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妖精が創った人形  作者: 小伏史央
第4章
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五.


 玄関から部屋までの短い廊下は、部屋の光に相反して暗い。その明暗によるのか、空気が歪曲しているような感覚だった。自分の足場が傾いているような、天井が斜めになっているような。

 そんな空間で、美鬨は言った。

「私、怖いんだ」

 赤い髪。白い肌。

 その容姿は、本来の彼女の姿ではない。本来の彼女は、肩のあたりまでで切られている、光沢のある黒髪だ。肌も健康的な色をしている。

「私が魔法使いになったのは、中学生のときだった」

 美鬨は呟く。それはきっと俺に向けての言葉なのだろうが、俺は、それを正面から受け止めることはできない。こんな、曲がり歪んだ部屋の中では。

「私の家が、燃やされた」

 それでも美鬨は語る。話したいだけなのかもしれない。

「たぶんあの格好は……女子高生だった。膝を完全に隠すスカートと、ボタンの開け放たれたブレザー。それと、私よりもちょっと長めの黒髪。イヤホンを髪の裏に続かせていた」

 耳にしただけで、その姿が浮かび上がってしまう。

「その人が、家に火をつけた。……でも父親も母親も、炎を前にしても逃げようとしなかった。――まるで心を失ったみたいに、なにもしなかった」

 まるで、心を。

 美鬨は膝に顔をうずめる。俺と顔を合わせない。俺も、今どんな顔をしたらいいのか分からなかったので、それでよかった。

「火をつける前に、その人は私たちの家に勝手に上がりこんできた。父親も母親も、最初は呆気にとられていたけど、すぐに注意した。不良には見えなかったけど、実際にしていることは不法侵入、犯罪だったから。……でも、父親も母親もなにもできなかった。まるで自然な動きでその人は、二人の耳に片方ずつ、イヤホンをつけたんだ。そうしたら二人ともなにもしなくなった」

「そいつは――」

「そう。私はバス停でその人をまた見たとき、もう頭が混乱して、私が私であることも忘れて、ただ逃げたくなって……怖かった」

 肩が重たい。足が痺れている。視界に靄がかかっている。鼓膜がうまく震えない。鼻が痒い。肘が痛い。

 オウギが――美鬨がンタンさんとの戦闘のとき逃げたのは、一時的な恐怖からのものではない。何年も積み重なって山になった恐怖が、衝撃で崩れて広がったのだ。

「父親と母親が動かなくなってから、その人は私のほうに歩み寄ってきた。ああ、私も死ぬんだ。そう感じた」

 部屋の空気を伝わる声は、震えてなどいない。もともとこの部屋自体が震えているのだから、振動が合わさって起伏が消えている。

 明暗が俺たちを包む。

「私もイヤホンをつけられた。……だけど、私はなんともなかった。イヤホンからはなにも聞こえなかった」

 ンタンさんの最期を思い出す。イヤホンをつけられて、絶叫を上げて動かなくなった。魂でも吸い取られたようだった。

 イヤホンを相手につける端唄を思い出す。その行為をするのに、なんの躊躇いも示さなかった。それが当然であるように。手を離した物体が重力に従って落ちるような、当たり前の動作だった。

「私は逃げた。炎をくぐって逃げた。誰かの助けを求めて叫んだ。誰も来なかった。その人ももう追ってこなかった」

 俺は鬱陶しくて電灯を消した。明暗が潰える。暗闇。

「……ありがとう」

 美鬨が顔を上げたような気がした。光に慣れてしまっているせいで、まだ暗闇ではなにも見えない。

 暗部を照らし出す必要はない。俺はもう後悔しないし、嘆くこともしない。ただ美鬨を受け入れよう。暗いところも明るいところも、全部ひっくるめて。

「もういい」

 俺は言う。

「そっから、かくかくしかじかあって魔法使いになりましたとさ。そして職について人形壊していましたとさ。でも怖いやつが現れましたとさ。……そういうことで大体合ってるだろ」

 暗いからよく見えないが、美鬨は頷いたんじゃないだろうか。

「あ、そうだ。お前が死ぬ『真実』がなんとかってやつ、あれは結局なんなんだ? 人形壊さないとお前死ぬのか?」

「いや……その。私の名前出せばアキも真面目になるかなって。美鬨のためならしょうがないなあって頑張ってくれると思った」

「そうか。単なる嘘だったってことか。……あれ、じゃあ、なんでそもそも俺を巻き込んだりしたんだ?」

「私、家菜美鬨は別に恋人でもなんでもないっていうアキの言葉、未だにショック引きずってるんだけど」

 オウギ姿のこいつに会ったとき、そういえばそんなことを言った。

 ああ、そういうこと。

 とんだ迷惑なやつもいたもんだ。

 踏み入るのなら知ってほしい。関わるのなら助けてほしい。いつの間にか俺は、そんな甘えられるような人間になっていたというわけで。

 それは俺も同じことで。

「美鬨」

「うん?」

「好きだ」

「うん」

 この一年間、美鬨はどう感じていたのだろう。いつから想いを寄せてくれていたのだろう。いつから美鬨は、もう一人の自分を偽ることに煩わしさを抱くようになったのだろう。

 暗闇の中、美鬨が立ち上がって俺と向かい合っているのが分かった。もう目は暗闇に慣れていたが、俺は気付かないふりをして美鬨の顔を見つめた。

 ……まだオウギの顔だったが。

「この顔で抱きしめたら、いろいろあれだよね」

 俺の見えないふりは、どうも簡単に見破られていたようだ。

「……そうだな。なんというか、他の女相手にしてる感が」

「怪我が治ってからだね。正式に付き合うのは」

「抱きしめなかったら付き合ったことにならないのか」

「雰囲気的に」

 暗闇は、目が慣れてしまうと明るかった。

 だが、それは明暗とはまた違う。明暗は暗いのと明るいのが共存することだ。が、この雰囲気は、暗くもなく、明るくもない。

 全く……今からなにをしたらいいのか分からない。

「怪我は……どれくらいで治りそうだ?」

「うーん。一ヶ月くらいかな」

「一ヶ月その顔か……」

「この顔は苦手?」

「うん、ちょっと……」

 俺と一年を過ごしたのは、あくまでも美鬨のほうだからな。同一人物とはいっても、オウギとは仲良くなれそうにない。

「そういえば、星下先生いなくなっちゃったが、来年度から授業どうするんだろ」

「うーん。まあ困るだろうねぇ」

「というか、その顔でどうやって大学行くんだ? 一ヶ月っていったら、割とぎりぎりだが」

 もう三月に差し掛かる。

「……頑張って新学期までに治しますです大佐」

「いきなりどんだけ昇進してんだよ」

 少尉から大佐って、七、八階級くらいは上がってるよな。

「……仕事はどうするんだ?」

「人形壊しっすか」

 返事しながら、美鬨は困ったような顔をする。そういえばオウギは表情を全く変えていなかったが、それも演技のようなものだったのだろう。笑顔を見られたらバレるとか、そんなことを考えていたのかもしれない。

 なにかに酔ったような表情は、例えば、俺を引き込むことに対する顔だったりして。

「……とりあえずアキの収入が安定するまでは続ける」

「……そうか」

「照れんなよー」

 恐怖の元であった端唄も、もういない。心に傷を負っていないかが問題だが、その問題の元凶がいない今、そう心配する必要もなかったかもしれない。

 仕事は仕事だからな。

 ……給料ってどんな感じなんだろう。

「その、端唄のイヤホンが気になるけどな。結局どんなものだったのか。お前がなんで助かったのかとかな」

「うーん。そんなのどうでもいいんじゃないー? 今アキといれるなら」

「……」

「だから照れるなよー」

 端唄のことを口に出したら、いろいろと疑問が湧き上がってきた。告白してからなんか、会話が変な方向に進んでいる気がしないでもないが。

「そういえば、お前って印の家にいるときは動けないとかじゃなかったの? 先回りしてここまでどうやって来れたんだ?」

「あー。それは、印くんの策略と言いますか」

「策略?」

「大学生の恋愛に一役買ってくれたってことっすよ二等兵」

「転落!」

 どんな失敗すれば大佐から二等兵にランクダウンするんだよ! そうなるぐらいの失敗ならむしろ首撥ねられてそうじゃねーか。

「つまりね、うーん。動けないってのは実は嘘で、ここにオウギがいるわけないとか思わせることで、アキの本当の私に対する気持ちを量るというか……。ハンカチ首に巻いたのもそのヒントみたいなものだし」

「そうだったのか……。なんというか、よく分かんねぇな。んじゃあ五百円玉もそうなのか?」

「ううん。それは単純なミス」

 分からないな……。美鬨はそれで納得しているようだが、俺に告白を誘導させるのなら――オウギと美鬨が同一人物だと俺に気付かせるには――むしろ逆の嘘をついたほうがよかったんじゃないのか?

 動けないという嘘は、ノイズになってしまっている気がするが。

「お前……ほんとに美鬨だよな?」

「ういっ!? ここにきて疑惑っすか」

「……すまん。確かにお前が美鬨本人なのは、フィーリングだかなんだかで分かる」

 だが……。

 電灯がついた。

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