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承認欲求モンスター令嬢は今日も民から愛される。

作者: Tac。
掲載日:2026/09/21

 公爵令嬢セレスティアは承認欲求の塊である。


 公爵家に生まれた彼女は、幼いころからなに不自由なく育てられた。

 かわいい容姿に加え、年相応のちょっとわがままな愛嬌のある振る舞いが、周囲の大人の心を掴んだ。


 そんな天真爛漫な少女が、人から認められる喜びを初めて知ったのは、両親に付き添って訪れた慰問訪問のときであった。


 

 その日、彼女の両親は自領の孤児院への慰問訪問にセレスティアを連れていくことにした。


 「孤児院なんてつまらなさそう」 「侍女たちとお話していたほうが楽しいのに」

 

 セレスティアは慰問訪問を嫌がり、拗ねた態度をとっていた。だがそんなセレスティアに両親は言った。


 「新しい友達ができるかもしれないよ?」 「侍女のみんなも、セレスが小さい子たちと仲良くできたら、いっぱいほめてくれるよ?」

 

 「……ほめてくれる?」

 両親からの言葉にすっかり気分がよくなったセレスティアは両親といっしょに孤児院を訪問することにした。


 

 「こんにちは! 私はセレスティア、今日はママとパパがあなたたちと遊んであげなさいって言ってたから、遊んであげる!」


 孤児院についたあと、両親から子供たちと遊ぶようにお願いされたセレスティアは、子供たちのいる部屋にやってくるとそう言い放った。

 

 セレスティアは自分が歓迎されると思っていた。


 彼女の周りの者はいつも、彼女のかわいいわがままを聞いてあげていた。同年代の子たちと遊ぶ機会もなく、侍女や両親に褒められ続けた結果、彼女はちやほやされることが当たり前になっていた。


 「いらない」


 子供がゆえの無邪気な返答だった。

 まだ貴族とは何かも知らない孤児院の子供からすれば、いきなり現れて『遊んであげる』と言われてもよくわからなかった。

 しかし、セレスティアはその無邪気な一言に衝撃を受けた。まさか自分からの誘いが断られるとは思っていなかったからだ。


 「い、いらないってなによ! 私が遊んであげるっていってるのよ!」


 「だって今日は、みんなとお外で遊ぶ予定だもん。お姉ちゃんも来たいならいれてあげるよ」


 自分が誘う側だったはずなのに、逆に遊んであげると言われた状況に、セレスティアは軽い屈辱感を覚えた。


 (この子に……絶対遊んでほしいって言わせてやる……)


 このあとのセレスティアの行動は、彼女の内面を知っているものからみれば滑稽だっただろう。


 外に出ていった男の子に対して、何度も声をかけ続ける。

 普段、侍女や両親が喜ぶような、かわいいおねだり声で話しかけてみたり、あざとく上目遣いで遊び方を聞いてみたり、その子が何かするたびに褒めたりした。

 あの手この手で自分だったらうれしくなるような言葉を探しては少年に話しかけた。

 さらには、おやつの時間には、自分の分のおやつを渡しては、おいしい? うれしい? などと質問攻めにしていた。


 しかし、まったくの手ごたえのなさに、セレスティアは少しずつ焦りを覚えた。

 

 このままだと相手にされない……。

 セレスティアは少しでも相手の気がひけるように、そのあとの時間はいっしょにボール遊びに参加し真剣に取り組んだ。

 ボール遊びは得意というわけではないが、ここであきらめると話す機会がなくなる。

 セレスティアはなんとか遊びに混ざり、泥まみれになりながら一緒に遊んだ。

 

 相変わらずセレスティアに対して少年から褒めるような言葉はなかったが、遊びの中ですこしずつ距離は縮まった。


 セレスティアの焦りはどんどん大きくなっていた。

 日が暮れる前には帰ることになる。しかしいまだに良い反応はない。

 次にここに来るのはいつになるかわからない。

 もしこのままあの男の子とお別れになると、朝の屈辱を晴らす機会はなくなる。

 

 そのあとも、空回りのようなセレスティアの戦いは続いた。

 だが、男の子の対応は大きく変わらなかった。



 「セレス。そろそろ帰るよ。子供たちとは仲良くできたかい?」


 「お父様……」

 

 (もうこんな時間……ぐ、ぐやじい。あんな頭の悪そうな子供に、この私が……)


 

 「もう帰るのかよ」

 

 男の子がセレスティアに話しかける。

 どうすれば男の子に自分のことを意識させられるのか、セレスティアは悩んだ。

 悩んだセレスティアは何も返すことができずに黙った。


 「……またこいよな!」


 「——えっ?」


 セレスティアは一瞬どういうことかわからなかった。

 だが男の子の顔を見ると、少し照れている様子であり、さすがに自分に対して悪い感情ではないことを理解した。

 

 ——自分からの誘いに対して興味のかけらも示さなかった男の子が、今自分に対して明らかに親しみの感情を抱いている。


 つまるところ、セレスティアの粘り勝ちであった。

 なんだかんだ一日中ついて回ったセレスティアを、少年もいつの間にか遊び仲間として認識していた。


 「えと……てっきり私、あなたにめんどくさがられていると思ってたんですけど」


 「そ、それはお前が、俺の遊びの邪魔しようとしたからで……ってべつにめんどくさくねぇから、またこいよ!」


 そう言ったあと、男の子はほかの子供たちのところへ戻っていった。


 明らかな親しみの感情。少し前まで自分を邪魔だと、そっけない態度を取っていた男の子からの、自分に対する肯定の態度。


 (く……くぅぅぅぅぅぅぅ! わ、わたしって…………やっぱりすごい……!)


 この時セレスティアは、家族や侍女に褒められたときとは、まるで違う満足感を感じた。

 

 ——ただただ甘やかされて得ていた肯定ではなく、自分でつかみ取った肯定。


 この日からセレスティアは誰かに認められることに強い執着を持つようになった。

 とりわけ、これまで自分に興味を持ってなかった人が、自分を見て、認めて、褒めてくれるとき、セレスティアは強い満足感に満たされるのであった。


 こうして、のちの承認欲求モンスター令嬢セレスティアは、周囲からの賞賛を集めながらすくすくと育っていったのであった。


 

 ——————



 十年後。


 十六歳になったセレスティアは、民衆のため……正確には自分の承認欲求を満たすために活動していた。


 「熱いので気をつけてくださいね。まだまだあるので足りなかったらおかわりも取りにきてくださいね」


 セレスティアは大鍋の前に立ち、自らスープを器によそっていた。


 王都の外れに設けられた炊き出し所には、朝から列ができていた。

 並んでいるのは、仕事を失った者、幼い子供を連れた母親、日々の暮らしに余裕のない老人たち。


 本来であれば、公爵令嬢であるセレスティア自らがこの場に訪れる必要はない。

 それでも彼女は、朝から一度もその場を離れようとはしなかった。


 「セレスティア様、ありがとうございます」


 スープを受け取った老人が深々と頭を下げる。


 「働けもしない身で、こんなおいしい食べ物をいただけるなんて……」


 「ふふ……」


 セレスティアは柔らかく微笑み、温かい声で話しかける。


 「私がしていることなんてたいしたことではありません。本当は、こうした炊き出しが必要のない暮らしを作ることこそ、貴族の務めなのです。ですがまだまだ理想通りにはいかなくて、こういう方法しかとれない私たちを許してくださいね」


 その言葉に、周囲から感嘆の声が漏れる。


 「なんてお優しい……」

 「本当の貴族というのはセレスティア様のような方をいうんだろうな……」

 「まさに聖女様だ」


 セレスティアは上品に微笑みながら、次の器へスープをよそう。


 「次の方も、どうぞ」


 その隣で、セレスティアの専属侍女であるサリナが、無言でパンを配っていた。


 並んでいた人々へ一通り配り終え、列が途切れる。

 セレスティアは笑顔を崩さないまま、小声でサリナに話しかける。


 「サリナ……サリナ」


 「はい、お嬢様」


 「聞いた? 聖女ですって!」


 「……そうですね」

 

 「サリナ……今日はどうだった?」


 「何がでしょうか」


 「わかってるでしょ!」


 セレスティアは口元だけ笑ったまま、声をさらに潜めた。


 「『スゴイネ』どれくらいあったかな?」


 サリナは小さくため息をつき、呆れたように肩を落とした。


 「……百くらいじゃないですか」


 「百かぁ……」


 セレスティアは少し視線を上げ、考え込むように黙り込んだ。


 「まぁまぁの費用対『スゴイネ』ね!」


 「……炊き出しの成果を、感謝の度合いや数で数えるのやめません? あと『スゴイネ』っていう単位で数えるのも承認欲求丸出しで嫌なんですけど」


 「成果は成果でしょ? 感謝する人が多いってことは成功ってことよ!」


 「せめて、普通に何人に配ったかを数えましょうよ」


 「わかってないわね。料理を配ることが目的じゃないの! みんなが幸せになって、私に感謝したことが大事なのよ!」


 「はぁ……では、『スゴイネ』にカウントされた今日の方々は幸せなのですか?」


 セレスティアは胸を張って答える。


 「幸せに決まっているでしょう。温かい食事をタダで食べられる。しかも、こんな美少女から直接手渡されるのよ?」


 「……そうですね」


 「私は褒められて嬉しい。皆さんはお腹いっぱいになって嬉しい。慈善活動ってほんと素敵ね」


 「それを堂々と言えるところは、少し尊敬します」


 「ふふふ。もっと褒めていいのよ」


 「褒めてません」


 

 そこへ、ひとりの小さな女の子が器を抱えながら近づいてきた。


 「お姉ちゃん」


 「どうしたの?」


 セレスティアがしゃがんで目線を合わせる。

 少女は少し恥ずかしそうにしながら、セレスティアに聞こえるように言う。


 「お、おいしかったです! ありがとうございます!」


 セレスティアの動きが止まる。少女は言い終わると照れたのか、すぐに走って戻っていった。


 「……」


 「お嬢様?」


 「……サリナ」


 「はい」


 「今のは十『スゴイネ』くらいにカウントしてもいいと思わない?」


 「勝手に数えておいてください」


 セレスティアはまだそこまで遠ざかっていない女の子に手を振る。


 「またいつでも来てねー!」


 セレスティアの声に気づいた女の子は振り向きながらぺこりとお辞儀をして去っていった。

 

 

 周囲の人々は、そんな二人の会話までは聞こえていない。

 彼らの目に映るのは、貧しい者へ自ら食事を配り、子供にも優しく声をかける公爵令嬢の姿だけ。

 そして今日もまた、セレスティアの評判は上がっていく。


 「屋敷に帰ったら、次の案を考えましょう。炊き出しも純粋な『スゴイネ』がもらえていいんだけど、もう少し私の魅力を伝えていきたいのよね」


 「できるだけ喋らなくてよい方法がいいですよ。喋っているといつボロがでるかわかりませんから」


 「サリナってほんといじわるなんだから。ねぇねぇ、最近、まるで聖女様って言われることも多いし、いっそのこと治癒魔法とか練習してみようかな? 使えたら賞賛の嵐じゃない?」


 「聖女の奇跡をちょっとした特技みたいなノリで覚えようとしないでください」

 

 そのあとも屋敷へ帰る道すがら、二人はあれやこれやと次の活動に向けて話を続けるのだった。


 そしてこの数日後、教会に何の縁もない貴族の娘が聖女の奇跡を起こしたことが広まり、王都中が歓喜の嵐に包まれるのであった。



 ——————



 「……まったく、忌々しい」


 王都にある教会、その豪奢な執務室の中で、一人の男が新聞を机へ叩きつけた。


 男の名はグレゴール、教会の司教である。

 この国唯一の宗教、レミエール教において次期大司教候補とまで噂される人物である。


 叩きつけられた新聞には、大きくセレスティアの名前が載っていた。


 『奇跡の公爵令嬢』『慈悲の心に聖女の奇跡宿る』

 『美しき心に神の奇跡が舞い降りた』


 どの記事も、セレスティアの奇跡について語られ、そこには、教会に属さずとも奇跡は起こり得る、などと書き立てていた。

 

 「聖女とは、神に選ばれた者だ。神に選ばれるというのは、教会に選ばれるということだ。つまり……私が選んだ者でなければならない」


 「ですが、セレスティア様が奇跡を起こしたこと自体は、多くの者が目撃しております」


 「だから問題なのだ!」


 グレゴールは拳を机へ叩きつけた。衝撃で積み上げられていた書類が崩れ、数枚が床へ滑り落ちる。


 「教会の教えも受けていない。ただの貴族令嬢が、聖女などともてはやされている!」


 ただでさえセレスティアは民衆からの人気が高い。


 孤児院への寄付、貧民への炊き出し、災害被災者への支援。

 ここ数年だけでも数えきれないほどさまざまな活動を行い、民衆からの支持を得ている。

 しかもそのすべてを、自ら民の前へ立って行ってきた。


 「貴族のくせにだ!」


 教会が長年積み上げてきた“民のための存在”という立場を、たった十六歳の少女が脅かし始めていた。


 「最近では、教会へ寄付するくらいならセレスティア様の慈善事業へ寄付したい、と話す商人までいるそうです」


 「……見過ごせんな。小娘の偽善ごっこ程度なら放っておいてやらんこともなかったが、聖女の奇跡は見過ごせん」


 グレゴールは低く呟いた。


 聖女の奇跡、それは本来教会で神に祈り続けたもののみが使える御業である。

 心の清らかな者たちが十年祈り続けても、その奇跡を発現させられるものは十人に一人にも満たない。


 現に王都の教会で聖女の奇跡を起こせる者は三人しかいなかった。

 さらに人によって起こせる奇跡の強さにも差がある。

 セレスティアは一番力の強い聖女と同等……もしくはそれ以上の奇跡を起こせてしまっていた。

 

 「教会に所属してもらうというのは……? 今からでもこちらへ囲えば……」


 「ここまで騒がれたあとにか!? そもそも奇跡は教会で祈ったもののみが発現するということになっているのだ。それを覆せば、教会の権威がどうなるかわからんのか!」


 教会に所属していない者が聖女の奇跡を起こした場合、すぐに教会に引き込んでいた。

 情報隠蔽は徹底的に行われ、引き込んだ聖女本人にも、決して他言しないよう固く口止めしていた。

 

 幸いにも心清らかなものしか聖女の奇跡は起こせず、これまで教会以外で見つけたものはすべて孤児や町娘であった。

 それならば教会の権力さえあれば、周囲を抑えることはできたし、『世を乱さないためだ』といえば聖女もその言葉に従った。

 

 「まさか……。貴族の娘で奇跡を起こせる者が出るとはな」


 教会の収入の大部分は、貴族に対して行う、聖女による治療の代金だ。

 教会にしかできないから価値があり、教会にしかできないからこそ法外な費用であっても、貴族は支払う。

 

 「小娘は……偽りの聖女として晒し者にする。聖女ではなかったと知らしめて教会の威信を守るのだ」

 

 「そ、そこまでしなくても……」


 神官が息を呑む。


 「世のためだ……。教会へ招待して差し上げろ。『教会から正式に聖女として認めたい』とでも言えば、何も考えずやってくるだろう」

 

 「しょ、承知しました……」


 神官は視線をあげることなく部屋から出ていく。


 「さて……あとはどうやって偽りの聖女とするかだな。まぁ、いくつか方法はある……」


 グレゴールは、窓の外へ視線を向けた。その後、何かを決心したかのように一度目を閉じ、ゆっくりと教会の奥へと歩き出したのだった。



 ——————


 

 「サリナ! 私すごすぎない!?」


 教会に向かう馬車の中、セレスティアは一通の書状を持ちながらサリナに話しかけた。


 「はいはい。すごいですね」


 「はぁ……。 神様ってほんと、不平等よね。美しい容姿、聡明な頭脳、民を慈しむ清らかな心、それに聖女の奇跡まで……。神様、私のこと好きすぎない?」


 「……ちょっとうるさいですね。もう少し清らかな心の部分も頑張ってもらえますか」


 サリナはため息をつきながらセレスティアの自画自賛を聞き続けた。

 

 今回、セレスティアが王都の教会へ向かっているのは、数日前に偶然発現した“聖女の奇跡”が理由である。


 これまで教会に属する聖女のみが扱えるとされていたその力を、公爵令嬢であるセレスティアが使ったことで王都中が大騒ぎとなった。


 そして昨日、教会から一通の招待状が届いた。内容は、セレスティアの奇跡について正式に確認したいというものだった。


 つまり、その力が本物だと認められれば……。


 「正式に聖女として認めてもらえるかもしれないのよ!」


 「さっきから十回以上聞きました」


 「ほんとにわかってる? 聖女様ってすごいのよ? 見習いの聖女様はいっぱいいても奇跡まで使える聖女様は本当に一握りなんだから!」


 「たぶんお嬢様より理解しています。だからこそ、呆れてるんです。神様はいったい何を考えているのやら……」


 サリナは窓の外へ目を向けた。王都教会の巨大な尖塔が、すでに近くまで迫っていた。

 浮かれたセレスティアと呆れ顔のサリナが言葉を交わしているうちに、馬車は教会の正門へ到着した。


 

 ——————



 教会へ足を踏み入れたセレスティアたちを待っていたのは、一人の初老の男だった。


 白を基調とした上質な法衣。

 胸元には高位聖職者のみが身につけることを許された金の聖印。


 教会司教、グレゴールであった。


 「ようこそお越しくださいました、セレスティア公爵令嬢」


 グレゴールは穏やかな笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。


 「このたびはお招きいただき、ありがとうございます」


 セレスティアも公爵令嬢らしく優雅に礼を返す。


 「あなた様が起こされた奇跡については、私も聞き及んでおります。今日はぜひともいろいろとお話をさせてください」


 「まあ……! その金の聖印、あなたが招待状を送ってくださったグレゴール司教様ですね。よろしくお願いします」


 セレスティアの表情が明らかに明るくなる。


 「では、こちらへ」


 そのままグレゴールは教会の中へ二人を案内した。

 

 案内された先は、教会のさらに奥。


 礼拝堂を抜け、一般の信徒が入ることのできない長い廊下を進み、石造りの階段を降りていく。

 やがて一行が辿り着いたのは、薄暗い地下聖堂だった。


 中央には石造りの祭壇。そして、その上には両手で抱えられるほどの黒い箱が置かれていた。


 箱の表面には複雑な紋様が刻まれ、その上から何重もの聖印の紙が貼られている。


 「ようこそお越しくださいました」


 黒い箱の周りを数名の神官が取り囲んでいた。


 セレスティアは箱を見るなり、浮かれていた表情をわずかに引き締めた。


 「……嫌な感じがしますね」


 「お気づきになりましたか」


 グレゴールが感心したように言う。


 「その箱には、はるか昔に封じられた悪魔が眠っております」


 「悪魔?」


 サリナが真剣な表情で一歩前へ出る。


 「そんな危険なものを、なぜ?」


 「ご安心を」


 グレゴールは穏やかに微笑む。


 「悪魔は、この箱に貼られた聖印によって封じられています。いわばこれは歴代の聖女の定常業務のようなものですよ」


 彼は箱へ視線を向ける。


 「封印は年月とともに少しずつですが弱まります。そのため、定期的に聖女の奇跡によって力を注ぎ直す必要があるのです」


 「なるほど」


 セレスティアは興味深そうに箱を見る。


 「つまり、この封印にうまく力を注ぐことができれば、私が本当に聖女の力を持っていると証明できるということね?」


 「その通りでございます。さすがに証明のためだけに誰かに怪我を負わすわけにはいきませんから」


 グレゴールはにこやかに頷いた。


 これは半分だけ真実だった。確かにこの作業は聖女によって半年に一回行われていた。

 箱の上にある聖印は聖女の奇跡による力を込めるだけで勝手に封印が強化される。


 しかし、今日、その中の一番上の最初に力が加わる一枚だけは、普段使われるものとは別の聖印へすり替えられていた。

 そのすり替えられた聖印には、奇跡の力を受けると逆に封印を弱める術式が仕込まれていた。


 この聖印に対してセレスティアが奇跡を使えば、その瞬間に封印がひとつだけ解かれることになる。


 グレゴールたちにとってはそれで十分だった。

 セレスティアが行う聖女の奇跡に対して批判し、この話を王都中に広める。

 

 “聖女の奇跡など使えない偽物だった”。


 教会が偽聖女と公式に断じれば、それに便乗する貴族も現れるだろう。貴族どものことだ。あれやこれやと理由をつけて彼女を追い込むだろう。


 彼女が民衆から人気があるのも事実……。

 あくまでも、自然に表舞台からいなくなってもらう必要がある。

 

 「では、セレスティア様。箱へ手をかざし、奇跡をお使いください」


 「わかりました」


 背後でサリナが不安そうに箱を見つめていた。


 「お嬢様……」


 「大丈夫よ」


 セレスティアは振り返り、にっこり笑った。

 そしてこそっとサリナにつぶやく。


 「成功して、正式に私が聖女になって超人気になっちゃっても、あなたは変わらず私の侍女よ!」


 「そこを心配しているのではありません」


 「ふふ。見てなさい」


 セレスティアが祭壇へ近づいて両手をかざす。

 淡い光が、その手のひらから溢れ始める。地下聖堂の中に、柔らかな白い輝きが広がっていく。


 「……!」


 居合わせた神官たちが息を呑む。グレゴールも思わず目を見開いた。


 間違いない。本物だ。


 だが――。


 だからこそ、失敗してもらう必要がある。


 セレスティアの力が聖印に作用する。

 光が聖印の紙に移り、強く輝いた。


 

 「ちょ、ちょっと待て……。強すぎないか……?」


 

 グレゴールがその光をみて思わず呟いた。  

 奇跡の強さは聖女によって変わる。

 目の前の光はグレゴールがこれまで見たどの聖女よりも強い光だった。


 ――カチャン。


 箱を留めていた金具が外れ、下に落ちる。


 ドンッ――!


 地下聖堂全体が大きく揺れた。


 「きゃっ!」


 サリナがよろめく。


 「な、なに? え?」


 セレスティアも思わずサリナのそばまで後ろずさった。


 「ま、まさか……。そ、そんなことが」


 誤算だった。すり替えた聖印によって封印がひとつだけ解かれるはずだった。

 だが、強すぎるセレスティアの力によって、ひとつのすり替えた聖印ですべての封印を解いてしまったのであった。


 祭壇の上に置かれていた箱が激しく震え始める。


 「な……」


 グレゴールの顔から血の気が引いていく。


 「なぜだ……? お、お前なんてことをしてくれるんだ!」


 本来なら、ここでセレスティアを責め立てるはずだった。だが、状況はグレゴールの想定をはるかに超えていた。

 周りの神官たちも状況を呑み込めず立ち尽くしている。

 

 ——その時、箱の隙間から溢れ出した黒い瘴気が、意思を持っているかのように周囲へ広がっていく。


 「司教様!」


 神官の一人が叫ぶ。


 「封印が……」


 「馬鹿な! すぐに閉じろ! おい! セレスティア嬢、はやくもう一度封印しろ!」


 この場にセレスティア以外で聖女の奇跡を使える者はいない。

 聖女を立ち会わせれば、聖印への細工が見抜かれる恐れがあったためだ。

 

 神官が一斉に箱を押さえ込む。

 箱は震えを止めた……しかし、箱から出た黒い瘴気が集まり、徐々に姿を形作っていく。


 かつて世界をおびやかし、何百年も封印されてきた悪魔が、神官たちの前に姿を現したのだった。


 『——ようやくか』


 その声だけで、神官の一人が腰を抜かした。


 『ようやく……この忌々しい牢獄から出られる』


 グレゴールは震える足で後ずさった。


 「こ、こんなはずでは……私は……教会のために……」


 悪魔がゆっくりと目を開き、その赤い瞳で、地下聖堂にいる人間たちを順番に見渡す。

 

 『ふんっ!』


 悪魔が片手を一振りしただけで、神官たちは一斉に宙を舞い、壁へ叩きつけられて気を失った。

 少し離れた場所にいたセレスティアとサリナだけは直撃を免れ、意識を保っていた。

 

 『ほう』


 悪魔の口元が歪む。


 『聖女か。忌々しい力だ』


 セレスティアは悪魔を見上げる。

 その後、隣にいるサリナへ小声で尋ねた。


 

 「ねえねぇサリナ……これ倒したら……何『スゴイネ』くらいだと思う?」


 「……お嬢様、少し空気読んでくれますか?」


 

 地下聖堂に、しばし沈黙が落ちた。



 『そこの女……』

 

 悪魔がセレスティアに視線を向ける。その赤い瞳は、まるで心の奥底まで覗き込むように細められた。


 『……ふははっ。聖女の力を使える人間にお前のようなやつもいるとはな』


 「な、なに? やっぱり私って特別?」


 『面白い、たしかにお前は特別だ』


 悪魔がゆっくりとセレスティアに向かって歩き出す。


 『聖女は無欲で純粋な者が多い。それゆえ、悪魔のささやきに騙される者もいない。そう思っていたが、例外もいるようだ』


 「例外?」


 『認められたい。褒められたい。好かれたい。自分を見てほしい……』


 悪魔の言葉を聞き、サリナは恥ずかしそうに視線を逸らした。


 『称賛。感謝。好意。お前はそれを求めている』


 「…………」


 『違うか?』


 再度地下聖堂に沈黙が落ちた。

 セレスティアは少しだけ頬を赤くし、斜め上を見ながら答える。


 「……ま、まあ、もらえるものはもらったほうがいいわよね?」


 「……もらうためだけに生きているような気がしますが」


 「ちょ、ちょっとサリナ! 私は与えた分に対して正当な評価をもらっているだけなんだから!」


 悪魔が低い声で笑いだした。


 『くくく……いいぞ。素晴らしい。それでこそ人間だ』


 悪魔が片手を差し出す。黒い瘴気が手のひらに集まり、禍々しい炎のように揺らめいた。


 『我と契約をしようではないか』


 「契約?」


 『そうだ。我がお前の望みをかなえてやろう』


 悪魔のささやきが地下聖堂に響く。


 『誰もがお前を称える。お前を愛し、崇める。そんな世界に興味はないか?』

 

 悪魔は笑みを深めた。


 『安心しろ。悪魔は契約を違えぬ。一度結ばれた願いは、必ず叶える』


 『お前が何より欲しているものだろう?』


 「あなたの手を取れば、私の願いが叶うっていうの?」

 

 『そうだ。お前がこの手を取れば、お前の望みは叶う。そして代わりに少しだけ我の手伝いをしてもらうことになる』

 

 悪魔は確信していた。これまで見たことのない欲を秘めた女。そして聖女の力。

 この女と契約すれば、もう誰にも自分を止めることができない。

 

 世界を……蹂躙する。


 「じゃあ、私の望み、叶えてもらおうかな」


 「お嬢様!?」


 セレスティアはゆっくりと悪魔の手のひらに揺らめく黒い炎に自分の手を重ねる。

 

 『……くははははっ!まかせろ。我が、お前の望み通り、誰もがお前の前に跪く、そんな世界を作って……』


 悪魔の笑みが止まった。


 『お前……何を望んだ……』


 「何って……、何でも叶えてくれるっていうから、今一番『スゴイネ』がもらえそうなことを望ませてもらったわ」


 「お嬢様……いったい何を……」


 『お前……馬鹿なのか? 我に力を貸せば、この世界に生きとし生けるすべてのも……ぐふっ』


 悪魔が突然苦しみだした。


 『こんな、ことがっ……。我はお前の望みを、お前……の欲を満たしてやるというのに……この、愚か者め……』


 「はぁ……あなた何にもわかってないのね。『スゴイネ』は、自分で勝ち取るから気持ちいいのよ。誰かに用意された『スゴイネ』なんて、そんなの全然気持ちよくないの」


 セレスティアは苦しむ悪魔に向かって言葉を続ける。


 「私が欲しいのはね」


 そういってセレスティアは人差し指を立てる。


 「私に興味がないような人とか!」


 「私のことが嫌いな人とか!」

 

 「私のことをまだよく知らない人とか!」


 「そんな色んな人に、私が、頑張って、頑張って、いっぱい頑張って……」


 「何かしてあげた結果!」


 そして両手を大きく広げた。


 「『セレスティア様ってすごい!』って心の底から言ってくれることなの!」


 セレスティアは両手を悪魔へ向け、聖女の力を込める。


 「だからね? 私は望んだの! あなたを消滅させたいって!」


 『ぐぉぉぉぉぉ』

 

 契約によって力を削がれた悪魔は、セレスティアの聖女の力に抗えず、その姿を消していった。


  

 「だってこんな誘惑にも打ち勝って、民のために悪魔を打ち倒す私…………とってもすごいでしょ?」


 

 セレスティアは一度胸を張って消え去った悪魔の方を見る。

 そのあと、くるっと振り返り、とびきりの笑顔で後ろにいる自分の侍女に話しかける。


 「サリナ! サリナ! 見た!? 見た!? 見た!? 私すごくない?」


 「……私はいったいどう反応すればよいんでしょうか。まさか悪魔に同情する日が来るとは思っていませんでした」


 サリナは呆れつつも、王都を救った自分の主人を少しだけ褒めながら、倒れている神官たちを介抱する。

 

 一番早くに意識を取り戻したグレゴールに二人は経緯を説明した。

 

 さすがに、どうやって倒すことができたのかを細かく話すことは憚れたため、神に祈りが通じたとかなんとか言って適当にごまかした。


 悪魔の復活、しかもその原因が自分にあると知られるわけにはいかないグレゴールは、二人の言い分をそのまま受け入れた。

 

 「……素晴らしい、奇跡でございました。本来、封印が解かれることはないはずなのですが、セレスティア嬢の力なら悪魔を滅せると考えた神の思し召しかもしれませんね」


 グレゴールは震える声で答えたが、それを聞いたセレスティアはぱっと輝いた顔でサリナの方へ駆け寄る。


 「サリナ!」


 「はい」


 「神様からの『スゴイネ』追加!」


 「本当にいつか神様に怒られますよ……」



 その後。


 教会で起こった悪魔復活事件と、それを鎮めたセレスティアの噂は、瞬く間に王都中へ広がった。


 人々は彼女を称えた。


 伝説の聖女。


 救国の令嬢。


 神に愛された少女。


 さまざまな呼び名がつけられ、吟遊詩人はその功績を歌い、民はますます彼女を愛した。


 

 そして当の本人は——。


 「サリナ! 今日のあの子供の反応見た!? もう、私のこと好きすぎない!? あの子はいい笑顔だったから一人で三『スゴイネ』くらいかしら!?」


 「はいはい。すごいねすごいね」


 「明日は教会で聖女のお仕事だけど、普通に力を使うだけだと物足りないわよね? 何かいい方法はないかしら!?」


 「普通に使ってあげてください」


 今日も変わらず、セレスティアは自分の欲求を満たすために働き続ける。


 その欲望が偽善であれ、自己満足であれ、民は今日も助けられる。


 彼女の行いによって救われる者がいて、その人々が心から彼女に感謝している。


 

 承認欲求モンスター令嬢は今日も民から愛される。

拙い文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございます!


いつか短編だけじゃなくて、長編のお話も書けるようになりたい。

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