4.地下牢にぶちこまれた!
薄暗い地下牢の中で、カイトは途方に暮れていた。
「どうしてこんなことになったんだ」
湿っぽい空間だ。時折見回りにやってくる看守の軽薄な視線がやけに腹立たしい。
カイトは罅割れた天井を見上げ、硬い石の床に身体を投げ出した。
「戦争かぁ」
人間と魔族の戦い。血なまぐさい戦場を思い出して気分が悪くなる。
「ん?」
ふと胸に違和感を覚えた。シャツの襟元を開けると、今更ながら見慣れないペンダントがあることに気が付いた。
はて、こんなものを身に着けていただろうか。
「それは、耐魔のタリスマン」
カイトの疑問を察したかのように、穏やかな声が聞こえた。
「あなたをマナ中毒から守ってくれます。いつ何時でも、肌身離さず身に着けていてください。絶対に手放してはいけません」
カイトは体を起こして鉄格子の方を見やる。
翡翠の髪に臙脂の法衣。声の主は緋色の瞳を細めて、柔らかな微笑を湛えていた。
「えっと。たしか、リーティア、さん……だっけ」
彼女の手にはランタンがあり、十分な光源となっている。しかし灯っているのは火でも電気でもない。とても明るく、しかし眩しさを感じない。初めて目にする不思議な輝きであった。
「あら。名前を憶えて下さったのですね。嬉しいですわ」
「いや、まぁ」
なんとなく、会話に出てきた人物の名前くらいは憶えていた。
「そんなことより。耐魔のタリスマンって、これのことですか?」
「ええ。それのことです」
カイトの問いに、リーティアは優しく頷いた。
ペンダントを手に取ってまじまじを観察してみる。光沢のある銀の台座にアーモンド大の石が三つ埋め込まれている。青、黄、赤の横並びは図らずも信号機を連想させた。
「マナ中毒って何ですか? 俺、病気なんですか?」
声が震えたのは、寒さのせいではないだろう。カイトは努めて平静を装う。
「どちらかと言うと、毒を飲んだ時の状態に近いでしょうか。そのあたりも含めて、すこしお話しさせて下さい」
リーティアはゆっくりと、鉄格子際に置かれた丸椅子に腰を下ろす。ランタンを床に置き、空いた手を胸の高さまで持ち上げた。すると天井に向いた掌の上に、仄かに光るビー玉大の粒が現れる。
「これが、マナです」
現れた光は翡翠のような鮮やかな緑であり、リーティアの髪色によく似ていた。
「おお」
素直に感動した。画面に移るCGとは一味違う。現実の現象。
「魔法みたいですね」
「仰る通り。マナは生命にとって不可欠なもの。大気中にあまねくマナは常に物質の内外を循環し、生物にとっては魔力の源となります。ですが、人体にとって有害になる場合もあるのです」
「それがマナ中毒ですか?」
リーティアは頷く。
「人は誰しもマナへの抵抗力を持っています。もちろん個人差はありますが、普段の生活で中毒になることはまずあり得ません」
そうは言っても、実際にカイトは中毒になった。
「あの場所のマナが特に濃かったとか?」
「確かに強力な魔法が飛び交う戦場では、マナ濃度が高くなる傾向にあります。けれど、普通の人間が影響を受けるほどではありません」
「普通の人間」
カイトの鼻息が一瞬だけ荒くなった。
「もしかして俺は、その普通ってのに入ってない?」
「カイトさん。落ち着いて聞いてください」
改まって、リーティアは真剣な表情で前置きする。
「あなたには魔力がありません。それはつまり、マナへの抵抗力がまったく存在しないことを意味します」
何か重大な宣告を受けたような気がした。しかしながらカイトがその意味をすぐ理解するには、マナに関する知識と心の準備が甚だ不足していた。
「えっと、よくわからないんですが……それってまずいことんですかね」
「まずいどころではありません」
危機感のないカイトを、リーティアが穏やかに一喝する。
「マナ耐性がなければ、この世のありとあらゆるものは致死の猛毒になる。タリスマンを失ったあなたは陸に打ち上げられた魚にも等しいでしょう」
リーティアの神妙な表情が、事の深刻さを物語っていた。
「よいですかカイトさん。あなたはマナ中毒で命を落としかけたのですよ? 事の重大さをもっとよく、しっかりと考えてください」
彼女の語気は優しかったが、内容が内容なだけに叱られている気分になる。
カイトはすこし意地になって、強がった笑みを作った。
「そりゃまぁ、確かに死ぬほど苦しかったけど。こいつがあれば大丈夫なんですよね?」
ペンダントをいじってみる。図らずも手に入れた異世界のアイテムは、初心な少年の心を魅了する。
喉元過ぎればなんとやら。つい先刻感じた苦痛を、カイトはすっかり忘れていた。
ランタンの光が、リーティアの痛ましい表情を照らしている。
「カイトさん。言いにくいことですが……隠しても仕方のないことなので、お話しします」
「その言い方、なんか怖いな」
言いつつも、カイトの顔には余裕があった。だがそれも、次にリーティアが発した言葉で凍りつく。
「タリスマンの加護はもって十日。短ければ一週間で、マナ中毒を退ける力は失われてしまいます」
「……え?」
「率直に申し上げれば、それがあなたの余命なのです」
憂いのある、躊躇いのない声。
「えっと……冗談、ですよね?」
苦笑が漏れる。流石にそんなハードな展開はご勘弁願いたい。
リーティアはゆっくりと首を振るだけで、気休めを口にしようとはしなかった。
「いやそんな」
自分が今どんな顔をしているのか、カイトにはわからない。だが、平静でないことだけははっきりしていた。
「死ぬったって……」
まさか転生初日に余命を宣告されるとは思ってもみなかった。多少の苦労は覚悟していたけれど、こんな仕打ちは求めていない。
「事の重大さ。わかって頂けましたか?」
リーティアの表情はどこまでも真剣だ。嘘を言っているようには見えない。彼女の言う通り、カイトに残された時間は僅かなのだろう。
「いきなりそんなこと言われてもな」
実感が湧かない、というのが正直なところだ。
思えば、ワケもわからず牢屋にぶちこまれて、挙句の果てに余命を宣告されている。どうしてこんな理不尽な扱いを受けなくてはならないのか。今更のように、カイトの中に沸々と怒りが込み上げてきた。
「どうか、危機感を持ってください。このままでは取り返しのつかないことに」
「だったらここから出してくださいよ」
自分でも驚くほど刺々しい声が出た。自身の境遇に苛立ちを覚えるカイトは、リーティアの沈痛な面持ちの意味に思い至らない。
「私にはその権限がありません。ごめんなさい」
彼女は言い訳もせず頭を下げた。
何か文句を言ってやろうと考えていたカイトは、喉まで出かかっていた言葉をぐっと飲み込んだ。
ここでリーティアを責めるのは筋違いだ。それくらいはわかる。
だが頭では理解できても、感情を納得させるのは難しい。
「近いうちに必ず解放させて頂きます。それまで、今しばらく辛抱をお願いできませんでしょうか?」
「嫌だって言っても意味ないんですよね」
そう吐き捨てて、カイトはリーティアに背を向けた。
ふてくされているという自覚はある。けれど、そうする以外に心を守る方法を知らなかった。
「本当にごめんなさい」
リーティアはしばらくその場に留まっていたが、カイトが頑なにそっぽを向いたままでいると、立ち上がって腰を折った。
「また来ます。あなたに乙女の加護のあらんことを」
小さな足音が遠ざかっていく。
突き放しておきながら、カイトはそれを寂しく感じていた。
なんと子供じみた、情けない振る舞いだろうか。
「くそっ!」
カイトは固い壁を叩く。冷たい石壁は、拳をじんじんと痛ませた。
聞きたいことはたくさんあった。異世界から召喚された人間を知っているかとか、マナ中毒を克服する方法があるのかとか。
頭の中にあったそれらの疑問全ては、いつのまにかどこかへ吹き飛んでしまった。
「ふざけやがって」
誰に対しての悪態か、自分にもわからない。
牢にぶち込んだクディカか。善人ぶったリーティアか。
こんな世界に送り込んだあの少女か。
それとも、無力な自身に対してか。
焦燥を自覚して、カイトは力を抜いた。深呼吸を一つ。感情を整える。
「ま、なんとかなるだろ」
楽天的な呟きは、自身への慰めに過ぎない。
首にかけられたタリスマンを握り締め、カイトは力なく床に倒れ込んだ。