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8.要塞都市デルニエール

 デルニエール。要塞の名を冠する、国内有数の大都市。

 その街は中心に向かうにつれて標高を上げており、勾配に沿って三層の防壁が円を描くように築かれている。間には頑丈な壁が網目状に張り巡らされており、都市全体が巨大な要塞として機能していた。

 中心部には貴族や富裕層が悠々と屋敷を構える一方、外周には庶民の家がひしめくように並んでいる。


 要塞都市と謳われる通り、その防備は極めて強固である。幾重にも防護魔法を施された城壁はいかなる攻撃を防ぎ、また経年による劣化に悩まされない。さらに都市内部には敵の侵入を防ぐ仕掛けや装置が点在しており、鉄壁の守りはまさに難攻不落を体現していた。

 そして都市中心の最も高い地にそびえ立つのが、この地を治める領主――ティミドゥス公の居城である。その威容は都市全体を見下ろし、民と敵に静かなる威圧をもって君臨していた。


 その城内。執務室にて。

 絢爛な装飾に囲まれ、恰幅のいい中年の男が苦々しい表情を浮かべている。

 彼こそが、デルニエール領主ティミドゥス公であった。


「……もう一度、端的に説明せよ。わしは今、急に耳が遠くなったのかと疑っておる」


 豪奢な椅子に座して、隠しきれない焦燥を声にする。

 それは、机を挟んで居住まいを正す二人の人物に向けられていた。


「お望みとあらば、何度でも申し上げましょう」


 答えたのはデュールだ。生まれついての浅黒い肌と、屈強な身体つきの精悍な青年。藍の飾り布をあしらった鎧は、白将軍副官の証であった。


「モルディック砦は陥落。我が軍はほぼ壊滅状態です。クディカ将軍は殿を務め、その後の消息は途絶えております」

「……なんということだ」


 宝石で飾られた両手が、脂ぎったふくよかな顔を覆う。


「国王陛下が名高き白将軍を遣わしたと聞いて、わしは安心しておった。だというのに、まさか半年も経たぬうちにモルディック砦を失うとは。おぬし達は……おぬし達は一体なにをやっておったのだ!」

「申し開きのしようもございませぬ」


 デュールが揺るぎのない声で言い切った瞬間――公爵の拳が、分厚い机を強かに叩いた。


「やはり女は女だ。天下の白将軍などと持ち上げられていても結局はこのざまよ。女の分際で騎士の真似事とはけしからん。身の程を弁えておらぬ。分不相応な夢など見ず、宮廷で茶でも汲んでもればよかったのだ」


 公爵が吐き捨てた言葉は、デュールの厳めしい顔に鋭い険をもたらした。


「お言葉ですが公爵様。将軍は見事に軍を指揮されました。わずか数百の兵であれだけの時を凌いだのは、まさに神業と言えましょう」

「そういうことは勝った時に申せ。敗者が何を言おうが負け惜しみにしか聞こえぬわ」


 丸い双眸がぎろりと動き、デュールを睨みつける。どうしたことか、その視線は次第に憐れみを帯びたものに変わっていった。


「まぁ、なんだ。おぬしも災難であったな」


 途端に同情的になったティミドゥス公を訝しむデュールだったが、次に続く言葉を聞いて血相を変えた。


「女の下になど就かされて、さぞ口惜しかったであろう。白将軍の末路は、女の無能さを示す好例として後の世に伝え残されるだろうて」


 戦士として、また上官として尊敬するクディカがこうも貶められることは、彼にとって耐えがたい屈辱であった。

 デュールの怒気が炸裂するのを制するように、隣に立つリーティアが口を開いた。


「砦を奪われた殿下の心中はお察しいたします。しかしながら、我々は王より遣わされたまことの軍にございます故、それ以上の非難はご自重なさりますよう」


 物腰柔らかな、しかし明瞭な口調だった。

 リーティアの堂々とした居様に、ティミドゥス公は思わずたじろぐ。そして取り繕うように咳払いをした。


「まぁよい。それで、おぬしらはこれからどうするつもりだ。与えられた任を果たせず、このデルニエールを危険に晒しおってからに」


 リーティアが頷く。


「急ぎ、救出部隊を整えたいと考えております」

「救出部隊?」

「落ち延びた兵はもとより、将軍の安否を確認しなければなりません」

「はっ。敗軍にそのような余裕があるのかね」

「残念ながらございません。ですから、殿下にご助力奉りたいのです」

「なんと。貴様、わしに兵を貸せと申すか」


 ティミドゥス公は掠れた声で唸った。

 王の従兄弟という血筋に加え、大領地を治める公爵位まで持つ彼は、生まれながらに傲慢であった。臣民は彼にゴマを擂り、えつらった笑みを浮かべる。それが彼の日常であり、また自負であった。


「恥知らずめ。敗北だけに飽き足らず、臆面もなく兵の無心とは恐れ入った」

「恥を忍んで、是非とも汚名返上の機会を頂きとうございます」


 リーティアはその豊かな胸に手を当てて、すっと目を伏せた。

 話の行く先を見守るデュールは、人知れずリーティアに感心していた。

 自分よりいくつも歳下の、まだ少女らしさが残るほどの女が、大貴族相手にこうも毅然と問答をしている。愚弄されながらも、理性的な振る舞いを忘れていない。


「フューディメイム卿。おぬしの評判は聞き及んでおる。その若さで宮廷政務官とは大したものだ。大方、その美貌で官僚どもを誑しこんだのだろうな」

「殿下!」


 声を上げたのはデュールだ。


「フューディメイム卿は清廉なお方です。いくら何でも、言っていいことと悪いことがありますぞ!」


 デュールの怒気を受けて、ティミドゥス公は身体を震わせた。その拍子に椅子から転げ落ちそうになる。


「控えなさい。デュール殿」


 リーティアは微動だにしない。彼女に制されたデュールは、不満げに口をつぐむ。


「モルディック砦が落ちた今、魔族が次に狙うのはここデルニエール」


 緋色の瞳が、眼鏡の奥で細まった。


「ですが心配はご無用。僅かばかり騎兵をお貸し頂ければ、散り散りになった我が軍と将軍を救出し、この地を守るための戦列を立て直して御覧に入れましょう」

「なに?」


 ティミドゥス公の丸い目がさらに丸くなる。


「何を言い出すかと思えば。魔族の追撃から生き延びた兵などいるものか。白将軍とて討ち取られたに違いない」

「いいえ。将軍は生きています。彼女がそう簡単に死ぬはずありませんもの」


 椅子に座りなおす公爵に、リーティアがにこやかに断言する。


「デルニエールには十万の民がおる。敗残兵の救出なぞに都市の大切な兵力を使うわけにはいかん」

「むろん理解しております。デルニエールの防衛は最優先事項。しかしながら防衛に不向きな騎兵であれば、数十騎ばかり減ろうと防衛に支障はありません。かの名将チェキロスいわく、騎兵は野を駆けてこそ真価を発揮すると」

「ならぬ。負け戦の兵など助ける価値もない。最も大事なのは民の生活よ。兵士とは民を守るためにいるのだ。兵の為に民を危険に晒すなど本末転倒も甚だしい」


 もっともらしく言っているが、ティミドゥス公は少しでも多くの兵に自身とその財産を守らせたいのである。いかに言葉を飾ろうと、彼の浅ましい欲望と欺瞞は隠しようがない。


「そういうわけだ。今日のところは引き取りたまえ。派兵の件は一応考えておく」

「殿下! 事態は一刻を争うと――」

「デュール殿。かまいません」


 リーテイアの白い手がデュールを制す。


「フューディメイム卿……しかし……」

「これ以上は殿下のご迷惑になりましょう」


 彼女は深く頭を下げ、デュールを伴って部屋を後にする。

 静寂の訪れた執務室で、公爵の口から重々しい溜息が吐かれた。


「役立たずが」


 一人になり、ティミドゥス公はぽつりと呟く。

 この街に魔族が攻めてくるのも時間の問題だ。デルニエールが抱える戦力はゆうに五千を超えるが、モルディック砦陥落を考えると楽観視はできない。


「周辺都市に援軍を頼むべきだな」


 公爵は自らの領地を守ることしか頭になく、救出部隊の件は早くも忘却の彼方にあった。

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