【短編・完結】蜜色の髪に隠された痣は「呪い」ではなく、竜神の加護でした ~『穢れた聖女』と追放されたので、竜人将軍に嫁いで国ごと見返します~
「その蜜色の髪と、隠された痣。やはりお前は"穢れた聖女"だ。婚約は破棄する」
聖女認定式の大広間に、王太子ジークの声が朗々と響き渡った。
私——セリカ・ラ・フォンティーヌは、うなじに手をやりかけて、止めた。
つい先ほど、異母妹アメリアが皆の前で私の髪をかき上げ、隠していた鱗状の黒い痣を暴いたばかり。ざわめきは今も波紋のように広がっている。
(ああ、また同じだ)
心の奥で、乾いた声がした。
前世——澤村芹、二十八歳。日本のブラック企業で、理不尽な減点評価に耐え、手柄を横取りされ、それでも笑って働いて、最後は会社の床で倒れて死んだ。
転生しても同じだった。癒しの力で王国を陰から支え、魔物討伐で傷ついた兵を何百人も治してきた。なのに功績はすべて妹のもの。私は「地味で不気味な予備」。
(そう。今世でも『無償の善意』は、ただで搾取されるものらしい)
「言い訳はないのか、セリカ」
ジークが顎をしゃくる。その隣で、アメリアが両手を胸の前で組み、うるうると瞳を潤ませていた。
「お姉様……わたし、ずっと怖かったの。お姉様の痣が、この国に災いを呼ぶのではないかって……」
(うわぁ、清楚ムーブ完璧だな。演技力だけは本物だわ)
甘ったるい声。人前でだけ発動する被害者ヅラ。私に向けるときの嘲りとは、まるで別人だ。
父である辺境伯も、継母の陰でただ目を伏せている。誰も、私の味方はいない。
私は深く息を吸った。
そして——静かに、一礼した。
「かしこまりました。では、辺境伯家からも、聖女の任からも、退かせていただきます」
喚かない。泣かない。取り乱さない。
その静けさが、かえって大広間をざわつかせた。断罪される者は縋りつくのが常だからだ。
「……ふん、素直でいいじゃないか」ジークが鼻を鳴らす。
アメリアの口元が、勝ち誇った弧を描いた。
(さぞ気分がいいでしょうね。でも——)
前世の私は知っている。理不尽に耐え続けた末路がどうなるかを。だからこそ、今度は違う。
私は顔を上げ、澄んだ声で告げた。
「一つだけ。この国の結界を維持していた聖なる祈りは、本日をもって私が引き継ぎを解きます。以降、どなたが継ぐかはお好きに」
一瞬の沈黙。
それから、アメリアが甲高く笑った。
「結界? あれはわたしの御力でしょう。お姉様ったら、往生際が悪いこと」
「そうですね。ではどうぞ、その御力で。……失礼いたします」
誰も気づいていない。
魔物の侵攻を長年抑えてきた『大結界』——その術者が、アメリアではなく私自身であることを。
手柄を奪われる代わりに、術式の"鍵"だけは自分の血に紐づけて隠しておいた。前世で叩き込まれた自衛策。
『引き継ぎ資料は、自分にしか分からないよう握っておけ』
社畜時代の教訓が、まさかこんな形で役に立つとは。
私はドレスの裾を翻し、大広間に背を向けた。
誰も追ってはこなかった。
(さようなら。二世代分、お世話になりました)
重い扉が、背後で閉ざされた。
◇
王都を出て、辺境へ向かう街道。
馬車も供もなく、ただ一人。夜風が蜜色の髪を揺らす。
(さて、これからどうしよう。まずは宿……いや、お金も持ち出してないな。相変わらず計画性ゼロ)
自嘲していた、そのとき。
——ゴォン。
遠く、国境の方角で、大気が軋むような音が響いた。
夜空に走る、亀裂のような光。
『大結界』が、綻び始めている。
私が引き継ぎを解いたことで、鍵を失った術式が音を立てて崩壊していくのだ。
「……止まらないわね、もう。あの結界、私が鍵だったなんて、誰も気づかないまま……っ!?」
呟いたと同時に、うなじの痣が、突然、燃えるように熱を帯びた。
膝から力が抜ける。視界が明滅する。痣が、黒い光を放って脈打っている。
こんなこと、今まで一度もなかった。
倒れ込む寸前——地を蹴る音。
力強い腕が、私の身体を抱き留めた。
見上げれば、月光を背にした巨大な影。
長身に鍛え抜かれた体躯。首筋から覗く、銀の鱗。縦に裂けた金色の瞳が、まっすぐに私を——正確には、私のうなじの痣を、射抜いていた。
「竜、人……?」
冷酷無比と噂される、竜人族。
その男は、私を抱えたまま、ゆっくりと——地に、膝をついた。
将軍と思しき威風の男が、追放されたばかりの令嬢に、ひざまずいたのだ。
「探した」
低く、掠れた声だった。冷酷な将軍のものとは思えぬほど、震えていた。
「……あの、どなた——」
「これは呪いではない」
男は私の言葉を遮り、うなじの痣を見つめたまま告げた。
「竜神アズヴァルドの『加護痣』だ。数百年に一度、竜神が己の力を託す器に刻む聖印。……あんたは"穢れた聖女"じゃない」
金色の瞳が、まっすぐに私を捉える。
「竜神の花嫁だ」
私は、しばらく無言だった。
(……え)
頭の中で、今日一日の出来事が高速で巻き戻る。断罪。暴露。「穢れの証」。それが。
(呪いじゃなくて、最上位のチートでした?)
「俺はガルレイド・ヴォルグ・アズヴァルディア。竜人族の将軍にして、長」男は名乗り、それから、ぶっきらぼうに付け加えた。「……立てるか。冷える。里へ来い。悪いようにはしない」
言葉は硬い。表情も鉄面皮だ。
なのに、私を抱える腕は、壊れ物を扱うように慎重で。
「あの、将軍様。私、たった今、国を追放された身でして」
「知っている」
「痣は呪いだと言われて」
「愚かだ」ガルレイドの声に、微かな怒気が滲んだ。「竜神の花嫁を『穢れ』と呼ぶ国など、滅びればいい」
(うわ、重い。でも……なんだろう、この温もり)
二世代分、誰にも守られなかった私の背を、今、大きな手が支えている。
その温もりが、やけに沁みた。
「……お世話に、なります」
私がそう言うと、ガルレイドは一瞬、ぐっと言葉に詰まったように喉を鳴らし——それから、そっぽを向いた。
「……っ。……ああ」
耳が、赤い気がした。
(強キャラのくせに、耳まで赤くして……ポンコツか?)
◇
竜人族の里は、切り立った山々に抱かれた、驚くほど温かな場所だった。
「花嫁様——! お待ちしておりました! わあ、本当に蜜色の髪! 加護痣も! 竜神様の花嫁様だぁ!」
出迎えてくれたのは、小さな角と尻尾を持つ少女、リィナ。私の世話役だという。
彼女は私のうなじの痣を見て、目を輝かせた。忌避ではなく、憧れの眼差しで。
「……この痣、怖くないの?」
思わず訊いてしまった。
リィナはきょとんとした。「なんで? 竜神様の一番の証じゃないですか! 里のみんな、花嫁様が来てくださって、ずっとお祭り騒ぎなんですよ!」
(……隠さなくて、いいんだ)
胸の奥が、じん、と熱くなる。
二十八年——いや、二世代分。ずっと隠してきた。忌み嫌われると思っていた。
それが、ここでは誇りだという。
「将軍サマもね、花嫁様のこと、そりゃあもう大切に思ってるんですよ」リィナがくすくす笑う。「口が下手なだけなんです。あの人、優しくしようとして、いつも威圧しちゃうんですから」
「……なんとなく、分かる気がする」
そのとき、廊下の陰でガルレイドが「花嫁が寒くないよう火を——いや、暑すぎるか、どっちだ……」などと一人で低く唸っているのが見えた。
どうやら私の部屋の室温を本気で悩んでいるらしい。
(強面の将軍が、部屋の室温で本気で唸ってる。なにやってるんだか)
初めてだった。
痣を隠さなくていい。功績を奪われない。倒れるまで働かなくていい。
——ここが、私の欲しかった『居場所』かもしれない。
そんな予感が、静かに芽生えた夜。
一方その頃、王国では。
崩れゆく結界を前に、アメリアが青ざめた顔で祭壇に立っていた。
◇
「祈りなさい、アメリア! 早く結界を張るのだ!」
王太子ジークの怒声が、崩壊寸前の王宮に響く。
国境から雪崩れ込む魔物。逃げ惑う民。空を裂く亀裂。
アメリアは祭壇に手をかざし、必死に祈った。
「聖なる光よ……結界を……お願い、出て、出てよ……! な……なんで……何も、起きないの……」
だが、何も起こらない。一筋の光すら、生まれない。
当然だった。彼女に、力など一度もなかったのだから。
回復魔法も、結界も、すべて姉セリカの功績を騙っていただけ。虚飾の聖女には、魔物の一匹すら退ける術がない。
「アメリア、どういうことだ! お前は聖女だろう!? なぜ結界が張れない!」
「わ、わたしは……わたしは、ただ……」
がたがたと震えるアメリア。
そのとき、ジークの脳裏に、ある光景が蘇った。
——静かに一礼し、去っていった、蜜色の髪の女。
『聖なる祈りは、本日をもって私が引き継ぎを解きます』
「……まさか。夜ごと祭壇に籠っていた、地味で不気味と侮っていた、あの女……本物の聖女は……俺が、捨てた……あの女、だったのか……」
血の気が引いていく。膝から崩れ落ちるジーク。
だが、時すでに遅し。
結界は完全に消え、魔物の群れが王都の城壁に迫っていた。
『失ってから気づく』——それは、いつだって、取り返しのつかない瞬間に訪れる。
◇
竜人族と王国の、緊急会談。
魔物の脅威を前に、王国はなりふり構わず竜人族に助けを求めた。その席に、私はいた。
ガルレイドの隣。誰も隠していない、蜜色の髪を晒して。
「せ、セリカ!? なぜお前がここに——」
私を見つけたジークが、椅子から立ち上がる。アメリアも、父も、継母も、幽霊でも見たような顔をしていた。
「話が早い。あんたたちに見せたいものがある」
ガルレイドが、卓上に一つの水晶を置いた。青白く輝く、竜眼の記録水晶。
「竜人族は、加護痣の器を数百年、見守ってきた。当然、その者の行いも——すべて、記録している」
水晶が、光を放つ。
映し出されたのは、映像だった。
夜ごと祭壇に一人籠り、血を捧げて大結界を維持する私。負傷兵の列を、倒れそうになりながら一人残らず治していく私。そして——その功績を、アメリアが横から奪い、王太子に微笑む姿まで。
すべてが、克明に。
会場が、静まり返った。
「う、嘘よ! これは幻術だわ! お姉様が竜人を騙して作らせたのよ!」アメリアが叫ぶ。
「竜眼の記録に、偽りは映らない」ガルレイドが冷たく切り捨てた。「偽れるのは……人間の口だけだ」
アメリアの顔が、ぐしゃりと歪む。
もう、誰の目にも明らかだった。
聖女は、私だった。ずっと、私だった。
私は、静かに一歩、前に出た。
二世代分の理不尽を——今、ここで、終わらせるために。
「私を『穢れ』と呼んで捨てたのは、あなた方です。竜神の花嫁を追放した国に、加護は戻りません」
「セリカ、待ってくれ!」ジークが跪き、縋りついた。「俺が悪かった! アメリアに騙されていたんだ! 頼む、もう一度だけ、結界を——国を、救ってくれ!」
(ああ、その台詞。前世で何度も聞いた。『君にしかできない仕事だから』って、都合よく使い潰すときの決まり文句)
私は、彼を見た。
「ジーク王太子。あなたは私の実績を一度でもご自分の目で確かめましたか。私が倒れるまで働いていたとき、一度でも労いの言葉をくださいましたか」
「そ、それは……」
「くださいませんでしたよね」
静かに、微笑む。
「無償の善意は、当たり前ではありません。搾取していい資源でもありません。——それを、二世代かけて、ようやく学びました」
アメリアが泣き崩れる。「お姉様、助けて、お姉様……! わたし、どうなっちゃうの……!」
「アメリア。あなたは私のものを、たくさん奪ったわね。功績も、名誉も、居場所も。でも、一つだけ奪えなかったものがある」
私は、続けた。
「竜神様が私に刻んだ、この痣よ」
うなじの痣が、誇らしげに黒く輝いた。
「さようなら。二度と、私の名を騙らないで」
私は背を向けた。
隣で、ガルレイドがぽつりと言った。
「……見事だった」
言葉少なな彼の、精一杯の賛辞。
(その不器用さに、少しだけ笑ってしまった)
辺境伯家は取り潰し。王太子は廃嫡。虚飾の聖女は、すべてを失った。
そして私は——もう、振り返らなかった。
◇
竜人族の里に、朝が来た。
窓から差し込む光。鳥のさえずり。そして、扉の向こうで元気な声。
「花嫁様! 朝ごはんですよー! 今日は将軍サマが山から果実を採ってきたんです。花嫁様に食べさせたいって、崖をよじ登って!」
「……あの人、また無茶を」
苦笑しながら身支度を整える。
食堂では、ガルレイドが仏頂面で果実の山を積み上げていた。
「食え。……体に、いい」
「ありがとうございます。でも、こんなに一人じゃ食べきれません」
「……そうか」明らかに落胆した様子で、しかし表情は変わらない彼。「では、俺も、食う。一緒に」
(不器用すぎるでしょ、この将軍。でも……嫌じゃない)
誰かが、私のために何かをしてくれる。見返りも求めずに。
そんな当たり前が、二世代ぶりだった。
「セリカ」ガルレイドが、ふいに真剣な顔をした。「竜人は、生涯にただ一人だけを愛する。……俺の、その一人は」
そこで、言葉に詰まる。耳が、また赤い。
「……ゆっくりで、いい。あんたが、ここを居場所だと思えるまで、俺は待つ」
不器用で、まっすぐで、あたたかい言葉。
「……はい」
私は、うなずいた。今度は、心から。
その日の午後、王国から嘆願の使者が来たが、ガルレイドが門前で一蹴した。
「花嫁を穢れと呼んだ国に、貸す手はない。——帰れ」
それを聞きながら、私は里の高台で、澄んだ空を見上げた。
痣を隠さなくていい。功績を奪われない。倒れるまで働かなくていい。
「さて」
私は、微笑んだ。
「竜神様の花嫁業、初日から残業ゼロで最高だわ」
——そのとき。
風が、ふわりと巻いた。
『ほう。ずいぶんと、たくましくなったものよ、我が花嫁』
飄々とした、掴みどころのない声。
空に、悠然と、巨大な竜神アズヴァルドの気配が滲む。
「竜神様……!?」
『前世でも、ずいぶん働かされたのだろう? 今世くらい、のんびりせよ』
(前世のことまで、お見通しか)
『——時に、セリカよ』
竜神の声が、ふと、意味深に低くなった。
『次の加護痣が、別の国に、現れたようでな』
「……え?」
『さて、どうする? 我が花嫁』
風が、次の物語の匂いを運んで、遠くへ吹き抜けていった。
(いやいや、残業ゼロって言ったばかりなんですけど!?)
私の内心のツッコミを置き去りに、竜神の笑い声だけが、青い空にこだました。




