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妖精が創った人形  作者: 小伏史央
第3章
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二.


「学校の体裁の関係上、ぼくは修学旅行に行けないんじゃないかと噂されていた。だけどどうにかオーケーが出た。夏休みが終わって一ヶ月ほど経った、もう赤の上に黒を上塗りしなくてもいいくらい髪から赤味が抜けてきた頃だった。ぼくは高校二年生、お姉ちゃんはたぶん三年生だった。

「初日の家を出るとき、家の中はとても静かだった。お父さんもお母さんも黙り込んでいた。まるで、ゴールデンウィークを目前にした人たちみたいだった。ぼくが家を出ることに安心して、だけどそれが一時的であることを、限られていることを思い知らされているようだった。小唄お姉ちゃんならどうするかなって思い描いて、『行ってきます』って言ってみた。一瞬だけお父さんの顔が綻んだのが分かった。ぼくはトランクを曳いて学校へ向かった。

「その日はさすがに遅刻するのはまずいと思った。だからチャイムが鳴る前に校門をくぐった。だけどもう、みんな校門の前に並んでいた。修学旅行だからなのか、いつもよりも登校時間がはやくなっていたんだ。結局ぼくは遅刻したことになった。みんな、今からバスに乗るところだったみたい。

「バスに揺られてる数時間、みんな嬉々と騒ぎ合っていた。ぼくは音楽を聴きながら外の景色を眺めていた。何度か友達に話しかけられたけど、なんとなく自分が場違いな気がして、話をしなかった。ううん、ただ外が見たかっただけ。

「宿に着いたときには、もう暗くなろうとしている時間だった。飛行機だったら三十分くらいだったんだろうけど、コスト削減のためなのかな。着いてすぐ夕食をとることになった。色とりどりの料理が並んだ。残さず食べた。どれもとても美味しかった。

「露天風呂というものに初めて入った。空が見えるお風呂……風がたまに寒いのにお湯がもっと熱くて、不思議な体験だった。肩まで浸かったらやっぱり熱かった。

「一日目のスケジュールはそれだけだった。夜、同じ部屋の子達が下品な話に盛り上がっていた。『星下さんって……処女なの?』と訊かれた。なぜか『さん』付けだった。ぼくは『処女で悪かったね』と答えた。質問した子は質問する前に、カレシとうんたらかんたら自慢していたから、皮肉を込めたつもりだった。だけどその子は、『へえ~。意外~』とか言ってきた。ちょっと怒った。続けて『クラスに抱かれたい男子とかいないの?』と訊かれた。んなもんいるかって思ったけど、平静な声を意識して『いない』って答えた。『みんなクズ』って付け加えた。『アキモトくんはクズじゃないよ!』って反論された。『はいはいお幸せにー』って返事した。枕が顔に当たった。投げ返した。いつの間にかみんなで枕投げになってた。みんな笑ってた。おかしくてぼくも笑った。教師が来た。

「二日目は、現地の名所巡りだった。楽しいのか楽しくないのか自分でも分からなかった。ためになるとは思わなかったけど、無駄な時間とも捉えられなかったってこと。三日目もだいたいそんな感じで過ぎていった。

「三日目の夜、男子が風呂を覗き込みやがった。そのときちょうど風呂に浸かろうとした友達は、もろに見られてしまっていた。友達は泣いちゃった。ぼくは男子に背を向ける感じでお湯に浸かっていた。そこから桶を男子に投げた。先日先々日の枕投げが練習になったのか、男子の顔面に直撃した。

「その男子は教師にこっぴどく叱られることになる……んだと思ったんだけど、担任が男だったからなのか、男子はけろっとしていた。だからぼくが殴ってやった。それでも男子の言う『ごめん』は笑い混じりだった。自分の非力さを思い知った。というか男子の無念さを思い知った。しまいには『星下さんの肩マジ綺麗だったなぁ』とか言い出しやがった。顔を蹴ってやった。

「その日の夜、裸を見られた友達がわざわざ部屋を訪ねてきて、『ごめんね。ありがとう』って言った。なにが『ごめんね』なのかどれが『ありがとう』なのか意味不明だったけど、とりあえず気持ちは受け取っておいた。気持ちだけでよかったんだけど、お礼にお菓子を貰った。すぐそこの売店で買ったやつだった。別に修学旅行ではお菓子は禁止ではないのだけど、その子は周りの様子を気にしていた。今思うと、裸を見た男子を警戒しているのかもしれない。

「部屋の子達と分け合って食べた。『ありがと』って言われたから、『別にぼくのじゃないし』って返した。なんか笑われたけど。

「お菓子をつまみながら、友達が『なんで星下ちゃんは〈ぼく〉なの?』って訊いた。いつの間にか『ちゃん』付けになってた。ちょっぴり嬉しかった。『おかしい?』って訊き返した。みんなに一斉に『おかしい』って言われた。今まであまり指摘されなかったから、別段おかしいとまでは思ってなかった。だってよく聴く音楽には、女の人が『ぼく』って言うものが沢山あったから。

「部屋の一人が、『理解できない』って言ってた。だけどぼくにとっては、その子が持ってきた、男性同士でキスしてる表紙の本のほうが理解できなかった。それを言ったら『そんなー』って顔された。カレシ持ちの子が『お互い様だね』って言ってみんな眠りについた。

「四日目。五日目はバスでほとんど一日が潰れるから、実質この日が最終日だった。あっという間だったな。その日はほとんど自由行動だった。好きな人と好きなとこ行って、夕飯の時間までには戻ること。ぼくは一人でふらついていた。自分一人の時間がなかったから、自分の時間を作りたいと思ったから。部屋の子達はなんか、ぼくと趣味の合わない店に行くつもりだったみたい。誘われたけど断った。

「お父さんとお母さんのためにお土産を買った。そのお土産屋さんはひっそりとしていて、繁盛しているとはいえなかった。学校の人たちも来ていないよう。店のお婆さんに『旅行?』って訊かれた。修学旅行も旅行のうちに入るだろうから、『はい』とだけ答えた。……そうしたらお婆さんはにこりと笑って、『それじゃあ、カップルでの旅行なんだねぇ。いいねぇ』って呟いていた。振り向くとそこには男子が一人いた。ぼくと同じで、一人だけで行動をしているようだった。男子がその話を聞いて、誤解を解こうとしていたけれど、それを遮るように『ほれ、サービスだよ。お幸せにな』って渡されてしまった。こんな客入りの悪い店がサービスしてもいいのかと思ったけれど、さすがにそれを言うわけにもいかない。

「店を出て、貰ったサービスをどうしようかという話になった。それは食べ物ではなくて、紅色に染まったハンカチだった。しかもなぜか一枚だけ。いくらカップルでも二人で一枚のハンカチを使ったりはしない……と思う。

「ぼくが貰うことになった。久しぶりに『ありがとう』って言ったような気がした。『これからどこへ行くんですか?』って男子が言った。ぼくは『知らない。テキトーに』って答えた。少し考えてから『一緒に行く?』って言ってみた。男子はちょっぴり焦ったような態度を取っていた。男子は承諾の言葉を言わなかったけど、とりあえず一緒に暇な時間を潰すことになった。

「ゲームセンターに行った。修学旅行にどこ行ってんだろうって思ったけど、ここが一番の時間潰しになると思った。誰かいるかなと思ったけど、知っている人は一人も見当たらなかった。案外みんな暇じゃないみたい。二人用の対戦ゲームを男子とやった。『やり方知ってるの?』って訊いたら『これ得意ですよ』って返された。実際、ぼくでは手も足も出なかった。容赦なかった。ぼくは意地になってしまって、結局百円玉を何枚も浪費する羽目になった。男子は楽しそうな顔をしていた。

「ファーストフード店へ行って昼食をとった。男子が奢ってくれた。ゲームセンターでの消費が意外と痛手になっていたから、正直奢ってもらえて助かった。ぼくはまた『ありがとう』って言った。久しぶりの感覚は抜けなかった。

「それからも色々とぶらついた。道を行きながら、たまに沈黙が鬱陶しくて話題を振ったりした。その男子はあまり会話が上手じゃなくて、すぐに途切れてしまう。

「広い公園があった。入ってみたけど、あまり遊具のないところだった。人も少ない。そこで、木陰で泣いている子がいるのを見つけた。ぼくはその子のところへ行って、『どうしたの?』って訊いてみた。その女の子は、なにも言わずに上を指差した。上……木の枝に風船が引っ掛かっていた。

「『お姉ちゃんが取ってあげるね』って言って慰めた。慰めたのはいいものの、ぼくの手でも届かなかった。その様子を見た男子が、木に登り始めた。くぼみもなさそうな木を、器用に男子は登っていった。そして風船の糸を掴んだ。だけど足を滑らせてそのまま落ちた。

「一応、風船を取ることはできた。鉛筆で塗りつぶしたような黒い目が印象的なその女の子は、可愛らしい表情でお礼を言って公園を去っていっていた。

「男子は膝を擦り剥いていた。血がだらだらと流れて、明らかに痛そうだった。だけど男子は水に濡らしただけで、『これで大丈夫です』って元気そうな声を出していた。でも傷口が大きいし、そのままにしてたらズボンの裏が当たって痛いんじゃないのだろうかと心配した。だから嫌がる男子を尻目に、割と強引に包帯を巻いた。……包帯はなかったから、ハンカチを使った。お土産屋さんのお婆さんからサービスで貰ったハンカチだ。

「歩きながら、『星下さんって、意外と優しいんですね』って言われた。『意外と』ってところにムッときた。『え、いや、だって……星下さんって、その、不良ですし』って男子は弁明した。弁明になってないけど。

「『不良で悪かったね』って言ったら、『ええ、悪いですよ』って言い返された。敬語のくせに生意気だった。確かに染色のせいで髪はガサガサで、煙草や酒のせいであまり良い体の状態ではなかった。不良でいて良かったことって言っても、特に思い浮かばなかった。ただ自由に生きていたらこうなっただけだった。不良でいたいから不良になったわけじゃない。だからたまには、お姉ちゃんを想像してその真似事をしたりもした。

「『ぼくだって、なんでこうなったか分かんないよ』そう漏らした。……お父さんもお母さんも愚痴ばかり言うし。『いいんじゃないですか?』って呟くように男子は言った。『え?』って言ったら、聞き取れなかったと思われたのか、『いいんじゃないですか?』って繰り返された。

「『自分勝手なことして、いろんな人に迷惑かけて……それでいいんじゃないですか? そういう人がいてもいいんじゃないですか。個性っていうのかなあ。そうやって成長して、いつか成長が止まって。そういう人生もいいんだと思います。なんか偉そうな言い分になってますけど。……星下さんって、不良ぶっても結局は優しい人ですし』

「『…………格好良いこと言うじゃん』

「早めに宿に戻ってきた。そんな四日目だった。ぼくと男子はそれぞれ自分の部屋に戻って、他の友達が帰ってくるのを待った。別れ際、もう一度だけ『ありがとう』って言ってみた。何度言っても、『ありがとう』は久しぶりだった。

「家のことを考えた。友達が戻ってくるまで。今頃、家にはお母さんが一人でいるんだろう。洗濯物を干して、家事に一段落ついてテレビでも観ているかもしれない。今の時間にどんな番組がやっているのかは知らないけれど。お父さんは今頃、会社でワープロとにらめっこしているのかもしれない。もしかしたら上役の人に頭でも下げているのかもしれない。いやいやもしかしたら、大きな仕事がひとつ片付いて、早めに帰宅して、お母さんとテレビを観ているのかも。

「家に帰ったら、『ありがとう』って言ってみようかなって考えた。いきなりのことに両親は戸惑うかもしれない。でも久々に、意味がなくても言ってみようかなって。でもその前に、ちゃんと帰ってきたら『ただいま』って言わないと。

「友達が帰ってきた。みんなちゃんと、夕食の時間までには戻っていた。部屋の子達のうち、カレシ持ちの子は、途中で別行動を取ることになったみたい。その子だけ他の子よりも遅めに帰ってきていた。『男と二人っきりになって、やらしーなー』ってみんなと一緒になって言葉をその子に浴びせかけていたけど、そういえばぼくも男子と二人きりなんだった。そのことは内緒にすることにした。

「夕食の時間になった。最後の晩餐はとても豪華だった。

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