15.激突する炎 ②
合図と共に放たれたのは、揺らめく火炎の砲弾。これが障壁を破るに十分な威力があることはすでに実証済みだ。
予想通り、ソーニャは回避行動に移った。とん、と軽く地を蹴り、全身のフリルをなびかせて宙を舞う。外れた砲弾は一本の木に命中し、爆炎を巻いて周囲の草木ごとなぎ倒していった。
「当たんないってー。そんな見え見えの攻撃」
頭を下にしてふわふわと宙に浮いたまま、ソーニャは溜息を吐く。
「さっきは不意打ちくらっちゃったけど、あなたの魔法はもうわかったから」
「ええ、そうでしょうとも!」
リーティアは追撃を放つ。連続で撃ち込んだ二発の炎弾は、吸い込まれるようにソーニャに迫り、直撃。轟音をたてて派手な爆発を巻き起こした。
「だーかーらー」
激しく拡がった爆炎の中から、ソーニャの呆れ声が響いた。
「無駄だって言ってるでしょーが」
爆炎を斬り裂いてリーティアへ飛来したのは、輝きのない漆黒の火炎。姿形こそリーティアの炎弾に似通っているが、その色彩は闇そのものであった。
咄嗟に杖をかざして魔法障壁を展開し、闇の炎を正面から受け止める。ソーニャの炎は爆発を伴わず、輪郭を揺らめかせながら障壁を破らんと進み続けようとする。リーティアの障壁が、破壊に耐えるように何度も閃いた。
魔力によって生み出される火炎。それは実際の炎ではなく、魔法術式によって生み出された破壊のエネルギーである。故に熱を持たず、水で消えることもない。マナによってもたらされた単純なエネルギーに、破壊という属性を与えた結果、炎の形をとって具現化しているのだ。
闇の炎とリーティアの障壁は互いに相殺し合い、マナの粒子となって霧散する。
「へぇ。やるじゃない」
ソーニャは素直に感心していた。先程の炎弾にしても今の障壁にしても、称賛に値する威力である。
魔族とは、魔力の扱いに長ける故にそう呼ばれる。その中でも将軍の地位にあるソーニャの炎を防いだ事実は、リーティアが人並外れた術士であることの証左であった。
「このあたしと張り合えるなんて。人間のくせにすごいわねーあなた」
ソーニャは、余裕の笑みでようやく大地に降り立った。
対するリーティアは、額に汗を浮かべて荒い呼吸を繰り返している。
「えー、もう限界なの? 前言撤回。拍子抜けね」
騎兵達の強化と、数発の炎弾。リーティアの魔力はすでに尽きつつあった。
無理もない。本来なら数人がかりで行う後衛術師の役割を、たった一人でこなしているのだ。
だが、底なしの魔力を持つソーニャの目には、単なる惰弱に映っていた。
「ほらぁ。そんなぜーぜー言ってないで、もうちょっとくらい頑張れるでしょ?」
「残念ながら、ご期待には添えません」
リーティアは挑発には乗らない。彼女は聡明だ。これ以上の攻撃が無意味であると理解しており、目的を忘れる愚も犯さない。カイトを抱えて去っていく部下の背中を視界の端に捉えると、彼女はひとまず安堵し、そして大きく息を吸い込む。
「撤退!」
言うや否や、彼女は馬を転進させ、嘶きと共に駆け飛んだ。
「逃がすわけないっての!」
ソーニャの対応は速かった。リーティアの行動は読めていたし、攻撃魔法の発動準備もすでに終えていた。
だが、その先読みが仇となる。
撤退命令を受けたはずの騎兵達は、あろうことかその進路を一斉にソーニャに向けていた。
「へっ?」
四方八方から接近する十数の騎兵に、ソーニャは些か以上に虚を衝かれた。背を向けて逃げると思った敵が突撃してきたのだから、驚くのも無理はない。
騎兵達は各々の武器を振るい、巧みな連携をもって攻撃を加える。
障壁の展開は間に合わないと判断し、地を蹴って中空に逃るたソーニャ。そこに数発の矢が射かけられ、ドレスの裾やフリルを斬り裂いていった。
「あー! お気に入りなのに!」
頬を膨らませたソーニャは、眼下にきつい視線を落とす。
「もー許さないんだから」
構築した攻撃魔法の狙いを騎兵達に定める。適当に放てば二、三人は消し飛ばせる威力。彼女の顔に歪んだ笑みが浮かんだ。
だが、その魔法が撃たれることはなかった。
唐突に空が翳り、ソーニャの直下に巨大な円形の影を落としたからだ。
「なにこれ?」
頭上を見やる。
そこにあるのは、視界を埋め尽くさんばかりの紅蓮の塊。
「うそ――」
避けられない。回避のタイミングはとうに失われている。
「え、ちょっ」
ここでソーニャはようやく悟る。
これがリーティアの狙いだったのだ。何度かの手加減した攻撃で油断させ、あたかもそれが限界であるかのように演じ、偽りの号令でソーニャを欺き、攻撃を誘ったところで本命の一撃を確定させる。
「退避ーッ!」
騎兵達は即座に転進。速やかに後退する。
「わーうそうそ! まずいでしょこれぇ!」
落下する紅蓮を辛うじて受け止めたソーニャは、しかしその勢いを殺せず、大地に圧し潰されて身動きを失った。
刹那。
龍にも見紛うほどの壮絶な火柱が、天まで届かんばかりの勢いで立ち昇った。
すんでのところで逃れた騎兵達は、背後で消滅する一帯の様子に戦慄を禁じえない。
森の中、リーティアの細い腰にしがみ付く兵士は、轟々と燃え盛る火柱の苛烈さに圧倒されていた。
「上手くいって、よかった」
ほぼすべての魔力をつぎ込んだ乾坤一擲の大魔法。
いちかばちかの賭けに勝ったリーティアは、豊かな胸をほっと撫で下ろしていた。
「あの、フューディメイム卿」
若い兵士が、おずおずと口を開く。
「さっきの人、助かりますか……?」
ほとんど上の空のような一言だったが、その声には僅かな諦めの響きが混ざっていた。
リーティアは答えない。カイトの容体は、もってあと数分といったところだ。まだ息があること自体が奇跡的といえるが、当の本人は地獄の苦しみを味わっているだろう。
「やっぱり……無理ですよね」
幼さの残る顔が、痛ましい表情に歪む。
「ごめんなさい。ボクが余計なお願いをしたばかりに、皆さんにご迷惑を」
「気に病むことはありません」
「でも」
「これもまた、乙女の思し召しと……そう考えなさい」
リーティアは淡々と言い切る。未熟な兵士への厳愛の言葉。
それは同時に、決意の表れでもあった。
「心配は無用です」
緋色の瞳に強き意志を宿して、彼女は馬を走らせる。
「救ってみせますとも。必ず」
リーティア率いる部隊はただ一騎の損害も出さず、将軍と兵士、そしてカイトの救出を達成したのだった。
 




