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妖精が創った人形  作者: 小伏史央
第5章
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四.


 額の傷は、それほど大きなものではないようだ。ひとまず安堵する。傷口を押さえるものがないか探したが、なにもない。紅い生地の布も、もうどこかで落としてしまったようだ。首元が露わになっている。衛生的に大丈夫なのかは分からなかったが、自分の服の袖を剥ぎ取って布の代わりにした。水に濡らして、額を押さえる。

「アキ……」

 意識もなくなってはいない。俺の膝を枕にして、苦しそうに美鬨が言う。

「なんで……端唄が」

「……分からない」

 分からない。

 地獄の業火に晒されているんじゃなかったのか? なぜ戻ってこれたんだ? なにがどうなっているんだ?

 食堂はとても静かだった。物音を立てるもの全てを抹消したように静かだった。円テーブルが広がっている。自動販売機は稼動していない。電気コードが散らばる。電灯はついていない。つける気はない。つく気がしない。

 何分間じっとしていただろうか。俺も美鬨も、静寂に埋もれて銅像になっているようだった。風に晒されることもない。侵食の(おそれ)はない。

 だから物音が起こったときは、それはそれは爆音のように聞こえたものだった。実際には弱弱しいものだったのだろう。動かない俺たちよりも弱い、小動物のようなものだったのだろう。だが俺たちは、その音によって人間に戻った。俺たちは銅像ではないことを思い出した。

 音の主は、形相を露わにして硝子戸を叩いていた。何度叩いても割れることはない。それでもその少年は叩いていた。なにか叫んでいるようでもあった。だがなにも聞こえなかった。別に、ガラス戸が食堂を密閉しているわけではない。だからその少年は、叫ぼうとしてなにも言えてないのだ。俺はそう判断した。

「印」

 かじかんだ口を動かす。その少年の名前を言った。死後の名前だ。

 妖精なんて存在しない。印の顔を見て、俺はそう確信した。心の欠けた人間が、あんな必死な顔を作れるわけがない。心の定義なんてどうでもいい。俺にとっての心はそうだ。

 心を失うとか、妖精の仕業だとか、そんなことは二次的な妄想でしかなかったのだ。単に俺たちは、死んだだけだったのだ。死んで、そのことを受け入れられなくて、勝手なエセ理論をでっちあげたのだ。妄想だ。幻惑だ。

 俺たちは死者でしかない。人形だとか魔法使いだとか同級生だとか、そんなことはどうでもよかったのだ。死者は死者だ。それ未満でも超過でもない。

 これがなんなのかは分かった。分かったというよりも感じた。

 この町は、死者の町。妄想に取り付かれ、幻惑に支配された町だ。この町は幻惑が第一になっている。だから俺たちは、順調な大学生活を送ってこれたのだ。一般的な、生きているときにすべき生活を過ごすことができたのだ。俺たちがそう妄想したからだ。死を拒絶したからだ。生を望んだからだ。

 美鬨の頭を、ゆっくり持ち上げる。いつの間にか美鬨は眠っていた。ショックのせいで寝込むとは、このことをいうのかもしれない。

 そのまま、美鬨を床に横たわらせた。食堂の床は、そこまで汚いというわけでもないだろう。後で怒られそうだが、それも妄想のひとつにすぎない。

 俺は立ち上がって印を向いた。印は涙ぐんだ瞳で、未だに扉を叩き続けている。端唄の復活に気付いたからなのだろう。自分の所業を悔やんでいる。自分の無能を怨んでいる。

「鍵、開いてるぞ」

 俺はそう言った。強く思念して、鍵はもともと開いているものだと願った。

 ここは天国のようなものだ。準天国とでもいおうか。願えばその通りになる。天国はきっと願うまでもなく叶ってしまうところなのだろう。ここはその、少し程度の低い世界――。

 俺の言葉の少し後に、扉の鎖は外れた。静寂を打ち破る。

 勢い余って印が前のめりに転ぶ。床に顔を擦り付ける。

「あ、あれ」

「整理したい」

 戸惑っている印を尻目に、俺はそう話しかけた。印に対して話しかけたわけではない。今もどこかにいるはずの、星下端唄にである。

「姿を現せ。たとえそれが幻惑であったとしても、目に見えたほうが接しやすい」

 俺は言う。どこに向かって話せばいいかは分からない。だからなにも考えずに発言した。どこにいるかが問題ではない。いるかいないかが問題なのだ。

「ぼくはここだよ」

 足音が響く。起き上がろうとした印の背後――端唄は廊下を悠々と歩いていた。こちらに迷いのない足取りで近寄ってくる。

 頬に血痕がある。神谷先輩がいたときはなかった。

「ああ、この血。この血は、印とアキが『気付いた』ときについたものだよ。厳密には、ぼくが自分でつけた。……痛みで存在を確立するためにね」

 訊かれる前に答える。

「この町には、もうこの四人しかいないよ」

 端唄が付け加えるように言う。

「もう地獄に落ちるのは御免だから、早めに対処しておいたんだ。この町の答えを知っている人だけが、『神様の声』を聞くことができない。ぼくたち四人は、無知であることを知っている。だけど他の人たちは、自分が死んでいることさえ知らなかった」

 ――そのせいでぼくは地獄に落ちた。

 端唄がそう呟く。

「あんなところへはもう行きたくない。……ううん。地獄から抜け出すことなんてできない。ぼくは」

「きみは……僕の幻想だ」

 印がそう言った。

 ここは薄暗い。

「きみが地獄に落ちて、僕は諦めをつけたつもりだった。だけど……やっぱり未練を完全に断ち切ることはできなかった」

 印は言う。端唄が小唄を取り込んで、端唄は地獄へと落ちていった。だが印は、最後まで端唄に想いを伝えていない。……それだけではないのだろうが、主にそれが原因として、印は未練を持った。

「僕は無意識に妄想してしまったんだ。きみを脳内補足してしまった」

 印の涙は尽きることを知らないのか。止まない雨が降り続けているように。

「この町は妄想を現実にする。町がきみを蘇らせてしまった。僕が町を幻惑してしまった」

 印は言う。嗚咽が混じっているが、それはとても聞きやすい。

「きみは新しい星下端唄なんだ。星下小唄と一緒になった端唄は、まだ地獄で呻き声を上げている。きっと永遠に苦しまれ続ける」

 三度目。

 きっと、これで三度目なのだろう、つまるところ。星下端唄は、これで三度目の誕生を遂げたということか。

「へえ。それじゃあ、本当はまだ、オリジナルのぼくは地獄にいるんだ。ぼくは地獄から抜け出せたんじゃなくて、新しく生まれてきた。――きみの妄想で」

 印が頷く。

「それで、他の住人はどうしたんだ?」

 俺はそう訊いた。

「みんな、廊下で倒れてるあの眼鏡みたいになってるよ」

 神谷先輩。

 みんな、自分の死を見せ付けられた。

「ぼ、僕は!」

 印が叫んだ。

「……なに?」

 端唄が意地悪そうにそう訊き返した。印の顔は涙でぐしゃぐしゃだ。

「――好きでした。好き、だから、その」

「あっそう。うふふ。だけどごめん。ぼく、印にそういう感情抱けないから」

「え、でも二人きりで遊んで、修学旅行のときは」

「だから。一回一緒に歩いたくらいで勘違いしないでほしいなー。ぼくを地獄から救ってくれたり、この町までつれてきてくれたのはありがとう。でも、印は良い人ってだけ。ぼくはきみよりも煙草が好きなんだ。ごめんね」

 印が取り乱したように頭を抱える。涙はもう流れてはいなかった。止まない雨など、所詮ない。

「そんな、そんな」

 印の足場は、まるで絶壁のように安定していない。そもそも安定という言葉を使うことさえできない。まっさかさまに落ちていく。

 印のまわりは正方形。

「じゃあ僕は今まで、なんのためにこの町を見つけ出して――創り出して――。僕は、僕はなんのために!」

「自己満足なんだろ。好きな女のために死者の町たらしめた。それだけだ」

 俺の言葉で印の膝が砕ける。印は座り込む。

 ただ嘆くだけだ。この少年は、俺に飛びかかろうともしない。全てが終わってからでないと告白もできない。この少年は。

 まあ、ただの青春ってもんだろう。魔法なんてそんなものだ。自分に絶対的な自信を持って、自意識過剰で、自分ならできると思って。――そんな幻惑が、魔法の正体なのだろう。この町を死後の世界たらしめていたのだろう。

「これからどうするんだ」

 俺は端唄にそう言った。これから。

 町にいる者は、俺を含めてたったの四人。うち四人は既に死んでいる。

 死んでいるのに、天国にも地獄にもいかずに地上で生活している。そのくせして幽霊というわけでもないのだろう。確信はできないが、おそらく俺たちは、バス停に咲く花のような曖昧な存在だ。

「どうもしない。地獄にいかなくてもいいのなら、ぼくはこの町にいる」

「この町は、お前が滅ぼしてしまった。理解できるか? この町に住人はいない。そのうち廃墟と化す。そんなところで、お前は永遠に暮らすというのか」

「地獄よりはマシだよ。アキ、きみは地獄の恐ろしさを知らない」

「俺は……俺はこの町を出て行く。美鬨と共に」

 美鬨はまだ起きない。

「勝手にしなよ。……それで、印はどうするの? 町を出て行く? ここに残る?」

 端唄がそう印に訊く――が、印の姿はいつの間にか消えていた。

「あれ」

 端唄が首を傾げる。端唄も印がいなくなったことには気付かなかったようだ。

「……まあ、いいや」

 端唄はそう言って、俺に背を向けた。足音を立てて、来た廊下を歩いていく。

「おい」

 俺はそれを引き止めた。

「うん?」

 端唄は面倒臭そうに振り返る。

「どこへ行くんだ?」

「……まだ死体の処理してないんだよ。今、町は死体だらけ。片付けないと」

 今度こそ端唄は歩いていく。

 自動販売機は稼動していない。ただ蜘蛛の巣のようにコードがのびている。

 商品を見ると、その中にコーラがあった。喉を潤したいが、生憎、金を入れてもジュースは出てきてくれない。どこかに稼動スイッチはないのだろうか。自動販売機の仕組みがよく分からないから、コーラは取り出せない。断念する。

「う、うぅん」

 美鬨が瞼を上げた。

「お目覚めか」

「え? なに、扉が開いてて」

「寝てる間に解決とか、お気楽なやつだな」

 俺はひとまず笑う。起きないんじゃないのかと、実は内心穏やかではなかった。

 雄叫びのような声が響いた。

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