第二章 後
「お前、やっぱりさっきからおかしいぜ?」
下駄箱にかじりつくリョウにヒナが両手を組んで貧乏揺すりをし始める。明らかに苛立ちを含んだ空気を醸し出していた。
「なあ、ミズグチレイなんて居たっけ」
二人はもう呆れを通り越した唖然とした表情で振り向いたリョウを出迎えた。笑う気も失ったらしく二人で顔を見合わせている。
「……罰ゲームでお前がミズグチレイに声かけて無視され続けていたの覚えてないのかよ」「なんかもうお前帰った方が良いんじゃねえの」
二人で一緒に発し、肩を竦めて溜息をつくと行こう、とリョウの肩を二人で叩いて押して連れて行こうとする。
「お前らこそ違うんじゃないのか。これはやっぱり夢なんじゃないのか。早くこんな悪夢から覚まさせてくれ!」
「はーいはいはい。大丈夫ですかー。清涼飲料水でも飲んで目え覚ましなー」
「夢じゃないけどな」
ヒナとサクラバが双方から頬を抓ってリョウが歩くのを促す。痛みを感じてこれも現実だということを感じた。現実逃避をしないと誓ったのは何時か思い出すと少し前に誓ったばかりだったので溜息をついた。現実逃避なんてできっこないがしてみるものも試しだという甘い考えははかなくすぐに壊された。
「ミズグチレイ……転校してきた訳じゃないんだよな。元からいたんだよな。いや、いなかったはずだけどな」
「なーにブツクサ言ってるんだよ。お前はそれでも男か、このそうめん」
今のお前の方が十分男だよ、というヒナへ向けた言葉をなんとかのど元で抑えると両頬をさすって、
「なあ、お前らは宇宙人が教室にいたら、どう? なんかこう……驚いたりしないか?」 限界だ、とサクラバがリョウの真剣な顔を見て、ヒナもリョウの顔を見てから大のつく大きな声で笑い始めた。そのままリョウの背中を二人で叩く。一昨日の出来事の痛みがぶり返してくるようだった。
そうとも知るわけのないサクラバとヒナはリョウを置いて階段を駆け抜ける。待てってば、とリョウが追いかけるとサクラバが五組の教室ではなく、――二年の教室は七組まであるのだが。七組の隣の空き教室の扉の前で中を指さしていた。
「おいだから、もしものことだって――」
サクラバの肩をリョウの手が掴んだとき、サクラバはあらん限りの声でリョウの言葉を遮って言った。
「おい! リョウがミズグチレイは宇宙人だってさ!」
騒がしかった教室が一度白けたように静まった後、ドッと笑い声が教室中に響いた。野次馬のように七組や六組からちらほらと扉から覗いてくる生徒もいる。
頬が抓られた何倍もの赤さで染まるのが分かった。つられるように爆笑しているサクラバとヒナをどかすとサクラバが指を指している方向を見る。
一番後ろの窓側、一番端の席に水色の髪をした生徒がいた。人形のように動かずに座っている。自分が笑いの元となっているのにサクラバを見ようとも、クラスも見ようともしていなかった。
リョウは笑いながら集まってくる主に男子生徒の肩を押しのけてミズグチレイに近づく。レイはゆっくりとリョウを見て、冷やかしの言葉と器用な手笛の音が聞こえてきた。しかし、今のリョウの耳には全く入ってこない。
只、昨日会った水ノ零と今目の前にいる全く同じと言える人物、ミズグチレイしか意識にも視界にも入っていなかった。
「お前、なんでいるんだよ」
「……それが与えられた使命だから」
冷淡で透明な声音でレイがそう答えると冷やかしや手笛、笑い声がぴたりと綺麗にやんだ。のっぺりとした紙を只貼り付けたような無表情はミズノレイと全く同じであり、透明な声音もミズノレイのものであった。
「転校してきたのか」
「私はこの二年五組の生徒であり、元からいた『こと』になっている。転校してきたのではない。私は入学した時から存在した『こと』になっている」
「お前、一体なんなんだよ。俺が知ってるクラスにお前は存在しない」
「だから、私は今は存在する『こと』になっている。キサラギスズタカの言っているクラスは一昨日のクラスというこであり、昨日からは私がこのクラスに存在することになっているクラスに貴方はいる」
そこでリョウは吹っ切れた。訳の分からぬ言葉を発すレイとそれが分からない自分の不甲斐なさと苛立ちが生まれていた。クラスの生徒は訳の分からぬ顔でレイとリョウに視線を注いでいた。レイの机を思い切り叩いてリョウは怒鳴った。
「出て行け! お前は此処に存在しないんだ。お前のいるべき所は此処じゃない!」
荒く息を取り入れるリョウの動揺で揺れている瞳をレイはひとしきり見つめた後に幽霊のようにすうっと立つと出口に向かって歩き出した。自然に生徒が道を開くように左右に分かれる。
出口で厳しい表情でレイを見るヒナといけないことをやってしまった子供のようにまずい表情をしているサクラバの間でレイはゆっくりとリョウに向かって手招きをした。
「来て」
淡々とした短な言葉を残してレイは三階へと続く階段を上り始めた。
リョウは、呆然とした後にゆっくりとした足取りでレイの後をついていった。その際に誰からも声をかけられなかった。出口でヒナが声をかけようとしたのか、リョウの肩に手を伸ばしたが躊躇しやめて、俯いた。
何故、ミズノレイがミズグチレイをしてこの学校に存在し、一昨日の出来事が一体なんなのか。
リョウは綺麗な清水が流れる滝を思わせる水色の髪が、その髪を持つ少女が自分の前から消えぬように一度見てから包帯を巻いた手の甲を凝視した。
この模様は一体なんなのか。
それらを確かめるためにミズノレイ及びミズグチレイの後をついていった。