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妖精が創った人形  作者: 小伏史央
第2章
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五.


 三叉路を通って、バス停へ向かう。太陽は沈みかけていた。

 なんの問題もなく、目的地まで辿り着けそうだ。道を進む。

 バス停が視界に入る。既にそこには、アイボリー色の髪をした女性、ンタンさんがいた。月下美人は呼びかけようとして手をあげる。――が、すぐに引っ込めた。

 ンタンさんは俺たちに気付かない。それはオウギも同じようだ。二人は対峙し合い、互いの隙でも窺うように、張り詰めた糸のように動かない。

 二人ともベンチに座ってはいなかった。ただ、黒いイヤホンを黒髪の裏に続かせている女子高生が――星下端唄が、悠然とした態度で腰掛けていた。

 まだいたのか。

 今にも切れてしまいそうな空気。肌が痛い。

 太陽が沈んでいく。太陽の反対側から、だんだん闇が陽光を侵食していく。それはまるで津波のようだ。境界線が移動していく。光の領土が消えていく。

 境界線が、オウギとンタンさんの足元にまで辿り着いた。闇はそこでとまることなどせず、太陽へ向かって走る。そして太陽は闇に包まれた。

 その瞬間、ンタンさんがしゃがみこんだ。と思うと、オウギの足を払うように蹴る。大きく広げたコンパスのようだ。弧を描く。

 だがオウギの足を払うことはなかった。オウギはなわとびのように跳び、そこから空気を踏みつけるようにンタンさんの足めがけて踵を狙う。ンタンさんの脚に直撃した。染み渡るような音。

 ンタンさんは痛みに身を任せてか、逆の脚を上げる。オウギがそれを掴む。

 だがすぐに離そうとする――もう遅い。靴に仕込んであったらしい刃物が、オウギの人差し指を切り落とす。花弁のように指が散る。

 いつの間にか月が顔を出していた。月光が照らす鮮血。

 オウギの足場はンタンさんの片脚だ。当然そこは不安定で、オウギは後ろに姿勢を崩す。その際思い切り脚に体重をかけたようで、ンタンさんが痛みの声を上げる。

 背中が地面につく前に、オウギが重力に反して起き上がる。既に足元にンタンさんの脚はない。起き上がり際ンタンさんの拳がオウギの顔面に飛ぶ。オウギは大きく後ろに跳躍する。拳の先が鼻を掠める。

 地面に足がついたと同時に、オウギが地面を強く蹴る。前方へ跳ぶ。ンタンさんの目前にまで跳んで手刀を喉へ。ンタンさんは同じく手刀を作り、手の平でそれを受け止める。もう片方の手を腹へ。オウギは避けようと体を仰け反らせる。その間に手の平で受け止めた手刀を、握って捻って骨を折る。糸で繋がれたようにオウギの四本の指が垂れる。だがそんなことを痛がる暇はない。ンタンさんはオウギの右手を握ったままだ。オウギはその手の平から炎を噴き出す。ンタンさんが後ろに跳び避ける――右手を握ったまま。ンタンさんの左手が焼けていく。そのままンタンさんは左手に体重を任せて、両足で空を蹴る。靴の先には鋭い刃物。オウギの右手の平からは依然と炎が出ている。刃物が炎に突き刺さる。炎が止む。右手がオウギの体から切り離されたからだ。

 オウギの左手の平から鉄製の棒。それをンタンさんの喉に向ける。勢いよく鉄の棒が飛び出る。ンタンさんは咄嗟に右手で喉を隠す。棒が手の平を貫通する。滴る液体。暗くて色は窺えない。棒が貫通するときに手による抵抗でできた一瞬。その間にンタンさんの喉は、棒の指標からズレた位置に移動する。跳び抜けた棒は、虚しく空を突く。穴の開いていないほうの手でンタンさんが棒を掴む。押し込む。オウギが叫ぶ。逆流は管を傷つける。

 棒が霧になって消える。霧を月が照らす。鉄粉。ンタンさんはそれを吸い込んでしまったようで、ひどく咽る。その隙にオウギが自身の髪の毛を数本抜こうとする。痛みのせいで一度抜くのを失敗した。二度目でやっと、左手は毛を掴む。赤い髪の毛がするどい棘になる。赤い棘。それを投げる。腕に胸に刺さる。棘は細いから血は出ない。ただ痛覚だけが過剰に反応しているようだ。ンタンさんがか弱い声で唸る。

 そのままンタンさんは倒れ込む。

 毒でも回ったのか。オウギがンタンさんに近づく。

 血だらけであることが暗闇でも見てとれた。

 ンタンさんの傍にあった、自分の右手をオウギは拾う。それを一瞬にして矛に変える。

 大きく高く持ち上げて、それをンタンさんに一気に振り下ろす。ンタンさんがオウギのほうへ転がった。大振りだったので、オウギはすぐには反応できない。転がったままンタンさんはオウギを両足首を掴んだ。それを引っ張る。

 オウギが仰向けに倒れる。矛が左手から離れる。ンタンさんがそれを遠くへ蹴り飛ばす。虚しい音が響く。ンタンさんがオウギの上に跨る。

 ンタンさんがオウギの髪に手をのばす。オウギの左手がそれを拒む。ンタンさんは振り払う。オウギはまた拒絶する。左手の爪でンタンさんの手を引っ掻く。

 月が痛々しくも光を注ぐ。

 オウギが地面を殴る。地面にヒビが入る。コンクリートの塊を掴む。持ち上げる。ンタンさんの頭目掛けて振る。当たる。

 ンタンさんの額から血が流れる。一瞬だけ頭が垂れる。その隙にオウギが自分の髪の毛を抜く。それはすぐさま棘になる。胸に刺す。血は出ない。

 ンタンさんが垂らした頭で、そのままオウギの喉元に頭突きする。咽る。オウギが顎でンタンさんの頭に攻撃を加えようとしたが、上手くいかない。

 ンタンさんがオウギの髪の毛を鷲づかみにして引っこ抜く。抜いただけでは棘にはならない。ンタンさんは毛を捨てようとする。だがその前に、オウギの意思によってそれが棘の束になる。ンタンさんの手をいくつもの棘が貫通する。拳を作れば、まるで毬栗のようだった。

 だがオウギのこの行動は、短絡的な失敗でしかなかった。

 その毬栗で、思い切りオウギの顔を殴る――。無数の棘が刺さる。顔を掻き混ぜる。鼻が潰れる。唇が垂れる。耳がちぎれる。

 目だけが正常に機能していた。痛みに痺れて、もうオウギは体を動かせない。

 オウギが負けた――ンタンさんはオウギに跨ったまま、冷たい視線をオウギに向ける。

 月が二人を照らす。血と月光が、道路の上で混ざっていた。

 ンタンさんが、大きく拳を振り上げる。どうも最後のとどめというのは、誰しも行動が大きくなるようだ。不安感によるものなのか。

「ひいっ」

 オウギが、ふいにそう叫んだ。歪んだ口でかろうじて叫んだ。自分の死を受け入れられないのか……いや、そうではない。

 ンタンさんの背後に――星下端唄がいた。

 長いスカート。ボタンの外されたブレザー。暗闇に馴染むストレートヘアー。イヤホン。

 星下が両耳のイヤホンを取り外した。首から肩に回していたU字型イヤホンを、悠長に取り外す。

 それぞれ両手で持ちながら、星下はンタンさんに近寄った。

 はっと気付いたような表情――今になってその存在に気付いたような顔をして――ンタンさんが振り返る。それと同時に、星下のイヤホンがンタンさんの両耳に付けられた。

 数秒の静寂。

 そして。

 耳が壊れてしまいそうな叫び声が響いた。月が揺れる。ンタンさんが頭を抱えて息の続く限り叫び続ける。

 ンタンさんの瞳が、上に右に左に下に、斜めに回る。焦点が合わない。狂った方位磁石のように、瞳が狂う。ついには瞳は本来いるべきところの裏側にいった。暗闇でもよく見える、真っ白な眼球が浮かび上がる。

 星下がンタンさんからイヤホンを取り外す。それを合図に、ンタンさんの体の軸がぶれ、歪み、曲がり、傾いた。

 どう見ても死んでいた。

 星下が微笑む。オウギが「ふ、ふるあ!」と叫ぶ。「来るな」と言いたかったのか。

 両手のイヤホンを、自分の髪の裏に戻した。夜の静寂に合わせているのか、音漏れは聞こえない。

 星下が一歩オウギに近づく。「ひっ」と言ってオウギが怯える。

 オウギは半ば無理矢理に体を起こした。上に乗っていたンタンさんを押しのける。痛みが消えたのか。それとも、恐怖で感覚を失ったのか。立ち上がって、俺たちのほうへ走ってくる。だが俺の顔は視界に入らないようだ。決して速くはない走りで、道を下って逃げていく。

 逃げていく様子を、星下はつまらなそうに見つめた。だがその視界に俺がいることに気付いて、また微笑む。月が照らすその顔は、とても人間のものには見えなかった。あまりにも人間らしく可愛らしい――つまり恐ろしかった。

「嘘……」

 俺の横で、月下美人が口に手を当てる。星下を一点で見つめている。

 ンタンさんの死体が、星下の足元で横たわっていた。口から唾液が垂れている。

「アキ、また会ったね」

 星下端唄が笑う。

「こんなに早くまた会えるなんて思わなかった。まだ会ってから一日経ってないんだもんね。ぼくたち、なにか特別な糸で繋がってるのかもしれないよ。うふふふ」

 俺はなにか言おうとした。なにを言おうとしたのかは分からない。だがなにか言おうとした。

 月下美人の声が、それを押さえつけてしまったが。

「――端唄」

 痛烈な声だった。砂漠で咲く独りぼっちの花のように、その声は苦しいものだった。

「あれ、いたんだ」

 屈託なく星下端唄は笑う。端麗な顔立ちだが、それが怖い。どことなく幼さが残っているが、それが怖い。

 ……今、月下美人はなんと言った?

「端唄――」

 月下美人が繰り返して言う。涙の篭った声。月下美人は確かに、「はうた」と発音した。嗚咽を混ぜながらもはっきりとそう言った。

 そして俺は気付く。

 ……なぜ今になるまで、俺は気付かなかったのだろう。

 いや、いつも「月下美人」だと、愛称でばかり呼んでいたからだ。人は、使わない情報は忘れてしまう。頭の抽斗(ひきだし)に入れて、そのままどこに入れたのか忘れてしまう。

「月下美人」の由来。それはまず、美人だということ。それとあと――。

 そもそも「月下美人」とは、ある種のサボテンの名称だ。メキシコの熱帯雨林地帯を原産地とする。一時期、珍奇な植物として注目された。珍奇、天才的な頭脳を持つ彼女は、まさにそう呼べるだろう。さらに花は、夜にしか――月の(もと)でしか咲かない。それがちょうど、彼女の苗字と似通っている――。

 笑顔を絶やさずに、星下端唄は言った。

「久しぶりだね――小唄(こうた)お姉ちゃん」

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