3.異世界の美女あらわる!
ともあれ、命は助かった。
時にカイトは、簡素なベッドの上で正座を組んで俯いていた。
周囲に反抗の意思がないことを示すためである。
「いいか。もう一度訊く」
こじんまりとした殺風景な部屋。カイトの目の前には二人の女性がいた。
「名前と所属を言え。これは軍令だ」
一人は、厳しい声で詰問する金髪の女性。二つの碧眼は蒼穹を宿したように澄んでいるが、その目つきは鋭利な刃物のように鋭い。仰々しい純白の甲冑を着込み、腰には長剣を帯びていた。
「名前は伊勢カイト。所属は、えっと……わからないです」
女が強かに机を叩くと、カイトはびくりと肩を震わせる。
「下手な誤魔化しが通用すると思うな。我が軍にそんな名の兵士はいない!」
苛立ちを隠そうともせず、彼女の語気は一息ごとに強くなる。その度、カイトは頭を下げた。
「何故あの場所にいた?」
答えられない。
「野戦の真っ只中に、剣も鎧もなしに出る馬鹿がどこにいる?」
一人、ここにいる。
「挙句の果てにマナ中毒だと? お前の後衛術士は、どれほど間抜けなのだ!」
「そんなこと言われたって、俺だって何が何だか」
あの戦場にいた理由はカイト本人が一番知りたいことだし、マナ中毒や後衛術士とやらも聞いたことがない。
「落ち着いてくださいクディカ。そのように責め立てては……ほら、彼も委縮しています」
椅子の上。たおやかに座るもう一人の女性が、金髪の女を嗜めた。
「快復したばかりなのです。可哀想ではありませんか」
彼女は柔和な微笑みを浮かべつつも、どこか困ったように眉尻を下げていた。
ゆったりとした臙脂色の法衣に身を包んだ彼女は、深い翡翠色に染まる長い髪を一房に編んでいる。緋色の瞳を縁取る長いまつ毛も、少し太めの眉も、頭髪と同じ色彩だ。
日本人離れ、否、地球人離れした色合い。この女性の存在が、ここがカイトの世界ではないことを教えてくれる。
「リーティア。お前も言っていたではないか。ヤツらが間者を用いることもありえると。この男がそうでないと言い切れるのか?」
「少なくとも、害意は感じられません」
高圧的なクディカとは対照的に、リーティアは極めて物柔らかな印象だった。優しげなたれ目と、整った鼻筋に乗った眼鏡が、特にそう感じさせるのかもしれない。
「伊勢カイトさん。あなたは、どこからいらっしゃったのですか?」
安心させるような声色で語りかけるリーティア。それだけでこの場の緊張が少し和らいだ気がした。
「俺は」
言いかけて、言葉に詰まる。異世界から来たと言って、はたして信じてもらえるか。異世界からの訪問者が認知される世界なのか。
目の前の女性達が信用に値する人物なのかも定かではない。まずはこの世界の情報を集める方が先ではなかろうか。
「……わかりません」
「またそれか」
クディカが苛立ちの吐息を漏らす。
「いいか伊勢カイトとやら。我々はマナ中毒で死にかけていたお前を救ってやった。にも拘らず素性すら明かさぬとは、誠意に欠けるとは思わないか」
反論の余地はない。彼女の言う通りだ。
沈黙するカイトの代わりに口を開いたのはリーティアである。
「中毒の影響で記憶が混濁しているのかもしれません」
「そんな都合のいいことがあるものか。意図して隠していることは明らかだろう」
「クディカ、あなたは取り乱しています。少し落ち着いてください」
「なんだと? 私はこれ以上ないほど冷静だ」
「いいえ。あなたについて私が間違えたことがありますか」
眼鏡の弦をくいと上げて、リーティアははっきりと言い切った。
クディカは不服そうに腕を組む。
「ともかく。こやつの身柄は捕虜として扱う。得体の知れない男だ。戦況が落ち着くまで牢にぶち込んでおく」
「そこまでする必要はありませんわ。害意はないと言ったでしょう」
リーティアの言葉に、クディカが呆れたように息を吐いた。
「関係ない。身の潔白を証明できないことが問題なのだ」
クディカの声には芯があり、佇まいには圧力さえ感じる。浮世離れした美貌が、余計に威容を際立たせていた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
カイトはやっと正座を崩した。なんとかベッドを下りるも、長時間の正座で脚が痺れてしまい、勢い余ってたたらを踏んでしまう。
その行動がいけなかった。
目にも留まらぬ速度で抜かれたクディカの剣が、カイトの首筋にぴたりと触れていた。
「うぉ……っ!」
「妙な真似をすれば殺す」
その声は真実の響きをもってカイトの背筋を凍らせた。鋭利な眼光も、ひんやりとした刃の感触も。決してこけおどしではない。
腰を抜かすことも出来ず、金縛りにでもあったみたいに微動だにできなかった。
そんなカイトを見て、クディカは鼻を鳴らす。
「この程度で気圧されるか。演技だとすれば、大した役者だな」
彼女の瞳には明らかな失望と嘲りの色がある。ゴミを見るような目というのはこういうものを言うのかと、カイトの中の冷静な部分が感じていた。
首筋から剣が離れると、全身を縛り付けていた殺気も解かれる。剣が鞘に納まる音が引き金となって、カイトの腰は砕けてしまった。
「誰ぞいるか!」
「ハッ! ここに!」
クディカの呼びかけに応じ、数人の兵が部屋に入ってきた。軍人然とした動作で敬礼して、床にへたりこむカイトを一瞥する。
「こいつを牢に入れておけ。私の許可があるまでは決して外に出すな」
「承知致しました。将軍」
言うや否や、カイトは両脇から抱え上げられ、乱暴に連行されてしまう。
「ちょ、ちょっと待って……話を、話を聞いてくれ!」
「何を今更。聞いたのに喋らなかったのはお前だろう。大人しく繋がれていろ」
すでにクディカはカイトへの興味をなくしていた。
「クディカ。これはあまりにも、非情が過ぎるのではありませんか」
「もう言うな。リーティア」
控えめな抗議の声を上げたリーティアを、クディカは力強く制してしまう。
「私にはこの砦を守る責務がある。この男を自由にさせて後の憂いとなったらどうする。一体誰が責任を取るというのだ」
「それはわかります。ですが」
「わかってくれるならこの話は終わりだ」
「いいえ。せめて彼を法に則って処遇すると約束してください」
クディカは真っすぐな瞳をリーティアに向ける。交差する視線の中には、旧知の仲にこそ生まれる緊張感と、そして信頼があった。やがてクディカの凛とした唇から淡い溜息が漏れる。
「無論だ。約束しよう」
必死に抵抗するカイトの耳には、そんな美女二人のやり取りは届いていなかった。
「何をもたついている! さっさと連れていけ!」
「暴れるな! 大人しくしろ!」
ついに兵士の拳がカイトの腹部に叩きこまれた。強烈な衝撃がカイトの自由を奪う。
屈強な兵士達に囲まれて敵うわけがない。
はたしてカイトは、抵抗虚しく投獄の憂き目に遭ったのだった。