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妖精が創った人形  作者: 小伏史央
第3章
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五.


 空しい音が闇夜に響く。空気を震わせ、俺の耳にいるらしいカタツムリを怯えさせた。端唄はそっと自分の頬に手を添える。

 少し信じられないような顔をしていた。端唄の瞳はまるで、夢に出た胡蝶を必死に探しているようで。

 残った景色は寂寥だった。四方を壁に囲まれてしまったような、誰もいない静寂。

 二人が二人とも、まるで相手を見ていなかった。仮想の自分を探していた。その中で俺は、まるで賢者のように冷静だった。この空間は淡々としすぎている。俺はそれに慣れてしまっている。

 ……だがそんなことはどうでもよかった。時計が一秒遅れたことを気にする人はいない。

「なに()ってんの」

 相手の瞳を捉えずに、端唄が独り言をこぼす。月が照らし出す目元には、液体の粒が溜まっているように見えた。

「――なに打ってんの!」

 目元のダムから水が流れる。

「お姉ちゃんのくせに――なに打ってんだよ!」

 バス停に来る前に、俺と小唄は寄り道とやらをしていた。……それは単に、ンタンさんとの待ち合わせ時間までの時間潰しということだったのだが、俺はデート気分を満喫したものだった。時間を潰さねばならないほど早くに準備を済ませたというのも、なんというか気概を感じさせられてしまうのだが。

 そのことを差し引いても、今日は時間が過ぎるのがはやかった。朝、「科学祭」に参加するべくバス停にやってきて、端唄やンタンさんと話した。その後、帰り道で神谷先輩に捕まり、ずいぶんと長い話をした。話を交えつつ大学に行き、小唄のところへ行った。「科学祭」のチケットの「あたり」が悪戯であることを知る。神谷先輩が帰った後、俺は小唄から過去のことを打ち明けられた。話を聞いたあと大学の廊下でオウギと鉢合わせ、人形についての説明を聞く。その後、小唄とまた出会い、適当に時間を潰し、ンタンさんとの待ち合わせ場所であるバス停へ向かった。そこにはンタンさんとオウギがいて、二人は自分の立場のため殺し合いを始めてしまう。だが途中、端唄がンタンさんを殺して……いや、壊して、なのか? オウギは逃げていってしまう。その端唄こそ小唄の妹であることが分かるが、姉妹の間に情報の食い違いがあるということで、端唄はこれまでの経緯を語る。――今日はなんだろう、いろいろあったようで、結局ほんの些細なことしか起こっていないようでもある。俺はどうも、直接物語に関わっていない。それがそう思わせるのだろう。

 もうすぐ夜が明ける。

「端唄はなんにも分かってない」

 小唄が、はっきりな声でそう言った。自分にも言い聞かせているような、よく通る声だった。

「端唄はまるで……ただの赤ちゃんになってる」

 月が傾く。端唄の首も傾く。こくりと地面と向き直る。

「肉体の罪から解放されて、自由になって。端唄はただのわがままだ」

 小唄は端唄の頭上一点を見つめて言った。端唄の頭はじっとしている。

 俺はなにもしない。ただ二人の様子を見るだけだ。

「端唄は――今の端唄は……自分勝手に人を殺すの? 馬鹿な戦闘が繰り広げられてたら邪魔するの? 鬱陶しかったからンタンちゃんを殺したの? 赤ちゃんみたいに、邪魔だったからわがまま言ったの? わがままで人を殺したの? 端唄は――」

「……るさい」

 端唄が顔を上げる。きっ、という効果音が似合いそうな動きだった。

 二人の視線が絡み合う。

 月が薄くなっていく。暗闇に白が混ざりだそうとしている。太陽は見えないが、そろそろ現れるのが見て取れ、感じとれた。

「うるさい!」

 そう叫んだのは、小唄のほうだった。平手を振り上げて、振り下ろすのを躊躇って止める。眼鏡が風に馴染んでいく。

「そうやって迷惑ばかりかけて……分からないの? 私は端唄に、邪魔されたんだよ! 端唄がいなければきっと――」

「なんで分かんないのさ!」

 端唄が遮って言う。もう目を逸らすようなことはしなかった。二人とも、見つめ合う。

「お姉ちゃんは、本当は存在してもいないのに!」

「――え?」

「なんで分かんないの! ぼくは何度も言ってきたよ」

 夜明けが迫っている。急き立てるように端唄が喋る。

「ぼくが罪から解放されて、この体になったのは、幽霊の心を失ったから。幽霊の心をなぜ失ったかというと、お姉ちゃんがぼくから離れていったから。――ぼくのその心が離れていったから!」

「え、え?」

「ぼくはいつも、お父さんとお母さんが喜ぶような、もう一人のぼくを想像してきた。たまにその想像の子の真似をして、実際に両親を喜ばせたりもした。――その子が小唄お姉ちゃんなんだよ! なんで分からないのさ」

 端唄の語りを聞いて、妙に引っかかっていたことがあった。なぜ心を失っているのに、端唄の幽霊は意思を持って行動できるのか、という部分である。

 心は意思を司る。それは肉体に宿っていたとしても霊体に灯っていたとしても、心である以上は同じことである。心は意思を司る――それゆえに、心を奪われてしまったバスの運転手は、なにもできずアクセルペダルを踏み込むことになったのだ。

 霊体が心を失ったのであるならば、霊体も同じように、生命維持に関わる必要最低限の欲求も保てないような状態になるはずである。霊体に生命維持が必要かどうかは別として、少なくとも、今のように会話するのは不可能なはずだ。

 それがなぜ――その答えが、分かった気がした。

「ぼくの心が、事故があってからぼくから独立するようになったんだ。ぼくから離れて、勝手に動き回るようになった――。ぼくの想像が生み出した、お姉ちゃんの人格に乗って、ね。心は優等生の人格を選んだ。ぼくは心のない、幽霊でもないなにかになるしかなかった」

 虚ろになっていく、小唄の瞳。……それだけじゃない。顔も胴も腕も脚も……月と同じく薄くなっていく。

「心と離れすぎたら、ぼくは消えてしまう。幽霊でもないから、地獄にさえ行くことはできない。だからぼくは、ずっとお姉ちゃんとすぐ近くのところに住まないといけなかった。でも近づきすぎることもできなかった。近づきすぎて、心がぼくのところへ完全に帰ってきたら、ぼくはれっきとした幽霊になって、地獄に堕ちることになってしまう」

「だから――バス停にいた」

 俺がそう呟く。

 端唄はゆっくりと頷く。

 この町を出るには、ヘリコプターでもない限りバスに乗らないといけない。ずっとバス停で見張っていれば、この町から出るようなことがあっても対処できる。同じ町にいる限り、離れすぎた位置にいるわけではないから、端唄は自由の身になれる。

 小唄が崩れこんだ。まるで糸の切れた操り人形。端唄はその体を受け止める。

「知ってる? お姉ちゃん。『端唄』っていうのは、江戸時代あたりの短い唄のことなんだよ。それと同じ意味で『小唄』っていう言葉も使われてたんだけど、一九二〇年ぐらいからは、『端唄』と『小唄』は全く別のものを差すようになったんだ。……まるでぼくたちみたいだ。最初は一緒だったのに……だんだん区別されていっちゃったんだ」

 小唄の瞳には、もう光は届いていない。それでも小唄は、口を動かしてなにか懸命に言おうとしているようだった。それでも声は届かない。

「ごめんね。お姉ちゃん。ぼくは結局、不良だったんだ。お手本のお姉ちゃんと全く違う人間だった」

 小唄の体が透けていく。端唄の腕の中で、安らかに。

 完全に姿が見えなくなってから、端唄は起き上がって俺と向き合った。少し、肌の質が変わったように見えた。

 端唄は、自分の髪を指で梳くってみせる。途中で引っかかる。

「あーあ。またガサガサに後戻り」

 小唄の心が、端唄の体へと戻ったのだ。肉体のときに犯した罪が今頃のようにのしかかってきたのだろう。

 思っていたよりも、醜い姿ではなかった。そりゃあ髪はガサガサで、肌は荒れて、なぜだか両足には鎖が繋がっていたが。醜いというほどのことでもなかった。

「星下!」

 ふいにそう叫び声がした。俺の背中のほうからだった。

 俺と端唄は、ほぼ同じタイミングでその方角へ顔を向ける。

「あ、印。早起きだねー」

 端唄の口調には、少々、小唄のものが混じっているようだった。小唄はよく語尾を延ばしていた。

 印と呼ばれた少年は、ねずみ色のパーカーを身に纏っていた。フードの部分は、以前と違って首の後ろで重なっている。

 以前、一日もしない前、俺はこの少年とすれ違った。一応覚えている。

「星下……その姿は」

「あ、うーん。……お別れ?」

「じゃあそのイヤホンは」

「うん……。もう聴こえない。ぼくが穢れてしまったから、もう聴こうとしなくなったんだ。『神様の声』を聴かせるのも難しいだろうね。ぼくは地獄へ堕ちるよ。こんな姿じゃあ天国に行けないからね」

 温かくも冷たくもない風が吹く。その風で、まだらに咲く花が揺れた。まるで手を振るようだ。端唄はそれを気に留めない。気付かない。

 印と端唄は、なぜか笑い合った。なにがおかしくて笑っているのか、部外者の俺では理解できない。

『神様っていると思う?』

 月下美人――星下小唄は、たまにそんな質問を生徒に投げかけていた。生徒の意見を聞いてから、小唄は『私はいると思うなぁ』と発言する。それは別に有神論者だとかそういう雰囲気ではなく、なにか科学的根拠を持ち合わせた口調だった。

 だがその答えの裏で、どこかで繋がりを持っていたのかもしれない幽霊の、両耳のイヤホンから続いていたとしたら――。

 神って一体どんな存在なのだろう。天国でのんびりと暮らしていそうなイメージだが。横になってテレビでも観るように下界を眺めているのかもしれない。せんべいでも食いながら。

 どうせ俺には分からない。だが分からないなりに、きっと俺はこれから、神はいると思うかと問われたのなら、『俺はいると思うなぁ』と、そう堂々と根拠もなく言ってのけるのだろう。

 月がついに白い空に埋もれていく。先ほどの小唄のときのように、安らかに眠っていく。

「ありがとう」

 最高の笑顔で、どこか久しげな雰囲気を漂わせながら、端唄はそう言ったのだった。

 そして月とともに。

 少女は消えた。

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