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妖精が創った人形  作者: 小伏史央
第1章
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三.


「ねーねー生徒の諸君! 『神』っていると思う?」

 授業が始まるや否や、月下美人はそう言い放った。あまりの唐突さと突飛さに、二百人を超える生徒たちが戸惑いを示す。

 だからこれ、生物学の授業なんだって。

「そこの君! そうそう君のこと。君はどう思う?」

 月下美人が、白い革製の手袋の人差し指をぴんと立てる。それが向いているのは、中間あたりの席に座っていた青年だった。

「えーと……いると思います」

「そう思う根拠は!?」

 先生が畳み掛ける。質問を受けている生徒がかわいそうだ。

「……神がいるって思ったほうが、いろいろ説明が楽だから?」

 青年がどうにか意見を搾り出す。なかなかできるやつのようだ。俺ならなにも答えられずにおどおどしている。

「ふーん。んじゃあそこの君! 君はどう思う?」

 今度は最前列に座っていた女性に、先生は指を差す。

「……います」

「へえ断定口調だねぇ。いいねえ、その根拠は!?」

 今日の先生、テンションが高いな。

「だって、『神』って言葉があるから。人が『神』を認識して『神』って言葉を作ったんなら、実際にいるのではと」

 そう答えた女性の髪は赤い。俺は最後列に座っているので、その女性の顔はさすがに見えないが、西洋の人だろうか。赤いストレートヘアーが、うなじを見えなくする。

「なるほど! 面白いねぇ。イケてるねぇ! だけど厨二病だねぇ!」

 先生は褒める。ベタ褒めする。最後の一言は余計だったと思うが。

 厨二病。思春期の少年少女にありがちな、自意識過剰などからくる言動傾向を持つ症状のことだ。大学生にもなってそう呼ばれる筋合いはないだろうが、どうやら赤毛のその女性は、その言葉になんとも思っていないようだ。

「存在しないものを認識するのが不可能だと仮定したとき、『神』という言葉がある時点で、なにかしら人類はその存在を認めていることになる。認識できないものを『神』としても、結局それがイコールで『神』になるのであって、『神』を認めていることになる」

 月下美人が、赤毛の女性の意見を具体的にまとめる。

「……まあ、こんなつまんない話じゃ、『神』の存在を証明することはできないわねー」

 ちょうど俺の横にいた生徒が、ふいに手をあげた。

「せんせーい。先生は『神』の存在を証明しようとしてるんですかー?」

 間延びした声だ。だがどうも、優等生という形容が妙に似合う。縁の細い眼鏡をかけている。

「うーん私はね、『科学的にありえない』って言葉が嫌いなの。そんなの、説明できないことへの言い訳でしかないじゃない。発明王トーマス・エジソンはね、晩年のころには死後の世界との通信方法なんかも探ってたんだよ。科学ではできない、では終わらせないで、何度も実験を繰り返したの。諦めることなく、ね。エジソンは不可能を何度も可能にしてきた。もし彼の寿命がもう少し長かったら……いえ、今頃なにを言ってもどうしようもないのだけど」

 坂を転がるように勢いよく、月下美人はそう言い放ってから、短く溜息のようなものを吐く。

「ありえないことなんて、この世にはない。本当にありえないことはきっと、人の頭では到底思いつきもしないだろうから。……私はアメリカに行ったことはないけれど、他の人がアメリカに行ったりしてるから、アメリカは存在する。私は人を殺したことはないけれど、人を殺した人がいるから、たぶん人は殺せる。――こんな感じで、私は『神』を見たことはないけれど、『神』がいると主張している人がいるんなら、とりあえず『神』はいるんじゃない? そういうわけで、人の頭で思いつくものは、なにもかも存在している。学者たちは、それをひとつずつ証明していけばいいだけ。簡単な話でしょ?」

 だからきっと、魔法や呪いもある――そう締めくくるように、先生は言う。

 少々、短絡的な説明だった気もするが。月下美人にとっては、それでいいのだろう。

「では、授業を始めます」

 ……まあ、これは前置きにもならない、ただの雑談だったのだが。

 授業が終わり、生徒たちは部屋を後にしていく。

 俺は混雑するのが苦手なので、最後列に座っているくせに、部屋の人たちが出て行くのを待っていた。俺の横に座っていた眼鏡の女性は、もう真っ先に部屋から出て行ってしまった。

 俺と同じく混雑を嫌っているのか、まだ席に座ったままの生徒も数人いた。その中に、授業の最初のあたりで目にした、赤毛の女性がいることに気付く。

 女性は、どこを眺めるわけでもなく前を向いていた。正確に言えば、斜め上を。

 なぜか、部屋が異質な空間になっていくのを感じる。歪んでいくというか、傾いていっているというか。なんとも、船酔いしたような気分になってきた。

 腕時計を見る……と、そういえば壊れているんだった。

 止まった時計を付けるのも煩わしいので、取り外してリュックに入れる。

「あら、エロ本でも読んでいたのかしら」

 ふいに誰かの声がした。女の声だ。

 声はすぐ近く、俺の横の席からだった。

 俺の横にいた眼鏡の女は、もう出て行ったはずだが……。

 その女は、髪が赤かった。いや、赤色というよりも紅色といったほうがより近いかもしれない。それはともかく、とにかく赤毛をした女が、いつの間にか俺の隣にいた。

 病的なまでに肌が白い。ストレートの赤毛が肩へまで胸にまで垂れていて、なんだこれ紅白かよといったまでに。肌が白い。ゲレンデのように白い。

 この女、授業で最前列に座っていた女だ。いつの間にここまで来たのか。

「ふふ。さすがに、授業中にエロ本を読むのは高校生までかしら」

「……」

 一体、この女はなにを言っているのだろう。そんな台詞は美鬨だけで十分だ。それも初対面だというのに、いきなり「エロ本」だとは……。

「あら、これは失礼をしましたわ。私としたことが、男子大学生に向かって失言を働いてしまいましたわ。全く……この口にはおしおきですわね」

「あの……」

「ところで道をお伺いしたいのだけど」

 赤毛の女は、やっとまともな発言をした。……いや、キャンパス内で道を訊くというのは、まともな言動なのか? いやしかし、エロ本発言と比べるとずいぶんまともだろう。もしやこの女、わざとエロ本発言をすることで道を訊く羞恥だとかを薄めたのか? 考えすぎか。

「私の未来は、どこへ行けばいいのかしら」

 俺の返事を待つことなく、女はそう言う。

 って? 未来?

 道ってまさか、人生だとかそういう意味の道なのか……。

「……」

 俺はなにも言えない。なにか口にしたところで、それは疑問を示すものにしかならないだろう。

「私の未来は、右? それとも、左? 上? 下?」

「……」

「なにかお答えくださらない?」

 顔色ひとつ変えずに、ただ口だけが休みなく動く。彼女の真っ白い顔が、細い目が、ふっくらとしているが色の薄い唇が――怖い。

「すいません。分かりません」

 そう言って俺は、もうここを出ようと立ち上がった。

 腕を掴まれた。女の、心臓が凍ってしまいそうなほど冷たい手が、俺の腕を掴んだ。

 もうこの部屋には、俺とこの女の他には誰もいなかった。

 なんだ、なんだ、なんなんだ。俺がなにか悪事を働いたのか? 恨みでも買ったのか? そんなの買った覚えはない。一円も払った覚えはない。

「怖がらないで」

 細い弦を奏でるような声。弦は今にも切れそうだというのに、構わず音を出す。

「私の名前は、オウギ。あなたの……お名前は?」

「ひっ」

 女が、腕を掴んでいないほうの手を、俺の顔に滑らせた。爪には赤いネイルが塗られていた。指は軽やかで、細く、白い。

 振り払えそうなほど力のなさそうな行為だ。……そのはずなのに、金縛りにあったように足が、手も、首もなにもかも動かない。

「学生ってお得ですわ」

 爪が俺の頬を撫でる。それは優しい撫で様であるのに、まるで痛い。

「そうお思いにならなくて? こんな、こんな素晴らしい授業が受けられるんですもの」

 動け、動いてくれよ俺の足。なぜまるで、裁縫されたように動けない。床に縫い付けられでもしたように、動いてくれないんだ。

「感動的な授業ですわ。つい『真実』を語ってしまいそうになるほど、あの教授の語りは素晴らしい」

 酔ったように女は言う。今日の授業は今年度最後ということもあって、ほとんどが雑談だったというのに。

「家菜美鬨」

 ふいに、声色を変えて女が言う。だが表情が変わることはない。終始、酔ったように痴れたように口を動かしている。俺のほうを見ているようであって、なにも見えていないようでもある。まるで全てが見える盲目者。

「美鬨が……どうしたというんだ」

「あら。やっと話をお聞きになったと思ったら、下の名前で呼び捨てですのね。ふふふ」

 なにがおかしいのか。下の名で、それも「ちゃん」だとか「さん」だとかを付けずに呼んで、それがおかしいのか。

 ……いや、人によってはおかしいのかもしれないが。

「あなたと家菜さんって、もしかして恋仲なのかしら」

「いや、そういう関係ではない」

「あら。ずいぶんとはっきりとお答えになるのね」

 楽しそうに、されど表情を変えることなく女は言う。口を動かす。俺の体は一向に動かないというのに、女は揚々と口を動かす。

「ひとつ、とてもいいことを教えてさしあげますわ」

 赤毛が少し揺れた。肩を震わせているのか。

「な……なんだ」

「とても簡潔なことですわ」

 女の肌は、病的なまでに白い。白いゲレンデ。そこで流血した少女が横たわっている。なぜ血を流しているのかは分からない。スキー板で殴られたのか、氷柱が刺さったのか、鹿に噛まれたのか……。白い雪に、赤い血が滲む。そんな色の髪をしている。要するに、人の死を連想してしまいそうな容姿をしている。

「家菜美鬨は、本日をもちまして、死にましたわ」

「……」

 今度はなにを言い出すのかと思えば、全く、訳の分からないことだった。

 エロ本発言と比べてみるに……どうだろう。どちらのほうがより狂っているだろうか。

「まあ、『真実』をそう簡単に知ることはできませんわね。確かにこれは、まだ『事実』ではなく『真実』なのだから、信じられないのも無理はありません。明日から春休みですし、どうも、タイミングを間違えてしまったようですわ。……仕方ありません。またお会いしましょう」

 足が動くようになったのは、女が部屋を出てから、五分ほど経ってからのことだった。

 もう帰ろう、そう思い駐車場へ向かう。

 途中、月下美人に会った。少しだけ話をする。

 今は何時だろう。そう思って左腕を見た。……腕時計がなかった。

 ああそうか、そういえば壊れたんだったな。

 俺の時間は狂って、止まってしまったのだから。


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