17.もう逃げない ②
部屋の視線はカイトに集中していた。クディカは厳しく。リーティアは見守るように。デュールは淡々と。少女は戸惑いを湛えて。
すぐには口を開けなかった。異世界から来たことを言うべきか。言えばどんな目に遭うか。自分は今どういった立場にいるのか。まったくわからない。
(曖昧な答えが許される雰囲気じゃないよな……これ)
しばし沈黙の後、カイトは腹を括った。
「俺は」
それでも、やはり言いにくい。
再びの静寂。誰しもが口を噤み、次の言葉を待っていた。
「俺は、この世界の人間じゃありません。こことはまったく別の……なんていうか、国も星も全然違う。つまり、その……異世界からやってきました」
努めて平静に、真剣味を帯びた声で言い切った。
(ああ。やっぱり言うんじゃなかった)
後に続く言葉はない。訪れた神妙な空気。いたたまれないにも程がある。
「それだけか?」
しばらくの間があって、クディカがようやく口を開いた。
「えっと」
「言うべきことはそれだけか、と聞いている」
厳しい物言い。けれど、思った通りの反応だ。
無論、最初から信じてもらえるとは思っていない。だからこそ困惑せずに済んだ。
「嘘は言ってません。俺にわかることはそれだけです」
カイトの堂々とした態度は、モルディック砦で問い詰められた時とは大違いだった。
クディカはリーティアと目を合わせる。二人はそれだけで意思疎通を終えて、再びカイトに向き直った。
「あの戦場にいたのはどうしてだ」
「この世界に来た時、最初にいた場所があそこだったんです」
「するとなにか。貴様は戦場のど真ん中に降って湧いたとでもいうのか?」
「そうなります」
「それで、右も左も分からずマナ中毒になったと」
「はい」
「どうしてそれをあの時言わなかった」
絶え間ない質問攻めに、次第にカイトの表情も険しくなってくる。
「言えば信じてくれたんですか? 悪いけど、そんな風には思えなかった」
語気を強めたカイトにも、クディカは眉一つ動かさない。
「確かにそうだ。そんな荒唐無稽なことを信じる馬鹿がどこにいる。あの時の私なら間違いなくそう言っていただろうな」
やっぱり。
この世界には異世界からの訪問者などいない。そんな前例はないのだろう。
カイトの落胆とは裏腹に、クディカが続けたのは予想外の言葉だった。
「だが今は、お前の言葉を信じよう。カイト・イセ」
目を閉じて吐息を漏らすクディカ。少し気が抜けたようで、研ぎ澄まされた刃のようだった雰囲気がふっと和らいだ。
思わぬ反応に、寄っていたカイトの眉間が開く。
どういう風の吹き回しだろうか。
「意外か?」
「そりゃあ、自分でも突拍子もないことを言っている自覚はありますから」
「ところがそうでもない。いや、異世界云々はその通りだが、お前の体質を説明するには、それくらい突飛な話でなくてはならないからな」
「体質?」
思い当たる節は一つしかない。
「魔力がないってやつですか」
その言葉に頷いたのはリーティアである。
「前にもお伝えした通り、それは本来ありえないことなのです。この世界の生命の理から外れている」
そういえば、ソーニャがそんなことを言っていたような気がする。魔力なしでどうやって生きているのだのなんだの。
「だから、俺が異世界から来たってのもあながち否定できないと。俺がマナ中毒で死にかけてたのも、なんか珍しい感じでしたもんね」
自虐的に笑ってみるが、つられて笑う者は誰もいなかった。
「それだけではありません。あなたを治療できたのも、その体質ゆえです」
カイトは首を傾げる。
「魔力を持たず、マナ耐性がない。それは即ち、魔法に対して無防備だということ。微弱な攻撃魔法でも命を落としかねません。ですが見方を変えれば、治癒魔法の恩恵を誰よりも強く享けられるということでもあります」
「お前が五体満足なのも、魔法への耐性がない故だ。私の姿を見ろ。同じリーティアの治癒魔法を受けた身でも、治り方に大きく差があるだろう」
確かにそうだ。傷一つないカイトに比べて、クディカの負傷はあまりにも痛々しい。
「マナ耐性は、魔法の効きやすさにも影響するってことですか?」
「その通りだ」
「カイトさん。言いにくことですが、ソーニャ・コワールにやられたあなたの体は……それはもう酷い状態でした。普通であれば、手の施しようがないほどに」
「……でしょうね」
思い出すだけで吐き気を催し、心拍が加速した。思わず自分の体を検める。
「けれど、あなたは死の淵から蘇った。ただ治癒魔法をかけただけで。人類史上、前例のないことです」
ここでやっと、カイトはリーティアに助けられたことを実感した。
苦しみの渦中にいる間は『死ねば楽になるかもしれない』などと考えもしたが、とんでもない。
助かってよかった。心からそう思う。
「古今東西、魔力のない生物が存在したという記録はない。そうでなくともタリスマンなしでは呼吸もままならないお前が、今までどうやって生きてきたかという疑問もある。異世界からやってきたというのも、まったくありえない話ではないのだ」
クディカに言われ、カイトは胸のタリスマンを握る。これが失われなかったことはまさしく幸運であった。
「それだけではないぞ。というより……むしろこちらの方が重要なのだが」
そう前置きして、クディカは咳払いをする。
「お前は、我が軍の兵を命がけで守ってくれた。たった一人であの四神将に立ち向かった勇者だ。そんな男の言葉を疑うほど、私は愚かではないつもりだ」
鼓動が一つ、大きく脈打ち、カイトは深く息を吸い込んだ。
「勇者?」
少なくともカイトにとって、それは最大の賛辞であった。
「俺が……勇者、ですか」
手が震える。胸に渦巻くのは得体の知れない感情。
嬉しいのか、悲しいのか。わからないが、なぜか泣きそうだった。
「そうだ、胸を張れ。お前は確かに一つの命を救ったのだ。勇者と呼ばずにしてなんという」
その称号は、力や役割に与えられるものではない。
自身の中に眠る勇気を、行動をもって示した者のみが得る勲章である。
カイトが剣を取ったのは決して勇気を示したかったからではない。妹との約束を守るためには、自身の臆病に打ち勝つしかなかったのだ。
自ら苦難の中にありながら、他人の為に命を賭ける。
その強き決意が、今の結果をもたらした。
「勇者……勇者か」
カイトは噛み締めるように呟く。
もったいない評価だ。カイトが思い描く理想の勇者像には程遠い。勇者といえば、圧倒的な力で悪を滅する一騎当千の猛者であるべきだろうに。
「ヘイス・ホーネン。ここへ」
「は、はいっ!」
クディカに呼ばれ、部屋の片隅にいた少女が上ずった返事をした。今まで窺うように顎を引いていた彼女の表情がにわかに緊張する。
彼女はおずおずと前に進み出ると、じっとカイトを見上げた。栗色の大きな瞳はこころなしか潤んでいるようで、カイトを動揺させる。
「ほら、大丈夫」
なかなか切り出せないヘイスの両肩を、リーティアがぽんと叩いた。
「あ、あの」
薄い胸の前で両手を組んで躊躇っていたヘイスは、意を決したようにきゅっと唇を引き結び、短い髪を振り回すほどの勢いで深く頭を下げた。
「助けて下さって、本当にありがとうございましたっ!」
一瞬ばかり戸惑ったカイトであったが、彼女があの若い兵士だったことをすぐに理解した。
「女の子だったのか……」
戦場では鎧兜に身を包んでいたせいで分からなかった。幸い、顔を上げたヘイスはカイトの無礼な呟きに気付かなかったようだ。
栗色の瞳と、同色の髪。短く切り揃えられた髪型のせいか、どことなく中性的な印象を受ける。身長はカイトより頭一つ分以上低い。
脳裏をよぎるのは亡き妹の面影だ。ヘイスとは似ても似つかぬ顔立ちではあるが、大きな栗色の瞳だけは記憶の中の妹と同じだった。
「よかった。ちゃんと助かったんだな」
カイトの頬が緩む。
「はいっ。ホーネンの家名にかけて、このご恩は一生忘れません!」
「はは。大袈裟だ」
小さな右手を左肩に添えて宣誓するヘイス。そんな彼女が微笑ましく、カイトは何気なく彼女の頭に手を置いた。昔はよくこうして妹の頭を撫でてやったものだ。
するとどうしたことか。カイトを見上げていたヘイスの顔がみるみるうちに紅潮し、ゆっくりと俯いてしまう。
「あらまぁ」
両手で口元を隠して驚きの声を漏らすリーティア。
「おいお前っ! 我々の前でよくもそんなことができるなっ」
クディカが血相を変えて身を乗り出し、唾を飛ばしながら声を張った。
デュールは呆れたように真横を向いている。
「え?」
当のカイトはぽかんと呆ける以外にない。とはいえ咎められたように感じたカイトは、小さな頭に乗せていた手を引っ込めた。
 




