に
その紙は、姿絵だった。
姿絵の人物は炭を溶かし込んだような漆黒の髪と瞳。鼻が低く平面的で立体感のない小さな顔は、どこか幼さを感じさせた。こちら側を見つめる表情は、照れるように微笑んでいた。
匠だ
初めて見る。知らないはずなのに、自然と姿絵の人物の名前が思い浮かぶ。懐かしさと愛しさと切なさで、私は涙を流していた。
姿絵の人物は日下部 匠だ。私の恋人。
姿絵を撫でるとざらりとした感触。目を閉じると、膨大な前世の記憶が頭の中に湧き上がる。
高層ビルの建ち並ぶ街並み。
すし詰め状態の満員電車。
便利な家電や、カラフルで可愛いお菓子や、漫画飯のレシピ。ハンドメイドした雑貨やコスプレ衣装。神本という名の薄い本。
危険な魔物や、魔法的なスキルが存在しない代わりに、科学が発達した世界。戦争もあるが私が暮らしていた日本という島国は平和だった。
そして私は、結婚間近のヲタ女子で、名前は小太刀 橙子だった。
普通に学校を卒業し、輸入雑貨店に就職後は推し活に励み、その延長線上で知り合ったヲタク仲間の一人日下部 匠とお付き合いを始め…。順風満帆だと周囲に自慢していたが、所詮はヲタ女子。バチが当たったのだ。
デート中、私を巻き込んで匠が勇者召喚された。
初めは良かった。ファンタジー小説の中に迷い込んだ感覚で、魔法的なスキルを2人で研究して、楽しかった。
でも、私達の環境が一変しするのは、あっという間だった。匠が勇者として、魔族との戦争に出兵する事になったから。小説のお約束のように私は匠が逃げださいための、人質として教会に拘束された。
「必ず戻る。そしたら日本に帰って、…結婚しよう」
大切な約束を匠とした。
だから私は匠と日本に帰る方法を探したが、勇者を送還するのは禁忌で。私は匠が戻る前に、理不尽にも魔女として火炙りの刑で処刑された。
で、まぁ、生まれ変わった世界は故郷の日本じゃなく、地名や神様の名前、魔族の存在とか今世のリデア・デュモンティーの記憶から小太刀 橙子を召喚した異世界だ。と確信したわけだが…
当時はシュトラーフェなど存在していなかった。
つまり今世は、小太刀 橙子が処刑されてから1000年以上経った世界なのだ。
彼、匠は私が処刑された後、どうしたのだろうか?リデアは匠について教えられたこともないければ、歴史書で勇者とかに関する記述も読んだこともない。きっと1000年という歳月が経過する中で、歴史の闇に葬られたのだ。