推しの破滅は蜜の味 ~婚約破棄された公爵令息を拾ったら、私なしでは生きられなくなりました~
王立学院の卒業パーティー。シャンデリアが輝く華やかなホールの隅で、私、エルマ・ラインハルトは壁の花に擬態していた。
手には半分ほど減ったシャンパングラス。
周囲から見れば、ただの「地味で、誘いもなくて、壁と同化している下級貴族の娘」にしか見えないだろう。
だが、私の脳内は今、パーティーのメインディッシュ――ではなく、「推しの破滅」を待つ興奮で沸騰していた。
(……そろそろね。投資で稼いだ軍資金は、すでに彼を一生養える額に達してる。隠れ家の準備も万端。さあ、最高の絶望を見せてちょうだい、シグバルト様!)
ホールの中心。そこには、この世界の「太陽」と「月」のような二人がいた。
次期王太子殿下。
そして、その横で愛らしく微笑む聖女リアナ。
……そして、その足元で、信じられないものを見たという顔で膝をついているのが、私の獲物(推し)。公爵令息シグバルト様だ。
「――シグバルト。貴殿との婚約は、今この時をもって破棄する。リアナへの執拗な束縛、我慢ならん」
「……そんな。私は、ただリアナを、聖女としての責務を守ろうと……」
ああ、いい。その掠れた声。
シグバルト様は、生真面目で騎士道精神の塊のような人。
だからこそ、あざとい聖女にいいように使われ、最後は「重い男」として切り捨てられるこのルート。
ゲーム通りすぎて、よだれが出そうだ。
(ふふ、学院の廊下でわざと何度もぶつかって、貴方の香水の匂いを覚えたあの日々が懐かしいわ。……「大丈夫かい? 怪我はない?」なんて優しく笑ってくれた貴方を、あんな女に独占させておくのは本当に苦痛だったのよ?)
「シグバルト様、ごめんなさい。……貴方の愛は、私には少し『窮屈』すぎたの」
聖女リアナが、勝ち誇ったような、それでいて悲劇のヒロインを演じるような声で告げる。
その瞬間、シグバルト様の瞳から光が消えた。
崩れ落ちる、完璧だった公爵令息。
周囲からは「あんなに優秀だったのに、女に狂って台無しだ」
「公爵家も彼を見捨てるらしいぞ」という嘲笑が漏れる。
(――あーあ、可哀想に。……じゃ、遠慮なく『いただきまーす!』)
私は扇で口元を隠し、ニチャァ……と頬を緩めた。
絶望というスパイスで最高に美味しくなった獲物を、誰にも渡すつもりはない。
「……さあ、私の騎士様。泥まみれの貴方を、私が美味しく救って差し上げますわ」
私はグラスを給仕のトレイに置くと、獲物が待つ、雨の降りしきる庭園へと音もなく歩き出した。
※
卒業パーティーの会場を飛び出し、夜の帳が下りた学院の庭園。
バケツをひっくり返したような雨の中、彼はそこにいた。
「……っ、う、うあぁぁ……っ!」
植え込みの陰、泥水にまみれて膝をつき、シグバルト様が声を殺して慟哭している。
かつての凛々しい騎士の面影はない。
婚約破棄、家門からの勘当、そして愛した女からの裏切り。すべてを失った「負け犬」の姿だ。
(最高。雨に濡れて張り付いた白シャツから透ける広い背中、そして絶望に歪む端正な顔立ち! これが見たかったのよ!)
私はそっと、傘を差し出した。
「……え?」
シグバルト様が、涙と雨でぐしゃぐしゃの顔を上げた。
「……ライン、ハルト……嬢……? なぜ、君がここに……。俺を、笑いに来たのか……?」
「いいえ。こんなところにいたら寒くないですか?」
私は聖女リアナのような、慈愛に満ちた(ように見える)微笑みを浮かべた。
「シグバルト様。行く当てがないのでしたら、私のとびきりの隠れ家へいらっしゃいませんか? 誰にも邪魔されず、ゆっくりお休みになれる場所ですわ」
「……隠れ家? だが、俺はもう、何も持っていない……。君に返せるものなど……」
「お礼なら、後でたっぷり『体』で返していただきますから。……さあ、立って」
私は彼の泥だらけの手を、力強く握りしめた。
※
私が彼を連れて行ったのは、王都の高級住宅街にある、表向きは「外国商人の別宅」として登録している邸宅だ。
投資で稼いだ裏金――もとい、私の「推し活資金」を全投入して建てた、防音・結界完備の完璧な巣穴である。
あの雨のせいか精神的ショックによるものなのか、三日三晩、彼は高熱を出して寝込んだ。
その間、私は献身的に(よだれを拭きながら)彼の看病をした。
「シグバルト様、これをお飲みになって。胃に優しい薬膳スープですわ」
私は聖母のような微笑みを浮かべ、匙を彼の口元へ運ぶ。
(……ああ、弱り切った推しってどうしてこんなに美しいのかしら。熱に浮かされて私の服の裾を掴む指先、震える吐息。この姿を独占できるなら、看病なんて実質無料、むしろ私がお金を払わないと!)
「……すまない、エルマ嬢。……君はなぜ、こんな俺に尽くしてくれるんだ。俺はもう、何もない男なのに」
「あら。貴方が何を持っているかなんて、私には関係ありません。……私が欲しいのは、貴方という存在そのものですから」
(そう、貴方の才能、魔力、将来性、そして私に向けるその全幅の信頼! それら全てをパッケージ化した『シグバルト』という銘柄を、私は全力買いしてるのよ!)
※
一週間後。体力が回復した彼を、私は地下にある工房へと案内した。
そこには、最新の魔導具制作設備が整えられている。
「シグバルト様。貴方が以前、学院の論文で否定された『低純度魔石による魔導回路の安定化理論』……あれ、実は私が買い取らせていただいた商会で試験運用してみたんです」
「……え? あの理論は、効率が悪すぎて使い物にならないと結論づけられたはずだが」
「勝手に使わせてもらったことについては申し訳ございません。折を見て相談しようと思っていましたの。あれは、効率が悪いのではなく、これまでの魔導具が貴方の繊細な理論についていけていなかっただけですわ」
私は試作した「新型魔導ランプ」に火を灯した。
従来の数倍の輝度、それでいて燃料消費は半分以下。
シグバルトは絶句し、そのランプを震える手で撫でた。
「俺の……俺の理論が、本当に……?」
「ええ。これからは、この工房を自由にお使いください。必要な素材は、私が投資している商会からいくらでも取り寄せます。……貴方はただ、好きなだけ研究に没頭してくださればいいのです」
(ふふ……これで彼は、外部と接触せずに私の用意した環境で成果を出し続ける。研究費用は私が握っているし、特許の管理も私の今はペーパーカンパニーであるラインハルト商会が行う。彼は社会的には『死んだ男』だけど、私の箱庭の中では『天才創造主』。……あ、今の感動してる顔、最高にわね)
※
「……シグバルト様、本当に筋が良いですわ。この魔導回路の組み方、私には思いつかない発想です」
工房で作業に没頭する彼の背中に、私はわざとらしく感嘆の声をかけた。
彼は照れたように、油のついた手で前髪を掻き上げる。
その指先は、剣を握っていた頃のタコが消え、今や繊細な魔導師のそれになりつつあった。
「……そう言ってもらえると救われるよ。……実は俺、昔から剣を振るより、こうして数式や実験する方がずっと好きだったんだ」
「まあ、そうなのですか?」
私は知っていた。ゲームのプロフ設定でも「趣味:魔導理論」と書かれていたことを。
でも、彼はそれを口にすることはなかったはずだ。
「ああ。……でも、リアナは『私の騎士様は、世界で一番強くなきゃ嫌』と言っていたから。彼女を守るためには、公爵家の跡取りとして、最強の剣士でいなきゃいけなかった。……研究書は全部屋根裏に隠して、夜中にこっそり読むことしかできなかったんだ」
自嘲気味に笑う彼の横顔に、私は胸の奥が「じゅわっ」と焼けるような感覚を覚えた。
(……は? 何その健気すぎるエピソード。推しが自分の才能を殺してまで、あの女のために血の滲む努力をしてたってこと!? ――尊い。尊すぎて、逆にあの聖女を撲殺したいわ)
「彼女のために、好きでもない剣を握り続けていたのですか……?」
「……守りたかったんだ。俺の隣で笑う彼女を。……でも、結果はあの通りさ。俺が必死に守ってきた『最強の騎士』の座も、彼女にとっては、もっと強い王太子殿下に乗り換えるための踏み台に過ぎなかった」
彼はポツリと、寂しげにランプの火を見つめた。
「俺は、彼女に『自分』を見て欲しかった。……でも彼女が見ていたのは、俺の背負う公爵家の看板と、俺が我慢して磨き上げた剣の腕だけだったんだな」
(……うーーーん、最高の闇が入りました。この心の隙間、私がまるっと埋めてあげたい…)
私は一歩近づき、彼の油で汚れた手を、ためらわずに両手で包み込んだ。
「……シグバルト様。貴方はもう、誰かのために自分を殺す必要はありません」
「エルマ……?」
「私が貴方の盾になります。……貴方はただ、貴方の愛する数式と魔法の世界で、思う存分羽ばたけばいいのです。」
(貴方を縛っていた『騎士の義務』から解放してあげる代わりに、今度は『私の愛』という名の、もっと心地よくて逃げられない檻に入れてあげるわ……!)
シグバルトは、弾かれたように私を見た。
彼の瞳が、これまで見たこともないような強い光を帯びて潤んでいく。
「……俺を……俺自身を、見てくれるのか? 剣も、公爵家の名も持たない、ただのオタクのような俺を……?」
「ええ、もちろん。……むしろ、そちらの貴方の方が、ずっとずっと、私好みですわ(本音)」
「――っ、エルマ!!」
彼は、椅子を蹴り飛ばさんばかりの勢いで立ち上がると、私を壊れ物のように、それでいて必死に抱きしめた。
聖女のために我慢していた数年間が、私の腕の中で一気に崩壊し、新しい「依存」へと再構築されていく音が聞こえる。
※
それからの数ヶ月、私は彼に徹底的な「全肯定教育」を施した。
彼が新しい回路を組むたびに、私は大袈裟なほどに称賛した。
「素晴らしいわ! 以前の聖女様が使っていたものより、ずっと洗練されています」
「……そうか? リアナはいつも、俺の理論を『小難しくて可愛くない分からない』と言っていたんだが」
「彼女は馬鹿なのですわ。……この理論の美しさが分からないなんて、宝石を石ころだと思うようなものです。……私だけは、ずっと貴方の価値を知っています」
(そう、私『だけ』。他の誰も認めなかった貴方を、私だけが認める。この刷り込みが、後で効いてくるのよねぇ……じゅるり)
次第に、シグバルトの瞳に生気が戻り、それと同時に私に対する「異常なまでの執着」が育っていった。
仕事の報告をする時、彼は私の顔色を伺い、私が一度頷くだけで、まるで救済を得たかのような顔をして微笑むのだ。
「エルマ。今日は、君が投資している鉱山用の新型魔導ドリルを完成させたよ。……これで君の資産がもっと増えるといいんだが」
「まあ、私のために? 嬉しいですわ、シグバルト様」
私は彼の頭を、子供を褒めるように撫でた。
公爵令息だったプライドの高い彼が、今では私の手の下で、喉を鳴らす猫のように目を細めている。
(……よし、自立完了。そして、精神的依存度もMAX。今の彼は、私に捨てられたら今度こそ本当に壊れてしまうでしょうね。……さあ、仕上げに『少しだけ不安』にさせてあげましょうか)
私はわざと、彼と目を合わさずに、窓の外を眺めて溜息をついた。
「シグバルト様。貴方はもう、立派な魔導技師としてやっていけますわ。公爵家だってもしかしたらその才能……私の助けがなくても、もう十分……」
その瞬間、背後から猛烈な勢いで抱きしめられた。
鍛え直された彼の腕が、私の細い腰をミシミシと鳴らすほどに。
「……ダメだ! どこにも行かせない。……エルマ、君がいないなら、俺はこんな力も、才能も、全部捨ててやる! 頼む、俺を一人にしないでくれ……っ!」
「……シグバルト様、落ち着いてください。……貴方はもう、これほどの技術を手に入れた。この魔導理論の成果を持って公爵家へ戻れば、お父様だってきっと……騎士としてではなく、この『才能』を認めてくださるはずですわ。そうすれば、貴方はまた公爵家へ――」
あえて突き放すような、けれど彼の希望を代弁するような言葉。
シグバルトは、弾かれたように首を振った。
私の肩に顔を埋め、縋るように力を込める。
「……嫌だ。そんなところ、もう戻りたくない! 公爵家にとって、俺は『リアナの婚約者』で『最強の騎士』でなければ価値がないんだ! 才能なんて関係ない。……俺の本当の好きを笑わずに見てくれたのは、世界中で君だけなんだよ、エルマ!!」
(……よし。公爵家への未練、完全消滅! 外部への退路、セルフ封鎖完了!!)
シグバルトの叫びに、私は内心でガッツポーズを決めた。
そうなのだ。彼の実家は、彼の「心」ではなく「看板」を愛していた。
その事実に彼自身が気づき、絶望し、そして「自分を肯定してくれる唯一の存在(私)」に全てを預ける決意をする。
(投資の基本は、優良銘柄の独占よ。公爵家なんていう古い市場に、私の大事な『推し』を返してなるもんですか)
「……そう、でしたわね。ごめんなさい。貴方を一番理解しているのは、私だけですもの」
私は彼の腕の中でくるりと向き直り、その美しい、けれど不安に濡れた瞳を覗き込んだ。
そして、彼をさらに深い依存の沼へと引きずり込むように、耳元で甘く毒を流し込む。
「では……公爵家も、騎士の位も、あの聖女様も。……全部捨てて、私だけのものになってくださいますか?」
「……ああ。君が望むなら、俺の全てを捧げる。……お願いだ、俺を……俺を捨てないでくれ、エルマ……!」
(――キタアアアア! 大漁だわ!! 投資は大成功!……ごちそうさまでした!!)
私は、震える獲物を優しく抱きしめ、彼の背中でニチャァ……と最高の、ハイエナの笑顔を浮かべた。
※
「シグバルト様、今日の商談相手は王都でも指折りの『鉄鋼ギルド』の重鎮ですわ。……緊張なさっていますか?」
私は馬車の中で、完璧に仕立てられたスーツを纏ったシグバルトのネクタイを整えた。
かつての銀の鎧も美しかったが、今の「有能な若手実業家」風の彼もまた、私の語彙力を奪うほどに素晴らしい。
「……正直、剣を向けられるより緊張する。俺のような若造の理論を、あの大物たちが聞き入れてくれるだろうか」
「大丈夫。貴方の理論は、この国の物流を根底から変える革命です。……それに、貴方の後ろには、私がついていますわ」
(そう、私の莫大な資本力と、前世のマーケティング知識がね! さあ、私の最高傑作(推し)を世界に見せつけるわよ!)
商談の席。
鉄鋼ギルドの面々は、シグバルトを「不祥事で消えた元騎士」と侮り、鼻で笑っていた。
だが、シグバルトがひとたび口を開けば、空気は一変した。
「……現在、貴殿らが抱えている魔導炉の熱効率は、私の計算によれば 15% のロスが出ています。これを私の回路に差し替えれば、燃料費は 30% 削減、かつ出力は 20%向上します」
「…………っ」
「この数字、御社の今期の純利益に換算すると、どの程度の価値になるか……わかりますね?」
冷徹に、そして淀みなく数字を叩きつけるシグバルト。
かつて聖女の陰で「無骨な騎士」を演じていた頃の、迷いのある瞳ではない。
自分の知性に自信を持ち、相手を支配する者の目だ。
(……ひゃだ、かっこいい! あの冷たい目! 冷徹な交渉官ムーブ、助かりすぎる!!)
相手が「しかし、そんな理論が本当に……」と食い下がろうとした瞬間。
シグバルトはスッと目を細め、かつての騎士としての威圧感を微かに解放した。
「――理論ではなく、これは『事実』です。信じられないのであれば、他の商会へ持ち込むまで。……エルマ、行きましょうか」
「……ま、待ってください! シグバルト殿!」
ギルド長が慌てて彼を引き止める。
商談は、シグバルトの完全勝利(大株主:エルマ)で幕を閉じた。
帰り道の馬車の中。
シグバルトは少し上気した顔で、私を見つめた。
「エルマ……。俺、自分の言葉で、自分の価値を証明できたよ。……あんなに、震えていたのに。君が俺を信じて、この数ヶ月、俺の隣にいてくれたからだ」
彼は私の手をとり、手の甲に熱いキスを落とした。
その仕草は、以前の「縋るような犬」ではなく、「愛する女を守る決意をした男」のそれだった。
「これからは、俺が君を守る。……君が投資したこの命も、才能も、すべて君のために使うよ」
シグバルトの瞳に、昏く、けれど強い光が宿る。
「……君を悲しませる奴がいたら、俺が、この力で叩き潰す」
※
王立学院の卒業記念夜会から数ヶ月。
今、王都で最も話題なのは、没落した公爵家ではなく、謎の「新進気鋭の魔導技師」と彼を擁する「ラインハルト商会」だった。
私は今日のために、投資で稼いだ金を惜しみなく注ぎ込み、特注のドレスを誂えた。
隣には、見違えるほど凛々しく、自信に満ちたシグバルト様。
「緊張していますか、シグバルト様?」
「いいや。君が隣にいてくれる。それだけで、俺は無敵になれる気がするんだ」
(その言葉、いただきましたー! 録音して毎晩寝る前に聴きたいレベル!)
会場の扉が開くと、視線が一斉に私たちに集まる。
そこには、かつての栄光を失い、魔導具の維持費で借金まみれになった公爵家と、王太子に「期待外れ」と疎まれ始めた聖女リアナの姿もあった。
「……シグ、バルト……? まさか、そんな」
震える声で寄ってきたのは、聖女リアナだ。
彼女のドレスは以前よりくすみ、その顔には隠しきれない焦燥が浮かんでいる。
「久しぶりだね、リアナ」
「シグバルト様! どこに行っていらしたの!? 貴方がいなくなったせいで、私の結界維持が……! さあ、今すぐ戻ってきて。貴方のあの理論、私が認めてあげてもいいわよ?」
(……は? 『認めてあげてもいい』? どの口が言ってるのかしら。)
私は扇で口元を隠し、ニチャァ……と笑うのを必死に堪えた。
私の獲物に汚い手を伸ばそうとする女に、引導を渡すのは私の役目――。
「あら、リアナ様。お久しぶりですわ」
私が一歩前に出ると、リアナは不快そうに眉を寄せた。
彼女の瞳には、私が誰であるかなど微塵も映っていない。
「……何? 貴女。今、シグバルト様とお話ししているのだけど。……どこかの給仕かしら? 目障りだから下がってちょうだい」
(給仕!! ぷっ……最高。一秒も記憶に残ってないのね。これぞモブ冥利に尽きるわ!)
私はわざとらしく、深々とカーテシーをした。
「これは失礼いたしました。……ですが、申し訳ございません。彼は今、私の商会の『最高技術顧問』兼『最愛のパートナー』ですの。貴女が『ゴミ』のように捨てた彼の才能で、私は今、王都の魔導利権を半分ほど握らせていただきましたわ」
「は……? パートナー? 貴女みたいな、地味で……誰かも分からない女が?」
リアナが混乱に顔を歪める。
そこで、シグバルト様が私の肩を抱き寄せ、リアナを氷のような眼差しで射抜いた。
「――リアナ。彼女を侮辱することは許さない。君が『誰かも分からない』と言った彼女こそが、俺を泥の中から救い上げ、俺の価値を誰よりも信じてくれた人だ」
「……えっ……」
「君が俺の剣と肩書きしか見ていなかった間、彼女は俺の心と、俺の理論を見てくれていた。……今の俺の主人は、エルマだけだ。公爵家の看板も、聖女の騎士という地位も、彼女の微笑み一つにすら及ばない」
(キタアアアア! 推しの『決別宣言』! 100点満点、いや1000億点!!)
「シグバルト様、待って! 私、本当は貴方のこと……!」
縋り付こうとするリアナの手を、シグバルトは冷たく振り払った。
「触らないでくれ。君の香水の匂いを嗅ぐだけで、吐き気がするんだ。……俺の肌に触れていいのは、エルマだけだ」
会場に静寂が広がる。
かつての「負け犬」が、今や「支配者」として、自分を虐げた者たちを見下ろしている。
私は震える聖女の耳元に、そっと近づいて囁いた。
「――あーあ、可哀想に。……名前も覚えていないような女に全てを奪われる気分は、いかがかしら?」
(……じゅるり。絶望に染まった聖女の顔、いいおつまみになりますわ!)
※
夜会の喧騒が遠ざかり、馬車の中には心地よい静寂と、彼(推し)の体温だけが残っていた。
シグバルト様は私の膝に頭を預け、愛おしそうに私の指を一本ずつ弄っている。
その仕草は、どこか獲物を逃がさない肉食獣のようでもあり、飼い主に甘える大型犬のようでもある。
「……エルマ。本当に、いいのか? 公爵家も聖女も、俺を呼び戻そうと必死だった。俺を隣に置くということは、彼らの恨みを買い続けるということだよ」
「あら。投資にリスクは付きものですわ。それに……」
私は彼の柔らかな銀髪を、慈しむように撫でた。
「あの程度の雑音、今の私の資産と、貴方の技術があれば、まとめて踏み潰せますもの。……貴方はただ、私の横で笑って、好きな研究をしていてくださればいいのです」
(……そして、その成果も、その美貌も、その執着も。全部私が独り占めするんだけどね)
彼は馬車から降りると私を抱き上げたまま、ソファへと運んだ。
月明かりが差し込む部屋で、シグバルト様の瞳が昏く、熱く燃えている。
「エルマ。……俺は、君が思っているような『立派な男』じゃない」
彼は私にもたれかかり、低く震える声を漏らした。
「君が俺を自立させてくれたのに、俺の心は、あの雨の日からずっと君に囚われたままだ。……俺を、君なしでは生きていけない体にした責任、取ってくれるんだろう?」
(……待って、そのセリフ最高。責任? 取るに決まってるじゃない! むしろ墓場まで持って行くわよ!)
「もちろんですわ、シグバルト様。……貴方は、私の大切な『お宝』ですもの。誰にも触らせないし、一歩も外へ出したくないくらい……愛していますわ」
私がそう告げた瞬間、彼の瞳から一筋の涙が溢れた。
喜びと、安堵と、そして逃れられないほど深い依存の混じった、美しい涙。
「……ああ、大好きだ、エルマ。……一生、君の側から離さないでくれ。君の一部になったつもりで、君の人生に寄生して生きていきたい……」
(――キタアアアア! 究極の重愛(依存)発言いただきました!!)
私は、震えるほど愛おしい「獲物」を強く抱きしめ、彼の背中でニチャァ……と、今日一番の、最高に腹黒い笑顔を浮かべた。
「ええ。死ぬまで、いえ、死んでも……私から逃げられるなんて思わないでくださいね?」
【エピローグ】
後日。
王都を震撼させたのは、ラインハルト商会が発表した革新的な魔道具――『魔屑式・恒久結界発生装置』だった。
これまで、国の聖域を維持できるのは聖女リアナの祈りだけだと思われていた。
だが、シグバルト様は、そこら中に捨てられている「魔力のカス(魔屑)」から微細な魔力を抽出・増幅し、術式に組み込むことで、聖女の祈りと同等の強固な結界を展開することに成功したのだ。
「――聖女様、もう貴女の祈りは不要ですわ。だって、この機械一つで、貴女の一年分の祈り以上の効果が『タダ同然のゴミ』から生み出せるんですもの」
私が修道院へ送られる直前のリアナにそう告げた時の、彼女の絶望に染まった顔といったら!
結局、聖女の価値は暴落。
公爵家も、シグバルトに依存しきっていたツケが回り、借金だけを残して歴史の表舞台から消え去った。
一方で、私の「最高のお宝」は、今や国の守護神として崇められている。
けれど、彼は相変わらず、邸宅の奥深くにある私の専用工房で、私のためだけに研究する事を一番の幸せとしていた。
「エルマ、ここの術式を上手く融合できたんだ。この数式を応用したんだ……ご褒美に、キスしてくれるかい?」
「ええ、喜んで。……逃げられないように、たっぷりとして差し上げますわ」
ハイエナは、死肉を漁る卑しい獣だなんて言われるけれど。
泥にまみれたお宝を見つけ出し、磨き上げ、誰にも渡さないように守り抜く。
これほど幸せな「投資」が、他にあるかしら?
私の「推し活」は、どうやら一生終わりそうにない。
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