自作小説 『 ホロスコープ -君との距離- 』
2025年7月24日(木)天赦日復活記念投稿作品。
朝出掛ける直前、部屋では流れていたテレビ番組から今日の運勢を教える星座占いの結果がいつものように聞こえている。「牡牛座の方は残念っ!最下位です。ラッキーアイテム、ハート型のペンダントで良い事があるかも!」 そう伝えられて、あまり共感をする所が私にはない。告げられたラッキーアイテムもハート型のペンダントなんて男が持っているはずがないから気にしない。日常的に与えられる情報に頭を悩ませて1日をスタートさせるのには意味がないと考えていた。ただ、そんな私の思いも自分が実際に心を入れ替えてしまう体験をする瞬間までのお話だった。
電車内のシートに到着すると私はバッグを下ろし、手を入れて一冊の本を取り出した。乗客の少ない始発駅だからお気に入りの指定席へ座れば目的の駅に着くまでしばらくはリラックス出来る時間になる。電車内は一駅、二駅と進むに連れて少しずつ人で満たされて行くのだが混雑する車内にあって私のいる4人掛けシートの空間は快適そのものだ。2ヶ月ほど前から始まったこの生活にもようやく慣れて来た。でも、一つ慣れないモノがある。彼女は二駅先で乗車して、私と向かい合わせに座る席を愛用する女性だった。 (あの人、今日は寝坊したのかな?髪型がボサボサのままだ・・。) 視線を下げ、読むフリをする本を尻目に電車の中を観察するのは楽しい。乗客のほとんどには定位置があるようで、同じ車両に乗る顔ぶれはよく見ると案外決まっている。彼らは注がれている視線に気付いてはいないのか1日のひとコマを物語として眼前に広げ、それは自身の姿を横目に交わる事のない隣人へ明確なドラマとして綴るのだ。きっと自分も視点を変えれば同じ立場にあるのかも知れない。が、気にすれば負けてしまいそうで朝の星座占いのように気にしないでいる。自分達のこの場所での存在価値はそれで十分だと思うからだ。
目の前にいる女性もいつも本を手にしていた。もっとも、壁側に座る人物と向かい合うだけなのだから誰かと違って私を観察しているわけではないだろう。どこかエキゾチックな雰囲気をたたえるその子と、目が合ってしまえば赤面しそうなのでたくさんの人々が行き交う電車の中でもなるべく彼女には視線を送らないようにしている。これから先も会話をする事は多分ないだろうと想像をするが、そんな状況にも自分なりのルールを作ってこの生活を過ごしていた。けれど、やはり気になる物は気になる。私は彼女の手の中に収められた本にうやうやしく被せられたブックカバーをうらめしく感じて仕方がなかった。ガタン、ガタン、ゴトン。バサッ。 不意に電車が大きく揺れて私は持っていた本を落としてしまった。「すみません。」足下に転がる物に少々戸惑ったようすの彼女に声を掛けると私はそれを拾う為に手を伸ばした。「会話、これぐらいだよな。」私が降りる駅より彼女の目的地は遠いらしい。1時間ほどこの場所で過ごせば「降ります。」と人波をかき分けて電車を後にするのは私が先だった。当然、横にも斜め前にも誰かがいるけれど交流がない事が不思議なくらいに同じ空間を共有する彼女と二人きりでやり取りをしもすれば少しくらいは気持ちを巡らせる。人と人のつながりの距離はメートルやセンチで表せる事柄ではないとか、ちょっとロマンチストなフレーズでその時私の頭に浮かんだ。
「西洋・・占星術?」「なんでしょうか?」 思わず私の口から漏れた言葉に彼女が反応して初めて会話が成り立ってしまい、見上げる私の視線とこちらを見つめた視線が一致してしまう。新しい本なのか、それとも今日は忘れたのか。いつもうやうやしく被せられたブックカバーが今はなく、彼女が開いている本のタイトルが見えた。私の顔が急激に熱くなるのを感じた。きっと彼女との突然の会話に困惑し、そして重なった視線に予想通りの赤面をしているのだろう。「すみません。」 私がそう言うと彼女は呆気にとられた後、本を口元に寄せクスクスと笑う。「かまいませんよ。」半月状になった愛嬌のある瞳がこちらを見ていた。「西洋占星術。面白い・・ですか?」私の中での混乱がまだ治まっていないのか、彼女にぶつけた単刀直入な質問に自分自身が驚いた。今度はまん丸になった瞳の下で本に隠されていた唇が顔を出し、彼女も驚いているのがわかった。「ええ、面白いですよ。慣れるまでは難しいですけれど。」 本を拾う姿勢からゆっくりと移動し、座席に私が腰を落ち着けた頃彼女が答えた。「そうですか。」顔の赤みはまだ引いていないであろう私はボソボソと返事をする。彼女は本を閉じると膝の上に置いた。すると聞き流し、気にしなかったはずのあの情報が脳裏をかすめて私はアッと声を上げてしまった。『彼女も牡牛座なのかな?』目の前に座る小柄な女性の胸元で光るハート型のペンダントに興味をそそられたのだ。
「あの。」「あ、はい。何ですか?」今度は彼女から声を掛けて来たので私は応えた。つい先ほどまで、これから先も会話する事はないなどと考えていた時間が懐かしい。遠くにいたはずの人物との距離がどんどん近づいて行く実感がある。今日の星座占い、最下位は嘘なのではないかと胸は期待感で踊っていた。「聞きたい事があるのですが、聞いてもよろしいでしょうか?」「どうぞ、どうぞ。」予想だにしていなかった展開に私の心臓は高鳴っていたが、この直後、質問の内容に赤くなっていた顔は青く変わったに違いない。
「本、読んでないですよね?」 その言葉に私のささやかな楽しみが周囲にバレていたのかと全身が硬直した。私の反応で心理を見抜いたのか、彼女は少しだけ悪い表情を浮かべて得意げに理由を話す。「この前、読んでいるはずの本が逆さまでしたから。」 どうやら、きっちり観察されていたようだった。考えてみれば目の前に座る人物の行動なんて嫌でも目に入る。彼女は別に観察などはするつもりもなかったのだろうけれど、私はミイラ取りが何とやらなのだろうか。今度は体から力が抜けて行く感覚だった。「横に座って良いですか?」「はい?」「どんな景色が見えるのか興味があるので。」 どうやら、想像に反してきっちり観察されていたようだった。複雑な心境で私が「どうぞ」と言うと、次の駅辺りで誰かが座る隣の席に彼女は移動した。「こんな感じなんだ。」その小柄な女性は小さな声で言うと持っていた本を開いて読み出した。「本、読んでないですよね?」「わかります?」 私が彼女に聞くと彼女は悪戯っぽい表情で笑いながら答えた。いつもの電車の中で、日常的ではない出来事が起きている。「降ります。」 下車する駅に近づいて、2人並んだ席から私は立ち上がる。「頑張って下さいね。」人波に身を投じる寸前、彼女から温かなエールをもらった。私はきっとまた赤面していたのだろうか。照れ臭く笑うと軽く会釈をして、その場を後にした。
「今日の星座占い、結果発表!牡牛座さんは第1位です!」 朝出掛ける直前、部屋では流れていたテレビ番組から今日の運勢を教える星座占いの結果がいつものように聞こえている。昨日ならば気にしなかった日常的に与えられる情報が今日は非常に気になった。あるいは、今朝の私はいつもの席に座る事なく違う車両に乗ってしまうのだろうか。彼女との変動した距離に覚えた困惑は、現在もまだ頭を悩ませている。「ラッキーアイテムは何だろうか?」 自分自身の心を入れ替える体験にはまだ達していない小さな出来事は次の行動の決定に大きく関わっているようだった。引き出しから取り出した水玉柄の何かが今日のラッキーアイテムだ。自宅を出る瞬間、私は手に握ったハンカチーフを見つめて「こんな物、うちの家にあったんだな。」と呟いた。 出発駅からふた駅進んで、昨日まで会話すらまばらだった彼女と挨拶を交わした。「やっぱり牡牛座だったんですね。」水玉のワンピースを着た彼女に言い放った私の言葉にどうして知っているんだと聞きたそうな表情。私は水玉のハンカチーフをヒラヒラと示して見せた。それで察したのか、彼女は向かいの席に座らず今日は隣の席に座る。予想をしていなかった彼女の行動にコホンと軽く咳払いをして、私は一冊の本を手に取った。隣では彼女もまた、うやうやしくブックカバーを被せた本を取り出している。 しばらく沈黙が続いて、次の駅に到着した。大きな街の駅なので、ここで車内が一杯になる。私と彼女は本の持ち方を変えると少しだけ視線を交わした。するとサラリーマン風の男性が私達の前にやって来て座り、おもむろに尋ねて来る。「お二人さん、何かあったのですか?」その一言にハッとした私達は近づき過ぎたお互いの距離に顔を見合わせた。質問の主はいつも私の隣に座るはずの人物だった。
終わり
うん、これ8年前に書いた作品です。これからはちょくちょく更新出来たらと思います。よろしくお願いします♪(^ ^)