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妖精が創った人形  作者: 小伏史央
第4章
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三.

 俺は自分の受験番号があることを確認し、非常に上機嫌になっていた。大袈裟に「やった!」と叫んだものだった。

 俺は自分を待ち構えるキャンパスライフに胸を躍らせていた。これからの期待や熱望が、掲示されていた受験番号には篭っていたのだ。

 親元を離れて田舎の大学を受験した。一番に、一人暮らしがしたかったというのがある。狭い部屋を借りて、自分で生活費を稼いでいく。自分のためだけに金を稼ぎ、自分ひとりで生活をする。これは若い時期にしかできないだろうと、俺は思っていたのだろう。ともかく親の元を離れたかった。不思議と、支援金のようなものは両親から貰わなかった。大学に合格して実際にこの田舎に住むようになってからも、音信不通という四字熟語が似合いそうになった。一人暮らしってそんなものだったのかと、最初は違和感に苛まれてしまっていた。

 ただ、大学の食堂で食べられるキムチ丼は、物凄く美味しかった。

 炒められたキムチは、辛さの中にほんのり甘さを宿している。炒めるだけで! 香ばしいかおり。食欲をそそる。そしてまた、ご飯ととてもよく合う。もともとキムチは漬物の一種……ご飯と合うものだ。それを炒めることで、さらにご飯の温かさとよく絡み合っているのだ。なんたる相乗効果! 俺はまさしく、キムチ丼の虜になった。食堂で食べる料理のうち、三回に二回の割合くらいでキムチ丼を頼んだ。とにかくその美味さに取り付かれたのである。

 そんなある日のことだ。

 昼時を少し過ぎた時間。俺はキムチ丼を頼んで、トレーに載ったそれを持って、さてどこで食おうかと辺りを見回していた。

 昼食時を過ぎたからだろう。食堂には、俺の他に一人しかいない。

 見たことのない女子だった。肩にかかるくらいの黒髪で、どことなく気だるそうな目つきをしている。トレーの上には、俺と同じくキムチ丼が置かれていた。それはなんとなく仲間を見つけた気分で嬉しかったのだが、なぜかその横にはあんパンがふたつ積まれていた。

 女子は、キムチ丼を食べながら、まるで味噌汁を啜るように自然な動作であんパンを箸で切り取って食べた。

 ――どういうことだ?

 俺の頭の中で、疑問符が発生し始める。

 ――辛さと甘さを重ね合わせているのか? 辛さと甘さを中和させているのか? ……あんパン効果?

 はっ。まさかこの女子、料理を組み合わせることによって、新境地の開拓に力を注いでいるのか!

 そんな感じで、彼女の姿に気をとられてしまった。それはとても危ないのである。なにぶん俺は新米、その辺の注意に鈍感だった。

 自動販売機のコード。この食堂には、みっつの自動販売機が設けられている。だが、みっつにしてはコードが多いのだ。まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされている。どこにそれほどエネルギーを使うことがあるんだと言いたくなるが、どうせなにか事情があってのことだろうから仕方ない。

 俺はコードに足を引っ掛けてしまった。

 体勢を崩してしまう。

 あっ。俺のキムチ丼が――。

 器が宙を舞うその姿は、芸術と言ってもいいほど美しかった。そう明言しておこう。惨事ほど華麗なものはない。ほのかにかおりを纏わせながら、キムチが器から飛び出る。ご飯も然りだが、キムチほど離れ離れにはなっていない。手を握って離さないのだろう。いい団結力だ。

 どうにか転ばぬように耐えた。セーフ。

 だが俺の手元にあるのは、トレーのみ。キムチ丼は――。

 見知らぬ女子の頭にぶっかけられていた。明らかにイラついた目つきで、俺を睨む。髪その他諸々に、ほかほかしたものがべとついている。頭の先から胸のあたりまで、キムチとご飯のオンパレードだ。

 こ、れ、は、や、ば、い。

 俺はどうすればいいのか分からずにただ彼女の顔ばかり眺めていた。行動力のない男である。我ながらがっかりだ……がっかりする余裕があるならなんとかしろ!

 と。彼女が手をのばしてきた。

 手の平を上にしている。少し小さめだ。それでいて綺麗な肌質をしている。努力をしないタイプだと見える。

「賠償金」

 ですよねー。俺は彼女の言葉に、ただ頷くことしかできない。完全に俺に非がある。これは仕方ない。あまり高額だと生活に困るのだが。

 ああ、今まで夢見ていたキャンパスライフが、まさか初頭でこんなことになるなんて。現実って厳しいなー。

 一体、いくら要求されるのだろう。

「……二十七円」

「安っ!?」

 そして細かっ!? どこの消費税ですか!? 税別いくらですか!?

「うー。気持ち悪い……」

 鬱陶しげに彼女は自分の髪を摘む。キムチについていたらしい唐辛子がこびりついていた。なんとも壮観。

「あ、タオル! タオル持ってくるから!」

 そう言って俺はカウンターへ向かう。食堂の従業員に話しかけて、タオルを借りる。……というかここの従業員、目の前の惨事を完全無視していた。……俺のせいなのだから、仕方無いといえば仕方ないのだが。

 タオルを手渡す。器にご飯やキムチなどを入れる。俺は女子に触るわけにもいかず、その様子を眺めることしかできなかった。

 とりあえず大きいものは取り除けたようだ。それでも露骨に気持ち悪がっている。それもそうだが。

「えっと……確かシャワールームは」

 大学内の地図を取り出す。地図といっても、俺が書いた簡略的なものだが。

「えっと……あっちにあるのか」

 彼女をシャワールームに連れて行く。ちなみに、キムチ丼の残骸は泣く泣く捨てた。いや、ここで食べたら一生もので軽蔑されるだろうが。

 彼女がシャワールームに入っていくのを見届ける。全く俺としたことが……自動販売機のあのコード……絶対にこれからは気をつけよう。下を向いて歩こう!

 腕時計を見る。これは大学の合格が決まったときに、親が祝いに買ってくれたものだ。少し盤面が大きめなのが特徴だ。時刻を確認しやすい。

 次の授業までは、小一時間あるようだ。しっかりと詫びないといけないだろうから、シャワーを終えるのを待っておくか。

 二十分弱経って、彼女はシャワールームを出てきた。髪の艶を取り戻したようだ。……が、服は胸のあたりまでシミだらけになっている。ファッションセンスを問いたくなってしまう色合いだ。盲点だった。シャワールームじゃ服は洗えないじゃないか。

「あ、待ってたんだ」

 彼女は、たいして表情を変えずにそう言う。湿った髪が肩に垂れる。

「あの、ほんとすいません」

「うーん。ちょっと許せないかも」

 そう言いながら、彼女が俺にタオルを渡す。キムチ臭い。従業員に返すのを忘れていたか。

「割と一生ものの傷負ったかも」

「……すいません」

「嫁入り前に傷物にされちゃった」

「すいません……って、え!?」

 そんなこと俺してないよ!? キムチかけただけだよ!?

「えーっと……一年?」

 彼女がそう尋ねる。とりあえず、まだ話してくれるようだ。

 俺はサークルに入らなかったのもあって、あまり友達ができなくて案外途方に暮れていたりした。サークル紹介には行くべきだと少し後悔していたりしていなかったり。まあ、まだ大学生活は始まったばかりだ。

「あ、はい。一年です」

「ふーむ。……あの、敬語やめて」

 ――私も一年だから。

 彼女がそう呟く。……大学に通い始めてから思うのだが、見るだけでは人が何回生か分からない。隣の席の人に話しかけられたとき、同じ授業を受けるのだから同級生だろうと思って思い切ってタメ口で話したら、実は二年上の先輩だったということがあった。少し気分を害してしまったようで、あれからまだ会っていないのだが……確か、神谷とかいう名前だっけ。

「私、家菜美鬨」

 そう彼女が手を出す。握手のつもりだろう。

「え? イエナミさん?」

「う。家菜が苗字で、美鬨が名前」

「あ、失礼。……俺は穐本智秋」

 手を交わす。それにしても、初対面で親睦の意で握手とか……小説や映画とかではたまに見かけるが、実際にしたのは初めてだ。少し、家菜は手汗をかいているようだ。それともシャワーの湿気がついたままなのだろうか。

「えーっと。それで、その服どうする……?」

「服……」

 家菜が、思い出したように自分の体を見る。なんというか、グラデーションに成り切れていない。三流のデザイナーがデザインした服のように見える。

 というか、ちょっとにおうな。

「授業までは、あとどれくらいある? 時間があるんなら、一旦家に帰って着替えたほうがいいかも」

 俺の提案を頭の中で噛み砕いているようだ。「うーん」と呟く。

「じゃあそうする」

「えっと……こういうときって家まで送るものなのか」

「いや、それはちょっと違うと思う」

 これが、俺と家菜美鬨の出会いだった。

 たいてい会うのは食堂だった。この一年間、あれから食堂でよく一緒に食事をするようになった。いろいろな話をした。どうも美鬨は友達付き合いが得意ではないらしく、俺の他のやつと話しているところを見たことがない。

 美鬨の家に着いた。その家は、アパートの二階の一室だ。扉に「204」と書かれた札が取り付けられている。部屋番号なのだろう。

 インターホンを鳴らそうと思ったが、どうやらそれらしきボタンがない。

 住所の記された紙をポケットに戻した。

 扉を軽くノックした。

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