パンがないなら小麦から作ればいいじゃない
その日、俺――松根永倫太は、期末試験の真っ最中だった。
化学の答案用紙に「植物の生育に必要な三大栄養素を答えよ」という設問を見つけたとき、俺の頭の中に浮かんだのは、授業中に先生が話していた雑談だった。
「畑の作物が連作で育たなくなるのは、土の栄養バランスが崩れるからなんだ。窒素、リン酸、カリウム。この三つが土の元気の源ってわけだ」
俺はそのまま答案に「窒素・リン酸・カリウム」と書き込み、シャーペンを置いた。
制限時間まではかなり余裕がある。少し眠いし10分ぐらい寝ていようかな。そんなことを考え小さくあくびをした。
そんな時だった。突然視界が揺らぎ、耳鳴りがした。立ち眩みのような感覚だったがどんどんひどくなる。教室の空気が一瞬で冷え込み、上下が分からなくなる。ここまでが俺が持つ一番最後の現代での記憶だ。
次に目を覚ましたとき、俺は見知らぬ場所に倒れていた。
気を失っている間に口に入ったのだろう。シャリシャリとしたほこりが口の中を不快感で埋め尽くしてていた。吐き出しながら目を開ける。
薄暗く太陽がどこにあるかもわからない曇天。草もまばらにしか生えていない畑。人影はまばらでバラック小屋のような建物が点在している。農村のようだった。
(どこだここ……?)
混乱する俺の元に、小さな女の子がゆらゆらと歩いてくる。ボロボロの服。やせ細った体。体に不釣り合いだと感じるほど大きな籠。中身を見ずともわかるほど軽そうだ。地面に置きながら中から小さなソラマメを取り出し、俺に差し出す。
「……食べ物、ないの?」
その言葉に、背筋がぞくりとした。
俺を行倒れた人だと考え向けられた善意と、行き倒れが日常であること。そんな状況でも優しさを向けてくれる彼女の眼はどこか虚ろで、実は話しかけているのは俺ではなく、後ろに広がる畑なのではないかと感じ、振り返る。
痩せた大地と疲れ切った農民たち。麦らしき作物が育ってはいるが、葉は黄色く変色し、明らかに栄養不足だ。土を触ってみるが、綿埃と砂を足したような感触で、自身の知る土とはかけ離れたものだった。
警戒しつつも善意を向けてくれた彼女に振り返り返事をする。
「俺は大丈夫。それは君の分だろう?」
「うん。でも倒れるほどとてもおなかが空いているんでしょ?私は昨日も食べたから平気。」
「俺は本当に大丈夫だよ。数時間前に食べたばかりだから。むしろ昨日からソラマメしか食べていないのか?」
「そうだよ。本当はこんな豆だけじゃなくて、大きなパンが食べたいよ...」
「分かった。今はパンがないけど、小麦を育てて、焼いてみせる。だからちょっとだけ、待っててくれるか?」
俺は少女にそう言い、決意を固めた。
見ず知らずの行き倒れに善意を向けてくれる、清らかな心を持った小さな女の子が苦しむ世の中なら世界の方が間違っている。
村の名前は「ドレヴェン」。文明のレベルは大体14世紀ごろのヨーロッパ諸国程度。人口はおよそ五十人。大人も子供も、誰もが飢えに苦しんでいた。
俺は村長と名乗る男――レナートに頼み、畑を見せてもらうことにした。
「この村のほとんどは、例年麦を植えている。税金の支払いのために必要なのでな。
重税を賄いきれず、家畜も昨年には全部手放してしまった。」
やはり、連作障害は起きていると考えて間違いないだろう。
「一つ提案がある。まずは試しに1週間農業コンサルとして俺を雇ってみてほしい。さっき畑を見たが、うまくいけば次の収穫量を従来の3倍にできるかもしれない。」
「そんな方法があればみんなやっているさ。だが、ここ数年の不作と今年は雨不足でいよいよ税金が払いきれない。大きく出たものだが3倍という数字は魅力的だ。どうせろくなものも作れない村一番の不作畑ならダメでも影響はない。試す価値はあるだろう。」
詳しい条件は、レナードの家の家畜小屋で寝泊まりし、1日一食、夕飯として蒸かした豆や大麦で作られた黒パン付きでレナードが半ば面倒を押し付けられる形で引き取ったという不作畑を貸し出してくれることになった。1週間限定とはいえ食事と寝床付きの好待遇だ。