20.癒えない傷 ②
「あのさ、ヘイス。灰の乙女に会うことってできるのか?」
「それは」
口籠ったヘイスは、目を丸くしてカイトの顔を見つめる。
「難しいと思います。乙女への拝謁を許されるのは、王家の方々と最高位の神官だけです。ボクも実際に乙女のお姿を目にしたことはありませんし」
「将軍に頼んでも無理かな? あと、リーティアさんとかさ」
「どうでしょう……? クディカ将軍もフューディメイム卿も立場をお持ちですが、乙女に拝謁を許されたことはないと思います。仮にあったとしても、カイトさまを取り次ぐことは、その、厳しいのではないでしょうか」
徐々に声を小さくしながら言ったヘイスは、どこか申し訳なさそうな顔をしていた。カイトの望みが叶わないと告げるのが心苦しいのだろう。ヘイスに責任があるわけではないなのだから、気に病むことはあるまいに。
「そう簡単には会えないか」
召喚しておきながら甚だ無責任だ。女神なんだったら神託の一つでも寄越してほしい。
(戦場に放り出しておいて後は放置なんて、薄情な女神様だな。下手すりゃマナ中毒で死んでたってのに)
部屋には重たい沈黙が降りていた。
テーブルを挟んで向かい合うカイトとヘイスは、それぞれの思いを抱えたまま口を開こうとしない。
(俺の余命はあと数日……マジで大丈夫なのか? こんなのんびりしてて)
会話がなくなると、少しずつ焦りと苛立ちが募っていく。
いくら修羅場を潜り抜けたといっても、カイトはまだ十代の少年だ。異世界に一人放り込まれ、二度も死にかけて、余命まで告げられている。
そんな極限状態の中で、湧き上がる不快な感情を上手くコントロールできない。
「あのっ、カイトさま。お水、いかがですか?」
場の空気に耐えられなくなったのか、ヘイスが卓上の水差しに手を伸ばし、ぎこちない笑みを浮かべた。
「いや、いい」
喉が渇いているわけではなかった。
ぶっきらぼうな返事になってしまったことを自省しながらも、カイトの表情は変わらず固いまま。
「……はい。すみません」
ヘイスは目を伏せ、そっと水差しを戻す。
気を遣ってくれたのはわかっているが、今のカイトにそれを受け止める余裕はない。
(ネガティブになっても仕方ないって、わかっちゃいるんだけどな)
つい先ほどまで生き残れたことや勇者と呼ばれたことを喜んでいたはずなのに、そんな前向きな感情は見る影もない。
(数日後に死ぬかもしれない。落ち込むなって方が無理な話だろ)
ふと、テーブルに落としていた目線を上げると、向かいに座っていたはずのヘイスの姿がなかった。
「あの、カイトさま」
すぐ傍に立っていた彼女に驚くも、彼女の不安げな表情を見た瞬間、カイトはすぐに身を正した。
「ボクはカイトさまのお世話を任されました。正式な身分ではありませんが、従者として誠心誠意お仕えするつもりです。ですから、なんでもお申し付けください。カイトさまに元気になってくれるなら……ボク、なんだってします!」
ヘイスはその場に膝をついてカイトを見上げる。潤んだ栗色の瞳には、確かな想いが込められていた。
飾り気のない言葉。だからこそ、カイトの心に深く届いた。
カイトはヘイスの命を救った。見返りを求めたからではない。救うことそのものに、戦う理由を求めただけだ。
けれどヘイスにとってそんな理屈は関係ない。カイトは紛れもなく命の恩人なのだ。
どちらの想いも純粋だったからこそ、ヘイスの想いはまっすぐカイトに伝わった。
「ヘイス。俺は」
カイトは自らを恥じた。
「ダメな奴だな。ついさっき強くなるって決めたばっかなのに。もう弱気になってた」
「そんなこと全然ないですっ。カイトさまは、ボクの命の救ってくれた英雄なんですから!」
「ありがとう」
年下の女の子の励まされるのは少しだけ気恥ずかしかったが、それ以上に嬉しさがこみ上げた。
(あいつもこんな風に、いつも励ましてくれたっけ)
ヘイスの仕草に妹の面影を見るカイト。うっかり、栗色の髪に覆われた小さな頭を優しく撫でていた。
そう。ついうっかり。
「あ」
体に染みついた癖というのは厄介なものだ。ほぼ無意識の行動であったが、この状況でそれがどんな意味を持つのか、カイトはすでに知っていた。
ヘイスの顔は真っ赤に染まり、目を丸くして唇を引き結んでいる。
「こ、今度は勘違いじゃ、ありませんよね……」
「いや、あの」
「カイトさまがお望みならっ。ボクも、その……やぶさかではありませんっ」
俯いたヘイスの視線が、部屋のベッドにちらりと向けられる。
(やっちまったー!)
正直、そんなつもりは毛頭なかった。本当に、手癖が出てしまっただけだ。
それがまさか、こんなことになるなんて。
「カイトさま……」
ヘイスは頭に乗ったカイトの手を取り、その指に口づけをした。
カイトの鼓動が強く脈打ち、思わず生唾を飲み込む。
(待て待て! 相手は十二歳の女の子だぞ! 海璃より年下じゃねぇか!)
なのに、どうしてこんなに緊張するんだ。まだ剣を取った時の方が気楽だったかもしれない。
すぐ目の前にあるヘイスの表情は、四つも年下とは思えないほど色っぽく、女を感じさせた。控えめな胸の膨らみや、スカートから伸びる細い脚線。幼げな唇はやけに煽情的だ。今までは気にも留めなかったヘイスの美貌の片鱗が、カイトの意識を満たしていく。
(異世界の女の子って、大人っぽいんだな)
こうなってしまった以上、下手にごまかすのも失礼なんじゃないか。
明日も知れない身で無責任かもしれない。それでも彼女との関わりが傷んだ心を癒すというのなら、ありがたく好意を受け取りたい。
ヘイスの手を握り、立ち上がらせる。
頬を紅潮させたヘイスが、上を向いて目を閉じた。この世界でも最初はキスから始めるものらしい。
心臓が割鐘のように鳴り響いている。緊張と興奮で固くなりながら、ヘイスの華奢な肩に手を置き、カイトはゆっくりと唇を近付けた。




