第二章 前
白くて柔らかい暖かみがあるのは布団しかない。布団、つまりは家ということでさっきほどまであったように感じる出来事は夢――リョウにとっては悪夢。だったということで考えても良い。のだが、リョウには体の違和感を感じた。体のそこら中が痛んで、全身筋肉痛に襲われていた。リョウのベットは窓際に置いてあり、すぐに景色を見られるのだが今はカーテンが閉まっていた。開く気もしないようなけだるさと痛みが体に走った。
どこからが夢なのか分からない。兄のリョウタに現代語訳辞典を学校にとってくるように命じられたもっと前から夢なのか。そんなことを考えている内にただいま、と言う声が一階から聞こえてきた。リョウタの声だ。
段々足音が大きくなり、隣の自分の部屋に入るかと思ったらリョウの部屋のドアを小さく開けて覗いてきた。
「起きた?」
「朝帰りかよ。彼女といちゃいちゃしてたのか」
クックックと喉を震わせて笑ったリョウにリョウタが見せた表情はあからさまに眉間に皺を寄せた怪訝な表情だった。部屋にリョウタが入ってくるとリョウはあからさまに嫌な顔をしたが怪訝な表情を崩さずにリョウタはリョウの勉強机とセットになっている椅子を引いて座った。
「それが出来ればどれほど嬉しいことかね」
肩を竦めて首を振ったリョウタはだがな、と付け足した。
「朝じゃない。もう夕方だ」
「はあ? え、じゃあ俺、学校は?」
「休んでるけど」
当たり前だろう、とリョウタが言うとリョウは夢の見過ぎだと思った。確かに長い夢だったが、何故リョウタや両親は起こしてくれなかったのだろうか。
「え、なんで起こしてくれな――」
「ストップ。スズタカ。お前さ、昨日あったこと覚えてない? てゆうか、今何曜日か分かる?」
リョウの言葉を遮って手の平を突きつけてはあ、と溜息を一つ吐いたリョウタに今度はリョウが訝しげな表情を見せた。
「ええっと、土曜日はぐうたら過ごして、日曜日は……あれ。今日って日曜日だよな。学校なんてないんだよな」
「スズタカ」
膝に肘をついて両手の指をからませてその上に額を乗せたリョウタは冷たくリョウの名前を呼んだ。訳も分からずにリョウはなんだよ、と答える。顔を上げてリョウタが再度確かめる。呆れたような、心配そうな顔を見せていた。
「お前、日曜日にあったことを夢だと思って居るんだろう」
「え、兄貴に現代語訳辞典を取りに行かされた……っていう?」
リョウはあえてそこまでしか言わないようにした。学校であったことは言わないようにする。リョウタに精神科へ連れて行かれかねないからだ。黒い怪物に遭遇して変な美少女に会って……。そんなことは言えまい。
「そうだ。そしてお前は、散乱した机や割れたガラス、半壊したお前のクラスでぶっ倒れていたんだよ」
「……はい?」
リョウタが椅子から腰を上げてベットに近づく。カーテンをリョウタが開くと橙色の光が部屋を差してリョウタの顔が橙色に染まった。夕日が顔を半分残している状態だった。
「今は、月曜日の午後五時。日曜日の夜にお前は学校でぶっ倒れていて、朝来た先生に見つけられて家に担ぎ込まれたの。……まあ、その前に俺んとこに来てごちゃごちゃ言われたけど」
「……てことは、あれは正夢」
信じられないという表情を見せたリョウにそりゃそうだよな、と倒れていたことと解釈し、間違ったことに同意した。
「が、学校はどうなってだよ」
「……普段通りだよ」
「いや、じゃなくて! ぶっ壊れてなかった」
リョウが慌てて聞くとリョウタの手の平が押しつけられるように額に当たってその後に大声で笑い声を上げた。
「おまっ……馬鹿か? もの凄い夢見たな。んなわけないだろ。学校がそう簡単に壊れるかよ」
正夢な訳ないって、と腹を押さえて笑うリョウタを殴りたくなったがそのために作った拳を掛け布団の中で抑える。
それでは、あの水ノ零という少女も黒い怪物もいなくて、元からそんなことは無かったのだろうか。只、机に自分が当たってその反動で気を失っただけだったのか。
――違う。
リョウは殴るために作った拳をリョウタにばれぬように見ると手の甲に丸い輪と一本の赤い線。紛れもなくそれは、水ノ零につけられたものだった。
目尻に浮かぶ涙を人差し指の甲で拭ったリョウタがリョウの肩に手を置いた。リョウは嫌悪の表情を見せる。そして払いのけた。
「まあ、良かったよ。明日は学校に行けるな。ヒナちゃんも心配してたし」
「まさか」
払いのけられた手を振りながらリョウタが笑う。まさかのまさかさ、と言う言葉を残して踵を返して去っていった。
リョウは腕組みをして――その前に右腕の袖を捲る。大小様々な九つの輪と一本に繋がる赤い線。
彼女の冷淡な表情と弱すぎる黒い怪物。彼女がそっと小さく呟いた言葉は召喚した人物が不慣れ。そして、彼女は自分のことを『惑星探し人』と呼んだ。鮮明に出てくるあの時の光景。せっぱ詰まっていたはずなのに彼女がどのように戦って、自分を見ていたのが瞳えおビデオカメラとするように見えてくる。
考えても無意味だと、水に流そうとする。ドッと疲労感が体全体に浸透して布団にずぶずぶと入り込んでゆく。そのまま、眠りについてしまっていた。
――結論を言えば、やはりキサラギスズタカは彼女に会い、黒い怪物を目の当たりにしていた。
やっとだやっと。これからだだだだだっ!