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5.異変

 砦全体を震わせた衝撃は、地下牢にも十二分に伝わっていた。

 微睡みの中にあったカイトが飛び起きたのも無理からぬことだ。


「なんだ……っ?」


 周囲を見渡す。ここが牢屋であることを再確認して改めて気が滅入るが、今はそれどころではない。

 カイトの胸に去来したのは、本能的な危機感である。


「なぁ、おい! あんた!」


 怠惰な看守は椅子の上で舟を漕いでいた。鉄格子を掴んで詰め寄ったカイトに、彼は肩を震わせて目を覚ます。


「ン? なんだよ……うるせぇな」

「なんか、すごい揺れてるけどっ」

「ああ、大方戦闘が始まったんだろう」


 大きなあくびをして、看守の青年は気の抜けた声を吐いた。


「戦闘? あんたは戦わなくていいのかよ」

「俺にはお前を見張るって仕事がある。戦いは外の奴らに任せるさ」


 軽い笑いを漏らした看守に、カイトの血の気が引いた。


「なんでそんな暢気なんだよ。死ぬかもしれないってのに」

「はは。俺一人加わったくらいじゃ何も変わらねぇよ」


 腰に提げた鍵束をジャラジャラと手慰みにして、看守は椅子に深く腰かけて天井を仰ぎ見た。


「頑丈な城壁。強力な防御魔法。難攻不落ってのが、モルディック砦の謳い文句だ。そう簡単は落ちるもんかよ」

「フラグだろ……それ」

「わかったら大人しくしてろ。囚人くん」


 手の甲を振って、もう喋るなと主張する看守。

 兵士として軍の一員であるにも拘らず、彼には責任感というものがまるで無い。

 納得できないまま、カイトは牢の奥に戻るしかなかった。

 かすかに聞こえてくる戦闘の音に耳を澄ませて、この砦が陥落しないことを祈る。たとえ守り切ったところでカイトの処遇が変わるわけではないだろうが、敵に攻め込まれて殺されるよりは遥かにマシだろう。


「ん?」


 壁に背を預けて座り込んでいたカイトの耳に、ふと異音が届いた。

 外の戦闘音に紛れて、しかし異なる間隔と伝わり方で、この地下牢に響いてくる。


「なんだ、この音」


 引っ掻くような、削るような、小気味良くも重厚感のある音だ。

 テレビだったか、ネットだったか。強固な要塞を攻める際、城壁を壊したり登ったりするのではなく、地下道を掘って侵入するという戦術を聞いたことがある。


「おい、まさか……」


 正面から落とせないと敵が判断したのなら、地下を通ってここにやってくることも十分に考えられる。


「なぁ、なぁあんた!」

「んだよ。まったく、大人しくしてろっつっただろうが」


 看守は面倒臭そうに舌打ちをして、鉄格子を掴むカイトを見やる。


「敵は、地下を掘ってる」

「はぁ?」

「地面を掘ってここまで来ようとしてるんだよ!」

「バカだなぁお前。脅かすにしても、ちょっとはありえそうな事を言ったらどうだ?」


 せせら笑う看守に、カイトは眉を吊り上げた。


「バカはどっちだよ! なんでこんな簡単なこともわからないんだ。地下道を掘れば敵は簡単に攻め込めるんだぞ!」

「うるせぇな。大体、魔族ってのは――」


 看守が言い終わるまでもなく、地下牢の石壁が轟然とぶち破られた。石片や土煙が狭い空間を満たし、あっという間に視界が覆われる。

 吹き飛んだカイトは、床に打ち付けられた後に尻もちをついて、舞い上がる粉塵を吸って激しく咳込んだ。


「な、なんだ!」


 立ち込める土煙の中、カイトの目に映ったのは巨大な黒いシルエット。壁に空いた大穴からぬうっと現れたその影は、カイトの三倍はあろうかという巨人であった。

 球状の胴体に太い四肢をくっつけたような巨体。頭部はなく、胴体上部に顔らしき模様が浮かび上がっている。


 やがて視界が晴れた時、巨人の全身を覆う滑らかな漆黒が露わとなった。

 戦場で目にした獣と同じ色合い。カイトの頭をよぎったのは魔族の二文字だった。

 巨人は頭頂部を天井に擦りつけながら前進し、その分厚い手で易々と鉄格子を捻じ曲げてしまう。


「う、うわぁっ!」


 漆黒の中で蠢く顔らしき模様に睨まれた看守は、悲鳴をあげながら逃げ出した。が、当然の如くそれは叶わない。壁の大穴からなだれ込んだ闇色の獣たちが看守に群がり、瞬く間に食い散らかしていく。断末魔は短く、呆気ない最期となった。


(うそだろ……喰われてる?)


 カイトは微動だにできなかった。絶句とはまさにこの事であろう。

 不思議なことに、巨人も獣もカイトの存在に気付いていないようだった。いや、気付いていながら無視しているのかもしれない。


 大穴からは止めどなく闇色の獣が侵入している。その数は膨大で、黒い洪水にも見紛う光景であった。

 猛スピードで横切っていく魔物の大行列を、カイトは口を半開きにして眺めるだけ。


「あらぁ? なにかしらこれ」


 声が降ってきて、カイトはようやく視界を動かす。

 まずカイトの目に留まったのは、髪だ。薄暗い地下にあって、光を放つかのような銀色。ツーサイドアップに結われた長い髪が、色白の少女の小振りな頭を飾っている。


(女の子……?)


 身に纏った黒一色のドレスはところどころにフリルがあしらわれていながら、極めて露出の多い仕立てであり、目のやりどころに困るほどだった。

 カイトの目には一見小中学生ほどに映るほど小柄ながら、その肢体は女性らしいラインを描き、見せつけるかのようなグラマラスなプロポーションを誇っている。


「あの子達が反応しないなんて、おかしいわねぇ」


 血で染まったかのような紅の瞳は、悪魔的な色気を湛えている。だが、今のカイトは恐怖以外の感情を抱けない。

 愛らしい美貌が近づいて、カイトは息を呑んだ。


「ふぅん? へぇ、そういうこと。あなた、魔力がないんだぁ。おかしー」


 少女はけらけらと笑う。

 短いスカートから伸びる白い脚。豊かに膨らんだ胸の谷間。恐ろしいまでに美しい表情。それらがすぐ目の前にある。こんな状況じゃなければ、素直に喜べていたのに。


「でも、魔力もなしにどーして生きられるのぉ? おかしくない?」

「……キミは……なんなんだ?」


 掠れた声は、極度の緊張がもたらしたものだ。


「あたしを知らない? そこそこ名が通ってきてると思ってたんだけど」


 不満そうに眉を寄せる少女。 


「あ、でも待って。これっていい機会じゃない。自己紹介するから、聞いてくれる?」


 一転、彼女は嬉しそうに口元を歪ませた。どこまでも無邪気で、幼げで、それでいて艶めかしい。それは魔性の笑み。


「あたしは魔王軍四神将が一柱。魔王様の忠実なるしもべ、ソーニャ・コワール。愚かな人間ども。このあたしが根絶やしにしてあげるわぁ」


 彼女はスカートの裾をつまみ、軽やかに一礼する。


「あはっ。どうかしらどうかしら? こういうの、一回やってみたかったのよね」


 演技臭い、とは思わなかった。蠱惑に満ちた佇まいと、気品すら感じる一挙手一投足のせいか、彼女の名乗り口上は芸術的でさえあった。


「魔族、なのか?」

「もー。それ以外の何に見えるの?」


 どうみても、人間にしか見えない。

 確かに髪の色も瞳の色も魔族っぽいと言われればそうだ。けれど、髪や瞳の色が見慣れない色味であることはこの世界の人間だって同じである。現代日本なら、完成度の高いコスプレと言えば通用するだろう。


「どうしたの? そんなに息を切らせちゃって」


 言われてからようやく気付いた。どうりで息苦しいと思った。鼓動は割れ鐘のように鳴り響き、全身に血を巡らせている。


「あたしが怖い? うっそだぁ。こーんなにかわいいのに?」


 頬に手をあてて、いかにもな可愛らしいポーズを取るソーニャ。

 怖い。怖いに決まっている。人は未知の存在に恐怖を抱くものだ。けれどそれを口にするのは、ちっぽけなプライドが許さなかった。


「強がっちゃってー。かわいい生き物ねぇ」


 ソーニャは手袋に包まれた指を唇に当て、にっこりと笑みを作った。

 半開きだったカイトの口が引き締まる。


(どーすんだよ! この状況っ)


 追い付かない理解を、むりやり加速させる。


(異世界に来て、目の前には魔族。敵ってことだろ。戦えってことか? それがあの女神の望みなのか?)


 考えてみれば都合のいいシチュエーションだ。ここでこの少女を倒し、攻め入られた砦を華麗に救えば、身の潔白を証明できる。

 わかりやすい筋書きである。今こそ戦う時ということだ。


(けど、どうやって……?)


 現実逃避じみた思考は、カイトの体を突き動かす原動力たり得ない。

 指先は震え、足腰は砕け、まるで頼りにならなかった。


「あなた、罪人でしょ。どんな悪事を働いたのか知んないけど、こんな趣の欠片もないような牢屋に繋がれて、とってもかわいそー」


 否定の言葉も出てこない。


「あなたが牢屋から逃げちゃったら、少しは騒ぎになるかしら?」

「なにを」


 言ってるんだこの娘は。もう既に、砦の中は大混乱に違いない。

 気付くと、ソーニャの指がカイトの頬をちょんとつついていた。


「逃げてもいいわよ」

「え……?」

「嬉しい? 安心した? ああ助かったーって思った?」


 言いながら、ソーニャはカイトの固い頬をつっつき回す。


「だってかわいそーだもん。騒ぎになったら、それはそれで儲けものだし」


 カイトは呆然としてされるがまま。


「ザコは殺す価値もないしね」


 その一言が、カイトの胸に深く突き刺さった。

 頬をつついていたソーニャの指が、大穴の方を指し示す。


「ほら。どーぞ」


 言われても、カイトはすぐに動けなかった。

 眼中にないと言われたも同然だ。向けられた一言の衝撃は、カイトの感情を激しく揺さぶった。目の奥が熱くなる感覚。視界がぼやけるような、それは眩暈にも似ていた。


「ほら!」


 一向に動かないカイトに痺れを切らしたソーニャは、きんと響く声を放つ。

 それでも動かない。いや、動けないのだ。腰が抜けるなんて、ただの大袈裟な例えだと思っていた。まさか本当に立てなくなるなんて。


 そんなカイトのすぐ傍に、バレーボール大の何かが転がってきた。

 獣達が喰い殺した看守の成れの果て。その頭部。形容するのも憚られる無惨な状態のそれは、カイトの喉を引きつらせるには十分すぎた。


「あはっ。もう食べちゃったの? まったくこの子達ったら食いしん坊さんなんだから」


 考えるより先に身体が動いていた。跳ねるように立ち上がり、壁に空いた大穴に駆けこむ。体を竦ませた恐怖は、より強い恐怖によって塗り潰されていた。


「ばいばーい。ちゃんとあたしに感謝してよねー」


 背中に投げかけられた暢気な声色も、どうしようもなく気味が悪い。

 涙目になりながら、カイトは走った。

 未熟な心を埋め尽くす絶望。間違いなく人生で最大の戦慄。

 ところが、それとは別に、カイトの胸に一つの激しい感情が渦を巻いていた。


「俺は……ザコじゃない!」


 呑み込めない激情を吐き出す。


「ザコなんかじゃない!」


 いくら叫んでも覆しようのない、あまりにも情けない事実。

 目に浮かんだ涙が、仄暗い地下道に散って消える。


「異世界なら、最強だって……! 強くなれるって……!」


 夢見ていたのだ。

 意気揚々と異世界に乗り込み、強大な力を手に入れて、思うがままに生きる人生を。

 夢の中でなら、それが叶うと信じていた。

 異世界でならば、戦場で名を馳せ、英雄として称えられるはずだった。


 今の自分を見ろ。

 惨めに泣き叫び、逃げ出す自分を。


「くそっ! くそぉっ!」


 異世界に来ても、自分は自分だ。

 何も、変わりはしない。

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