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妖精が創った人形  作者: 小伏史央
第3章
12/27

一.


 月はまだ沈まない。月だって光を注いでいるが、それは太陽のようなものではない。光であるのに暗いのだ。

 光だからといって、明るくなければならないということはない。

 明るい闇があってもいいように――。

 端的に見る星下端唄の笑顔は、明るいものだった。月を背景にして、暗い光を何倍にも強めている。決して白いという意味ではない。端唄の顔は、健康的な色をしていた。闇でもよく分かる、元気な姿ではあった。

 対して星下小唄は、蒼白な顔をしていた。その顔色もまた明るかった。端唄が明るい闇なのに対し、小唄は暗い光だった。月と対峙して、鏡のように光を跳ね返していた。

 星の煌きに沿って、血のにおいが漂う。

 端唄は笑う。小唄は泣く。俺は――。

「ねえアキ。なんでそんな顔をしているの?」

 端唄がそう言う。星たちが嗤う。月は表情を変えることなく光を注ぐ。空に広がる闇はただ、その様子を黙止していた。

 夜の空は、明るくて暗い。だがそれらが諍いを起こすことはない。諍いを起こすとしたら、夜の花。コンクリートの道路の脇で、微弱な風に揺られている。先ほどの乱闘で踏みつけられたり焦げたりしたものもある。揺られながら、なにかを唄っているようだった。静寂に馴染んでいく唄を。

「……なにか言ってよ」

 頬を膨らませて、端唄が言う。長めのスカートに、三つのボタン全てが外されたブレザー、ブレザーの左ポケットからイヤホンがのびている。それは端唄の髪に隠された耳へと続く。

 スカートの端、つまり端唄の足元では、ンタンさんの遺体が眠っていた。

 ――人形。ンタンさんは、本当に人形だったのだろうか。

 ふとそう疑問が浮かび上がる。

 こんなに生臭くて、気持ち悪くて、安らかで。大学の掃除を無償で、それも毎日のように手伝うくらい優しくて。笑顔が素敵で。こんな――こんなンタンさんが人形だと?

 オウギの話を思い出す。

 ――人形とは、心を失ったにも関わらず霊体によって意思を持ったままの肉体のこと。

 死んでいるのに生きている――矛盾したもの。

 物事には、必ず対極がある。表には裏が。光には闇が。太陽には月が。男には女が。有機物には無機物が。肉体には霊体が――生には死が。……対極は共に存在するが、共に作用することはできない。太陽と月を同時間に観測することはできるが、太陽と月が同時に同位置に光を注ぐことができないように。

 人形はつまり、生と死が混在したものとも捉えることができる。「生」きているとは、肉体が主観となっているのであって、「死」ぬということは、霊体が主観となることだからだ。

 だから……ンタンさんが人形ではないのではないか、とか、そんな疑問を持つのはそもそもの間違いだ。普通の人間と同じく、死んだのは肉体なのだから、生臭くなるのも、血が出るのも、当然のことなのだ。ただ、心がないというだけで。ただ、霊体が主導権を持っているだけで。

「なにか言ってってば!」

 俺は最初、勘違いをしていた。人形は魔法を扱えたりするものだと思っていた。

 二宮寛治も、名も知らぬ少女も、そしてンタンさんも――人間離れした強さを有していた。だがそれは、妖精が力を与えたわけではない。みんな、自分から強くなったのだ。常人となんら変わりのない体で、自ら鍛え上げたのだ。それはきっと、自分が人形であるという自覚があったから。いつか壊されることを知っていたから……。

 俺が出会った三つの人形――彼ら全員、物理的な攻撃しかしていない。

 物理的な攻撃しかできないのだ。もとから、人形は魔法なんてできなかったのだ。

「う~ん……」

 俺がずっと黙っているから、端唄は諦めたように腕を組んだ。怪訝そうな顔を見せる。

 俺の横で小唄が唾を飲み込む音がした。

「んじゃあいいや。ぼくはアキとお喋りしたかったんだけど……」

 そう言って、端唄は少しだけ顔の正面角度を変える。その先にいるのは、星下小唄だった。次第に、小唄の呼吸が荒くなる。

 眼球が小刻みに揺れる。それでも瞳は、ずっと一点を捉える。

 月は表情を変えない。星たちはけらけら嗤う。闇に包まれながら。

「小唄お姉ちゃん」

「……はう、た」

 端唄はイヤホンを外さない。音漏れはしない。

「ほら見て、お姉ちゃん。ガサガサだった髪が、今はこんなに綺麗になったんだよ。うふふ」

 右手で自分の黒髪を払う。砂時計の砂のように滑らかに靡く。耳が一瞬だけ姿を現す。滑らかな形の耳が。

「死ぬことができて、ぼくはとっても幸せだよ」

 鈍い音がした。

 小唄が、自分の膝を地面に打ち付けていた。正座するような形で座り込む。力なく両の革手袋が、だらんと地面につく。それでも瞳は端唄にを向いていた。

「なんで」

 小唄が口を開く。瞳は動かない。

「なんでッ! ――なんで私を責めないの」

 男には到底出せそうもない、痛烈なキーの高い声。対して端唄は、それを聞いて不可解そうな顔をしていた。

「なんでって……。別に、責めることがないし」

「私は端唄を殺したんだよ! 誰も気付かなくても、私が殺したの!」

「……」

 端唄が困ったような顔をする。

 星が嗤う。

 ンタンさんの肉体はもう動かない。それでも俺の視界にはちらちらと入ってきていた。もしかしたら動き出してくれるのではないかと、そんな淡い期待を抱いていた。

 ンタンさんは、オウギの棘が刺さったとき、毒でも回ったように倒れた。

 だが起き上がった。俺はそれを、毒が回ったふりをしたんだろうと思った。ではなぜ、オウギは安易にンタンさんに近づいたか。

 オウギがンタンさんにとどめをさそうとしたのには、ちゃんとした、勝利の確信があったからのはずだ。でないとあんなに大振りな動きにはならない。

 要するに、オウギはンタンさんが倒れ込むことを予想していた。……予想する材料があった。

 つまり棘には、毒のようななにかがあったはずである。そのなにかが作用して、ンタンさんは倒れた。だからオウギは、安心してンタンさんに近づいた。

 ……それがなんなのかは分からない。だがンタンはそのなにかに打ち勝って、また起き上がった。

 ならば今回も、もしかしたら起き上がってくれるのではないだろうか。そう期待するのは筋違いだろうか。

「お姉ちゃん、誤解してる」

 俺の思考とは関係なく、姉妹の会話は進展していく。

 月は嗤わない。

 端唄は諭すように、優しげに言う。それでいてぞんざいな態度でもあった。そっけないとも思った。とにかく端唄にとっては、些細なことだったのだろう。

「ぼく、お姉ちゃんに殺されたんじゃないよ」

「……え」

 小唄が眼鏡を外す。曇った硝子を拭いた。また掛け直して、もう一度端唄を見つめる。

「ぼくは妖精に殺されたんだよ」

 なんの抵抗もなくそう言ってのける。すらりと言ってしまう。

「なにを言ってるの……」

 力が入らないのか、小唄は立ち上がろうとしない。座り込んだまま、瞳だけを端唄に向けて言葉を交わす。

「修学旅行の帰りのバスの中、ぼくたちは妖精に襲われたんだ」

「嘘。嘘嘘嘘」

 体を左右に揺らして、それよりも大きく頭を振って、小唄はそう否定する。だだをこねる幼稚園児のようだ。恐怖や驚愕や月光が、彼女を幼児化させてでもいるかのようだった。

「だから家に戻ったぼくの体には、もう既に心がなくなっていた」

 力なく垂れていた腕が、ふいに蘇って小唄の頭を抱えていた。

 話に飽きたのか、星は暗闇をくるむ。

 月は未だに俺たちを照らす。……なぜ俺も照らされているのだろう。俺は今、結局なにもしてはいない。ただ二人の応酬を眺めているだけだ。これではテレビを観るのとなんら変わりがない。

 俺はなぜ、今この場にいる?

 ――星下小唄が俺に頼んだからだ。道案内という名目の、ボディガードを。

 俺は今、星下小唄を守れているか?

 ――いいや。むしろ逃げている。ンタンさんが復活するだのなんだの思考を巡らせて、目前の厄介事から目を逸らしている。

 その厄介事とはなにか?

 ――まず一つ目に、星下端唄という女子高生の霊体が、その姉である星下小唄の前に現れたこと。二つ目に、端唄と小唄の持つ情報に食い違いがあること。

 その食い違いとはなにか?

 ――端唄によると、自分の死因は妖精であるというが、小唄によると、死因は小唄自身であるという違いだ。

 俺に、その問題と向き合えるだけの勇気はあるか?

 ――たぶんない。

 なぜない?

 ――俺は全くの部外者だからだ。

 なぜそう言える?

 ――現にそうだからだ。ことの発端は何年も前だ。俺がまだ星下小唄の存在を知らなかったときだ。

 発端が関係ないからといって、現在の状況に自分が関与していないとなぜ言える?

 ――確かに、断言することはできない。だが実際に、おせっかいでも関与するとして、俺になにをしろと言うんだ。

 小唄は「嘘、嘘」と繰り返す。ついには端唄を視界から追い出して、地面を向いて自分の世界に浸っていく。

 その様子を、端唄は困ったように眺めるだけだ。無理強いをしようとしない。

 俺ができること――。

「なあ、おい。星下端唄」

 俺はそう言う。おそらく初めてその名前を口にした。

「なあに?」

 端唄は小唄へ向けていた視線を、俺へと移す。表情は笑顔に変わっていた。嫌悪感が胸を掻き毟る。それを無理矢理に押し込めた。俺は別に、星下端唄を嫌ってなんかいない。可愛い女子高生じゃないか。そう自分に言い聞かせる。

 小唄もまた、地面から俺へと視界をシフトさせていた。

「それじゃあ説明不足だ。聞かせてくれ。修学旅行のときに、どんなことがあったのか。なぜ月下美人……星下小唄が殺したというのは間違いなのか。そして、なぜお前がこうして現れたのか」

「そうだね。ちゃんと説明しないと、混乱するだけだよね」

 臆面もなく、端唄はそう言う。満面の笑みを作って。

 そうして端唄は語り始めた。

 修学旅行のときから、今日までの経緯を。

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