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妖精が創った人形  作者: 小伏史央
第4章
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二.


 春休みといえど、門扉を閉じているわけではない。教授たちにとって、この田舎の中では大学施設が最も適した研究場だからだ。ゆえに警備も緩い。もともと田舎の警備は緩いものなのだが。

 俺は、生物学教授、星下小唄の私室に忍び込んでいた。鍵を壊してだ。星下小唄はもうこの私室を利用することはない。ならば見つかる危険性も少ないだろう。そういう目論見だ。

 漁る。抽斗の中を。

 それはいともたやすく見つかった。星下小唄、あまりセキュリティの高い女性ではなかったようだ。

 それに目を通す。いや、これではなかったようだ。その辺に放ってまた他のものを探す。漁る。またいともたやすく見つかった。目を通す。違う。捨てる。

 二十分ほど探しただろうか。

 俺は星下小唄の所有していた資料を漁っていた。その中に、もしかしたら家菜美鬨の住所が書かれているものがあるのではと思ったのだ。美鬨も確か、小唄教授の授業を選択していたはず。俺とは他の授業だが。

 そしてそれは見つかった。なんの資料なのかはよく分からない。まあ、分かる必要もない。俺はそのA4の用紙をポケットに突っ込む。その際、ポケットに既になにか入っていることを思い出した。星下が消えてから、あのバス停のところで拾ったものだ。

 誰にも見つからないように気をつけながら、小唄の私室の扉を閉めた。

 よし。誰もいない。

 あとは用紙に書かれた住所を参考にして、美鬨の家を訪ねるだけだ。

「あれ? アキくんじゃないか」

 背中に声が突き刺さった。痛いぞ。

「こんなところでどうしたんだい?」

 肩に手が載る。俺は振り返る。もちろん神谷数史先輩だった。

 眼鏡がまた、陰湿な空気を吸い込んできている。光を捻じ曲げて闇でも作ろうとしているのか。昨日とさほど変わらないようなファッションだ。

「あはは……」

 つい空笑いをしてしまう。どっから現れたよ、おい。

「せ、先輩こそどうしてここに?」

「ちょっと月下美人に用があってね」

 声は今度は胸を刺す。痛いって。

「あーえっと……。星下先生なら今いないみたいですよ」

 俺は苦し紛れにもそう言う。いないのは嘘ではない。

「うん? 星下? ……ああ、そういえばそんな名前だったかな」

 俺は、端唄と小唄の関連性にすぐに気付けなかった。それは案外、俺のせいではないのかもしれない。神谷先輩のように、ほとんどの人が、星下小唄という名前を忘れていたのではないか? みんな月下美人と呼び親しんで、彼女の本質を見てやれなかった。

「どうしたんだい? そんな顔をして」

「いえ……」

 顔を伏せる。そうしながら壊した鍵を盗み見る。バレないだろうか。逃げてしまおうか。むしろ逃げたら犯人確定になるんじゃないか。そう思考が巡る。

「愛称だけで慕われるって……なんか残酷ですね。それって結局、その人の内面をちゃんと見てあげられてないってことじゃないですか」

 神谷先輩から逃げる最良の方法、俺が思いつくものとしては、語らせることだけだった。語りを楽しんでドアノブなんて気付かなければいい。

「……でも、確か、『月下美人』を広めたのは先生本人じゃなかったかな」

 先輩が腕を組んで考える素振りをする。……それでいい。このまま他のところへと誘導できないだろうか。

「歩きながら話しませんか、先輩。今は星下先生はいないわけですし」

「そうかい?」

 そう言って先輩は小唄の私室の扉を一瞥する。――墓穴を掘ったか。胸が高鳴る。

「……おや?」

 気付かれた!

 顔を手で隠したいのを、ぐっと堪える。その代わりに、咄嗟にドアノブに手をかけた。破損した鍵を隠すつもりだったが、ノブが回ってしまう。

 体勢が崩れる。体重にのって、扉の開きが大きくなっていく。

 ドアノブから手が離れる。体を支えるものがない。転んだ。

「――大丈夫かい。アキくん」

「へ? あ、え?」

「君は転んだのだよ」

「まーそりゃ見りゃ分かりますけど」

 先輩が手を差し伸べる。遠慮せずにそれを掴んで起き上がった。

 ……ひとまず、鍵の破損は気付かれなかったようだ。

「それにしても、鍵が開いていたんだろうか。月下美人、見かけによらずガード低いのかもしれない」

 先輩が、まるで数分前の俺のようなことを言った。セキュリティが低いとかなんとか。

 鍵について先輩が言及したときはまた心臓が速くなったが、どうやらドアノブの異変にはまだ気付いていないようだ。胸を撫で下ろすのを、外見的な意味で我慢する。

「……まあ、どちらにしても月下美人がいないんじゃ、意味はないか」

 先輩がそう呟く。

「そういえば、星下先生になんの用で」

「それ、さっきも訊いたけどね」

 そう苦笑しながらも、先輩は話してくれた。

 どうも、「あたり」の犯人が判明したらしい。「科学祭」という偽りの祭りのチケットに書かれた三文字……それこそ「あたり」である。そういえば、まだ犯人が誰だか分かっていないのだっけ。

「へぇ、どうやって分かったんですか?」

「いや、ちょっと筆跡鑑定をしたんだよ。大学生の知識でね。片っ端から道行く人の筆跡を調べてみたんだ」

「それいいんですか!?」

 というか大学生の知識ってなんだ。若気の至りとかいうやつか。

「その結果ではね……道行く人の中に犯人はひとりもいなかったんだ」

「……」

 いなかったのかよ。

「でもね、調査結果が分かってから、半ばなげやりで月下美人の筆跡も調べてみたんだ。月下美人の筆跡なら、貰いにいかなくともあったからね。先生と生徒の関係の特権のようなものだよ。それで、無断だけど調べてみた」

「それで……見事マッチしたってことですか」

「そういうことだよ」

 デート。

 小唄はンタンさんとのデートの待ち合わせの前に、俺といろいろと寄り道をした。時間を潰すというのが最たる理由だ。

 だが、そういえばそのとき、小唄は俺に訊いてきたのだ。おもちゃ屋で。

『ねえアキくん。神谷くんの住所ってこれで合ってるっけ』

 俺が知っているわけもない。だが先生の記憶力ならどうせ合っているのだろうと思い、俺は頷いた。

 センスの悪いおもちゃだった。なぜそんなものを(センスはともかくとして)神谷先輩に贈るのだろうと疑問に思ったことだった。

『悪戯の悪戯には悪戯を重ねないとね』

 そう意地悪そうに言いながら、先生はペンを走らせていたのだ。おもちゃ屋の、郵送サービスの紙を。

 今になって、その真意が分かる。

 結局、全て小唄の仕業だったのだ。「あたり」なんて書いてない――それは嘘だったのだ。おそらく、まだ賞品を用意できていなかったから。待たせるよりも驚かせるほうが楽しいとでも思ったのだろう。

 そんな遊び心を持ちながら――ンタンさんのところへと向かったんだ。

「先輩……」

「どうしたんだい?」

 先輩の顔を眺める。この人は、なにも知らない。

 きっと春休みが明けるまでは、誰も気付かないだろう。鍵の破損については、もっと早く気付くかもしれない。だが、部屋の持ち主が現れないのだからどうしようもない。

「まぁ、あの人のことです。悪戯の悪戯の――そこにさらに悪戯を重ねたんでしょう」

 声が震えてはいなかっただろうか。瞳が潤ったりしていなかっただろうか。辛うじて流すまいとしていなかっただろうか。

「アキくん。一体、なにがあったんだい?」

 でも先輩は、知らないなりに、俺を悲しませる。声が俺を。

「……それにしても、ここはなんでこんなに散らかってるんだ。整理しないにもほどがある」

 先輩はそう言って、小唄の私室を見渡す。確かに滅茶苦茶だ。俺が荒らしたから。俺が片付けなかったから。

「……片付けましょう」

「うん?」

 俺の、少し意味不明な言葉に、神谷先輩は予想通り首を傾げる。俺はいつの間に、こんな異常になってしまったんだろう。今頃になって思い知る。俺はもう普通じゃない。

「そうだね。これは勝手に触っても文句は言われないレベルだろう。散らかり放題だ」

 撒き散らされた書類を束にする。何冊も本を積んだように分厚くなっていく。これが、小唄が教授として働いた書類。おそらくこれはそのたった一部でしかないのだろう。無理難題な課題を出したり、急に神の存在について論じたり、ペットボトル飛ばしたり……。そんな先生ではあったが、見えないところで真面目に取り組んでいたのだろう。

 一通り片付いて、俺と神谷先輩は部屋を出る。扉を閉めるのは俺だ。その辺りは、まだ気抜かりできない。

「んじゃあ、これで」

 俺はもう自分の家へ帰ろうと思った。美鬨に会うのは明日でもいい。そんな気がしてくる。

「あ、そうだ。アキくん」

 だが先輩は、そんな俺を引き止める。まだ声は俺を。

「僕はね、確かに月下美人の本名を忘れていた。だけどね、それでいいんじゃないのかと、僕はそう思うんだ」

 神谷先輩は、あまり表情が豊かだとは言えない。だからといって、乏しいというわけでもない。眼鏡が瞳を曇らせているが、それが心の霧を表していることはない。先輩は、いつも冷静なのだ。

「ネットとか、そんな感じだよね。匿名を使うことで、見せたくない自分を隠すことができる。月下美人は、自分から『月下美人』という愛称を広めたんだ。その真意が分かるかい? 自分のディープな部分を知られたくないからだ。僕が見る限り、あの人は悲しい過去を抱えていた。家族となにか問題でもあったのか、恋人と悲惨なことになったのか、ともかくその実態は分からない。でもね、それは本人がそう望んだからだ。哀れむことじゃない。誰にだって隠したいことはあるんだよ。愛称っていうのは、そういう機能も持ち合わせてるんじゃないのかい」

「……」

 正論なのかもしれない。だが俺は、その実態を――実態以上のことを知ってしまった。その苦痛が――。

「それに、ぶっちゃけた話、僕は君の名前も覚えていないよ。アキくん」

「えー」

 それはちょっとショックだ。

「まあ、僕はもともと、人と接するのが得意じゃないからね」

 言い訳がましい。人の名前は覚えるべきだ。それが匿名であろとなかろうと、人を表す大切な名前を。

穐本(あきもと)

 俺は言う。

「穐本智秋(ともあき)です。覚えておいてくださいね。僕は別に、悲しい過去なんてないんですから」

「そうか、回文になっているようでなっていない、ちょっとユニークな名前だね」

 そう言って先輩は、俺がいつまでも握っているドアノブをちらと一瞥して、帰っていった。

 なぜだろう。元気を貰ったような気がする。

 今すぐ、美鬨に会いに行こうと思った。

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