19.癒えない傷 ①
少し遅めの昼食を終えたカイトは、部屋の窓から見える景色を飽きることなく眺めていた。
あてがわれた個室は一人では持て余す広さだった。調度品は最低限で、ベッドとサイドテーブル、食卓にチェスト、それに燭台らしき器具がいくつかあるだけ。板張りの床と青い壁紙の組み合わせは、日本では見慣れない色合いである。壁に設置された暖炉は、寒くなるまでお役御免のようだ。
窓から見えるデルニエールの街並みは、カイトがイメージする西洋風ファンタジーそのもの。
木造やレンガ造りの建築物が混在し、街路樹を等間隔に置いた街並みは清潔感に溢れている。老若男女が活気よく行き交い、商人が客引きの声を張り上げ、厳めしい衛兵が目を光らせている。街の人々が挨拶を交わし合う様子は、現代日本より遥かに温かな世間に思えた。
「やっぱり、珍しく感じるものなんですか?」
「ん、まあね。珍しいっていうか。初見だしな」
ヘイスの声で我に返ったカイトは、部屋の中央に鎮座するテーブルにつく。向かいの席にちょこんと座るヘイスを見ると、不思議と気分が落ち着いた。
白いブラウスと膝丈のスカート。当たり前だが、ヘイスの装いは戦場で出会った時とは違う。革鎧から一転、素朴な少女らしさを感じさせる服装は、彼女の熟しきらない可憐さを際立たせていた。
栗色の瞳と髪。何度見ても、カイトはヘイスに亡き妹の面影を重ねてしまう。
「ひとつ聞きたいんだけどさ」
「はい! 何でも聞いてくださいっ」
役に立てることが嬉しいのか、握りこぶしを作って張り切るヘイス。
「どうして魔族と戦争を?」
ほとんど興味本位の質問だった。
人間と魔族が争っているということ自体に疑問はない。ファンタジーでは人間と魔族の争いはよくある話だ。けれど、その原因には少なからず好奇心がくすぐられた。
ヘイスはきょとんとした表情でカイトを見つめてから、思い出したようにぽんと手を合わせる。
「そっか。それもご存じないんですよね」
テーブルに目を落とし、彼女はうーんと考え込む。
「どこからお話ししましょうか。カイトさまは、灰の乙女についてお聞きになられましたか?」
「灰の、乙女?」
慣れない敬称にむず痒い思いをしながら、カイトは腕を組んだ。
灰の乙女というワードには思い当たる節がある。
「この世界の調律を司る女神様が、人の身をとって現世に具現された姿です」
「女神だって?」
半ば無意識のうちに口を開いていた。
おそらく、いや、十中八九間違いない。灰の乙女とは、カイトが出会ったあの女神のことだ。一面灰色の景色に一人立つ彼女の姿を思い出す。なるほど、確かに灰の乙女と呼ぶに相応しい。
「はい、女神様です。えっと、女神様っていうのは、わかりますよね?」
「……ああ。それはわかるよ。ごめん、続けて」
とにかく今は最後まで話を聞こうと思った。
「一から説明させて頂きますね」
そう前置きして、ヘイスはこほんと咳払いをする。
「灰の乙女は、尊いお役目を果たしておられます。灰の巡礼といって、世界のマナのバランスを保つために常に世界中を巡られているんです」
そう聞くと大変そうに思えるが、女神にとって世界を巡るなど容易いことなのだろう。そうでなければ、休みなく旅を続けるなんて身も心ももたない。
そんなカイトの感想は、続くヘイスの言葉によって覆された。
「ですが、乙女はもう何年も旅をせず、王都の神殿で休養をとられています」
「そりゃまた、どうして」
「巡礼中に魔族に襲われたんです。灰の乙女はご無事でしたが、お供の騎士を失ってしまいました。傷付いた灰の乙女は、助けを求めてこの国に辿り着き、それ以来神殿で傷を癒しておられるんです。それが、えっと……たしか五年くらい前の話だったかな?」
「傷を癒す、ねぇ」
五年も経てば完治しているのではないか。この世界には医者要らずの治癒魔法があるのだから。
体ではなく、心の傷だろうか。トラウマを持つ女神というのも想像しにくいけれど。
「じゃあ、その時から戦争が始まったってわけか」
乙女の命を狙う魔族と、それを守ろうとする王国の戦い。女神を巡って種族間の争いが勃発したとなれば、理解できる話だ。
わかったような気になったカイトであったが、ヘイスはふるふるを首を横に振った。
「そういうわけではないんです。乙女が保護されてからしばらくは平和でした」
「そうなのか?」
ヘイスは頷く。
「戦争が始まったのは、魔王のせいです」
「魔王?」
「そうです。魔王です」
カイトはさほど驚かない。ファンタジーにおいて、それはあまりにも陳腐な存在だった。
「ちょうど一年くらい前です。魔王は何の前触れもなく、この国に宣戦布告の書状を送りつけてきました。戦争が始まったのは、それからです」
女神の次は魔王ときたか。カイトにとっては慣れ親しんだ、まさにファンタジーの定番ともいえる役者達。女神の加護を享けた勇者が、人々を苦しめる魔王を討つ。カイトの頭に浮かんだそれは、まさに王道というに相応しいシナリオである。手垢がつきすぎた筋書きとも言えるが、王道が王道である所以は人の心を打ちやすいからだ。
正義の勇者が悪の魔王を打ち倒す。カイト自身、そんなわかりやすいストーリーに憧れた少年の一人である。
「強い魔王が生まれたもんだから、調子に乗って戦争を仕掛けてきたと」
「そう考えるのが自然だと思います。っていうのも、カイトさまが戦ったあの黒い獣。あれは魔王が生み出したものなんです。次から次へと湧いて出てくるあの獣のせいで、ボク達の前線はどんどん後ろに追いやられています。不落の要塞と言われたモルディック砦も落ちてしまいましたし、これから先どう戦えばいいのか」
「そんなにまずい状況なのか?」
「デルニエールが落ちたら、あとはもう王都だけです。他は小さな町や村ばかりで、戦う力はほとんどありませんから」
「それはやばいな……」
どこか他人事のように呟くカイトであったが、危機感を覚えない理由は異世界人だからではない。
「その割には、街の人達は普通に暮らしてるけど」
窓の外に目をやって、カイトは眉をハの字にした。
魔族が目の前まで迫っているというのに、デルニエールの街は平和そのものだ。襲撃を恐れる人もいなければ、戦おうと奮起する者もいない。
「公爵様が緘口令を布いてるんです。むやみに民の不安を煽らないように、と」
「……誰も知らないってのか」
カイトの表情が途端に険しくなった。
なんと無責任な領主だろうか。隠してどうにかなることでもあるまい。ここまで来たら、むしろ事実をありのまま公表して民衆を王都に逃がすべきだ。そうすれば、無力な住民の命も救われるし、気骨ある者が街を守ろうと軍に志願するかもしれない。
「公爵は、とんだ大バカ野郎だな」
「カイトさま、しーっ!」
ヘイスが慌てて人差し指を立てたのを見て、カイトは失言を自覚した。
権力者の悪口なんか口にするものじゃない。ここは現代日本ではないのだから。
「悪い。口が滑った」
きょろきょろと部屋を見回して、ヘイスは薄い胸に手を当てた。
「びっくりしたぁ……分かってはいましたけど、カイトさまってこわいもの知らずなんですね」
「気をつける」
今の発言がまずかったというのは流石のカイトにも理解できる。ともすれば不敬罪に問われるかもしれない。カイトには、貴族は傲慢であるとの先入観があった。
ともあれ、なんとなく現状は把握できた。
もしかすると、灰の乙女は魔王の手に落ちつつあるこの世界を救うために、カイトを召喚したのではないか。そんなことを考えてしまう。
(魔王を倒して世界を救う、か。まさに勇者って感じだな)
それにしても、マナ中毒になるような脆弱な勇者がいるものだろうか。カイトは胸元のタリスマンを弄りながら、自身の体質に想いを馳せる。
 




