大丈夫。どうせ滅亡した世界だもん、やれることはなんでもやってみる」

「律さん……。ありがとう……ございます」

「気にしないで。あと、牧場へ出る前に病院へ行って看てもらってよ。いい?」

「はい」

 朝匕が重い身体を引きずって部屋を出たあと、1人きりとなった律は、繚乱館へ出勤する時間までを静かに待つ。知らず震える己の手を見て、笑い飛ばしてやろうとするが唇さえ開かない。

 ――ああ、嫌だな。

 本当はたまらなく嫌だ。見知らぬ男性ひとと、それも何回も交わらなくてはならないなんて拷問以外のなんになる? 朝匕は、いつもこの恐怖を抱えて働いていた。そして律にはバレないよう、自然に振る舞い続けた。

 足に力が入らないが、立たなくてはならない。

 思考が定まらないが、考えなくてはならない。

 唇が震えるが、喋らなくてはならない。

「――富士原朝匕の体調が優れないので、代わりに出勤しました」

 驚くほど自分ではすらすらと喋っていた。

 元刑務所内ビル――25階“花街”。『繚乱館』と立派な看板を掲げた囚人部屋で、キセルを吸う姿が様になっている女将――第5階級――がとくに理由を聞くこともなくすんなりと納得をした。

「へー。随分と根性の据わった娘じゃないか。名前は?」

「一色律」

「源氏名は決めたのかい?」

「槙湖では駄目ですか」

「駄目ダメ。“槙湖”はうちの看板遊女だから。他のにしな」

「すぐには考えられません」

「あー、そ。じゃあ、海聡みさとをやる」

「海聡ですか」

「ああ。私が外の世界で風俗を経営してたときに働いてた嬢の源氏名だ。梅毒が脳にまで回って死んだんだけど。縁起が悪いなんて思わないでくれ。その子がまたキツい顔をした美人でね。マゾっ気のある男連中からの指名が山ほどあった。あんたも同系等の顔だから、きっと人気者になれる」

「……私はあくまで代役です。槙湖の体調が良くなったら、また牧場の仕事へ戻ります」

 女将はキセルを吹かす手を止め、きゃらきゃらと笑う。

「さぁ、それはどうだか。一度ここで男どもにちやほやされ可愛がられたら元の仕事へは戻りたくなくなるよ。つまり、真面目に生きるのが馬鹿らしくなるってこと」

 そんなことは絶対にないです――反論する言葉はいくつも浮かんだが、それら全てを飲み込んで律は従うフリをした。

「さぁ、化粧と着替えだ。終わったら張り店してくれよ。玉代に関してはあとで詳しく話そう」

 女将がパン、パン、と両手を叩くと年端もいかぬ少女たちが顔を出し、慣れた手つきで律を遊女へとすり替えてゆく。

姿見の前へ立つと、そこには自分ではない“知らない女性”がいた。律は、禿かむろの少女たちに質問を投げる。

「貴女たちも第5階級?」

 こくりと頷く少女。

「将来はここの遊女になるつもりなの?」

 少女たちは頷き続ける。

「どうして花街で生きようと思ったの? お金がいるの?」

 少女たちは首を振る。

「わたしたち、親がいません。世界滅亡の日に殺されました。沙京己でさまよっていたときに支配人の霧島さんに拾われました。教育を受けるのと働くの、どっちが良いかと訊ねられました。働きたいなら、わたしたちはまだ小さいから農業や工業よりも人の世話がいいねと、ここを紹介されました」

「遊女になると決めたのはどうして?」

「ここのお姉さんたちが、とても綺麗だから」

 律は声を出すことなく嘲笑い、首を振って部屋を出る。繚乱館の遊女たちが張り店する場所へ紛れ込み、震える視界に格子の外をおさめた。

 廊下を行き交うのは、第4階級以上の男ばかり――現在第5階級の人間は労働時間であるため――だ。あらゆる店で好みの女を物色し、舌なめずりをしている。

 律は視線を床へ落とした。なるべく目立たないよう、指名を受けてしまわないよう――不完全な小細工を施し。そもそも、第5階級の人間にとって異性と目を合わせることすら罪であるのに対し、花街での条件は天と地ほどの違いがあり、困惑する。

「なによアンタ、やる気あんの? お金ほしくないの?」

 律の不自然な態度に気付いた隣りの遊女が口を尖らせる。律は迷い、代役であることを伏せた。

「……今日、初めてなので。緊張しています」

「あははっ、なに、そんなこと~? 大丈夫。1回でも客を取ったらもう慣れっこになるから。ただし病気にだけは気をつけること。客が帰ったら、大事な部分をしっかり洗浄するのよ」

「……はい」

 遊女たちは想像とは違って存外元気そうだ。そう振る舞っているだけなのかは知らないが、“エデンの園”へ来てまで色街へ身を落とすくらいだから朝匕のように訳ありに違いない。この仕事を辞めたくても、辞められない人たちなのだ。

「あれ誰? 新入り? よっしゃ、俺が頂く」

 律は自分の目を疑った。繚乱館がオープンして一番目に名乗りをあげた醜悪な男が――律の顔を指差していたから。

「驚かないで」

 隣りの遊女が笑いながら教えてくれる。

「新しい顔はね、客同士で取り合いになるものなの」

 知らなかった。甘かった。

「でも運が悪いわよね。初めての客が、あんなキモくてデブな臭い野郎なんて、あはは」

 料金を払うとき、客は己の名を告げる習慣がある。そいつは「堂沢」と名乗った。

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