妹
「ええっと。PLとロキソニン……。ああ、あったあった」
夕刻。窓の外はオレンジ色に染まっていた。
小枝子はマスクの上から唇の横をひっかいた。目の前にはずらりと薬が並んでいる。新薬、ジルテック、錠剤、点鼻薬、目薬、粉薬、貼薬、種類はさまざまだ。こんだけあれば人一人殺すぐらいわけないわよね、と冗談でなく思う。実際、知識があれば嫌いな人間一人ぐらい証拠を残さずに殺してしまうことなど可能だ。恐怖心が勝ってとてもそんなことはできないが。
目当ての薬を手に取り、紙でできた袋と一緒にトレーに乗せる。客からもらった処方箋もその上に重ねた。
ガラスの向こう側のカウンターに出て、客の名前を呼ぶ。緩慢な動きでやってきた人物に見やすいように薬を掲げ、はっきりとした口調を心掛けて告げた。
「はい、こちら熱を下げるお薬でPLになります。一週間分ということなので一日三回、食後に飲んでください。それからこちら、痛み止めのお薬でロキソニンです。こちらもPLと同じく一日三回、食後にお飲みください」
薬を手渡すと、薬をもらいに来た患者は熱っぽい表情でわずかに頭を下げた。高校生くらいの背の高い少年だ。学校帰りに寄ったのか制服姿だった。
皺ひとつない皇かな皮膚が目に入り、ああ若いなと内心で嘆息する。
会計を済ませ、レジを打ってレシートを渡す。男子高校生の財布から万札が三枚ほどのぞいて見え、なんだか嫌になってしまった。小枝子が一万円札を財布に入れられるようにたのは、社会人になってからだ。学生のころはそんなこと恐れ多くてできなかった。お年玉も誕生日のお祝いも全部親に預け、その日必要な分だけを渡してもらって生活していた。
受付の女の子が次の患者の処方箋を確認する間、小枝子はまた奥へひっこんだ。
「今日も盛況ね」
ガラスのこちら側に戻った小枝子を、マスクの奥のもごもごとした声で迎えたのは同僚の辻田郁恵だ。年は小枝子より少し上。離婚してから専業主婦をやめて持っていた資格をとっかかりに薬剤師になったという。この薬局は小枝子と辻田の二人で実質回しているようなものだった。
「大きい病院の前ですからね。薬局なんてどこも一緒だと思われてるから、近いところに来るんじゃないですか」
小枝子たちの薬局のすぐ目の前にかなり市立病院がある。病院の周りにはいくつか薬局があるのだが、道なりに行って一番たどり着きやすいのがこの薬局なのであった。そのおかげで日夜問わず客が途絶えることはない。
「そうかあ。立地いいのよね、ここ」
「働いてると忘れちゃいますけどね」
「そうねえ」
穏やかに会話をかわしている間に辻田は目当ての薬を見つけたらしく、分量を量ってトレーに乗せた。
「葛根湯ですか」
「そ。万能薬だって信じてるお年寄りが多くて困るわ」
「よく効きますけどね」
「でも、飲めばいいってもんじゃないでしょう」
「それは薬全般に言えることですけど」
「そうねえ」
いたずらっぽく笑い、辻田はガラスの向こうに歩いていった。
「はい、こちら風邪薬です。葛根湯ですね」
てきぱきと客に薬の効能を説明する辻田の声をなんとはなしに聞いていると、こちら側で電話が鳴った。受付をしているのとは別の女の子が笑顔で受話器を持ち上げる。
「はい、こちらハートフル薬局でございます。はい、……はい」
女の子がきれいにメイクされた目をぱちくりさせ、小枝子のほうをちらっと見た。なんだろう。薬の説明を求められているのだろうか。彼女たちは薬を処方する資格を持っていないだけで、効能や種類の説明はお手のものであるはずだが。
受話器から顔を離し、通話口を手で押さえた女の子は小枝子に向かって言った。
「先生。ご家族の方からお電話です」
変な胸騒ぎがした。