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妖精が創った人形  作者: 小伏史央
第2章
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一.


 俺はバス停でバスを待っていた。分厚いコートを着ているというのに、冷たい風が刺すように痛い。バス停といっても風を防いでくれるようなものなどなく、ただベンチがふたつ並んでいるだけだ。

 次のバスが来るのは、二十分後。俺は普段バスに乗らないもんだから、バスの発車予定時刻など知らなかった。なるべく早めに家を出ようと思った自分を、今頃になって後悔する。

 それでもまあ、運が悪かったほうだというわけでもないのも癪だ。バスの発車時刻表を見るに、バスは一時間に一度のペースで訪れるらしい。行きと帰り、両方を考慮に入れての一時間だ。つまり一度バスを逃したら、二時間待たねばならないということだ。逆走するのなら話は別だが。

 楽しむような景色もない。ベンチに腰掛けて見る風景は、どの角度からも殺風景だ。田舎だというのにこの辺りは緑も少ない。だからといって人工物が多いわけでもない。というよりも少ない。特になにかの匂いがするわけでもない。花はぽつぽつとは咲いているが、赤だとか黄だとかの明るいものでもなければ、紫だとか黒だとかの暗いものでもない。ただどこまでも道路が続く。その一隅に、二人掛けのベンチはふたつ並んでいた。

 なにを持っていけばいいのか、よく分からなかった。

 だから今日の俺は、考えた挙句手ぶらである。コートのポケットに紙切れを、ジーパンのポケットに財布を入れているだけだ。最低限必要なものといえば、その程度だろう。

 できればデジカメも持っていきたかったが、生憎、俺はもともとそんなものは所持していない。

 なにか本でも持ってこればよかったかもしれない。ポケットサイズのやつ。

 二十分なにをすればいいというんだ。ただずっと景色を眺めるにも、眺めがいのある景色などない。

「ああ、退屈だ」

 静寂にかまけて、俺がそう独り言を漏らしたそのときだった。まさしくそのときのことだ。

「ねえ」

 俺が座ってないほうのベンチに、その女子は腰掛けていた。制服姿……おそらく、女子高生だ。ブレザーの三つのボタンは全て外されている。だらしないというよりも、上手く着こなしている感じだ。細めの整った顔立ちで、長い黒髪が真っ直ぐに下りている。耳は完全に髪に覆われていた。若干高めの鼻が覗いている。

 その女子が、顔だけ俺に向けていたのだ。

 ……いつの間にいたのか。

 その女子は、両手をブレザーのポケットにおさめている。その左ポケットから黒いイヤホンがのびている。その片方は首の後ろをまわり、黒い髪の裏に続いている。

 音漏れが激しい。弦楽器のメロディーが聞こえる。

 なんというか、耳がむず痒い。こんな大音量で聴いて……。難聴になったりしないのだろうか。それとももう、それほどの音量にしないと聞こえないほど耳が悪くなっていたりするのか。

 ……なぜ、俺は今まで気付かなかったんだ?

 スカートは膝のあたりにまで届いていた。腰掛けた状態でそれなのだから、実際のところはもっと長いのだろう。教師に「スカート長いぞ」とか言われそうなタイプだ。

「……ねえ」

 俺がなんの返事もせず、自分を凝視していたからだろう。少し不機嫌そうに、女子は繰り返した。

「いつから、いたんです?」

 大学生が、女子高生相手に弱気な態度である。

「いつからって……きみが来る前からだけど」

 なにがおかしいのか、女子は屈託なく笑う。相も変わらず、イヤホンからはひっきりなしにメロディーが溢れ出ていた。よくそんな状態で、俺の声が聞こえるものだ。

 人と話すときは、聞こえる聞こえないは別として、イヤホンは外すべきだとは思うが。一応の礼儀として。

 まあ、礼儀だとかなんとか、正直俺も守れているか微妙なんだがな。

 ひとしきり笑った後、女子はまた俺の顔を窺った。

 今度は体も、若干こちらに向けている。

「ぼ……わたし、星下端唄(ほしもとはうた)

 女子はそう名乗った。星下端唄……?

 あれ? この名前、どこかで聞いた覚えが……。どこだったかな……?

 思い出せない。もともと人の名前を覚えるのは苦手だから、まあ、それほど重要なことでもないだろう。

 それにしても、いきなり名乗るだなんて、ずいぶんと友好的だな。

「あ! アキさん!」

 俺が名乗り返そうと口を開くと同時に、道の向こうから優しげな声が響いた。

「ンタンさん」

 声の主は、大学でいつも清掃活動にいそしんでいるンタン・ヨルさんだった。ふわりとした髪が、風に揺れる。

「アキさんもお出かけですか?」

「え、あ、はい」

 俺は腰を移動させて、ンタンさんの座るスペースをつくる。ンタンさんは笑顔を強めて、静かにベンチに腰掛けた。ちょうど俺は、ンタンさんと星下端唄に挟まれることになる。

 星下に視線を向けると、ふいに黙り込んで、地面を向いていた。屈託のない笑顔がまるで嘘のようだ。音漏れもしなくなっている。音楽機器の電源を切ったのか。

 急にどうしたんだ。

「わたし、隣町の大学に呼ばれてるんですよ」

 ンタンさんは、そんな女子高生のことなどお構いなしに俺に話しかけてくる。割と図太い人なのかもしれない。

「へえ、そうなんですか」

 隣町の大学か……あ、もしかしたら俺と同じ目的地なのかもしれない。

「もしかして、『科学祭』のやつですか?」

「はい?」

 だがどうも違ったようで、ンタンさんは訝しげな表情を作った。訝しげとはいっても、結局は笑顔に他ならないのだが。

 星下は依然として地面を向いている。俺にはあんな態度を取っていたが、案外、人見知りなのかもしれない。それとももしかしたら、ンタンさんとは知り合いで、少々人間関係のトラブルがあって顔を合わせられないのかもしれない。よく分からないが、とりあえずそっとしておこう。

「あれ? あれれ?」

 ンタンさんが、手を自分の口元に当てる。

「え、どうしたんですか」

「……アキさん、『科学祭』のチケット、今持ってますか?」

 口元に添えていた手を、俺のほうへのばす。よこせって意味か。

 持っていないはずがない。「科学祭」は今日が開催日で、俺は今からその会場へ向かうのだから。

 俺はコートの右ポケットから、数日前に月下美人から受け取った紙切れを取り出した。

 そこには大きめな字で「科学祭」と記されている。その下には会場となる大学名と、その住所と電話番号。

「自転車で行こうと思ったんですが、隣町ですからね、ちょっとしんどいかなって」

「ふふ、アキさんったら面白いですね」

 俺から紙切れを受け取って、それと反対側の手で口を隠す。さっきからこの人、ずっと笑っている。なにをしても「笑」の字が離れそうにない人だ。

 アイボリーの髪が風に揺れる。

 日が高いところまで昇ってきたのか、バス停へ向かうときほどは寒くなくなっていた。二月はまだ終わらない。

 堪えきれなかったのか、そもそも堪えることなどないのか。ついにンタンさんは、腹を抱えて笑い転げてしまった。

 しかし、なにがそこまでおかしいのだろう……。

 考えても思いつかないので、直にンタンさんに訊いてみる。

 だがンタンさんは、「まだ気付かないんですか」とでも言いたげに、一層笑い声を大きくするだけだった。

 ンタンさんが、「自分で確かめろ」とでも言うように、俺にチケットを返した。

 その紙はさきほど見た通り、なにも変わった点はない。長方形をした紙だ。大きな字で「科学祭」と記されていて、その下のほうには開催される大学名と、その住所、電話番号が書いてある。それだけだ。なにがおかしいというんだ。

「これが、どうかしたんですか?」

「ぶはっ」

 ンタンさん、爆笑だ。

 ああいや、「爆笑」とは本来、複数の人が笑うことを差す。俺は今疑問に満ちた表情をしているし、星下は依然として沈んだ顔をしている。笑っているのはンタンさんだけだ。だから今回の「爆笑」は誤った使い方だ。だからといって誰かが困ることはないが。

 しかし本当に、一体このなにがおかしいというのだろう。

 今一度、チケットを見てみる。何度見ても、おかしいところなんて全くない。

 試しに裏面も見てみる。そういえば裏面は見た覚えがない――。

『はずれ』

 真っ白な背景を背にして、馬鹿に丁寧に書かれた三文字が、そう並んでいた。

「『科学祭』なんて、存在しませんし」

 種明かしのつもりなのか、ンタンさんはそう言い、また一際大きく腹を抱えた。

 ――ということで、バスに乗る必要はなくなった。

 予定時刻ぴったりにやってきたバスに、ンタンさんは乗っていった。隣町の大学へ行くんだったか。社会人はさぞ忙しそうだ。全く……。

「ぼく、あの人嫌い」

 バスが完全に見えなくなってから、星下がやっと口を開けた。視界も、どうやら地面から抜け出せたようだ。

「……ぼく?」

「はっ!?」

 急に慌てた素振りをする。長い髪から覗く頬が、薄く赤らんでいるのが見えた。

「いやこれはそのぉ……そのあの……えっと」

 恥ずかしがってる。恥ずかしがってる。

「ぼく――じゃなくてっ! わ、わたしは別にそんな……」

「いいんじゃないのか」

「へ?」

 真っ直ぐと伸びる黒髪は、今は少し、乱れている。

 ここの景色はつまらない。花はぽつぽつと咲いているが、どの色も映えるものではない。緑が多いのなら目の保養にはよさそうだが、決して緑が多いというわけではない。だからといって、人工物があるのかといえば、ベンチと時刻表くらいだ。

「別にいいんじゃないのか。なにが恥ずかしいのかよく分からんが、女子が『ぼく』を使ったら駄目なんて決まりは、全くないじゃないか」

「でも……」

 今になって気付いたが、星下の瞳はとても綺麗だ。澄んだ瞳をしている。このつまらない風景とは釣りあいそうにない。いい目をしている。

「でも、あいつは――あいつは、『ぼく』を使うのを気持ち悪いって言うし……」

 そう言ってまた、地面とにらめっこする。

「そんなやつとは別れちまえ」

「べ、別に付き合ってないし」

 俺は毎度のことのように、月下美人の悪戯にまんまと引っかかってしまった。が、友達がひとり増えたことを思うと、むしろ感謝してやってもいいかもしれない。

「んじゃ、またね。アキ」

 大学生相手に、高校生が呼び捨てするとはなかなかの度胸だ。だがそれを気にする俺ではない。どうせ俺も、気付かないうちに無礼を働いているのだろう。

 そういえば星下は、バスには乗らないのだろうか。ンタンさんとは逆向きだったのか。それとも誰かと待ち合わせをしているのかもしれない。

 どちらにしても、俺が長居する意味はない。

「じゃーな。縁があったら、また会おう」

 そう言って俺は、なかなか味わえない気分に浸りながら道路を下っていくのだった。

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